80.張り詰めた朝なので、
『…やっぱり。あの誘拐犯さんが“見回り”と言っていたから、もしかしたらと思ったわ…』
部屋の中に、同じように手足に枷を付けられた女性たちがいるのを見たショコラは思った。
そしてよく見るとそれは四人いて、彼女たちは無表情でこちらを見ていた。
「お前らもそこに座れ。今食事を持って来てやる。」
ショコラとカイエは指示された通り彼女たちの側へ行くと、床の上に直に座った。
それから、ショコラたちをこの部屋へ連れて来た男二人のうち、声を掛けてきた方は部屋を出て行き、もう一人は中に残って椅子に腰掛けた。一人残された彼は恐らく、見張りという事だろう。
その見張りに、ショコラは話し掛けた。
「あの、私たちはどこで食事をするんですか?」
小さなテーブルと椅子は、二人が座ったらそれで終わり、というくらいの規模の物だ。とても全員が使えるような物ではない。ここへ食事を持って来ても、どうするのだろうか…。
だが、彼はそんなショコラの質問には何も答えなかった。
すると代わりに、同じように捕まっている女の一人がひそひそとショコラに話し掛けてきた。
「…あの人には、何を聞いても無駄よ。ガトラル語が分からないみたいなの。聞きたい事があるなら私が教えてあげる。この中で一番長いから。」
その話に、ショコラは椅子に腰掛けている男を見た。一見した限り、彼の見た目はガトラルの人間とあまり変わらない…。少し日に焼けている気もしたが、それは彼の仲間も皆そうだった。
…今までにショコラが外国人を見たのは、父・ガナシュの仕事の関係で屋敷にやって来た者を遠目にという程度か、姉の語学の家庭教師くらいのごく少数しかなかった。だから外見では判断が出来ない。見回りに来た男たちがピアト語を話していた、という事は、彼はピアト人なのだろうか――…
ショコラは、聞いてみたいことが多過ぎてうずうずしてきた。だが、カイエや彼女たちの前でピアト語を喋るわけにもいかず、とりあえずはその気持ちを抑えた。
「…そうなのね。分かったわ。ねえ、この中で一番長いって、貴女はどのくらいここにいるの?」
「――…そうねえ、たぶん…半年くらい…かしら?よく分からないけど…。」
…半年…。それにしても、落ち着いた人だ、とショコラは思った。そこにいた他の三人も同じだ。全員妙に落ち着き払っていて、怯えた様子がない。
「そうだ、食事の事よね?私たちには椅子もテーブルも無いわ。ここよ。ここに置いて食べるの。初めは慣れなくて難しいだろうけど、大丈夫。その内コツが分かるわ。」
その女は地面を指差してそう言った。すると、他の女たちも次々にショコラたちに話し掛けだした。
「ねえ、今って何月?ここにいると全然分かんなくて…」
「二人同時に入って来るなんて、初めてよね⁉」
「仲良くしましょうね!私は――…」
彼女たちは妙に明るく、“静かに”キャッキャと喋っている…。明るい、が、異様だ…。
そのことにカイエも気付いているようで、彼女だけは困惑し怯えたような顔をしていた。
「来たばかりだから色々警戒してると思うけど、大丈夫よ。ここでは怖い事は何もないから。変な事もされないし。扱いは悪くないわ。ねえ?」
「ええ、そうよ。」
「ここは安全よ。」
一番長くいるという女がそう言うと、他も笑顔で口々にそれに同調した。
その穏やかな笑顔に、ショコラはなぜかゾクッとした。何だか気持ちが悪い…。そう感じた。それはカイエも同じようで、無言でショコラの服をぎゅっと掴んだ。そんな彼女に、ショコラは少し微笑んで見せた。
「――だから、」
その時、一番長くここにいるらしい女がまた口を開いた。すると何か、場の雰囲気が変わった。
「絶対に、あの人たちには逆らわないで?」
彼女は今までと違い、切羽詰まったような顔でショコラたちに詰め寄った。さっきまでの、穏やかな感じが消えた。
