67.気付いていなかったので、
ビストロの店内で言い争いをし、ショコラを怒らせてしまったグラスとフォユテはその後、静かに食事をした。
とても長居出来るような状況ではない。それが終われば両者とも、すぐに退散せざるを得なかった。
「…じゃあね、オジサン。(永遠に)さよーなら。」
「…ああ。またな。(とは全く思わないが)」
二人とも表面的な笑みを浮かべ…と言っても、グラスの方は表情がよく分からない状態だが――…それぞれ店を出て行こうとしている。
その時を待っていたファリヌは急いで支度をすると、ごみの入った箱を持ちカイエに声を掛けた。
「ごみ出しをしてくる。シュクルの事を頼んでもいいか?」
「ええ、もちろんよ。いってらっしゃい。」
彼ら三人が店を出れば、ビストロの昼の営業は終いだ。カイエはひらひらと手を振ってファリヌを見送った。
扉の方へ向かいながらも、威嚇し合うような空気のグラスとフォユテ。ソルベはそんな二人の後ろを付いて行く…。その背後に追いついたファリヌは、彼に小さな声で話し掛けた。
「――“カンヌ”さん、…ちょっと顔、貸してもらえます?」
その言葉にソルベが振り返ると、ファリヌは感情のこもっていない顔でにっこりと笑っていた。
「は……はい…。」
有無を言わせてもらえずそう答えると、ソルベはグラスに先に行くよう伝え、ファリヌとともに店を出てグラスたちとは別の方向へと歩いて行った。
…一体何を言われるのだろうか…。思い当たるふしも罪悪感もありすぎて、ソルベはファリヌの真意を測りかねていた。
そして連れて行かれたのは、裏通りにある人影のないごみ捨て場だった。
ファリヌはカイエに言った通り、持って来たごみを捨てると、大きな溜息を吐き腕を組んで困ったような険しい顔をした。
「――フゥ、言いたいことは山ほどあるのですが――…まずはそうですね…。あなた方は、隠密行動をしている、という自覚はおありなのですか??詰めが甘過ぎる。」
初っ端からそこに突っ込まれるとは…。図星を突かれ、ソルベは心臓が縮み上がった。
「……スミマセン……」
「…いえ、これは余談ですね。無関係な人間のお節介と思って頂いて結構です。説教をしている時間もありませんから、単刀直入に伺います。ここへは、何をなさいにいらしたのですか?」
“ここへ”何をしに来たのか。“ビストロへ”という意味ではないだろう。「食事に」などと言ってもお茶は濁せそうにない。
今度は、真正面から核心を突かれた。ある程度の予想はしていたものだったが…
しかし、その質問は逆にソルベの頭を冷静にした。
「―――視察、ですよ。」
慌てた様子も見せず、穏やかに微笑むとそう答えた。
「“視察”ですか…。侯爵自らが、わざわざあんな変装までなさって??」
「兄は目立ちますから。今回は普段の様子を見たいとのことですよ。」
さすがは代々騎士団長職である侯爵家の次男といったところか…。任務の話ともなれば、なかなかボロを出しそうにない。
「…“例の事件”絡みだという事は、こちらも把握しています。お互い明かせない事情がある身の上ではありませんか。もう少し、腹を割りませんか?」
何であろうと、ファリヌの方も引くつもりはなかった。ソルベの一挙手一投足を見逃さないかのように、ずっと凝視している。
「…………。任務に関しては、大小あれど守秘義務がありますから、期待されても応えることは出来ませんね。ただ、“視察”という事に、さほど相違はありません。」
核心に触れ動揺を誘おうとしたが、上手くはいかなかったようだ。巧くはぐらかされ、ソルベは同じ事しか喋らない。
『なかなかしぶといな…。このままでは収穫無しという事になる。何とかもう少し、引き出さなくては…。』
恐らくは、ソルベの方も、ファリヌをしぶとく思っている事だろう。それ以上質問をさせないような答え方だ。早くこの場を去りたい、という雰囲気を感じる。頑なに簡潔な話で済ませるのは、そこに話せない“何か”があることを示しているようだった。
この駆け引きの均衡を破らなければならない。
「――そうですか。では、差し迫った危険があるという事ではないのですね?」
「ええ、まあ…そうですね。」
