81.動き始めたので、
食事が終わり部屋へと戻されたショコラだったが、そこにカイエはいなかった。そういえば、「後で部屋を分ける」と言われていたのだった…。
部屋は狭く、箱などが雑然と置いてある。どうやら初めに入れられていた所とは違うようだ。寝具などあるわけもなく、何日ここにいるかは分からないが、板の上でそのまま寝ることになりそうだ。窓が無いのも相変わらず。明かりは小さなものが一つ辛うじてあるだけで、中は薄暗い。
近々助けが来ると確信しているショコラでも、この中にずっといるのはさすがに滅入りそうになる。それが何か月にも及べば、気が変になってもおかしくはない。ショコラは食事の時に会った女性たちのこれまでに思いを馳せた。
「…カイエは大丈夫かしら…。」
二人一緒にいた時から、彼女は怯えていた。それが今は引き離されてしまっている。どれだけ心細い事だろう…。この状況では元気づけることも出来ない。恐らく、次に会えるのは昼食の席だろう。それまで待つしかないようだ。
「はぁ…。それにしても、暇ねえ…。」
何もすることが無い。誘拐犯たちの会話を聞きたいところだが、この部屋の近くに彼らが常にいるというわけではないようで、話し声はほとんどしない。見張りくらいはいるのだろうが…。
脱走の算段をする気もない。ああ、なんて無駄な時間を過ごしているのだろう……。
ショコラはごろりと寝転がって、目を瞑った。もはや寝るしかない。
「グゼレス侯爵様!我が班、只今到着いたしました‼」
イザラの街ヴェールには、他の地に配置されていた陸上師団特別任務班が続々と到着し始めていた。
「ご苦労。早々に悪いが、次の指示を出す。まだ辺りの捜索が十分に出来ていない。やつらの痕跡を探しに出るぞ!」
グラスが立ち上がり、到着した者を連れビストロを出ようとした。
「兄上自ら行かれるんですか⁉まだこれから他にも班が来ますよ?指揮は…」
「お前に任せる!ここに残って後の者に指示を出してくれ。行こう!」
「ええ!?あぁ全くもうー…分かりましたよ!」
溜息を吐くソルベを置いて、グラスはそこにいた団員を率いて行ってしまった。
『…まあ、一人で飛び出して行かないだけマシか。何とか理性は働いてるみたいだ。』
恐らく、幾つもの事が重なり兄の腸は煮えくり返っているはずだ。時間が経てばそれだけ焦燥感も増していくだろう…。ソルベはグラスの胸中を案じた。
――それからビストロの周辺では、誘拐の痕跡探しが始まった。
「どうだ?」
「――駄目ですね…。他と同じくここも石畳で覆われていますし、足跡などはなかなか見付けられません。」
「そうか。では、一部はこのままもう少し粘ってくれ。その他は、この辺りの空き部屋や新しい入居者の調査を!怪しいものが無いか調べるように。」
「はい!!!」
段々と日も高くなってきた。
だが、事件からあまり時間を置かず人員もどんどん増やしているというのに未だ有力な痕跡は見付からない。このままでは、これまでと同じような結果になってしまう…。
グラスは一度、ここまでの事を整理してみることにした。…今までと違うのは、今回発生時刻がほぼ特定できるという点なのだ。
――ショコラの侍女が彼女を探しに行ったのは、たぶん事件に遭ってからそう時が経っていない頃の事だろう。ショコラがカイエの誘拐に巻き込まれたとするなら、カイエが事件に遭ったのも同じ頃のはずだ。それならばまだ誘拐犯たちはそのすぐ近くにいたと思われる。
しかし、探し回る侍女たちはそれに気付かなかった。なぜか。
…それは、近くを通っても不自然ではないものだったから…。
ということは、この大通り周辺には潜伏していないかもしれない。
近くならば、人間二人を運ぶにはそのまま抱えるか、荷車を使うかするだろう。だがそれはあまりに危険だ。抱えて運べば夜中といえど誰かに見られる可能性があり、おかしいと記憶される。荷車は音が響き論外だ。この犯人たちがそんな方法を使うとは思えない。
人に見られても、音を立ててもおかしくないのは………あの時間ならば、早馬だろうか。
手早く捕らえ、荷物に見せかけるのが一番安全だ。
そして、早馬ならば自然に見えるには飛ばした方がいい―――。
グラスは地面に地図を広げた。
『大通りだから、隣町へ行くには絶好の場所だ。…ということは、やつらはこの方面に行ったということか…』
地図を指でなぞり、近くの大きな街への道筋を辿った。
各街道に配置した旅団からは、不審人物を捕らえたという報告は無い。網にかからないのは近くにいるからだと思っていたが、もしかしたら、配置する前にすでにヴェール周辺からは出てしまったのかもしれない。そうならば早く追わなければ。ここから近い大きな街は、いくつかある。それらに早急に人を送って―――……
『…いや、待てよ…』
大きな街へ向かえば、今度は本物の早馬と出くわす可能性が高い…。その時不審に思われてしまえば元も子もない。これだけ慎重に事を運んでおきながら、それは得策ではないだろう。…では、どこへ向かったのか………
グラスは再び現在地に目を向けた。
隣町方面と逆の方向には…少し行った先に川しかない。
「―――……。」
悩む。わざわざ自ら行き止まりになど行くだろうか?それとも、遠くに行ったと見せかけて、そこに隠れている………??
