66.一触即発なので、
ドアベルが鳴りホールにいたショコラとファリヌ、そして奥の方ではカイエも、開く扉の方へ目を向けた。
「こ、こんにちはー…」
昼の営業も終わりに近付いたビストロに、気まずそうにしながらソルベとグラスがやって来た。
その瞬間、二人が間を置かずにまた現れたという事に、ファリヌは目を見開いた。
「あら!あんたたち、昨日の今日でよく来たわねぇ。物凄い神経だわ…。」
感心したカイエは思わず、客に対して決して言うべきではないようなことを口走ってしまった。
『本当、僕もそう思うよ!!』
「は…はは…。やましい事は、無いんで…。」
ソルベは心の声を叫ばないように気を付け、笑顔を引きつらせながら答えた。
「昨日のお詫びっていうわけじゃないですけど、“また行ってみようか”って。しばらくこの辺にいることになったので…」
「そうなの、ふふっ。ちゃんとお客なら構わないわ。ご贔屓にしてくれるのも大歓迎よ!」
そのやりとりを見ていたショコラはこの時にやっと、昨日も来ていたグラスの連れがソルベであることに気が付いた。
「――まあ!もしかしてソル…」「ああっ!!」
ショコラが名前を口にしかけた時、ソルベは物凄く焦った顔をしてその言葉を遮った。
「ぼ、僕、“カンヌ”と言います。あと、こっちは“マイス”で…」
そう言って、ソルベは自分を指したあと、後ろにいたグラスを指差した。
――…昨日あれから、拠点に戻った後でソルベたちは班員と共に会議を開いた。ここでの活動中、貴族名を持つ者は偽名を使おう、と。
きっかけはショコラだった。彼女が一般人を装って生活する中で偽名を使っている事を知り、それに倣って自分たちもそうする必要があるのではないか?という事に気付いたのである。
「――そうですね、さすがは侯爵様とグゼレス子爵です!我々はそこまで考えが至りませんでした‼」
「…………。」
感服する班員たちを前に二人はそれ以上何も語らず、真相は隠した。…恐らく、ショコラのことは言ってはならない事なのだ、と察していた。そうでなければ、国王がわざわざ遠回しなやり方をしてまで自分たちをここに送らなければならない必要がない。
『あの方ならば戯れにやりかねない…と言いたいところだが、今回はそんなことをしていられるような場合ではないしな…。』
…それが、二人の一致した意見だった。
そんな経緯があったとは知らないショコラだったが、“任務で来ている”彼らが変装をしている、という事は、自分と同様に正体を隠しているのだという事が理解できた。そのため、彼らもまた偽名を使っているのだという事を自然に受け入れたのだった。
「昨日もいらっしゃっていましたよね?ごめんなさい、あの時は気付かなくて…。」
「いえ、いいんです、それで。」
ショコラはソルベたちのテーブルへ行くと、メニュー表を渡した。
「あ、あの…シュクル…さん?」
ショコラがソルベと和やかに会話をしていると、おどおどとしながらソルベの向かいの席に座っていたグラスが声を掛けてきた。
「…何でしょう?」
昨日のほとぼりがまだ冷めていないショコラは、少し冷たく返した。
「…イエ…イイデス…。」
「では、ご用があれば、声を掛けてくださいね。」
…取り付く島もない…。グラスはしょぼんとしてしまった。
『あのショコラ様が…。これは相当怒らせたんだな、兄さん…。』
その様子を見ていたソルベは、さすがに兄が哀れに思えてしまった。
昨日の今日で、本当はこのビストロに来たくはなかったソルベだったのだが、グラスの要望でここに寄ることになった。だがやはり、今日は来るべきではなかったのではないだろうか…。
そう思っていると、空いた店内で少し離れた所からこちらの方へと声が掛かった。
「ねえシュクル!こっち、注文頼むよ。」
「あ、はーい!」
注文を取るために、ショコラは声の掛かった方へと行ってしまった。ソルベが何となくそちらへ目を向けると、自分と同じくらいの歳の若い男がショコラを呼んでいた。
『…何だ?こんなに空いてて他にも店員はいるのにな…。』
不思議に思ったソルベはそのまま様子を見ていた。
「――じゃあ、これを。」
「はい、承りました。」
ショコラはいい笑顔で応対している。…さっきまでの、兄へ対する対応とはえらい違いだ。
わざわざショコラを呼んで注文をした若い男・フォユテは、注文が済んでもまだショコラに話し掛けていた。
「ねえ、あの人たち、見かけない顔だよね?」
「ええ…ここへは昨日初めて来たようよ。」
「それにしては親しそうに見えたけど…知り合い?」
「ええと…」
ショコラは一瞬、ちらりとグラスの方を見た。そしてすぐにプイと視線を戻した。
「片方は、ね!」
グラスの姿はないことにして、ソルベだけを指してショコラはそう答えた。
「…ふーん。」
元々、若い方のソルベしか眼中に入れていなかったフォユテは、相槌を打ちながら彼に対して不敵な笑みで視線を送った。
それに気付いたソルベは、『なぜ自分に?』と意味が分からず戸惑った。
「いつからの知り合いなの?妬けるなぁー。」
そう言って、フォユテはショコラの手を取った。
――バン!!
