92.“前”侯爵様がいらっしゃったので、
「いってらっしゃいませ、旦那様。」
朝早くから多くの使用人たちとマドレーヌに見送られ、ガナシュが王宮へと出仕して行った。
「お母様!お父様は今日ももうお出掛けになったのですか⁇」
「あらショコラ、起きていたのね。ええそうよ。さ、それじゃあ朝食にしましょうか。」
ショコラが戻って来てからの数日、ガナシュは食事を一緒にする暇もないほど忙しそうにしている。このところ朝食すらすれ違いの日が増えた。
今日も、ショコラはマドレーヌと二人きりでの朝食を始めた。
「――そうだわ。今度、貴女から話を聞くために前グゼレス侯爵様がいらっしゃるのですって。」
「“前”…という事は、侯爵様のお父様ですね?」
「そうよ。爵位は譲ったけれど、今も団長をなさっているから。…例の話を聞きたいのでしょうけど…貴女が嫌なら、お断りしてもいいのよ?」
言い辛そうにマドレーヌが尋ねた。たぶん、事件のことを思い出したくないのではないかと心配しているのだろう。ショコラは安心させるように笑顔で答えた。
「大丈夫ですわ、お母様!協力出来る事ならば何でもします。」
「本当に⁇無理はしなくていいわ。」
「本当に、大丈夫ですよ?」
本心から言っているのだが、マドレーヌの心配は尽きないらしい。
…そもそも、事件の捜査のために必要なのだろうから、断ることなど出来ないのではないだろうか…とショコラは思った。
「まあ、お父様も同席するそうだから…何かあったら、すぐに言いなさいね。」
「分かりました。」
朝食を済ませたショコラは侍女三人を連れ、屋敷の中を歩いていた。
側にファリヌもミエルもいないという事には、なかなか慣れそうもない。側にいないどころか、こんなに長い間顔すら見ないことなど“次期公爵候補”となってからは一度も無かった。特にミエルは――…それ以前からずっと一緒にいて、それが自然な状態なのだった。
…何だか、家にいるのにそうではないような、少しばかりの居心地の悪さがあった。
「――ショコラ様、今日もあちらへ行かれるのですか?」
侍女の内の一人がショコラに尋ねた。
「ええ。…もしかして、あんまり好きじゃない⁇」
「いえ、とんでもない‼どこへでもお供しますわ。ただ…もう少し、楽しい事をなさればいいのに、と…。」
すると他の侍女たちもうんうんと頷いていた。
「うーん…私としては、趣味と実益を兼ねているのだけど…。」
「…その…旦那様からも、ゆっくり休むようにとのことでしたし…」
ショコラの答えに、侍女はもじもじと言い難そうにしている。…彼女らの言いたいことは分かる。要するに――…
そんな事をしている内に、目的の場所に着いた。
公爵家の巨大な“書庫”。
これが、ここ数日のショコラの目的地だ。
ここはいち貴族の邸宅内にありながら、図書館並みの広さと所蔵量がある。しかし普通の図書館と違うのは、全年齢に対応させた様々な物語などの読み物が置かれているわけではなく、あるのは公爵家の仕事に関する書物ばかりという大概の人間にとっては決して面白い場所ではないということだ。
――そんな場所に、“公爵候補”でなくなったショコラの用などもう無いのではないか?そう、言いたいに違いない。
『…ここも、小さな頃から私の遊び場だったのだけど、彼女たちは知らないのね。』
大きな扉を開けてもらうと、ショコラは慣れた様子で中へ進んで行く。そして目当ての棚へと一直線で向かった。
そして本を選びながら、クスリと思い出し笑いをした。
『ここにある書物って、外国の歴史とか風俗とか宗教関連だとかばかりなのよね。…昔はそんな事は知らずに、全て物語の本だと思って読んでいたっけ…』
聞いたことのない名前に習慣、出来事…。それはショコラにとって異世界の話と大して変わりなかった。事細かく書かれているそれらを、わくわくしながら眺めていた。
国内で発行されたもの、ガトラル語に翻訳されたもの、原語のもの――…どれもこれも、一度は読んでしまった。だが、今、また読み直したい気になってここへと通って来ていたのだった。
今、頭の中では幾つものことが同時に回っている。父・ガナシュに言われた事、ファリヌとミエルの事、これから先の事―――…。
考えがまとまらない時はこうして本を読むなど別のことに没頭しているのが一番だ。
ショコラはいくつもの本を手に取った。それを見た侍女は尋ねた。
「…ショコラ様、またピアト関連の書物ですか?お好きなんですね。」
「好きというか…ちょっと気になっていて。」
「そうですか…。??」
それから書庫の中の閲覧場所へ行くと、ショコラはいつものように食い入るようにそれらを読み始めた。