「……考えていても、仕方がない…。――おい、手の空いている者はいるか?川へ移動する!」
実際に行ってみた方が早い。周囲にいた団員に声を掛けると馬に乗り、グラスはまた数人を引き連れてアントルメ川へと向かった。
ガチャリと音がして、ショコラは目が覚めた。
「――寝てたのか?この状況でよく寝れれるなぁおい…。」
起き上がって振り返ると、呆れたような顔の男が二人、扉を開けて立っていた。
「…お昼のお食事ですか?」
「…まだだ。見回りだよ、これは。」
目を擦りながら尋ねるショコラに、男の一人が更に呆れて答えた。
見回り…その時、ショコラはハッと思いついた。
「あの、お手洗いに行きたいのですが。」
実のところ行きたいわけではなかったのだが、彼らの側に長くいるにはこれが良い方法だと考えた。そうして、その間に二人で会話でもしてくれないだろうかと思った。
「あー、じゃあ連れてくから目隠しな。後で外してやっから。」
そう言って、朝食の時のように一人がショコラに目隠しをして、立ち上がらせた。
『ふう、何をするにも目隠しなのね…。』
それから歩かされ、また階段を降りさせられた。その後は外に出る。少しずつ、ここの構造が見えてきたような気がする…。
「!」
男二人に連れられ、目隠しをされた女が一人外に出て来た。建物から少し離れた場所に身を隠した少年はそれを目撃した。そしてよく見てみればあれは…ショコラではないか!
ここを発見してから色々と探ってみたのだが、建物の大きさの割にやつらの人数が多く、何度見張りに見付かりそうになったことか…。おかげで中を調べられず、ショコラの居所を掴むことが出来ていなかった。だがまさか、向こうの方から出て来てくれるとは…。
「何だか知らないが都合が良いな。」
いる所さえ分かってしまえば、内部に入る事は出来る。少年はにやりと笑って頃合いを見計らった。
手洗い場へと連れられて来たショコラは、扉の前に立たされ手枷の鎖に長い紐を付けられると目隠しを外された。彼らは中までは付いて来ないらしい。荒っぽい言動の割に、なかなかの計らいだ。
とりあえず、ここに籠って聞き耳を立ててみよう。ショコラは腰を下ろした。
…しかし、聞こえてきたのは「疲れた」だの「面倒臭い」だの「腹が減った」だの、どうでもいいような話ばかり…。緊張感があまり感じられない内容だ。やはりピアト語を話してはいるが、彼らはあまり深く内情を知らない下っ端なのかもしれない。
『……収穫は無さそうね…。』
ショコラはがっかりすると、仕方なく部屋へ戻る事にした。
薄暗い部屋にまた一人。戻されてすぐ、見回りの男たちは立ち去って行った。次に情報を得られそうなのは昼食時だ。それがあとどのくらいなのか分からないが、暇は続く。考え事でもするか…。ショコラはここへ来てからの事を思い返した。
――食事にしろ、手洗いにしろ、手足の枷にしろ、何かと配慮が行き届いている。…だが、彼らの普段の様子からすると何かちぐはぐだ。悪いが、そんな事に気を配れるような手合いにはとても見えない…。
“頭”…あるいは“旦那”という人物がそう指示を出しているという事なのだろうか……
心細さを与え自由を奪い、かと思うと定期的に同じ境遇の者と会う機会があり最低限の“もてなし”をする…。まさに飴と鞭だ。彼女たちが従順にしているのも頷ける――…。
そんな事を考えていたショコラは、ハッとした。…部屋の中に、人の気配がする…。振り向こうとした時…
「…おい。ここを出るぞ。」
左後ろから、ぼそりと声が聞こえた。
「――きゃ…」
反射的に振り向き、大声を出しそうになった。すると、慌てたような手に口を塞がれた。
「バカか!大声出そうとすんな‼」
“それ”は、潜ませた声で叫んだ。ショコラはコクコクと頷いたが、そもそも驚かせたのは誰なのか…。
ショコラが落ち着いたところで、口を塞いでいた手はどけられた。
明かりの届かない薄暗い中にいて、黒っぽい格好をしたその人物は長めの前髪で顔がよく分からない。しかし、背格好からして自分と同年代の少年のようだ。
彼は一歩前に踏み出した。すると、さっきよりは明かりの届く場所へと姿を現した。そしてうつむき加減だった顔を上げると、やっと目が合った。
「―――ああっ!」
ショコラは思わず指を差し、大きな声を出してしまった。
「――なんだ、どうした⁉」
ドンドンと扉が叩かれ、外から見張りの声がした。
「…あの、い、家の鍵を掛け忘れた気がして…」
「ハァ?…まあいい。静かにしろよ。」
