88.来てくれたので、
その場に少年と火傷を負った男を置き、走り出したグラスは消火活動を始めたソルベたちがいる所まで急いで向かった。
「向こうに負傷した残党がいる!処置の上、拘束を!」
「兄上!どこに行っていたんですか⁉」
「その水、貰うぞ!」
グラスは弟の問い掛けには答えず、伝えるべきことだけを簡潔に話すとバケツの水を被った。
「ちょっと何してるんですか!?まさか…」
ソルベは嫌な予感がして、ずぶ濡れになるとそのまま踵を返そうとするグラスの腕を掴んだ。
「おいやめろ!遊んでいる暇はない‼」
「中に入るつもりですよね⁉駄目ですよ危険です!!」
「そんな事は分かっている!!!」
「あっ…――」
掴まれた腕を思い切り引き抜くと、グラスはソルベと対峙した。
「――承知の上だ。それでも行かねばならない人がいる!!」
はっきりと言い残し、グラスは来た道を猛然と駆け戻って行った。
今までに見たことの無い迫力でそう言われてしまうと、ソルベはそれ以上グラスを止めることが出来なかった。
燃える建物だけが明かり代わりになっている暗闇の中、ファリヌとミエルもまたショコラを探して歩き回っていた。
建物から逃がされ、保護されていたカイエと再会した二人は彼女にショコラの行方を尋ねたが、肝心の“今どこにいるか”の手掛かりはなかった。初めは一緒にいたものの途中から別々の部屋に入れられ、助けられた時に彼女は一人だったそうだ。
「でも、あの男の子はみんな助けるつもりみたいだったから…きっとシュクルも助かってるはずよ!」
その言葉を信じ、まだ少し混乱している中を行くがどこにもその姿は無い。
すると…
「――ファリヌさん!あれ‼」
呼び止めるミエルが指差す先には、目的を持っているように疾走するグラスの姿があった。その形相は、事態を一応は制したはずの指揮官のものではない…。
どうにも気になった。
「…行ってみましょう!」
他の騎士たちは皆、火災にまつわる事や捕らえた誘拐犯たちの管理、保護した女性たちへの対応とそれぞれが忙しくしている。そんな中、彼一人が血相を変えているのに思い当たる理由は一つしかない。
二人はその後を追った。
…ショコラがまだいるという建物の入り口まで、グラスは戻って来た。
「――侯爵⁉」
そこに残って座り込んでいた少年は、彼の姿を見上げた。…どうやら、頭から水を被ってきたようだ。と、いうことは――…
「…騎士を呼んである。もうすぐここに来るはずだ。それまでそいつを頼む。」
ポタポタと水を滴らせ、グラスは燃える入り口を見据えたまま、側に倒れている火傷の男を少年に託した。
『…行く、のか…!』
少年はグラスの決心に、固唾を呑んだ。
ここから見えている部分も、すでに相当燃え盛っている。今から中に入ろうなどと命知らずもいいところだ。それでも、グラスに行かないという選択肢は無い。
考える時間も無く覚悟を決めると、剣を抜いた。そして炎の中へと飛び込んで行ったのだった。
「―――君!!」
グラスが飛び込んだその時、やっと追いついたファリヌとミエルがそこにいた少年の存在に気付き、駆け寄りながら呼び掛けた。しかし、その側には見知らぬ男が横たわっているのみで、やはりショコラはいない。
二人は急いで彼のところに行くと、矢継ぎ早に質問を口にした。
「どうなっているんですか⁉」
「ショコラ様は!?」
「侯爵が中へ入ったのが見えましたが⁇」
「も、もしかして……」
少年は二人の質問には答えず、視線を落とした。そして男の方を一瞥すると言葉をこぼした。
「……ショコラ…あいつ、本当にバカだ…。逃げられたはずだったのに、こんな野郎を助けるために…!!」
どこに対するものか分からない憤りを滲ませながら、少年は地面の土を握り締めていた。
彼の話で大体を悟ったファリヌとミエルは戦慄し、息を呑むと呆然として燃え盛る建物を見上げた。
中の状態は……想像もしたくなかった。
「……行かなければ…」
自失したファリヌの足が、ふらりと炎の方へ向かった。
「待ってください!!」
それを止めたのは、ミエルだった。
「お…お気持ちは…理解してます…私も同じです!でも、無策でそんな事をしても、心中しに行くようなものですよっ!――らしくありません‼」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、ミエルは必死でファリヌの腕を抱えていた。
「今は、侯爵様に託しましょう…うぅ…」
その様子にファリヌは正気に戻ったが、同時に無力感に襲われた。
「――…何も…出来ないんですね……」
燃え盛る建物を前に、ただ立ち尽くしているだけしかなかった…。
「――っ……」
中の様子は想像以上だった。グラスはまとわりつこうとする炎を剣で薙ぎ払い、廊下を行く。
…まるで、地獄の業火に焼かれているようだ…。いくら水を被っていても、こんな所にはとても長くなどいられない。
そんな事を思いながら先を進んでいると、グラスの前に行く手を阻む炎の山が現れた。それを見て、逃げ出して来た火傷の男の言葉を思い出した。
『「…天井が…落ちて…」』
「――‼」
この先に、ショコラがいる。グラスは確信した。
「……邪魔だ退け!!」
仇を見るような目で崩落した天井の屑の山を睨むと、剣を振りかざし障害物に斬りかかった。
