86.燃えているので、
松明を手にした虚ろな男は、確かに「燃やせ」と言った。それを聞いた正気の男は酷く慌てた。
「何言ってんだよ⁉なんで――…」
「…騎士団が来るから……」
定まらない視線で一点を見詰め、ボソボソとそう言い残すと彼はまた、フラフラと建物の方へ歩き出した。
『
「――…ここへ、我々の事を嗅ぎ付けた騎士団がやって来るかもしれない。そうなっては大変だ。情報は消さなければならない。いいか?よく、聞くんだ。もし、その時は…全て燃やすんだ。全て。ここにあるものを…“商品”も、君たち自身も全てね。心苦しいが、殿下の為なのだから仕方がない………」
』
「――本当に、ここで合っているんだな⁉」
「…その、はずです…!」
廃村を回りに行ったグラスたち一行を探し当て、その足で皆を連れて少年から教えられた場所までやって来たソルベだったが、地図と睨み合いながら脂汗を流していた。
『あああ…もっと範囲の狭い地図に印を付けて貰うんだった…‼』
渡したのが広域の地図だったため、少年の付けた印は大雑把で、ピンポイントで“この建物だ”という事までは分からない…。
すでに辺りは暗く、木も草も生い茂った廃村はどこへどう向かっていいのか見当が付かない。悪い事に、この辺りは建物や民家が点在していて捜索するにも範囲が広そうだ。
「仕方ない、建造物は全て確認だ!情報が確かなら、我々は確実に迫っている‼皆気を引き締めて――」「侯爵様!」
騎士の一人が、グラスの言葉を遮ってまでも口を挟んだ。
「あちらから、何か物音が…人の気配がします‼」
「何、本当か⁉」
一同は険しい表情で、その騎士が指差した方向を見た。
「…静かに…」
グラスは目を閉じ、集中した。
「―――。‼」
本当だ。確かに人の気配がする。それも一人や二人ではなく、さらには殺伐とした只ならぬ雰囲気も感じる。ここはたしか、もう人が住まなくなった場所の一つだ。恐らく“住民”ではない。ならば……
「…皆、ここからは慎重に行く。警戒して進め。」
声を潜め、グラスが合図を送った。
そして“気配”を目印に、一行は先へと進んだ。
――外はいつの間にか静かになった。…今、どうなっているのだろう…。じっと座って成り行きに任せていたショコラはそう思い始めていた。
助けが来たのなら、そろそろここへも誰かが来ていていい頃なのに。なぜ、誰も来ないのか…。この部屋だけではない。扉の外、廊下の方にも人が来た気配が無い。
それは……
あの騒ぎが、“助けが来た”からではなかった、という事かもしれない。ショコラはそう思った。――では、「向こうに行った」のは、誰の事だったのか…
一つ、考えられるとするなら…。あの少年が、他人に助けを求めず自力だけで何とかしようとした、という事だ。そしてその結果、彼らに見付かった――…
ショコラは悪い想像をしてぞっとした。しかしすぐに頭を振ると、それらを振り払った。
『…違うわ。駄目よ、そんな事を考えていては!――よく思い出して。彼は少し横柄なところがあったけれど、お父様の言い付けには忠実そうだった。考えが回らなそうでもなかったわ。そんな人が、無茶な事を考えるとは思えない。…大丈夫、助けは来るわ…!』
不安になりそうになる自分を鼓舞するように、ショコラは考えを巡らせた。
そんな時――…
『………この臭いは…何…?』
ここに来てから感じたことの無い臭いが、どこからか漂って来た。――焦げたような臭いだ。
…料理をしている?…いや、あれだけ慌てていて、外の見張りすらいなくなったようなのに、呑気に料理などするわけがないだろう。それなら、焚火でもしているのだろうか…。こんな時に?
頭の中で臭いの元を探っていると、今度は何か部屋の温度が上がってきたように感じる…。…暑い…
そして更には、わずかに妙な音までし始めた。パチパチと…
…下の方からする…。ショコラは床に耳を付けた。しかし、すぐに離した。…温かい。いや、熱い。そこでショコラは状況を理解した。
『建物が…燃えているんだわ‼』
木造の建物二棟は、どちらも下の階が燃えていた。松明を手にした男たちが中へと入って、次々に火を付けていったのだ。その男たちは逃げる事もせず、そのままぼうっとその場に立っていた。
そんな光景に正気の男たちは何も出来ず、呆然とする者、へたり込む者、逃げ出す者、と様々だった。
「――何だあれ!!燃えてる…!?」
建物まで偵察に戻って来た少年は木の上から見下ろして、その状況に愕然とした。――一体、何が起こったというのか…⁉
それから建物の側を見てみた。男たちの数が減っているような…。そこでぼうっとしている多くは、恐らく正気だった者たちの方だろう。
「どうなってんだ…⁉」
いや、そんな事はこの際どうでもいい。外にいるのは、男ばかりだ。女の姿は一つも無い。…という事は…ショコラたちは、あの燃える建物内にまだいる!!