“差し迫った危険”――それに関しては、実のところソルベにも分からない事だった。一瞬だけ、考えを巡らせた。
その一瞬だけ、ソルベが言い淀んだことにファリヌは気付いた。
「そうですか。では…ショコラ様にもし、何かあった場合。騎士団は責任を取る覚悟があるという事ですね?」
「エッ…⁉」
今度は明らかに、ソルベは動揺した。
「何かって…危険全般の事を言われても困ります!…もちろん、何も無いように我々も全力を尽くすつもりはありますよ⁉」
ソルベは必死な様子だ。――これを、どう見るか…
「子爵、よろしいですか?一点だけ、勘違いなさって欲しくないのは、こちらは騎士団の動向自体に興味はないということです。あなた方がどんな任務をなさっていようが、どうでも良い事です。我々が気に掛けているのはただ一つ。ショコラ様の安全だけなのです。それに関する情報が欲しい。それ以外は何もありません。」
ファリヌの言葉に、ソルベはしばらく考え込んだ。
「…………イザラだけを、警戒しているわけではありません。“私たち”がここへ来たのも、騎士団の意思ではありません。――申し訳ないが、これが限界です。」
ソルベは苦しそうにそう話すと、懐から紙とペンを取り出し、何かを書き始めた。そしてそれを二つに折り曲げ右手に持つと、自分の顔の横辺りまで掲げた。
「これも本当は、してはいけない事なのですが…ここに、私たちの滞在先を記しました。今からお見せしようと思います。何かあった場合、ここへ知らせて頂ければすぐに駆け付ける事をお約束しましょう。」
――まさか、ここまでの譲歩を引き出せるとは…!思わぬ収穫に、ファリヌは紙を受け取ろうと手を伸ばした。
「ただし‼」
突然の鋭い声に、ビクッとしたファリヌは思わず動きを止めた。
「お見せするにはいくつか条件があります。中を確認した後、紙はこの場ですぐに燃やします。ですから、見て覚えてください。そして、貴方を疑う訳ではありませんが、もしも我々の滞在先が外部に知られた場合、それ相応の覚悟をしてください。必要以上に詮索した場合も同様です。いかがです?呑んで頂けますか?」
「無論です。何の問題もありません。」
ソルベの出す条件に一切の迷いなく答えると、ファリヌは彼の手から紙を受け取った。そして折り畳まれたものを開き中を確認した。
「―――…。」
場所の情報を頭に叩き込んでそれをまたソルベに返す。すると宣言通り、彼はすぐに紙に火をつけた。
燃えて灰になっていく様を、二人は黙って見詰めた…。
「これで共犯ですね。――ハア…。兄上に何て説明しよう…。」
「大変失礼をいたしました。非礼の数々、お詫び申し上げます。」
「いえ、こちらも色々と…ご迷惑をお掛けして…。」
深々と頭を下げるファリヌに、ソルベは昨日今日、二日連続で起こした騒ぎの事を思い出して申し訳なくなった。
「――では失礼ついでに…。それにしても、ここ最近の侯爵様の“あれ”は一体何なのでしょうね。」
“あれ”とはもちろん、グラスのショコラにまつわる言動の数々だ。ファリヌは遠くを見て、面倒そうに言っている。
「何って…まあ、“そういうこと”ですよ。…本人が自覚しているかは、分かりませんけどねえ…。」
苦笑いしつつソルベがそう答えると、ファリヌは『何を言っているのか?』という顔をした。
「いやだなあ。あれ?もしかして執事さんもそういうものに疎い方ですか?」
その言葉に、ファリヌはますます酷い顔になった。そして溜息を吐いた。
ソルベは、もう余計なことは言うまいと思った。
「…………そういう事を言っているのではありません。一体どういうつもりなのかと言っているのですよ。」
「“どう”とは…?」
「ですから、これからどうしようとしているのかという事です!」
…今度は、ソルベの方が不思議そうな顔をした。『それこそ何を言っているのか?』と…
「それはもちろん…想いが通じ合えばと…思っているのではないでしょうか…?」
「それで?その後は?」
「その後?…そんなこと、決まっているじゃないですか!普通は…もちろん、一緒になりたいんでしょう⁉」
なぜ兄のそんなことの代弁をしなければならないのだろうか…。ソルベは赤面しながら答えた。
「ショコラ様が?侯爵様と⁇あり得ませんね。」
恥を忍んで答えたソルベの回答を、ファリヌはバッサリと斬り捨てた。