…少しずつ燃える山が崩れ、向こう側が見え始める…。
その隙間から、倒れている人の姿の一部が見えた。
「っ!!」
それが誰か、など考えるまでもなかった。
――…轟々と音を立てる炎の中で、何か、別の音が聞こえてきた。
ショコラは閉じかけていた瞼を薄く開いた。
ぼんやりとした揺らぐ視界に、人影が映る…。蜃気楼だろうか……
綺麗な顔が見える気がする。…ああきっと、最期に姉の幻が傍に来てくれたのだ…。ショコラはおぼろげにそう思った。
「 ……、……! 」
遠くの方で人の声が聞こえる…。あれは何と言っているのだろう…
「……ぅ
――ショコラ嬢!!」
聴覚と視覚が、少しだけはっきりとした。気付くと、切実な表情でグラスが自分の顔を覗き込んでいた。
「……こう…しゃくさま……?」
ショコラがわずかに答えると、グラスは少しだけ安心したような顔をした。
「…喋らないで。もう、心配ありません。」
そう言うとグラスはすぐに険しい表情になり、着ていた上着を脱ぐとそれでショコラを覆った。
その上着のおかげで熱さが少し、和らいだ。初めは夢を見ているのかと思ったショコラだったが、そこに人が…グラスがいるという感覚が、確かにした。
『助けに……来てくれたんだ……』
安堵したショコラはそのまま身を委ね、すうっと気を失った。
…大丈夫。これは安心しただけだ。その様子に動揺しかけたグラスは、自分に言い聞かせた。
そして上着で包んだ彼女を抱えると、立ち上がって出口の方を振り返った。
――すると…
「‼」
またガラガラと音を立てて、天井が崩れ落ちてきた。
幸い二人のいる側ではなかったが、出口に近い所が崩れた。そしてまたもや山を作り、行く手を塞いだ。
しかし、入って来た時と同じようにその山を排除してしまえばいい。そう思った、が…。
上を見ると、まだ他にも崩れ落ちてきそうな所がいくつもある。
これではあの障害物を斬り払っても、出口に辿り着くまでにまた別の所が落ちてきそうだ。最悪、自分たちがその下敷きになりかねない。
「く…っ!」
ここは長い廊下の中間よりも後ろに位置している。どうするか…。
グラスは周りを見回す。どこを見ても壁、壁、壁…。外観の様子から分かってはいたが、窓は無い。
廊下を挟み、両壁には所々扉がある。恐らく、そこには何かの部屋があるのだろう。階の中心に、廊下を通しているようだ。
非常口も無さそうだ。二人は、行き止まりに閉じ込められていた。逃げ場は無い。
――しかし、グラスはこれで終わりだなどと思ってはいない。そういう顔をしていた。
「……出口が無いなら…」
グラスは片腕で大事そうにショコラを抱えると、剣を構え壁以外に何もない後ろを振り向いた。
「作ればいい!!」
それから奥へと走ると、グラスはその勢いで壁に向かい力の限り剣を振り下ろした。無茶な使い方で刃こぼれしようが、そんな事はどうでもいい。叩きつけるように、壁を斬り貫いた。
廊下の奥に部屋は無く、あの壁の向こうは外に通じている可能性が高い。おまけに木造の壁は燃えて天井と同じく脆くなっている。さらに体当たりすれば、道は開けるはずだ――。
グラスはショコラを庇い、身を挺して壁に突っ込んだ。
すると目論見通り、バリバリと音を立て壁は破壊された。
グラスの目に、真っ暗な外の闇が飛び込んだ。ひんやりとした空気に覆われていく…。成功だ。
――こうしてついに、二人は燃える建物内から脱出を果たしたのだった。
しかし、壁に突っ込んだ弾みで外に投げ出されたグラスたちは地面に叩き付けられた。そのまま土の上をいくらか滑り、やっと止まった。
「……つ…」
下敷きになっていたグラスだが、ハッとするとすぐに起き上がって確認をした。
庇ったとはいえ、こんな衝撃を受けショコラは無事なのか⁉と…
包んでいた上着を外し、仰向けに寝かせる。…火傷などの怪我を除けば、一見した感じでは異常は無さそうだが…
「…ぅ……」
ショコラが気が付いたようだ。
「ショコラ嬢‼」
その声で、ショコラはハッと目を開けた。
…熱くない。息もできる。――助かったのだ……!
反射的に体を起こそうとした。だが、上手く起き上がれない。すると、よろけたところを誰かに支えられた。
「無理をしないで。まだ、辛いでしょう?」
「…侯爵様……!」
見ると、そこにはグラスがいた。
それまでは朦朧として、どこまでが本当のことか分からないでいた。だがその時にやっと、彼に助けられた事をショコラははっきりと知った。
体は本調子とはいかないが、思考の方は段々と鮮明になってきた。
自分を気遣うグラスの格好をよく見てみると、ボロボロだ。…他人の事など言えないが…
「…こんなにまでして、助けてくださったんですか?ありがとうございます…」
そこまでして貰えるとは思ってもいなかった…。
気まずさを誤魔化すように笑い、申し訳なさそうにショコラが言った。すると、グラスは少し怒ったように答えた。
「――こんなもどんなもありません‼どれだけ心配したか……!」
その勢いに、ショコラは気圧された。こんなグラスは初めて見た、と思った。無茶をして、怒らせたのだと反省した。
「…ご…ごめんなさ…」
次の瞬間、ショコラは何が起こったのか分からなかった。
「………よかった…」
気付くと、グラスが自分を強く抱き締めていた。