「そうしてれば、平和だから!…一番長い私が言ってるの、本当よ!大人しくしてたら本当に、何事も無くいられる…。だからお願い、あの人たちを怒らせるような事だけは、しないで‼」
他の三人も、うんうんとそれに激しく頷いている。誰もがその目に緊迫感を滲ませながら…。
それを見て、異様さの理由が分かった。
……長く監禁されている彼女たちは諦めと恐怖心に支配され、今を無事に過ごすことで精一杯だったのだ。
――そんなことをしていると、部屋の前でドタドタと足音がした。ギイと扉が開き、数人の男たちが食事を運んで来た。ショコラは用意が済むまでの間彼らを眺めていたが、誰一人として、誘拐現場で見た顔が無かった。一体、彼らには何人の仲間がいるのだろうか……。
少しすると、一人一人の前に食事が置かれた。見るとそれはきちんとしたものだ。ふと、テーブルの上を見上げた。するとそこにも同じ食事が置かれている。それは男たちが食べるものだった。どうやら、ものに差は無いようだ。
用意が済むと、部屋の中にはさっきまでの男を含めた見張りが二人だけ残り席に座って、他の男たちは皆出て行ってしまった。
するとショコラとカイエ以外は、なんの躊躇もなくその食事にすぐに手を付け始めた。慣れた様子だ。
「――大丈夫よ。ほら。」
女の一人が、それを食べて見せた。ショコラとカイエは目を見合わせると、食事を口にし始めた。
味も、普通だ。――やはり、おかしいものではないらしい。
食べながら、ショコラはちらちらと彼女たちを観察した。
四人とも、しばらく監禁されているとは思えないほどあまり汚れているようには見えない。清潔さを保てる環境があるのだろうか。肌にも荒れた様子は見られない。扱いは悪くない、というのは本当らしい。
『“商品”と言っていたから、そのためかしら…。』
――そうして静かに食事が終わると、また目隠しをされ、同じように部屋へ戻された。…しかし次に目を開けた時、その部屋にカイエの姿は無かった。
「〰〰〰!わ、わからない……!」
大量の汗を流し、肩で息をし始めたフォユテはパニックを起こしていた。
「おい、どうした、落ち着け!」
グラスは困惑した。大した質問をしたわけではない。ただ、「ビストロで何を食べたか」そんな世間話のような質問をしただけだ。それなのに、フォユテは発作を起こし、今や呼吸困難にまでなってしまっている…。
「ソルベ、横にさせるぞ!」
「はい!」
「そこの二人!すまないが手伝ってくれ‼」
「私、お医者様を呼んできます!」
声を掛けられたミエルは急いで走って外へ、ファリヌはフォユテの側へ行って背中をさすった。
「何なんだ、どうなっている…⁉」
誰がどう見ても、普通ではない事が起こっている。
「…あの、」
ファリヌが口を開いた。
「彼は昨日、ビストロへ来て、大人しく食事をして帰って行きました。…ショコラ様とは多分、一度もお話をせずに。その時は面倒な事がなくてよかったと思っていたのですが…。そもそもそれ自体がおかしかったように思います。今までそんな事はありませんでしたから。」
「そうか…。」
外は、いつの間にかすっかり明るくなっていた。近い班ならば、そろそろ到着し始める頃かもしれない。…グラスがそんな事を考えていると、ミエルが医者と共に、焦った様子のパットまで連れてビストロへ戻って来た。
「ブールさん‼カイエが攫われたって…」
「あぁ、パットか…仕事は?どうしたんだ?…」
「始めようとしたところだったが、とてもそんな場合じゃない…。騎士団までいるなんて…!」
中へ入るとすぐにブールのもとへ行ったパットは、それからグラスたちの方へ飛んで行くと両手を地面に付けて頭を下げた。
「騎士団の方、俺に出来ることなら何でも言い付けてください!何でもしますから…‼」
「――…。分かった、ありがとう。気持ちだけ貰っておこう。」