「なぜそんなにはっきりと…。たしかに、今はそうかもしれません!…全く相手にされてませんし…。でも、これからどうなるかはまだ分からないじゃないですか⁉」
「これから?どうにもならないでしょう。」
食い下がるソルベに、またもはっきりとファリヌは答えた。ソルベは自分のことではないにも関わらず、意地になってきた。
「何を根拠にそこまで言うんですか!?」
「根拠でしたらございますよ。――あの方は“侯爵様”でしょう?片や、こちらは“次期公爵候補様”です。それ以上、まだ何か?」
「あっ…。」
――ソルベはその時まですっかり忘れていた。
この先ショコラが家を継げば、それぞれ「侯爵」と「公爵」という立場になり、二人が結婚することなど無いだろうという事実を…。
「で、でも、ショコラ様はまだ“候補”ですよね?この先それを降りられるという事もあるのではないですか⁇」
尚も食い下がろうとするソルベだったが、ファリヌはそれを鼻で笑った。
「絶対に、ありません。あなた方ご兄弟は、ショコラ様の事を全く分かっておられない。あの方は一度お決めになった事を、何があっても曲げることなどしません。こちらの思惑をなぎ倒してでも突き進むような方ですよ?それを恋情ごときで…。」
ファリヌは経験則から、自信を持って言い切れた。これまで何度、自分たちもそれに従う事になっただろう…。今ここにいることも、全ては“それ”による結果だ。
何としてでも意思を貫き通す。それがショコラという人間なのだ。
「あのお二人だけは、絶対にあり得ません。正直わたくしとしては、貴方が当家にいらっしゃる、という方がよほど現実的なお話だと思いますがね。いかがです?そのおつもりはございませんか?」
「や、やめてください、そんな事になれば殺されますよ私‼」
「冗談です。」
「兄には絶対に、冗談でもそんな事言わないでくださいね⁉」
降って湧いた話に、焦ったソルベは青くなって火消しをすると念押しまでした。
「でも、それじゃあ…兄さんは…」
「悪いことは申しません。傷の浅い内に、諦めさせて差し上げるのが賢明でしょう。……それにしても、あの方はなぜ無謀な相手にばかり惹かれるのでしょうね。お労しい限りです。」
「―――遅いぞ、何をしていた?」
次の目的地で待っていたグラスの前に、何やらとぼとぼと歩いてくるソルベの姿が目に入った。
「あ………ごめん、兄さん…」
上の空だったソルベは、はっとして返事をした。グラスはすっかり、頭を仕事に切り替えているようだ。
…きっとこの人は、あのことについて、何も気付いていないのだろう――…。ソルベはそんなことを考えながら、グラスの顔をじっと見た。
「何だ?どうかしたのか⁇」
「あの…あのさ、兄さん…。」
「だから、何だ。言いたいことがあるならはっきりと言え。」
視線を外し、どうにも煮え切らない様子の弟に、グラスはじれったさを感じた。
そうとも知らず、ソルベは考え込んでいる。
『ショコラ様の執事が言っていた事はもっともだ…。可愛そうだけどやっぱり、今のうちに釘を刺しておくべきなんだ――…』
「――ショコラ様は、やめておいた方がいいよ…。」
「やめる?何をだ?」
「だからさ、兄さんの気持ちはよく分かってるつもりだけど、無理だからだよ!」
「“無理”⁇お前はさっきから何の話をしている?」
グラスは本気で分かっていない顔をしている…。余計な世話だとは分かっていても、ソルベは段々ともどかしくなってきた。
「だから‼いくら兄さんがショコラ様の事を好きでも…」「好!?…きィ!?!」
ソルベが最後まで言い終わらない内に、グラスはその途中の言葉に反応して気を動転させた。声をひっくり返らせ、どれだけ動揺するのか、と言いたくなるほど盛大に慌てふためいている。よろよろとよろめくと、後ろの壁にバンとぶつかってそのままもたれ掛かった。そして、厳重な変装をしているにも関わらず、みるみる内に顔を紅潮させていっているのが分かる…。
「す、好き?僕が⁇ショコラ嬢を…⁉…いや、そんなことは……だが、しかし……」
頭を抱え、何かずっと、小さな声で自問自答している…。ソルベは思った。
「……やっぱり、そこからなのか――!!」




