13 幼な子の真似ごと
【四章】
その朝、透明な陽光が差し込む室内で、クラウディアは重要な魔法を使っていた。
これは今後に関わることなので、一切の手抜きをするわけにはいかない。熟慮の末に、頭の中で構築していたものを確定させる。
「いくわよ、ノア」
少し困った顔の従僕に対し、差し向けた人差し指をふわりと揺らした。
指先から生まれ出た光の球が、簡素な白い衣服を纏ったノアへと泳いでゆく。
光はノアを包み込むように広がり、眩い輝きとなって、やがてゆっくりと消えて行った。
「――これでいいわ」
「…………」
現れたノアの姿を見て、クラウディアはとても満足する。
そこには、軍服調の衣服を身に纏い、難しい顔をして立っているノアがいた。
細やかな刺繍の入った黒い上着は、細身だが長身のノアによく映える。
それでいて重苦しい雰囲気にならないよう、羽織らせたケープと脚衣は白に揃え、裏地に華やかな真紅を使った。
上品な造りのデザインを選んだお陰か、ノアの整った顔立ちに滲む、静かな気品が引き立てられている。
耳に着けさせたのは、赤い耳飾りだ。じゃらじゃらと音が鳴る長さの耳飾りは、クラウディアの従僕であることを示す、重要なしるしだった。
「すてき」
頭の中で思い描いた以上の、素晴らしい出来である。
クラウディアはにこーっと笑い、指先でぱちぱちと拍手をした。
「とってもかっこいいわね、ノア」
「……」
不本意そうに全身を見回したノアは、じとりとした半目でクラウディアを見る。
「あんたの犬として、進言させてもらうが」
「なあに?」
「――『魔力の、無駄遣いを、するな』」
一音ずつ、刻み込むような発言だ。
どうやらこの美しい子犬は、主君を守るためならば、その命令にも背いてみせる方の性質らしい。
クラウディアはくすくすと笑い、ノアの上着の襟を正してやる。
「むだではないわ。あなたの見栄えを繕うのは、わたしにとって、ひつようなことだもの」
「……本当に?」
「ええ。ほんとうよ」
頷いて、小さな手をノアと繋ぐ。
新しい衣服に身を包んだノアは、こちらを見下ろして少し複雑そうな顔をした。どうやら彼の中でクラウディアは、ノアより年上の存在と認識されているらしい。
(見た目の年齢よりも、私の魂の年齢を汲んでいるんだわ。……やはり、魔力に関する素養が高いのね)
これからを楽しみに思いつつ、クラウディアはノアに告げた。
「おまえの今日の任務は、わたしをまもること。いい?」
もちろんクラウディアは、自分のことくらい自分で守れる。
ノアにも分かっているだろうから、「守る必要なんかないだろう」と反論されるかもしれない。
そう思っていると、意外にもノアは真摯な表情で、素直に頷いた。
「分かった」
(……あら。頼もしいわね)
クラウディアはくすっと笑い、ノアの人差し指と中指を握り込む。
***
「いらっしゃいませ、おきゃくさま」
「クラウディア姫殿下」
賓客室にいた魔術師、カールハインツは、クラウディアに恭しく一礼した。
ノアと手を繋いだクラウディアは、にこにこしながらカールハインツを見上げる。
カールハインツが後ろに従えるのは、部下らしき魔術師たちが十五名ほどだ。
そして、その魔術師たちの視線は、クラウディアではなくノアに注がれていた。
(狙い通りね)
クラウディアはにこにこしながらも、不本意そうなノアを見上げた。
(何せノアは、ここでおじさまとの戦闘を繰り広げてみせたもの。魔術師たちの関心を集めるのは、当然だわ)
そして今度は、再びカールハインツに視線を向ける。
(もっとも、この男だけは別のようだけれど)
カールハインツの赤い瞳は、相変わらずクラウディアを見下ろしていた。
この男が、クラウディアの何かしらを見抜いているのは仕方がない。ひとまずは、他の魔術師だ。
「姫さま」
「なあに? ノア」
「こちらにいる方々に、きちんとしたご挨拶を」
ノアが跪き、手筈通りの言葉を口にした。
クラウディアは、「あっ」と思い出したふりをして、魔術師たちに向き直る。
それからドレスの裾を摘み、辿々しく礼をした。
「みなさま、こんにちは。わたしはクラウディア、六さいです」
とびきりの笑顔で微笑めば、魔術師たちは微笑ましそうな表情を浮かべた。
「好きなどうぶつは、フワフワの、大きなワンワンです! でも最近は、黒い毛並みの、綺麗なわんちゃんもお気に入りです」
「……」
隣から複雑そうな視線が注がれるが、クラウディアは一向に気にしない。それよりも、肝心なのは魔術師たちだ。
「みなさまを、えーっと……」
「……」
「……えっと……あの、その……」
クラウディアはそこで言葉を止め、不安そうな表情を作ってみせる。途端、魔術師たちが慌てた表情をした。
(驚いたわ。この魔術師たち、善人が多いのね)
固唾を呑んで見守る面々から、「がんばれ」という念を感じる。これならば、数日前に下手だと言われた泣き真似も、難なく通用しそうだった。
だから、予定通りノアに泣きつくふりをする。
「ノアあ……」
「姫さま。歓迎、です」
「かんげい!」
ぱっと表情を明るくし、自信を得たような態度を作って。
「みなさまを、えっと……かんげい、します!」
そう言い切り、にこっと渾身の笑みを浮かべると、魔術師たちは相好を崩して拍手をしてくれた。
「立派なご挨拶ですね、姫殿下!」
「なんとお可愛らしい……」
はふっと息をついたクラウディアは、照れ臭そうにノアの後ろへ隠れた。
もちろんすべて演技である。にこにこしながらクラウディアを褒め称える魔術師たちの中で、真実を知っているノアと、見抜いているらしきカールハインツだけが表情を変えていない。
クラウディアを後ろに庇ったノアが、カールハインツに告げる。
「魔術師さま。姫さまはご覧の通り、あまり大勢の人間がいらっしゃる場所に慣れていません」
「……そのようで」
「ですので、姫さまに話があるのであれば、どうかあなたおひとりで」
すると、カールハインツの横にいた赤毛の魔術師が物申して来た。
「ええと、ノア君? それは……」
「構わない」
「団長」
カールハインツは前に進み出ると、クラウディアの前に膝をつく。
「無礼をお詫びします、クラウディア姫殿下。我々の配慮が足りず、申し訳ございませんでした」
「…………」
赤い瞳は、やはり観察するような素振りでクラウディアを見据えていた。
クラウディアは、ふっとくちびるを綻ばせたあと、改めてノアにしがみつく。
「えーん、ノアー」
「……姫さまが泣いています。早く、他の方々を外へ」
「分かった。従おう」
これでひとまず、面倒ごとが減った。
クラウディアは満足し、自分とノアとカールハインツだけになった賓客室の、ふかふかの椅子に腰を下ろすのだった。