グラスにそう言われても、パットはなかなか頭を上げなかった。
すると、その間もフォユテの様子を診ていた医者が口を開いた。
「…今、鎮静剤を打ちましたのでもう大丈夫でしょう。」
「そうですか。こうなった原因は?」
「うーん…。私はここで長く医者をしていますので、フォユテを診たこともあります。彼は特に持病などありません。ですから、恐らく精神的なものでしょうな…。」
「精神的なもの…。」
無実の罪がそれほど心労だったという事だろうか…。グラスは、それにしてはタイミングがおかしいような気がした。その少し前までは、項垂れてはいたもののおかしなところはなかったはずだ…。
「――何か、あれみたいですよね。」
ふと、ソルベが口にした。
「“あれ”?」
「見た事ありません?こういうの。僕は今回とは関係の無い事件でですが、被害に遭われた方に話を聞いていた時、こんな風になったところへ居合わせた事がありますよ。その時医者に聞いたところ、たしか…心的苦痛に無意識でしていた蓋を無理やり開けようとしたからだ、とか何とか…」
「フォユテがそうだと?」
「さあ、それは分かりませんけど…似ているな、と。」
「………。」
薬が効き、今は落ち着いて眠っているフォユテを見ながらグラスは考えを巡らせた。
――日が昇り、やっと辺りの様子が良く見えるようになった。しかしそれは同時に、自分も見付かりやすくなるという事だ。少年はこれまで以上に周囲を警戒して進んだ。
河原から、生い茂った草の間の細い道のようなものを通り上に上がると、人気のない空き家ばかりの所へ出た。河原に出る前に見た建物があった所からは、あまり離れていない場所だ。
辺りは建物が荒れ果てているだけではなく、下の河原と同じく雑草が生い茂っている。まるでここには人などいませんよ、と言っているようだ。
だが、この近くに奴らは潜んでいるはず。少年は人の気配を探して歩いた。
川が見えなくなったあたりまで来た。この辺は木もあり目隠しにいい。そう思っていると、ある建物の側の草が、不自然に無くなっている場所を見付けた。生活するのに邪魔である程度手入れをした、というように見える…。
『十中八九これだろ…。ホントに隠れる気あんのか?周到かと思いきや、なかなか抜けてんな…脇が甘いんだよ。』
少々呆れながらも、少年は慎重に建物に近付いた。それは木製で、二階建ての建物が二つ並んでいた。片方に窓はあまり無く、以前は何かの工場と保管室だったのだろうか…。そんな建物だった。
壁に張り付くと、慎重に中の様子を探った。
ガヤガヤと、数人の男の声がする…。当たりだ。もう少しで会話の内容が聞けそうだ。耳をそばだてる。
「………?」
言っているのは、聞こえた。しかし…
『外国人か?言葉が分かんねー…』
少年は会話を聞くのをやめ、仕方なく目で見て探ることにした。
…少し、時間が掛かりそうだ…。しかし、目標はもう目の前。あとはショコラの居場所さえ見付けてしまえば、そこから出すだけだ。それで仕事はほぼ終わり。全く手間を掛けさせてくれたものだ。
少年は、詰めの作業に入るつもりでいた。
とある領地を、旅の行商人が一人歩いている。
すると、前方から慌ただしく馬に乗った一団がやって来た。服装からして、騎士団だ。
「――道を開けて!!」
「おっと…」
行商人がすんでのところでかわすと、それらはけたたましく去って行った。
「…こんな朝っぱらから…。」
彼は騎士団が向かって行った先を見上げた。
――…あの方角は……
「“イザラ”…。」
そして、皮肉混じりに小さく笑った。
「…これだからチンピラは…。あーあ。アレはもう、駄目だな。」
冷たく突き放すように呟くと、彼は体の向きを変えた。
「――フゥ、やれやれ…。よし、行き先変更だ。
取り急ぎ、“殿下”にご報告申し上げなければ…。」
旅の行商人を装った男は、水路を目指し川へと向かって歩き出した。




