63.びっくりしたので、
今日のビストロは、恒例の“混む日”だ。ショコラの他にファリヌとミエル、両方を加えての万全体制で開店時間を迎える。
「さあ、今日も忙しくなるわよ~!頑張っていきましょう‼」
カイエの掛け声とともに、ショコラたちは仕事を始めた。
相変わらず、店の方は早い時間から賑わっている。
「はいっ!三番テーブル‼」
勢いよく、ブールはカウンターに出来上がったばかりの料理の皿を二つ載せた。
「私が行きます!」
元気よく名乗りを上げたのはショコラだ。皿を運ぶことにも慣れてきたショコラは、今では両手で別々の皿を持って行く事が出来るようになっていた。
「ねえ、見て見てカイエ!私成長したでしょ⁇」
ショコラは「ほらほら」とその姿を得意気に見せた。それは無邪気な子供の様で、カイエは思わず笑ってしまった。
「分かった、分かった。すごいわ!でもちゃんと前見て。でないと――…」
カイエが言い終わらない内に、予想通りの事になった。ショコラはずるりと足元を滑らせ、体勢を崩してしまったのだ。
「きゃ…」
「シュクル!」
転ぶ‼と思ったショコラだったが、皿から手は離さず持ったまま、ぎゅっと目だけを閉じた。…………
『…………あれ…?痛く、ない??』
固く閉じていた瞼を、そおっと開いてみた。
転んでいない。手には、少しだけ形は崩れてしまったものの、奇跡的に無傷のままの料理も残っている。
ショコラがほっとしていると、頭の上から声が降ってきた。
「…良かった、大丈夫かい?」
その声の方を見上げると、よく見知った客の顔があった。彼が、転びそうになったショコラを支えてくれたのだ。
そのことに今気付いたショコラは、急いで体勢を立て直した。
「ごめんなさい…ありがとうございますっ!」
そこへカイエも駆け付けた。
「ホラ~もう、言わんこっちゃない…。でもよし、大丈夫そうね。ありがとう、パット。」
「い、いや…俺はたまたま近くにいただけで…」
“パット”と呼ばれた男は、顔を赤らめながら言葉少なに元いた席へと戻って行った。
常連客の彼はたしか…ショコラたちが“里帰り”していた時に、手伝いを申し出た中の一人だったと聞いた、とショコラは思い返していた。
「ああ~、残念!近くにいれば、“僕が”シュクルを受け止めたのに‼」
悔しそうにそう言うのは、今日も店にやって来ていたフォユテだ。
無事だった料理を運び、戻る途中で通った席にいた彼に声を掛けられた。
「まあ、優しいのね!ありがとう。お気持ちは頂いておくわ。」
「そうだよ?僕、優しいんだ~。気持ちを受け取ってくれるなんて嬉しいなあ。じゃあさ、今度一緒に…」
「お 客 様 !!」
いつの間にか、ショコラの後ろには厨房に入っていたはずのファリヌが怖い顔をして立っていた。
「店内只今大変混み合っておりますので、お食事が済みましたら他のお客様に席をお譲りいただけますかあ?」
圧をかけた怖い笑顔で、ファリヌが言った。
「もしくは、相席でもよろしいでしょうか??」
「……」
フォユテは渋々立ち上がると帰り支度を始めた。
「じゃあね。シュクル、また来るよ。」
「はい!またどうぞ!」
そう言うと彼はショコラにウインクを残し、帰って行った。その背中を、ファリヌは『もう来るな』と思いながら見送った。
とりあえず今日のところはもう、フォユテは店にやって来ないだろう。嵐は過ぎ去ったようだ。やれやれと溜息を吐くと、ファリヌは急いで厨房へと戻って行ったのだった。
