74.放っておけなかったので、
真っ暗な短い路地を駆け抜けたショコラは、その先で、ぐったりとしたまま抱えられ、数人の男たちに囲まれているカイエの姿を目にした。
「………何を、しているの……?」
ショコラがそう声を掛けると、男たちは一斉に、ギョッとした顔でこちらを振り向いた。
想定外の事に驚いたらしい彼らは、そのまま動きを止めていた。はっきりとは見えなかったが、集団の後ろの方ではひそひそと何やら話をしている者もいるようだ。
…するとその中のリーダーと思しき男が前に出て来て、ショコラの問いに答えた。
「…ハハ、いやあ仲間内で飲んでたら、一人酔い潰れてねェ。今からみんなで送ってやろうとしていたところなんだよ!」
「酔い潰れた…?」
「ああ、そうさ。」
男は胡散臭い笑みを顔に貼り付けている。
ショコラは抱えられたカイエを見た。…たしかに、そう見えなくも、ない。
「でも…カイエは少し前までお仕事をしていたはずよ。それなのに、もう潰れるほど飲んだの⁇」
男の表情が一瞬、硬くなった。そして小さな声で、「知り合いか…」と言ったように聞こえた。が、すぐに顔は元に戻った。
「…そうなんだよ!嬢ちゃんはまだ飲めない歳だな?だから分からなくてもしょうがないさ。いや~参った参った!」
困ったように笑って頭を掻きながら、男はゆっくりとショコラに近付いて来た。
「ホラホラ嬢ちゃん、こんな時間に一人で外なんか出歩いてたら危ないだろう。すぐに家に帰った方がいい。親が心配するよ!」
いやに明るくそう言うと、彼はショコラをくるりと回れ右させ、来た方へ向けて背中を押した。後方からはなぜか、他の何人かの男たちのクスクスという笑い声が聞こえてくる…。
そうして歩かされている間、ショコラは考えた。
『……本当に、そうだったとして……。酔い潰れた知り合いを、あんな風に抱えて“持つ”かしら……』
……おかしい……
その話に矛盾は無いようだったが、ショコラには男の言うことに納得できるものが無かった。
たしかに自分は酒を飲んだことも、カイエが飲むところを見たこともない。だから彼が言っていることが嘘だとは言い切れない。だが、初めに目にした光景が彼女には鮮明に植え付けられていた。
『“若い女の子の失踪”――…』
ショコラの頭に、その文言がふっと浮かんだ。
『「その火の玉は失踪した女の子たちの霊なんじゃないか」――…』
あの時に…カイエに“アントルメ川の幽霊”について聞いた時に、その流れで聞かされた話をショコラは思い出した。
……“失踪”というのは、自分で消えたわけでは無いのではないだろうか……。例えば…そう、あんな風に、連れ去られたのでは――…
カイエの様は、酔って介抱されているのではなく、連れ去られようとしている、と言った方がよほど的確のように見えた。
…だとすれば、この後、カイエはどうなってしまうのか?まさか……「火の玉」に―――…?
ショコラはゾクッとした。さっきからずっと、自分の鼓動の音がドクンドクンと耳に響いている。
それを、この男たちには気付かれてはいけない、と思った。
そうしている内にも背中を押され歩き続け、やって来た路地が一歩一歩、目の前まで迫っていた。
これが誘拐の現場だったとして、自分は帰されようとしている…。きっと、真実に気付いたことに彼らは気付いていないからだ…。
このままあの路地を抜ければ、自分は助かる…。その足ですぐに助けを求めれば、カイエはすぐに見付けて貰えるかもしれない…。それが、この場でカイエを助け出せる能力の無い自分にとっての定石であるはず…。
―――…いや、待て。それ以前に…―――
“あのカイエ”は、果たして無事なのだろうか?
あんなにもぐったりとしているのだ。考えたくはないが、もしかしたら、もう……。
鼓動の音はさらに大きく耳に響いた。
“それ”を確かめなければ……この場を離れることは出来ない!!
ショコラは強く、そう思った。
「あ…あの、カイエは、戻したりしていませんか…?」
「あぁ?…吐いちゃいないよ、安心しな。」
「でも…服が汚れていないか、確認させてほしいの。」
男は面倒臭そうな顔をした。
「チッ…仕方ねぇなあ…。いいよ、少し見てみな。」
「ありがとう!」
ショコラは急いでカイエのもとへと駆け寄った。そして、カイエの胸元を確認する振りをして顔を近付けた。――酒の匂いはやはりしない。だが…
………良かった、息をしている。
ひと安心したショコラは、冷静になって考えた。
今、ここでカイエが生きているという事は、すぐにどうにかされる事はないのではないか?少なくとも、害する事が目的ではないはず。
それならば――…
一人逃れて助けを呼びに行くことは、本当に“最善”だろうか…?