「…びっくりした…」
驚いたソルベは一瞬びくついた。
目の前で大きな音を立て、グラスが立ち上がった。そしてそのまま、つかつかとショコラたちの方へと歩いて行ってしまった。
グラスは二人のもとへ辿り着くと、ショコラの手を取っていたフォユテの腕を掴み、彼女から離した。
「……少し、馴れ馴れしいんじゃないか?」
「…はあ⁉」
グラスはフォユテの腕を握り締めた。
「ちょ…っと、痛いんだけど。」
ボーッとそれを見ていたソルベはハッとした。ショコラたちの仲の良さそうな姿に我慢ならなくなった兄が、素人相手に手を上げるつもりなのではないか⁉と危惧した。
「待って、兄さん――‼」
立ち上がって叫ぶソルベの声に、別の場所でテーブルを片付けていたカイエがぴくりと反応した。
「え?“兄さん”⁇義父子って言ってなかった…?」
「あ゛っ…」
慣れないせいか、ソルベは昨日作った設定を忘れて叫んでしまった。
恐る恐る声の方を振り返ると、訝し気な顔をしたカイエがこちらを見ている。
『し、しまった、口が滑った――!!』
「え?え⁇どういうこと??」
あちらだけでなく、こちらでも問題が発生してしまった…。自分のせいではあったが、ソルベはグラスの世話などしている場合ではなくなった。
「あっえっと……そう!!“父さん”なんだけど、ほら、僕らそこまで歳が離れてないから、“父さん”て言うより“兄さん”て言う方がしっくりくるんだ‼だからそう呼んでて…うん!!」
頭の中をグルグルとさせながら、ソルベは必死にそれらしい理由を創作した。だが昨日と同じく思い付きを喋っているため、自分でももう何を言っているのかよく分からない…。さすがにこれを納得させるのは無理だ。それだけは、はっきりと分かる…。
「⁉何を言ってるんだ⁉お前は…」「兄さんは黙ってて!!」
周りの音が聞こえていたのか、フォユテに掴みかかっていたグラスまでもソルベの言う事に反応した。
最早、この場は混沌としている…。気付くと、ショコラの執事・ファリヌもこちらを引いたような目で見ている。
どうしたらいいのか…。考えすぎて、ソルベは倒れそうになった。
「……そうなのね。はぁ~…。ホント、世の中色々ねえ…。」
「エェ…⁉分かってくれた…ん…ですか⁇」
またもや、この店員…カイエはこんな話に納得したらしい。ソルベは有難くも、『嘘だろう』と疑心暗鬼に陥りそうになった。
「まあね…。シュクルたちもそうだけど、複雑な家庭って結構あるのね。頑張って‼」
「あ…はい…どうも……。」
終いには、励まされた…。
『兄さん、ごめん…。僕らどんどんとんでもない関係性になっていったよ…。この話、次は忘れないようにちゃんと覚えておこう…。』
ソルベは、きちんと設定を詰めておかなかったことを激しく後悔した。
しかしとりあえず、何とかこちらは収まったようだ。…一方のグラスたちの方はどうなっただろうか…。ソルベは改めてそちらの方を向いた。
「…だから、痛いってば!」
フォユテは緩んだグラスの手を自力で振り解いた。
「何なの?オジサンは引っ込んでてくれないかなあ?」
「お…“オジサン”!?」
ついに面と向かって“オジサン”と呼ばれてしまったグラスは、素っ頓狂な声を上げた。
「どう見たって“オジサン”でしょ⁉胡散臭い格好してさ。――アレ?そういえばここには昨日初めて来たって…。ああっ!あの時店の近くでぶつかったのって、あんたか‼」