「――…そろそろ、昼食にでもしない?さすがにお腹空いたよ。」
時刻はもう昼下がり。街はぼちぼち午後の仕事を始めようかという頃になっている。朝から色々な店を見回っていたグラスとソルベだったが、朝食以降、飲食店を通っても何かをまともに口に入れるような事はなかった。
「そうだな。どこへ入ろうか…。こう店が多いと、なかなか決められないな。」
二人はその場に立ったまま、大通りにある店々を見渡した。
「どうせなら、美味しい所がいいよね。」
「おい、そこは“どうせなら調査の足しになる所”だろう?」
「ええー…。兄さん、そういうところはマジメだよね。」
こそこそと話しながらグラスとソルベが歩き出すと、グラスの肩にドン、と人がぶつかった。
「あっ…すまない。」
「―――いーえ!こちらこそ。僕も別の事考えてたんで。」
グラスが謝ると真顔だった青年はニッと笑って、ぶつかった時と同じように足早に、そのまま後方へと去って行った。
「…今の人が出て来たのって、あの店かな。」
ソルベが一つの店を指差した。二人が試しにそこまで行って中を覗いてみると、もう昼時を過ぎたというのに、店内はずいぶんと賑わっている。
「うわ~ねえ、良さそうじゃない?いい匂い!あとホラ、女性店員ばっかりだし。条件的にも合ってる!」
「お前、言い方が…。まあいいか。入ってみよう。」
扉を開けると、カランカランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー!空いてる席へどうぞ‼」
奥の方から、威勢の良い声が響いた。
「お決まりになりましたら、声を掛けてくださいね。」
グラスたちが席へ着くと、声の主とは別の女性店員がサッとやって来てメニュー表を渡し、立ち去った。
「…活気のある店だな。」
メニューを見るふりをしながら、グラスは店内を確認した。
「え?ああ、そうだね。それよりまず何か頼もうよ。その後でもいいでしょ。」
ソルベの方は、生返事でメニューに目を落としたままだ。グラスは少々呆れながらも、この匂いの中ではそれも仕方がないか、と自分も一時仕事を忘れることにした。
それぞれ注文をすると、間もなく料理が運ばれて来た。
「お待ちどおさま!何かあれば、また声掛けてくださいね!」
「おぉいカイエ!次いいかい?」
「はいはーい!」
運んで来た店員は二つ隣の席から声を掛けられ、すぐさま行ってしまった。本当に繫盛している店だ。
…そんなことをグラスが考えていると、目の前に座っていたソルベが感嘆の声を漏らした。
「すっごく美味しいよ、これ‼熱いうちに食べなって‼」
ソルベに促され、グラスも料理に口を付けた。
「…本当だ!うちの料理長にも引けを取らないな。こんな所でこういうものに出会えるとは驚いた。」
二人は空腹だった事もあり、あっという間に平らげてしまった。
「甘い物とかないかなあ…。僕、もう少し頼もうかなっ兄さんは?」
「おい、悪乗りするなよ。この後もまだあるんだからな?」
「分かってるって。じゃあ兄さんはいらないんだね。」
「……いる。」
グラスは軽く手を上げると、近くにいた店員を呼んだ。
「すみません、またメニューを頂けますか?」
「はい!少々お待ちくださいね!」
その店員は軽い足取りで厨房の方へ行くと、すぐに同じようにして戻って来た。
「どうぞ!お決まりになりましたら、お呼びください!」
「―――…」
―――あ れ ?