侍女たちは、旅行にでも行くつもりなのだろうかと思いながら、邪魔をしないように静かにそれを見ていたのだった。
それから二日後、マドレーヌが言っていた通り、前グゼレス侯爵のフランが公爵家の屋敷へとやって来た。
「――グゼレス卿、本日はよく来てくださった。本来ならばこちらから出向いて行くべきところを…。礼を言います。」
「いやいや、捜査に協力して頂くのはこちらですから。それに…公爵令嬢に王宮までご足労頂くわけにもいきませんからね。」
応接室で顔を合わせたガナシュとフランは、社交辞令と握手を交わした。ショコラはガナシュの少し後ろでその様子を見ていた。
『この方が侯爵様たちご兄弟のお父様…。侯爵様とはあまり似ていらっしゃらないのね。どちらかと言うと、ソルベ様と似ていらっしゃるわ。』
フランの顔を見詰めながらそんな事を考えていると、目が合った。
「ショコラ嬢、きちんとご挨拶するのは初めてでしたね。陸上師団の団長をしているフラン・アラシッド・グゼレスと申します。日頃息子たちが世話に……なっている、ようで…」
グラスがここで色々としでかしている事を思い出したフランは顔色を悪くし、口籠った。
「あ!ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません!ショコラ・フレーズ・オードゥヴィでございます。どうぞお見知りおきを。」
フランの話の後半はさらっと流すと、ショコラはし遅れた挨拶のために慌ててスカートを持ちお辞儀をした。
そして三人はソファに対面で座り、本題へ入った。
広い応接室には、その三人の他にはそれぞれの執事が付き添っているだけ…。何とも秘匿性の高い事情聴取だった。
「…確認ですがショコラ嬢、本当にお話を伺っても良いのですね?」
「はい。問題ありません。」
「よろしい。では始めましょう。」
――ガナシュを隣に座らせたショコラはそれから、あの日夜、外に出ることになった時からのことを順を追って説明した。
その内容は、ガナシュもまだ詳しくは聞いていなかった事ばかりで、時に呆れ、時に青くなりを繰り返すようなものだった。
『……ミエルを撒いて出たのか…。
自ら囚われの身になったというか…それは連れて行かせただろう、ショコラ!
ルヴァンを一度追い返したというのも…本当だったとは…。』
ソファに腰掛けたまま、ガナシュは頭を抱えて背中を丸めた。一方のフランも、唖然としながらショコラの話を聞いていた。
「…お恥ずかしい話で申し訳ない…グゼレス卿…。」
ショコラの話が一通り終わると、ガナシュは顔を赤くしたり青くしたりしながら言った。
「あ…ああ、いえ、なかなか、勇敢なご令嬢ですな‼」
フランは愛想笑いをしていた。ショコラは二人の様子に、そんなにおかしなことを言ったかしらと思った。
少し間を置き、フランはごほんと一つ咳払いをすると話を戻した。
「――それで、他には何かありませんかな、ショコラ嬢?気付いたことなど何でも結構。」
「そうですね…あ!さっきの説明で触れなかったのですが、誘拐犯さんたちは皆ピアト語を話されます。中にはガトラル語が母語の方と、ガトラル語が分からない方がいらっしゃいました。」
「そうですか…」
――そこまでは、すでにフランたちも把握済みだ。
「捕らえた女性たちの前で会話をする時は、ピアト語で話す事が決まりだったようです。わたくしたちの事は、“商品”とおっしゃっていました。」
フランとガナシュは無言で顔を見合わせた。
「彼らの会話を聞いておられたのかな⁉」
「はい。沢山聞きたかったのですが、なかなか機会が無くて…。そうだわ!お手洗いに行くフリをして聞き耳を立ててみたのですが、面白い話はしてくださいませんでした。」
ショコラは残念そうにそう言った。
まさかそんな事までしていたとは…。彼女には“恐怖”という概念がないのだろうか、とフランたちは一瞬思った。
「たぶん、ですが…序列のようなものの下のほうの方は、あまり詳しく内情を知らないのではないかと思いました。話振りからですが。」
あの状況でよくそこまで観察していたものだ、とフランは感心した。そして、それは彼らの供述の信憑性を見極めるのに役に立つ情報だと思った。
「そういえば…。あの場所以外にも、“アジト”があると言っていましたね。」
「“アジト”⁉それはどこに…」
その話は取り調べでは出てきていない――。フランは前のめりになった。
「さあ…それは分かりません。騎士団が近くに来ていると焦って、そこへ逃げようと言っている方がいました。」