少年は飛び出した。
彼は堂々と建物へ近付くが、男たちはそれを意に介していない。そもそも、目に入ってすらいないようだ。呆然と、燃える建物を見続けている。
その様をちらりと横目で見るが、後は無視をして先を急ぐ。こちらも、そんな者たちに構っている暇はない。
少年は小細工なしに、入り口から火の中に入って行った。
「…ッ!」
建物の下は煙で一杯だ。出火元は多いようだが、幸いまだそこまでは燃え広がっていない。少年はストールで鼻と口を覆った。今のうちに、助け出さなくては…!
階段を上がり、二階の廊下に出た。煙は来ているが上の階はまだ無事なようだ。少年は歩き出そうとした。すると、近くから声がした。
「…助けて…っ誰か……!」
ドンドンと、扉を叩く音もした。女の声だ。
少年は、真っ直ぐにショコラの入れられている部屋へ向かおうとしていた。ここから見える扉の中に、他にも捕まっている女たちがいることは分かっている。だが今は非常事態なのだ。自分の最優先はショコラの安全だ。
…が、近くで切実に助けを求める声がしている。
「――…チッ」
声と音がした扉の鍵を、壊した。
林の中を行く騎士団の目に、赤く眩しい光が飛び込んで来た。
「―――あれは…‼」
建物が燃えている。
目指しているのは“あれ”だ!!
目にした騎士団員は、誰もがそう悟った。
「行け―――ッ!!」
指示が出るや否や、団員たちは燃える建物へ向かって走り出した。もはや、慎重に確認をしている猶予は無い。
一同は建物の立つ敷地へとなだれ込んだ。
「――我々は陸上師団である!!この場に居るものは誰一人動くな!大人しく投降せよ‼」
グラスの放った言葉とその状況に、外で呆然としていた男たちは我に返った。
「陸師だと⁉」
「本当に来やがった!!」
「うわああああっ」
「怯むな、やれー‼」
中には怖気付いて逃げ出す者もいたが、男たちはもう、破れかぶれだった。敵う敵わないではなく、簡単に投降などしないという意志で騎士団に刃向かっていった。反抗心が目の色を変えさせていた。
男たちが振り回すのは剣ではなくもっと短い刃物だったが、捨て身のようにしてくる攻撃は生易しくは無い。相討ちでもいいと思っているのだろう…。厄介だ。あちらこちらで、剣と刃物が激しくぶつかり合う金属音が響いている。
「いいか、決して殺しはするな‼…ッ」
グラスは襲い掛かる男の刃物を剣で振り払い、一人を組み伏せて指示を飛ばした。
「全員生け捕りだ!一人も逃すな!やつらには聞きたいことが山ほどある‼」
「…ハイッ!!!」
「…な…なんてこと…‼」
建物方面が赤々とした光に包まれ、異変を感じたミエルとファリヌは建物が見える所まで戻って来た。
「二人とも!」
その時後ろから、同じく光が気になり戻って来たパットに呼び掛けられて、三人はそこでやっと合流した。しかし、お互い無事だったことを喜んでいる余裕は無い。
「建物が…。ショコラ様!!」
「待ちなさい‼」
ミエルが飛び出しそうになったが、ファリヌが腕を掴んで引き止めた。
「今出て行っては巻き込まれますよ!」
燃える建物に気を取られ、ミエルは他にまで目がいっていなかった。言われてよく見てみると、建物の付近で戦闘が起きている。あれはあの男たちと…騎士団だ!