――ショコラは一つの方法を、思いついてしまった。
「……あの…。」
「うん?今度は何だ⁇」
「皆さんは、………誘拐犯、ですよね……?」
ショコラがゆっくりと見上げながらそう尋ねると、男たちの空気が一変した。
―――がらんとした部屋の中、たった一つ、ベッドだけが置いてある。
壁にぴったりと寄せられたその上で、一人の人物が横たわっていた。
〈「ショコラ様ー」〉
…ミエルの声が聞こえる。ああ、そういえばさっき、湯浴みの支度をするとか言っていたな…。
〈「ショコラ様?」〉
ショコラのやつ、またウトウトしてるのか…。
〈「…っショコラ様!?」〉
ミエルが慌てた声を出し、急いだ様子で家を出て行った。それと同時に、横たわっていた人物が飛び起きた。
「⁉何だ?」
窓を開け、下を覗く。その視線の先に、ビストロ方面へと走って行く、ミエルの姿があった。
「…あの女まさか、一人で勝手に出て行ったのか⁉俺も気付かない内に!?…嘘だろ…クソッ!!」
ガンッと窓枠を拳で殴ると、その人物…歳の頃が15、6の少年は三階のその窓から外へと身を乗り出した。そして軽業のように飛び上がって上の階の窓枠を掴むと、またその上へ…。するするとそれを繰り返し、あっという間に集合住宅の屋根まで上ってしまった。
「……何やってんだよ…家の中はお前らの仕事だろうが‼」
少年は黒く長いストールをはためかせ、ギリリと歯を軋ませた。
それから下のミエルを追って、ビストロの方へ向けて屋根伝いに走り出した。
それまでずっと浴室の掃除をしていたミエルは、湯浴みの支度を整えリビングダイニングに戻った時、ショコラの書置きを見付けた。そこには、カイエの所へ借り物を返しに行くと書かれていた。
『ショコラ様…どうして、私に何も言わずにお一人で出て行かれてしまったの⁉それもこんな時間に…‼』
ショコラのメモを握り締めたまま、ミエルは走っていた。
お願い…この扉を開けたら…この階段を降りたら…大通りに出たら…ビストロの前に着いたら………「あら、迎えに来てしまったの?」などと言って残念そうな顔をして、そこにいて……!!…そうしたら、今回ばかりはお説教の一つでもしなければいけない…
ミエルは家を飛び出す時から、ずっとそんな事を考えていた。
――…懸命に走っているからなのか、ミエルは異常なほどの自分の心拍数を感じている。
ショコラはただ、勝手に外出してしまっただけ…。そうであるはずなのに、この胸騒ぎは何なのだろう…。一刻も早く、ショコラと会わなければ…!そうすれば、嫌な予感など綺麗に消えてなくなるはずだ―――。
明と暗の考えが、頭の中でぐちゃぐちゃに交錯していた。
ミエルは一心不乱にビストロを目指し走り続けた。
――ドンドンドンドン!!!
礼儀も何もあったものではない。ビストロに着いたミエルは必死にその扉を叩いた。すると、中から人がこちらへ向かっている気配がした。
…ここまで、ついにショコラとは会うことがなかった。頼むから、この扉を開けたブールかカイエと一緒に出て来て―――!ミエルは祈るように、扉が開かれるのを待った。
「一体誰だ?こんな時間に…」
驚いたように、ブールが扉を開けた。
ミエルは挨拶もそこそこに、彼の後ろを確認した。誰もいない…。それ以前に、ビストロの中やその奥の家の方からも、ブールの他には人の気配が感じられない。カイエもいないのだろうか…。
「ミエルかい⁇どうした??」
「…っあの、ショコ…シュクルは⁉」
ミエルは焦るあまり、“ショコラ”と言いかけた。
その様子は、いつもの彼女のものではない。礼儀正しいという印象のミエルが、こんな時間に来て扉を激しく叩き、挨拶もろくにしなかった。ブールは、何があったのだろうかと思った。
「シュクルは来てないよ?シュクルが、どうかしたのかい?」
「じゃ、じゃあ、カイエは⁉シュクルはカイエの所に行くって…‼」
「え?カイエなら、もっと前に出掛けたよ。何でも、フォユテの相談に乗るとかで…。どこかで会わなかったかい⁇」
ミエルは泣きそうな顔で頭を振った。
「そうか…。すぐそこまで行くって言っていたんだがな…。」
そういえば、カイエは出る時に「すぐそこまで」とは言っていたが、はっきりとした場所までは言っていなかった。大通りの方ではなかったのか…。立ち話をしに行くような話振りだったので、ブールはそこまで、気に留めてはいなかった。
相談があると言っていた相手、フォユテは一応男だ。ショコラの事を抜きにしても、ブールは少し心配になった。
「よし、その辺を少し探してみようか。もしかしたらシュクルは途中でカイエと会って、一緒にいるのかもしれないよ。」
「は…はいっ‼」
ミエルはブールと一緒に、まずはカイエを探し始めた。
ショコラの言葉で一変した空気は、肌を突き刺すように鋭利なものだった。ここまでずっとショコラと話していたリーダー格の男の目は、これまでに見たことがない程に冷たく恐ろしいものになっていた。思わずショコラはビクッとし、自身の体が震えていることに気付いた。
片手でもう片方の腕をギュッと押さえると、ショコラは自分を落ち着かせた。
『……だいじょうぶ…大丈夫。』
恐ろしい目をしたまま、男は口元だけ笑った。
「……面白い事を言う嬢ちゃんだ。だがそれは、あまり笑えんなあ。」
「カイエを……連れて行こうとしているんでしょう…?」
ゴクリと唾を飲み込み、ショコラは追及を続けた。
男は口元の笑いを止め彼女の目前に顔を近付けると、至近距離で凄みを利かせた。
「……だったとしたら、どうする?」
至近距離のまま、長いような短いような時が過ぎた。
ショコラは男の目を見据えた。
それからはっきりと、毅然とした態度で答えた。
「私も連れて行って。」