「そうですか。」
もう一度、数人に話を聞く必要がありそうだとフランは考えた。
「あ…そうだわ。そういえば、あの方たち、一番上にいる方の事を色々な呼び方で呼んでいらっしゃいましたね。」
「何と?」
「ええと…」
それについては、取り調べでも判明している。同じ人物の事と思われるが、人によって話す時の呼称が違ったのだ。彼らのほとんどが、二つの呼び方の内どちらかだった。しかし、気になった呼称が一つある。
『「―――そういや、たまにアジトに来る、旦那のすぐ下に付いてるっていうあの男。一人だけ旦那の事をいつも“殿下”って呼んでたな…。ヘンだろ?俺たちは誰もそんな呼び方しねーのに。……」』
…彼らは皆「ピアットイソラ皇国」の言葉を話し、仲間内に“殿下”という呼び名を使う者がいる……。と、いうことは――…
想像だけでは、悪い方へ頭がいってしまう―――。
やつらの頭領を“殿下”と呼ぶ男。それについての情報が出てくるのではないか、フランはそれを期待して言葉の続きを待った。
そんな気も知らず、ショコラは指を折り曲げながら思い出していく。
「“頭”、“旦那”に――…あと、“赤の旦那”!」
「…“赤”の…」
「旦那…⁇」
フランとガナシュは難しい顔をしだした。
それは期待した情報では無かった。…だが、今までに聞いたことの無いものが飛び出した。
「――…公爵、“彼ら”の供述にそんなものはありましたか?」
今回捕まえられた中には、多数のピアト人が含まれている。その取り調べに駆り出されたのが、ガナシュだった。通常業務もあり、おかげで連日の激務となっていたのだが…。
「いや、私も初耳だ。もしかすると、彼らが取り調べで意図的に隠していた可能性も…」
「では、“赤”と呼ばれる皇子について心当たりは?」
「私の知る限りでは無いな…。あそこでは箔を付けるならもっと、仰々しくするはずだ。」
「歴代にも、そういう方はいらっしゃいません。」
二人の会話に、突然ショコラが割り込んだ。思いもしなかった事に、フランもガナシュも驚いた顔をしてショコラの方を見た。その反応に、ショコラは逆にきょとんとした。
「…あら?今の、ピアトのお話…ですよね⁇」
“ピアト語”、“皇子”とくれば、二人の会話は「ピアットイソラ皇国」を指している…。そしてその“皇子の呼称”について話していると思ったのだが、見当違いの事を言ってしまったのかもしれない、とショコラはそわそわした。
「あ…ああ、そうだ。」
「ショコラ嬢、よくご存知で…」
「はい。たまたま今読み返していた書物がありまして、そこで見ましたから確実ですわ。」
意表を突かれたガナシュとフランは、思考があまり追いついていないような返事をした。
しかしショコラの方は、勘違いしたのではなかったようでホッとしていた。
「あの、もしかしてピアトの皇子殿下が関係しているのですか?」
「いえ…それはまだ何とも……。」
フランは歯切れの悪い返事をした。確証は何一つなく、そうと決めつけるには早過ぎる。それに、易々と口に出来る内容ではない。
「その“赤”という呼び方だが、目眩ましのための呼称かもしれない。」
「そうですな。とにかくもう一度、対象を絞って取り調べをし直すとしましょう。公爵にもまたご協力願いたい。
――ショコラ嬢、大変参考になりました。ありがとう。」
そう言ってフランは頭を下げ、ショコラへの聞き取りは終了となった。
「では公爵、私はこれで。」
帰り際、公爵家の玄関先でフランが挨拶をした。ショコラは応接室で見送りを済ませ、そこまで来ていたのは使用人の他はガナシュだけだ。
「初めてお話ししましたが、なかなか度胸の据わったご令嬢ですな。さすがは次期公爵候補。」
「ええ、まあ……」
ガナシュは言葉を濁すと視線を外した。…どうやら漏れて噂になっているらしいという話があるが、ショコラの候補取り消しについては、まだ公表していない。きっとフランの耳にまでは入っていないのだろう…。今ここでわざわざ反論することもない、とガナシュは思った。
「それにしても残念だ。ショコラ嬢ならば様々な家から引く手あまただったでしょうに。」
「はは…お上手ですね、グゼレス卿。おだて過ぎですよ。」
「まさか!世辞など言えません。あれだけ気丈夫な方ならば、ぜひ我が家に頂きたいくらいですよ。まあ、無理なお話ですがねえ。ハハハ!」
そして、ガナシュはフランを乗せた馬車を見送った。
「――…外からの縁談、か……」
この先、そんな事があるのかもしれない…。
客人がすっかり見えなくなったにもかかわらず、ガナシュはぼんやりと門の方向を見続けていた。