少年の言ったハッタリが、本当になった。良かった…これでやっと安心出来る。
「でも保護しませんと、あの戦闘の中にいらっしゃればショコラ様の身が危険です‼」
「分かっています、でも侯爵がいらっしゃるなら匿われている可能性が高いですよ。もう少し、事態が落ち着くのを待ちましょう。」
「そう…ですね…」
ファリヌに諭され納得したミエルだったが、胸騒ぎが収まらない。燃え盛り始めた建物が、そう感じさせるのだろうか…。両手を握り締め向こうを見守りながら、早く終われ、と祈った。
――少年が扉の鍵を壊すと中から倒れ込むように、手足に枷を付けられた女が出て来た。
「足だけ鎖を切ってやる!後は自分で外まで行け。階段を降りりゃいい!分かるな⁉」
女は咳き込みながら頷いた。
…部屋の中にいたのは、やはり一人だ。という事は、一部屋に一人ずつが入れられている――…恐らく間違いないだろう。
「お前ら何人いる⁉」
「…?」
足枷の鎖を、ナイフを使って巧みに切断しながら少年は尋ねた。
「捕まってる女だよ!何人だ⁉」
「ろ、六人よ…私を入れて…」
「六人だな。口塞いで、走れ!」
ガキン!と音を立てて鎖が切れると同時に女を逃がした。
『あと五部屋かよ…!』
苦々しい顔をしながら、少年は次の部屋に取り掛かった。…早くしなければ…この階にも、火の手が迫っている。
『…他の部屋の方々は大丈夫なの…⁉』
ショコラは立ち上がってうろうろとし始めた。燃えているのは、たぶん下の階だ。
移動の時に歩かされた感覚から推測するに、この部屋は二階で、階段がある場所からは少し離れている。奥の方にあるのだろう。だからか、熱さは感じるものの煙はまだそれ程入ってきていない。――だが、他の部屋はどうだろう…。場所によっては、酷い状態になっているかもしれない…。下の階は?燃えているらしい、下の階に閉じ込められている者はいないだろうか……。
食事の時に顔を合わせた女性たちの事が思い浮かぶ――…。彼女たちの長く監禁された末がこんな形の結末では、あんまりだ。
『…誰か!』
ショコラは祈るように、人の気配を探して壁に耳を付けた。
「!!」
扉に張り付いた時、ごうごうと鳴り始めた炎の音に混じって、ガンガンと何かを叩き壊そうとする音が聞こえてきた。
「…よかった…!」
あれはきっと扉の鍵を壊そうとしているに違いない。
――今度こそ、“誰か”が助けに来ている!それが安心出来る相手なのか、彼らの仲間なのかは分からない…。しかし、まずは火の手から逃れなければその先が無い。そしてどうやらその目途は立ちそうだ。
一先ず安心したショコラは胸をなでおろした。
『私はまだ大丈夫…。だからどうか、他の方が皆無事に出られますように…!』
床の上に座り、固く指を結ぶとショコラは目を閉じて強く念じた。
――…そうしてどれくらいが経っただろう。長いような、短い時間が過ぎた時、ついにショコラの部屋の扉の鍵も開けられる瞬間がやって来た。
ガツン!!と音がして、扉の取っ手あたりが変形した。ギイと鳴りながら扉が開くと、その隙間から熱風が入り込んできた。
「……望み通り、お前が最後だ…!」
扉の向こうには、時々咳き込みながら汗だくになっているあの少年がいた。
「―――‼」
「さっさと行くぞ!もう時間が無い‼」
「ええ!ありがとう‼」
ショコラは満面の笑みで少年に礼を言うと、二人で出口へと向かって走った。
外では、騎士団による男たちの制圧が終わりつつあった。縄で縛られ、何人もの男が捕らえられている。あれから、おかしくなって建物の中へ入り火を付けた男の内の何人かが熱さで正気に戻り、近くにいた仲間を引っ張って外に出て来たところを騎士団に見付かって捕まる例もあった。
「――待て、ここにいるのは男だけではないか?」
ひと息つきかけ、グラスはハッとした。そして、嫌な予感がした。
『まさか…!』
燃える建物を見上げた。
「ゴホッゴホッ!」
そこへ、一人の女性が煤にまみれ、建物の外へと出て来た。近くにいた騎士の一人が近付いて確認すると、彼女は手足に枷を付けられている。
「――侯爵!囚われていた女性のようです!!」
「何!?保護しろ!」
それから間もなくして女性たちが次々と建物内から姿を現し、保護されていった。
それを見たグラスは安心した。恐らく、このどこかにショコラもいるはずだ。建物の外で手当てを受ける女性たちを一人一人、目で確認した。
――ああ、やっぱり!あそこに見える、保護されたばかりの彼女はビストロの娘だ。きっとその近くにショコラも――…
「―――カイエェ!!」
大声を張り上げ、遠くから飛んで来た人物がいた。
「……パット…」
彼の姿を見て驚いたような安心したような顔をするカイエの許まで走って行くと、パットはそのまま彼女を抱き締めた。
「…よかった…本当に、よかった…!」
「…うん…うん‼」
――…そんな光景を前に、カイエにショコラの事を尋ねようとしていたグラスだったが、気を利かせて声を掛けるのをやめた。
『――他の場所で保護されているかもしれない…』
グラスは建物の周りを見て回る事にした。
火が燃え広がり始めた二階の廊下を抜け、少年を先頭にしてショコラはその後ろから付いて走った。
この階段を降りれば、たしか出口はすぐそこのはずだ。口元に布を当てながら、ショコラは火の無い所を踏み降りた。
――熱い…苦しい…――
階段を降り切ると、出口までの間に下の階の廊下があった。ショコラは、そこをふと見てしまった。目の端に入ったのだ。
するとその廊下の奥には、人影が……
そこには、逃げもせずぼんやりと突っ立っている男の影があった。あれは…
ショコラは立ち止まってしまった。そして彼をじっと見た。
『――‼あれは、“リーダーさん”だわ!!』
考えるよりも先に、そちらの方へと足が向いてしまった……。




