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20 父王と従僕

 桜貝のような爪のついた指先が、ぺたりと水晶の表面に触れる。

 その瞬間、張り詰めたような静寂が聖堂の中に満ちた。痛むほどの耳鳴りが響き渡り、すべての視線がこちらに注がれる。


 だが、誰もが見つめる水晶は、なんの反応も示さない。


「……おお……」


 ややあって、参列者たちがざわざわと囁きを漏らし始めた。


「本当だ。……本当に、クラウディア王女殿下は、魔力無しの体質だぞ」

「いかに美しい姫君でも、これではな……」

「よもや陛下の御子の中にも、あのようなお方がいらっしゃるとは」

「しかし惜しい。ほんの僅かにでも魔力があれば、クラウディア姫殿下の王族としての今後は、大きく違ったものになったであろうに」


 好き勝手な言いようを聞きながら、クラウディアは満足する。


(……これでいいわね)


 カールハインツを振り返り、不安そうに尋ねるふりをした。


「カールハインツ。クラウディア、じょうずにできた?」

「ええ、姫殿下。素晴らしかったですよ」

「よかったあ!」


 ほうっと息をつき、それから上を見上げるのだ。


(本当によかったわ。結果の偽装も起こり得ず、箝口令すら無意味なほど大人数の前で、証明できたのだもの)


 クラウディアは、天蓋の向こうにいるであろう父王に向けて、にこっと微笑む。


(ありがとう、『お父さま』)


 とはいえ、クラウディアを値踏みするような視線が向けられていることは、きっと気のせいではないだろう。

 だがそれも、クラウディアにとっては承知の上だ。


「ノアー!」


 聖堂の正面扉を振り返り、大きな声で従僕を呼ぶと、人々の視線がノアへと注がれた。


「あのねノア、おわったよ!」


 扉の外に控えていたノアは、自分がここで声を掛けられると思わなかったらしい。少々面食らった顔のあと、すぐに少年らしからぬ冷静な表情へと戻る。


「……ご立派でした。姫さま」

「えへへ! あとでいっぱい、なでなでしてね!」


 ノアに視線を向けたのは、参列していた貴族たちばかりではない。

 父王はクラウディアを一切無視すると、カールハインツにこう尋ねる。


「カールハインツ。あの子供が、姫の従僕とやらか?」

「仰る通りです。塔に住みつくうち、姫さまの身の回りを務めるようになり、名を与えられたと」

「ふん。まるで野良犬だな」


 嘲笑のあとに、父王はノアを見据えたようだ。


「――黒曜石の瞳か」

「…………」


 ノアは押し黙り、真っ直ぐに父王を見返したあとで、きちんと頭を下げた。


(これで、第二の目的は果たせたわ)


 クラウディアは、カールハインツの服の裾をくいっと引いた。


「カールハインツ。ごほうびの、おかし……」

「姫殿下。もう少しだけお待ちを」


 カールハインツが穏やかに窘めようとするものの、父王は飽きたかのように言い渡す。


「もうよい、鑑定の儀はこれで終わりだ。――姫にはこのあと、茶会の用意をしてやれ」

「わあ、おちゃかい!」


 無邪気に喜んでみせながら、クラウディアは両手を挙げた。

 カールハインツは、クラウディアの傍に跪くと、ごくごく小さな声で呟く。


「ノアが機嫌を悪くしたようですが、どのようなご意図で?」

「クラウディア、なんのことかわかんなあい」


 そう告げると、カールハインツは溜め息をついたあと、クラウディアをノアの元までエスコートしたのだった。




***




 鑑定を終えたあと、クラウディアは城の侍女たちによってドレスを着替えた上で、城の中庭へと案内されていた。


「さあ、クラウディア姫さま。こちらは少し芝生の下がぬかるんでおりますから、私共とお手々を繋ぎましょう」

「おてて、ノアとつなぐ!」


 クラウディアはそう言って、一歩後ろを歩いていたノアの手を取った。

 ノアは、しっかりとクラウディアの手を握り返したものの、その表情は拗ねたようにむすっとしている。


「……姫さま。危ないので、ここは俺ではなく大人と手を繋いだ方が」

「や! ノアがいいの」


 そんな駄々を捏ねるふりをして、じっとノアを見上げてみる。

 するとノアは、クラウディアに見透かされるのを恐れてか、ふいっと慌てて視線を逸らした。


(ふふ。そんな風にお顔を背けても、まったく感情が隠し切れていないわね)


 微笑ましく思ってしまうのだが、笑うのは可哀想なのでやめておいた。

 ノアがどうして不機嫌なのか、カールハインツにはしらを切ったものの、クラウディアはちゃんと分かっている。


(ともあれ、ひとまずはこの後のことだわ)


 この先の中庭では、王族や貴族の子供たちが、みんなでお茶会を開いているのだそうだ。

 カールハインツがクラウディアに、こんな風に説明していた。


『本来であればこの茶会は、クラウディア姫殿下に魔力があることを証明したあと、姫殿下を王城へ迎え入れる前段階として行われる予定でした。目算が狂い、姫殿下は塔に帰る形になるでしょうが、茶会自体は行われます』

(集められたのは、上流階級の子供たちの中でも、魔力が高い子供たちばかりということだったわね)


 クラウディアは、ひそひそとノアに尋ねた。


「ノア。おまえは下がって、やすんでいてもよかったのよ?」

「俺の役割は、姫さまを守ることです」


 むすっと拗ねた横顔だが、ノアははっきりと言い切った。あくまでこちらを見ようとしないところに、彼のこだわりを感じる。


 堪えきれず、やっぱりくすっと笑ってしまった。ノアは案の定、ますます不本意そうに顔を顰めるのだ。


「……本当ですよ? 茶会の会場にいるであろう、どんな大人の護衛よりも、俺の方が確実に姫さまの力になれます」

「ふふふっ、ええ、わかっているわ!」


 うっかり上機嫌になりながらも、クラウディアは心の中で考えるのだ。


(――だからこそ、お前の機嫌を損ねてでも、先ほどあんな真似をしてみせたのよ)


 そしてクラウディアとノアは、茶会のために飾られた庭園へと到着した。


「おい、来たぞ!」


 あどけない少年の声がして、一斉に視線が注がれる。

 そこには、上は十歳くらいから、下は四歳くらいまでの子供たちが、男女あわせて二十人ほど集まっていた。


(なるほど)


 子供たちの様子を眺め、クラウディアは納得する。


(これは確かに、高水準の魔力を持った子供たちばかりだわ)


 子供たちは、これまでお互いと遊んだり、テーブルのお菓子を食べたりして過ごしていたのだろう。


 けれどもクラウディアが来た途端、示し合わせたようにぴたりと手を止めて、沈黙したままクラウディアを観察し始めるのだ。


 その光景は異様なものであり。後ろに立っている侍女たちが怯んでしまうほどだった。






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