急いで物陰に隠れ、真っ青になっていた少年は見張りが去ったのを感じると大きく息を吐き、またショコラの前に出て来た。
「お前本当アホだろ⁉大声出すなって言ったろ!」
「ご、ごめんなさい…。でも貴方、いつかお店に来ていた人よね…?」
あの時とは年齢など、見た目がだいぶ違う…。少し自信がなく、ショコラは探るように尋ねた。
「……行ったけど。それが何?」
「やっぱり!それに……そうだわ!シャルトルーズにもいたわよね⁇街歩きをしていた時にぶつかった親切な…あ。でも、あれは女の子だったわ…」
あの時感じた既視感はそのせいかと思ったが、思い違いかとショコラは考え込んだ。
「‼……な…なんで分かったんだよ…。」
少年はショコラの言葉に面食らい、よろけた。そして、切迫したように詰め寄った。
「俺の変装は完璧だったはずだ‼何でお前なんかに見破れるんだよ⁉」
「何でと言われても…。目を見た時に、見覚えがあるわと思って…。」
「“目”⁉」
…たしかに、それは変えることが出来ない…。だが、それだけで分かるものだろうか…。少年は悔しい思いで一杯になった。
「――ねえ、もしかして貴方が、お父様が付けてくださった警護の方…?」
「………ああ、そうだ。」
ショコラの問いに、少年はばつが悪そうに答えた。
「…本当は、お前の警護になんか付きたくなかったけどな。ガナシュ様のご命令だから…。仕方なく来てやってるんだ、感謝しろ。」
少年は高圧的だ。言葉遣いにしろ、屋敷の人間とは思えない振る舞いだが、父の事を慕ってはいるようだ。
「ホラ、準備しろ。さっさとこんな所出るぞ。あー、枷が邪魔か…今外してやる。」
「ねえ、カイエは?どこにいるの⁇」
「は?知るか。俺の仕事はお前を連れて帰る事だ。他のヤツなんか知った事じゃない。」
少年の言葉を聞いたショコラは態度を硬化させた。そして彼から手枷を隠してしまった。
「…行かない。」
「ハ??」
「私一人だけなら、ここから出ないと言っているの。連れて帰りたいのなら、他の人も一緒じゃなければ駄目よ。」
ショコラは珍しく怒ったような顔をしている。
「ここには、カイエだけじゃなく他にも捕まっている女性たちがいるの。放っては行けないわ。」
「……じゃあ、お前がここから出たあとそいつらの助けを呼べばいいだろ。いいから行くぞ。」
「今全員を連れて行きなさいと言っているのよ!」
その発言に、少年はカッとして頭に血を上らせた。
「――指図をするな!俺の主人はガナシュ様だ俺に命令していいのもガナシュ様だけだお前じゃない‼黙って言う事を聞け!!」
少年の迫力に怯みそうになったが、ショコラは引くつもりなど毛頭ない。意見を押し通そうという気満々だ。
「私がいなくなれば、きっと大騒ぎになるわ。そうしたら彼女たちがどうなるか分からない。貴方にその責任が取れる⁉」
「なっ……!」
カイエはもちろんのこと、前々からいた女たちも異変には怯えていた。ショコラがいなくなる、なんてことは一大事だ。例えすぐに助けを呼んだとしても、それらがここへ辿り着くまでに何が起こるかは予想が出来ない。そもそも自分がここへ来たのは大勢の助けを呼び寄せるため。一人戻っては意味が無い。その選択肢だけは、ショコラの中に無いのだ。
強い目で、少年を見詰めた。
「助けなら、貴方が戻って呼んで来て。私は“次期公爵候補”よ。これはお父様の命令と同じ。分かった?」
「………ぐ…っでも、」
「じゃないと大声を出すわ。」
そう言って、ショコラは思い切り息を吸い込んだ。
「ちょ…分かった、やめろ‼」
大声なんて出されたら、自分まで捕まってしまう!青くなった少年は焦って折れた。勝ったショコラは表情を緩め、にっこりと笑った。
「それじゃあ、お願いね。」
「…くそ、何なんだよ…。」
少年は頭を掻きながら苦虫を嚙み潰したような顔をしている。だが、ようやく一人で戻る事を決めたらしい。…これで、やっと助けの目途がついた。ショコラは一安心した。
すると、彼がどうやってこの部屋の中に入って来たのかが気になった。
「ねえ――…」
「は?」
ショコラが声を掛けようとすると、少年は天井の板を外していた。…そうやって入って来たのか…。
「――ええと…そう、ミエルたちに会ったら、私は元気よって伝えてね。」
「…呑気なやつ。」
少年はぼそりと呟くと、軽々と天井裏へと消えて行った。
「あ。そういえば、名前を聞くのを忘れてしまったわ…。」
また一人になったショコラは、そのままぼうっと見上げていた。




