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1 殺されかけて思い出す

 六歳の王女クラウディアは、前世の記憶を思い出した。


 それと同時に、自分が殺されそうになっていることも理解した。

 血の繋がった伯父でありながら、クラウディアを塔の窓から突き落とした、目の前の男によって。


「恨むなよ。お前さえ死ねば、レオノーラを王女として育てられる! 俺も後見人として、贅沢な暮らしを――」

「……」


 落下しながら手を伸ばして、その小ささに新鮮な気持ちになる。

 クラウディアは、数メートル先に遠ざかった伯父の顔を見つめ、瞬きをした。


 そして、穏やかに微笑む。


(……馬鹿な男)

「!?」


 伯父の顔が驚愕に引き攣るが、発する声は聞こえてこない。

 クラウディアの体は遥か下、一帯に広がる森へと落ちていくからだ。


(自分の娘を王女と偽るだなんて、本当に上手くいくと思っているのかしら。――もっとも、実父と継母から軟禁されている今世の私なら、従姉妹と入れ替わったところで誰も気付きそうにないけれど)


 落ちながら思い浮かべるのは、クラウディアの世話をする侍女たちの言葉である。


『「欠けている姫君」に仕えなきゃだなんて、不運だわ! 王女でありながら、魔力を欠片も持ち合わせていないのでしょう?』

『母君が卑しい身の上じゃ、父君が国王陛下でも仕方がないわ。いくら美貌の歌姫と言われていても、所詮は身寄りのない庶民だもの』

『せめて王都に戻りたいわよ。こんな辺鄙な森の中で、しかも魔物まで出るだなんて! ああ、クラウディアさまさえいなければ……』


 思い出して、クラウディアはくすくすと笑いたくなった。


(この私が『欠けている』『魔力無し』と言われるなんて、ふふっ! 以前の生では、とても考えられなかった有り様ね)


 クラウディアの前世である『アーデルハイト』は、いわゆる完璧な存在だった。


 血統に恵まれ、溢れんばかりの才能を持ち合わせ、それを活かすだけの頭脳もあって。

 たくさんの人たちに称えられてきたのだが、あっけなく死んで今に至る。


 そうして生まれ変わったのが、使用人にすら蔑まれているこの人生だ。


「――さて」


 耳の横で風が空を切り、鳥がぎゃあぎゃあと鳴き喚く。いつのまにか目前に迫った木々の先端が、今にもクラウディアを貫きそうだ。

 あるいは鳥たちの巣がある枝を折り、地面に激突してしまうだろう。小さな右手を下方に翳し、心の中で短く詠唱した。


(『停止』)


 その瞬間、ぴたりとクラウディアの体が止まる。

 それとは一瞬遅れる形で、ドレスの裾がふわりと落ちた。そのままゆっくりと地面に降り立ったクラウディアは、小さな手をにぎにぎと動かして、魔力が循環する感覚を確かめる。


(念のため無言詠唱にしておいたけれど、この程度なら大丈夫そうね。もう少し強力な魔法であれば、有声詠唱の方がよさそうだけれど)


 この体にはさほど期待していなかったが、思った以上に使えそうだ。幼児の体にしては発動速度も早く、反動にも十分に耐えている。

 となれば、考えるのはこの後のことだ。


(真っ直ぐ塔に戻っても良いのだけれど。あの伯父の野望を砕くなら、もう少し育ててからの方が面白そう。しばらく森をお散歩するとして、問題は……)


 クラウディアは空中をすうっと撫で、そこに鏡を出現させる。


(この私が、私にふさわしくない装いをしていることだわ)


 覗き込んだ鏡面に移るのは、六歳という年齢にしては小柄な幼子の姿だった。


 痩せこけた手足と、割れた爪。

 つまさきに傷のある靴と、質素すぎる白のドレス。膝下まで計画性もなく伸ばされた髪は、ぼさぼさとしていて無秩序だ。


 おまけに顔色も青白く、不健康なことこの上ない。

 記憶を取り戻す前の自分は、よくもまあ、この扱いに文句のひとつも言わずに生きてきたものだ。


「……」


 むうっとくちびるを尖らせたあと、クラウディアは靴の踵をこつんと鳴らした。


(『浄化』、『修復』、『修繕』、『整頓』、『補強』……)


 単言詠唱を重ねていくと、靴の踵から光の粒が弾け散る。その光はしゅるしゅるとクラウディアを包み込み、心地よい暖かさで撫でていった。

 その光が全部消えたあと、再び鏡を確かめる。


(まあ、こんなものかしら)


 そう思いながら、甘そうなミルクティー色の髪を指で梳いた。

 そこには、大きな瞳を長い睫毛に縁取らせ、通った鼻筋に小さなくちびるの少女が映し出されている。


 背中までの長さに切り揃えた髪は、櫛を入れたようにつやつやと輝いていた。癖がなく真っ直ぐな髪のため、森のそよ風にさらさらと靡く。

 肌は魔法で磨き上げ、質素でくたびれていたドレスはふわふわの一級品に作り替えた。痩せた手足は仕方がないが、靴の先まで完璧に磨き上げ、満足する。


 そうして、自分の瞳を確かめた。


 人形のように大きくて丸く、印象的な双眸は、伸ばされっぱなしだった前髪によってずっと隠されていたものである。


 瞳の色は一定でなく、光の加減で何色にも見えた。

 さまざまな色の宝石を一緒に砕き、すべてを混ぜて散りばめたような、とりどりの色合いだ。


『偉大なる魔女。真の魔法使い、アーデルハイトさま!』

『あなたの持つ七色の瞳こそ、すべての魔法を操れる証明。あなたはまさに、魔術の愛し子と呼ばれるべき存在です!』


 かつての弟子が言った言葉を思い出し、クラウディアはふうっと息をつく。

 

 偉大なる魔術師として名を馳せたアーデルハイトの伝説は、知らぬ者などいないだろう。

 事実、記憶を取り戻す前の無気力なクラウディアですら、その名前は聞いたことがあったのだから。


(来世では好きなことだけして暮らしたいというのが、私のささやかな望みだったのに。まさか一国の王女に生まれてきた上、それも虐げられて軟禁状態の幼子だなんて)


 自分の落ちてきた塔を見上げ、クラウディアは目を細めた。

 そうして、悪い魔女の顔でにっこりと笑う。


(……最高に、都合がいいわ!)


 今日という日はお祝いだ。

 クラウディアは心底上機嫌になり、出現させた鏡をぱちんと消した。そのまま意気揚々として、森の奥へと歩き始める。


(それでは早速お散歩しましょう。まずは、魔物の巣窟と噂の森ね!)


 無意識に口ずさむのは前世の歌だ。

 幼子特有の舌足らずな歌い方が、森の中に響き渡るのだった。




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