216 崩壊
「!」
そのとき、クラウディアとノアは殆ど同時に、とある存在の接近に気が付いた。
(……来るわね)
しかし、クラウディアが動こうとする前に、ノアに体を横抱きにされる。
そのまま立ち上がったノアの首に腕を回しながら、言い聞かせるように口にした。
「ノア。私を転移させるつもりなら、それは不要よ」
「承知しております」
意外な返事が返ってきて、首を傾げる。
するとノアは、クラウディアを聖堂の壇上へと連れながら、こう続けるのだ。
「あなたがそう仰ると分かっていたからこそ、俺が全てを終わらせてからではなく、いまこの時に目覚めていただきました」
「……ふふっ」
ノアの魔法で現れた椅子に、ゆっくりと下ろされる。
「やっぱりお前は、私の良い子ね」
「お褒めに預かり、光栄です」
クラウディアの前に跪いたノアは、死者の装束である白いドレスの裾に触れ、よく馴染んでいる魔法を使った。
艶やかに織られた生地のドレスが、鮮やかな赤のドレスに変化してゆく。
「母さまがずっと恐れていたのは、ライナルトの魔法によって私が奪われること。現時点では、問題なさそうだわ」
「断言は出来ません。引き続き、警戒をする必要があります」
素足のつまさきも、ドレスと揃いの靴へと変わる。ノアの魔法によって作り出された衣服は、クラウディアにとって心地の良いものだ。
(……この後に、何よりも私が警戒するべきは、私のことではないわ)
気配はどんどん近付いている。
「ノア。内緒話よ」
クラウディアはノアの手を引いて、その耳元に声を落とした。
「――――姫さま」
「出来る?」
微笑んでそう尋ねると、ノアはゆっくりと瞬きをしたあとに、クラウディアの傍から立ち上がった。
「もちろんです」
「では、私のノア」
林檎や血のように赤い、真紅のドレスに身を包んだクラウディアは、微笑んで告げた。
「お前がどれほど美しいわんちゃんに成長したのか、見せてちょうだい」
「……姫さまの、お命じになるままに」
その直後だった。
「――――……」
聖堂を覆う結界に、何かが接触した気配がする。
ここに張られた結界は、ノアの魔力によるものだ。クラウディアを守るための透明な殻を、外側から砕こうとする者があった。
魔法によって生み出された剣が、ノアの手に握られる。
殻に亀裂が入ったのは、聖堂の入り口にあたる扉の場所だ。強固で分厚い強力な結界が、深い憤りに似た魔力の迸りによって、破壊されようとしているのだった。
(闇魔法の力。黒曜石の瞳を持つ魔術師の、最も得意とする魔法……)
雪の中を思わせる静寂が、ひとときだけ聖堂を支配する。
それから一拍を置き、まるで硝子の砕けるような音が、聖堂の中へと響き渡った。
「…………」
無理やりに壊された結界の破片が、聖堂へと降り注ぐ。空中にきらきらと瞬きながら落ちるそれは、美しいものにも見えながら、一種の禍々しさを纏っているのだ。
床にぶつかると不快な音を立て、地響きと共にクラウディアの鼓膜を揺るがした。
そんな破片の雨の中、扉を押し開いた青年が、聖堂にゆっくりと踏み込んでくる。
(……戦場の空気は、久し振りね)
豪奢な椅子の肘掛けに手を置き、クラウディアは彼を見据えた。
(ノアの結界が、この聖堂を清らかに保ってくれていたのだわ。結界の外、いまのこの国に満ちる空気は、五百年前の戦いと同じ……)
けれども前世の戦争と違うのは、こうして敵対する相手が、見知らぬ兵士ではないという点だ。
「……ようやく、目覚めたのか」
姿を見せた青年を、ノアが睨み付けたのがよく分かった。
けれども彼のまなざしは、真っ直ぐこちらに向けられている。黒曜石の色をしたその瞳は、やはり同じだ。
「迎えに来たぞ。アーデルハイト」
「……ジークハルト」
先ほどまで見ていた夢の中で、目覚めたときにあった出来事を思い出す。
棺の中で目覚めたクラウディアは、ノアと同じ姿をした『レオンハルト』に出会った。いまのジークハルトはそれと同じ、静かな憤りと支配の意志を込めたまなざしで、クラウディアを射抜いている。
(こちらの世界のジークハルトは、夢の中のレオンハルトとよく似ている。だけど、それ以上に……)
狂気の感情を滲ませた奥に、クラウディアのよく知る気配があった。
(――ライナルトと、同じ魔力)
前世の最初の弟子であり、『アーデルハイト』の死後に一国の王となった存在を思い、クラウディアは目を細める。
「欠けていたはずの君の魔力が、あるべき形に満ちたらしい。本当に、喜ばしいな」
暗い笑みを浮かべたジークハルトが、その手をクラウディアの方へと伸べた。
「……これで君を、手に入れることが出来る……!!」
「!」
そこから現れた無数の影が、手の形となってクラウディアに迫り来る。
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