107 見えないはずの姿
セドリックはむすっとした口ぶりで、クラウディアに人差し指を突き付ける。
「君はまさか、これから初級クラスの授業に出るつもりか?」
「んん、出るよ? みんなと一緒に魔法のお勉強するの、楽しみ!」
「有り得ない……」
ぐっとクラウディアを睨み付けた彼は、舌打ちをしてからローブの襟を正した。
「分かった。待っていなよ」
「セドリック先輩?」
「先生方に申請をする。この学院では、各魔法クラスごとの成績優秀者は、生徒の立場であっても下位のクラスの授業を補助していいということになっているからな」
そのことは勿論知っていた。けれどもクラウディアは驚いたふりをし、目をまん丸にしながら尋ねる。
「それってもしかして、セドリック先輩が先生になってくれるの?」
「ふん。言っておくが僕のクラスは……」
「中級!」
「上級クラスだ! 特別クラス、上級クラス準上級クラス、中級クラスに初級クラスと並ぶうちの上から二番目!!」
セドリックの後ろにいた男子生徒たちが、ここぞとばかりに口を揃えた。
「そうだぞ一年生。セドリックはもしかしたら来年、特別クラスに編成されるかもしれないほどの実力者なんだ!」
「特別クラスはたった七人。その中のひとりに選ばれるなんて、とんでもないことなんだよ?」
「それに、特別クラスのルーカス先輩ともよく話してるしな!」
「み、みんな。この子はこれでも王女さまなんだから、もう少し接し方を考えないと……」
「王族の血ならセドリックだって引いてるさ。この学院では珍しくないし、『特別扱いしない』が原則だろ?」
王族という言葉に反応して、セドリックが後ろを振り返る。
「君たち、ちょっとうるさいよ」
「ご、ごめんセドリック」
燃えるようなガーネット色の瞳が、クラウディアを嫌そうに見下ろした。
「君もラウレッタも同類だ。実力に見合わない場所に身を置いて、どんな結果を齎すかの自覚も無い」
「……ラウレッタ先輩にも、おんなじことを言ってるの?」
「勿論さ、君も思い知るといい。魔力の制御が出来ない人間には、どのような道が相応しいのかを」
「セドリック先輩。あのね、クラウディアね」
クラウディアはにこっと微笑んで、セドリックに告げる。
「セドリック先輩と、『勝負』がしたい!」
***
普段あまり使われないこの校舎の上階からは、初級クラスの使う中庭がよく見える。
廊下に佇むフィオリーナは、硝子の窓に手を触れながら、小さく歌を口ずさんでいた。
「――――……」
普段であればフィオリーナの周りには、彼女を慕う生徒たちが集まっているはずだった。
いまのフィオリーナがひとりなのは、魔法授業の時間だからだ。友人たちは今頃みんな、それぞれが所属するクラスで授業を受けているのだろう。
魔法の授業に出ていない生徒は、フィオリーナだけではない。
「……ラウレッタは今日も、居ないのですね」
歌うのをやめたフィオリーナは、ぽつりと独り言を呟いた。
それは無理もない。フィオリーナの唯一の妹は、他人の前で魔法を使うことを恐れているのだ。
ラウレッタが授業に出ないことを、教師たちもどこかで黙認していた。下手に暴走を起こされるよりは、見て見ぬふりをしていたいのが本音なのだ。
初級クラスの授業風景に、フィオリーナは目を伏せた。
「『ラウレッタとあまり関わらないように』と、そう言い付けられてさえいなければ……」
寮の方に視線をやった、そのときだ。
「フィオリーナ」
「!」
彼のやさしい声を聞いて、フィオリーナの心臓がとくんと跳ねる。
「ルーカス……!」
「お前が堂々と授業をサボってみせるなんて、珍しいな」
こちらに歩いてきた友人は、フィオリーナにとって掛け替えのない存在だった。
ルーカスと言葉を交わすだけで、心の中に花が咲く。
ルーカスのことを思い出しているとき、フィオリーナのくちびるから溢れるのは、恋慕や愛を表した歌ばかりだ。
「もう、ルーカスったら」
ほんのささやかな照れ隠しで、フィオリーナは拗ねたふりをする。
「意地悪を言わないでください。それにルーカスだって、授業に出てなくてはいけないはずでしょう?」
「お前が居なかったんだから仕方ない。……迎えに来たよ、行こう」
「……」
そんな風に甘やかされて、フィオリーナはくすぐったい気持ちになる。
ルーカスは窓の外に視線を向けると、フィオリーナが何を見ていたのか察したようだ。
「お前の妹は、今日も授業に出ていないのか」
「……はい。それと、他にも」
フィオリーナはもうひとり、昨日出会ったばかりの少女を探す。
「クラウディアちゃんも居ないので、気になってしまいました」
さらさらしたミルクティー色の髪に、ぱっちりした双眸を持つクラウディアは、人形のように美しい少女だった。
傍らについている従者の少年が、頑なに守ろうとするのは当然だ。
「クラウディアちゃんは、とっても可愛らしい一年生でしたね」
「ん? そうだな。幼くて無邪気に見えるが気品があって、さすがは『本物の王女』だと感じた」
「…………」
ルーカスの何気ない一言に、フィオリーナはぴくりと肩を跳ねさせた。
「フィオリーナ?」
「……そうですね。ルーカスの言う通りです」
ルーカスには決して気付かれないように、きゅっと右手を握り込む。フィオリーナは柔らかな笑顔を作り、ルーカスを見上げた。
「私、クラウディアちゃんともっともっと仲良くなりたいと思います。どうでしょうか?」
「ああ、きっと喜ぶんじゃないか? そういえば昨日のクラウディアも、君に憧れたと話していた」
「まあ嬉しい! それでしたら、私からも遠慮なくお誘いしちゃって良いですよね」
にこやかに美しく微笑んだまま、フィオリーナは口にする。
「――私の歌を、クラウディアちゃんにたくさん聞いていただきたいです」
そのとき、窓の外を見遣ったルーカスが、驚いたように口を開いた。
「フィオリーナ。あれを見ろ」
「……?」
中庭の方を見下ろすと、初級クラスの生徒たちが困惑している様子が見える。
十人ほどの生徒の中に、先ほどまで居なかった人物が増えているからだ。ここからは髪色でしか判断出来ないが、それが誰であるかはすぐに分かった。
「クラウディアちゃん? それに」
ミルクティー色の髪をした少女は、誰かを引っ張るように手を繋いでいる。
その相手の髪色は、フィオリーナとまったく同じ紫色だ。
「まさか、ラウレッタが魔法の授業に……?」
***




