のりこ。父親としてお前の幸せを心から願う
人並みの幸せは、万人に通ずる幸せではない。
重々承知ですが、人を愛する素晴らしさや友人と楽しい時間を過ごすこと、学習することの大切さ、家族の愛情を知っている人ほど、それらに価値を見出すのかもしれません。
私は、一人部屋に閉じこもっている。
今日は、めでたい日だ。
初孫がわが家にやってきた日。
悪い意味での泣き顔を隠すために、私は書斎に閉じこもっている。
「かわい、かわい」
そう言って初孫の健太を、中指と薬指がくっついている手で撫でたのりこ。
その顔は、健太を愛しんでいることが痛い程分かるものだった。
のりこ。お前は重い障害を持っているけれど、人を愛する気持ちはちゃんとあるんだよなぁ。
父さんだって、ちゃんとわかっていたぞ。
だからこそ、厳しくしつけているんだ。
先ほどの健太を撫でる姿を思い出して、私はまた泣けてきた。
のりこ。
重度の障害を持つお前に、家庭を持たせてやりたいなんて、過分な願いかも知れない。
でもな、お前の中にある純粋な心を知るたび、結婚は無理かもしれないが、人と恋をすることや働く喜びや友達と過ごす楽しさを感じさせてやりたいと思ってしまうんだ。
一生は長いから、今から成長していけば、もしかしたら……。
可能性が0だなんて言う人もいる。
父さんだって、全て人並みになんて思っていない。
でもなぁ、でもなぁ。父親としてお前には、何かひとつだけでも人並みのことを味わわせてやりたいんだよ。
重度の障がい者は、結婚も就職も日常生活さえできないなんて、誰が決めたんだ!
だから、少しでも社会に適合できるようになって欲しい。
だから、私はお前を厳しくしつける。
お前は、私の娘だ。
可愛くないわけがないじゃないか。
でも、今のままではだめだ。
何か気に入らないことがあると、かんしゃくを起こす。
自分の気持ちをうまく伝えられない。
今から訓練しておこう、のりこ。
その2つが緩和されれば、きっと家族以外の人と触れ合うことができるようになる。
とんとん。ノックの音がした。
「お父さん」
「あぁ、雪江さんか。先ほどは悪かったな。のりこを落ち着かせてくれてありがとう。すまん。すぐみんなのところへ行くよ」
「お父さん。ここで少しお話ししてもいいですか?」
嫁の雪江さんは、介護士だ。
雪江さんがわが家に母の介護士としてくるようなり、長男と結婚して、わが家の嫁になったのだ。
雪江さんが家族になってから、のりこは明るくなった。
おそらく、話とはのりこについてなのだろう。
「お父さん。きっと察していらっしゃると思いますけれど、のんちゃんのことです。こうしてお話しするのは、初めてですね。のんちゃんの姉として話しますが、きついことを言います」
私は、雪江さんに言わせてしまう自分のいたならさを申し訳なく感じた。
「のんちゃんの障害は、良くなる可能性は低いです。のんちゃんが私たちに近付くのではなく、私たちがのんちゃんに近付いた方がよいと思います」
私は、黙っていた。
正論だ。
とても正しい。
のりこの障害は、脳にある。
奇跡でも起きて、医療が100年以上進まない限り、劇的に良くなどならないだろう。
「私はね、雪江さん。のりこの障害を受け入れていないわけではないんだ。ただあの子に普通の人が味わっている幸せをほんの少しでも味わわせてやりたいんだよ。あの子の同級生は、みんな高校生だ。友人と笑いあい、恋もして、勉強もしている。しかし、のりこには何もない。だから、私は……」
不覚にも、嫁の前で泣きそうになる。
雪江さんは、静かに言った。
「何もない?のんちゃんが?こんなに思ってくれているお父さんもいるのに?それに、のんちゃんは、私が出会った中でだれよりも優しい女の子です」
そうだ、確かにのりこには家族がいる。
それに、あの子は本当に優しい。
「お父さん。のんちゃんのありのままをまず受け止めましょう。お父さんの気持ちもとてもよく分かります。私もすべてを諦めるべきなどと言いません。むしろ、姉としてはお父さんと同じ気持ちです。そのためには、あるがままののんちゃんを受け止めであげることからはじめませんか?」
分かっている、いや、分かっていたんだ。
でも、粘り強くのりこに厳しく言い聞かせてきてしまった。
やはり、願いは諦めるべきで叶わないのかな。
「ありのままの姿を受け止めてあげた時、のんちゃんの心は安定します。かんしゃくもへります。そして、なにより家族と生き生きと過ごすのんちゃんを見て、すてきだ!と思う人が男の子でも女の子でもでてくるかもしれませんよ」
雪江さんは、ぽっと顔を赤くした。
「というのは、私のことです。のんちゃんを含めて、剛さんとこのご家族を好きになりました」
びっくりだ。
そうだったのか。
そして、そんな考え方があったのか。
目からうろこだ。
「かんしゃくをおこすのは仕方ないことです。それは、まえもって周囲の理解をえればいいです。そして、対処法を伝えておく。のんちゃんが、自分のことを伝えられないと思っていらっしゃるようですが、のんちゃんを見ていれば、たいていのことはわかります。のんちゃん、すごくわかりやすいです。お父さん、おひとりでがんばりすぎているんですよ」
雪江さんは、にっこり笑った。
「のんちゃんの優しい所は、お父さんゆずりですね。優しいのんちゃんだもの。人はそういう所、必ず気づきます」
私は、ほぉぅと長い息を吐くと、涙を拭いた。
なんだか目の前が明るくなった。
「ありがとう、雪江さんが家族になってくれたのは、我が家にとって幸運だった。ほんとうにありがとう。のりこのことはわかった。何度も言うけれど、ほんとうにありがとう。のりこの今をうけとめることに、全力を注ぐ。健太がきた日に悪かったね。健太とみんなが待っている。いこう」
「はい。でもお父さん。いざのんちゃんにボーイフレンドができたら、さみしく感じられるのではないですか?」
みると、雪江さんはいたずらっぽく笑っている。
この嫁は……う~む、どうしてこうも人の心が分かるのか。
いや、のりこのためにも見習おう。
「まさか。そんなことはないよ」
そんな嘘をしれっとはきながら、私は笑顔で初孫と家族が待っているリビングのドアを開けた。
その扉は、日があたたかく射す未来に通じているように感じた。
おわり
最後までよんでくださり、ありがとうございました。
何か感じることがございましたら、感想欄に記していただけたら幸いです。