“胡散臭い格好”で思い出したフォユテは、間近でグラスを指差した。
言われてみれば、初めてこの店に入る直前にぶつかった相手のようだ、とグラスも気が付いた。
「――まあ、そんなことはとりあえずいいや。シュクルが嫌がってるかどうかくらい僕にも分かるから、関係ない人は余計な事、しないでもらえる⁇」
「関係は…たしかにないかもしれないが…」
グラスは口ごもりながら、すぐ側にいたショコラを横目でちらりと見た。
「駄目なものは、駄目だ‼」
「〰〰だからさ、ダメだとか、さっきから何なわけ⁉」
「何でもいいだろう‼」
「邪魔すんなって言ってんの!!」
グラスとフォユテは今にも取っ組み合いを始めそうな状態で、睨み合いながら言い争っている。
『ふ…二人は一体、何を言い争っているの…⁇』
目の前で繰り広げられている光景に、意味の分からないショコラは固まった。まさか、自分を巡っての諍いが起こっているとは、思いもしていない…。
そうこうしている間にも、水掛け論は白熱していっている。
…そろそろ昼の閉店間近で、自分たち以外はすっかりがらんとした店内だったが、このまま放っておけば掴み合いの喧嘩に発展しかねない。そうなれば、他に客がいないとしても、ビストロに迷惑がかかってしまう――。
呆気に取られていたショコラだったが、段々ふるふると込み上げてくるものがあった。
「…………喧嘩するなら、外へ出てくださいッ!!」
ショコラは言い合うグラスとフォユテを上回る勢いで、一喝した。
思いもしなかった事に、グラスとフォユテはぴたりと動きを止めるとショコラの方を見た。
そこには、怒りに震えるショコラの姿があった。
「“マイス”(?)さん!暴力はいけません‼」
「ぼ…暴力というわけでは…」
「フォユテ!頭に来ても、煽ってはいけないわ‼」
「で、でも悪いのはオジサンの方で…」
「異議は認めません!!」
毅然とした態度のショコラにおろおろとした二人は何とか取りなそうとするが、ショコラの機嫌はなかなか直らない。
「お店に迷惑を掛けるなら、お客様じゃないわ!お帰りください。」
それを聞いた二人は、自分が元いた席へと戻ると急いで座った。
「あ…ははは…迷惑を掛けるなんてとんでもない!ねえ、オジサン?」
「そ、そうだね…食事は大人しくしなければ…!」
尚もじろりと睨み続けるショコラに、グラスもフォユテも冷や汗を掻きながら笑顔を作った。
――とりあえずは、収められたようだ。一安心したショコラは大きく息を吐いた。
そして、カイエのもとへと駆け寄った。
「…これで、よかったかしら…?」
「上出来よ。」
どうやら、『シュクルは意味を分かっていないのだな』とカイエは思った。途中から言い争いを見たものの、原因はショコラであることが明白だった。もっとも、ショコラにその責任があるという訳ではないのだが…。
二人の様子を見ると、大人しくはしているものの今も冷戦は続いているようだ。雰囲気からすると、“オジサン”の方も、さっきのは単に注意しようという感じではなかったのが分かる。
『フォユテはいいとして…。シュクルったら、あのオジサンにまで好かれちゃったのかしら。これから大変ねえ。』
カイエは、これからしばらく、あんな光景を頻繫に見ることになるのだろうと予想していた。