差し出されたメニュー表を受け取ろうとしたグラスは、“何か”に気付いた。
この「声」、聞き覚えがある……。
「…?どうかなさいましたか??」
グラスがなかなかメニュー表を受け取らないので、不思議に思った店員は声を掛けた。
次の瞬間、グラスはそれまでうつむき加減にしていた頭を勢いよく上げ、相手の顔を見た。
するとわずかに、グラスの顔の前に垂れ下がった髪の隙間から彼の目が見え、二人は目が合った。その途端、お互いが相手を認識した。
「―――‼ショコラじょ…」
『!?!!キャ―――!!!』
グラスが言い終わらない内に、“彼女”は彼が何を言おうとしたのかが分かった。分かったので、その口を慌てて手で塞いだ。そして、心の中で大声で叫ぶとそのまま外へと連れ出してしまった。
「えっ…!?」
その間、わずか数秒の事だった。店の中には、何が起こったのかまだよく分かっていないソルベが残された。分かっているのは、兄が連れ去られた、という事だけだ。
慌てたソルベは、“連れ去られた”グラスを追って店を出ようとした。すると…
「…ちょっと待ちなさいよ‼食い逃げね⁉」
「えぇえ⁉“食い逃”…⁇」
勢いよく走って来たカイエが、“食い逃げ犯”にタックルをして取り押さえた。
背中から突撃され腹ばいに倒されたソルベは、そういえば慌てていて代金を支払う事を忘れそうになっていたと気付き、焦った。
「ちょ…ええ!?ち、違いますって‼ちゃんと払いますっ!」
「嘘おっしゃい‼あの怪しいオジサン、もうどっかに行っちゃったじゃない‼」
『“オジサン”て……兄さんの事かー⁉』
店内は当然、騒然としている。何やらまずい事態になっていることに、ソルベは青ざめた。
「いや、どっかに行ったっていうか、そっちの店員さんに連れて行かれて…って、怪しくないですから!!」
「どっからどう見ても怪しいのよ!ていうか、あんたたちどういう関係⁉犯罪関係なんでしょ‼分かってんのよっ!」
「違いますって!!あれは…」
ソルベはパニックになりながらも頭をフル回転させて考えた。この店員が兄を“オジサン”と思っているという事は、「兄だ」と言えばより怪しまれてしまうだろう。…となれば…
「ち、父です‼」
「“父”ィ⁇そこまで離れてるようには見えなかったけど‼」
この店員は何て鋭いのだろうか…。ソルベは焦りに焦り、破れかぶれのように思いつくままデタラメを口にした。
「母が‼再婚した相手で、継父なんですっ!母はもう亡くなっていて、継父と一緒に旅を…」
……こんな荒唐無稽が通用するわけがない…。言いながら、ソルベはこの場をこれからどう収めるか、それだけを全神経を使って考えていた。
このままでは、騎士団を呼ばれてしまう…。それだけは何としてでも避けなければ…!!
「……そう…。で、お金は本当にあるんでしょうね?」
「えっ…?あの、信じてくれるん…ですか…⁇」
…なんと、この店員はさっきの説明に納得したらしい…。ソルベは逆に驚いた。
「…まあ…。世の中、色んな家族がいるみたいだし?…。それで、お代は?それさえあるなら、とりあえずいいわよ。」
「あっありますっ!ほら、十分に!!」
ソルベは体勢を直すと、財布を取り出し中を見せた。
…たしかに、ずいぶん入っているようだ。中を確認したカイエは安心し、彼を許すことにした。
代金を払い、何とか事なきを得たソルベは店の外へと出た。
「――兄さんは⁇どこに行ったんだ…」
ソルベは辺りを見回した。兄の姿はどこにもなかった。
―――「ショコラ嬢」と言いかけたグラスが口を塞がれ、連れていかれた先は外にある、店と店の間の隙間だった。そこに、グラスは押し込まれた。
しかし、力の差で言えば当然グラスの方に分があるため、彼は自分の口を押さえつけていたその手をいとも簡単に外してしまった。
「――ショコラ嬢⁉なぜこんな所に…」
「きゃあああっ大きな声を出さないでくださいっっ!」
またもやグラスの口を、今度は両手で押さえるとショコラは周りを気にし、小さな声を張り上げて静止した。グラスはコクコクと頷いて返事をした。
「こ…侯爵様…ですよね⁇」
訝しそうな顔をして、ショコラが尋ねた。すると自分の格好を思い出したグラスは慌てて付け髭を取ると、ぱぱっと髪を整え身なりを直した。
「そうですっ!」
「なぜ…そんな格好をなさっていらっしゃるのですか⁇」
そう聞いておきながら、ショコラは思い出した。そういえば夜会の時、グラスが“近く任務に出る”と言っていたことを…。この事だったのか――…。
「それはこちらの台詞ですよ‼貴女こそ、こんな所で一体何をなさっているんですか⁉」
逆に尋ねられたショコラはハッとした。
……しまった……知り合いに、見付かってしまった!!
『ど…どうしましょう…。何て答えればいいの⁉』
困った……。
ショコラは、答えに詰まってしまった――…。




