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110 眠りは穏やかに




(――さて)


 初級クラスの生徒たちが動揺する中、愕然としているセドリックを見上げながらも、クラウディアは冷静に考えた。


(セドリック先輩と分かり合えたようだわ。これで万が一の場面をノアに目撃されて、ノアが怒ってしまうこともなくなるわね)


 セドリックはクラウディアのことを見詰め、信じられないという表情をしている。

 これならきっと、クラウディアが初級クラスで魔法を学びたいという気持ちについても、きっと理解してくれたことだろう。


「セドリック先輩、ありがとーございました!」

「……っ、あ……」


 元気よくお礼を言った後、クラウディアは後ろを振り返る。


(ラウレッタ先輩にも、少しだけ変化が生まれたようだわ)


 ラウレッタはぺたんと地面に座り込み、頬を紅潮させながら、自らの口元を両手で覆っていた。


(あんなに大きな声を出せたことに、自分でびっくりしているのね)


 これは大きな前進だ。

 昨日からの様子を見ていれば、ラウレッタが自分自身やその魔法を恐れていることや、『声』を出すことについての戸惑いがあることは明白だった。


(それもそのはずだわ)


 クラウディアは、自らの手のひらを見下ろした。


(――ラウレッタ先輩の『声』は、強い魔力を帯びているもの)


 いつもより温かな指先を動かして、その感覚を確かめる。


(『クラウディア』と、私の名前を呼んだだけ。それが呪文の詠唱と見なされて、私を応援……強化する魔法が発動した)


 本当ならば、先ほどの魚をかたどった水魔法は、もっと小規模なものを発動させる予定だったのだ。


(想定の十倍は大きいお魚さんで、とても迫力が出てしまったわね。そんなつもりは無かったけれど、セドリック先輩を怖がらせてしまったかもしれないわ)


 ちらりとセドリックの方を見遣ると、彼の耳が一気に赤くなる。


「っ、く……!! なんだ、こっちを見るなよ!!」

(足が震えて動けないようだから、しばらくそっとしておいてあげましょう)


 その代わりに、クラウディアはラウレッタの方に歩いていく。


「ラウレッタ先輩!」

「……っ」


 座り込んだラウレッタの手を掴み、引っ張って立たせながら元気に言った。


「先輩、クラウディアに強化魔法を掛けてくれてありがとう!」

『え……?』


 本人に自覚が無いらしきことも、先ほどの様子から察していた。だからこそクラウディアは大きな声で、教師やクラスメイトたちにも聞かせるのだ。


「先輩がクラウディアに魔法を掛けてくれたから、大きなお魚さんが作れたんだよ! すっごく素敵な魔法なの。ほら、クラウディアのお手々もぽかぽかしてる!」

『強化、魔法?』


 ラウレッタの手をぎゅっと包んだまま、クラウディアは彼女の瞳を見て笑った。


「ラウレッタ先輩は、傍にいる誰かを強くすることが出来る、そんな魔法だって使えるんだね」

「――――!」


 そう告げるとラウレッタは、未知の世界を見付けたかのように目を見開いた。


(発する言葉が詠唱の形を成していなくとも、ラウレッタ先輩が想いを込めれば、それだけで強力な魔法になる。……魔力暴走の事故というのも、その所為で起きてしまったのかもしれないわね)


 クラウディアは、心の中で考える。


(あるいは、船を無自覚に連れ去ることだって……)

「……っ」


 ラウレッタはクラウディアから手を離すと、恥ずかしそうに視線を落とした。

 先ほどまでと同じように俯いているが、その雰囲気は少し異なっている。ラウレッタは、強化魔法を発動させた自らのくちびるに触れると、どきどきした様子で瞬きを繰り返した。


(調査を次に進めなくては。……けれど)


 ふわりと足元が揺らぐ感覚に、クラウディアはラウレッタから一歩後ろへと離れた。


(……魔力の消耗が、想定より激しい……)


 ラウレッタの強化によって、意図していたよりも多くの力を消費してしまった。急激な眠気に襲われて、クラウディアはごしごしと目を擦る。


(このままここで倒れてしまっては、ラウレッタ先輩を巻き込むわ。……安全な場所……移動、しないと)

「……?」


 クラウディアの様子に気が付いたのか、ラウレッタが訝しむ気配がした。


(転ぶなら、せめてひとり……)


 ふわふわとした感覚はどんどん広がり、波に揺られているような心地になる。

 くちびるを開いたクラウディアは、ここには居ない従僕の名前を呼んでいた。


「……のあ……」


 ぐらりと世界が斜めに傾いた、その瞬間だ。


「……!」


 クラウディアのその体は、よく知る誰かに受け止められた。


「――姫さま」


 抱き締めながら零された声に、クラウディアはとろりと瞬きをする。

 ぼんやりとしながら目を開けると、黒曜石の色をしたノアの瞳が、クラウディアを真っ直ぐに見詰めていた。


 心配そうなノアの表情を見て、クラウディアはくちびるを綻ばせる。


「呼んだらちゃんと、傍に来てくれるの」

「あなたの従僕なのですから、当然です」


 手を伸ばし、いい子いい子と頭を撫でる。ノアは何も抵抗しないまま、クラウディアを横抱きに抱き上げた。


「先生。姫殿下が体調を崩されたようですので、今日の授業はこれにて失礼いたします」

「え? あ、ああ……」


 ノアは続いてセドリックを見遣ると、冷ややかな声で言い放つ。


「……あなたさまにも、改めてご挨拶を」

「ひ……っ?」


 そんなに怖い声で告げては、セドリックが怖がって可哀想だ。そう思うけれども眠たくて、まったく話せそうになかった。


「んん……」


 クラウディアを守ることだけに徹するノアの腕の中は、こうして抱っこされていると安心する。安眠効果が有り過ぎて、少々困ってしまうほどだ。


「ノア。お前も今日はここまでか?」

「はい。医務室で姫殿下のお世話をしますので」

「分かった、なら授業は気にするな。特別クラスに戻ったら、俺たちから先生に伝えておく」

「申し訳ありません。ルーカス先輩」

「クラウディアちゃん、心配です……。何かあったら頼って下さいね、ノア君」


 クラウディアがうとうとしている間に、ノアが誰かと話している。ノアはその人物の方を見て、はっきりと返事をしたようだ。


「ありがとうございます。フィオリーナ先輩」


 クラウディアは、久し振りにノアに抱き上げられたまま、緩やかな眠りに落ちていった。



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