60.心残りがあるので、
王宮にある陸上師団本部。その一室では、団員を集めた会議が開かれようとしていた。
「――では始めよう。侯爵!」
沢山の団員たちが円卓を囲む中で、地図が貼られたボードの前の席に座っているのは団長のフランだ。彼は、その隣に座るグラスに進行役を命じた。
「はい。ではまず、今回の件についての確認を。婦女失踪事件について、これまでの各調査により集められた情報を精査したところ、分かった事が次の点。
場所はいずれも人の往来が多い、比較的大きな通りを持つ都市部。これは外部の人間が入り込みやすく、かつ拉致してからの逃走に最適なためと思われる。さらに、対象者は普段接客業を生業とし、諸々の評判が良い者に限られている。そして事件が起きる間隔は大体ひと月前後。
…無念だが、つい先日もそれと思しき事案が発生してしまった。――…我々は騎士団として、これ以上見過ごすことは出来ない!」
集められた団員たちは神妙な面持ちで、グラスの説明を黙って聞いていた。
その話の後ろではソルベがペンを持ち、ボードに貼られた地図の上にいくつもの印を付けている。
「そこで今回特別任務として、次に狙われる可能性のある地への潜入捜査を決行する。地図に記したのはその地点だ。多数あるが、場所を絞らず怪しい地には全て送り込む。そのため各四、五人で編成する小数班を結成することになった。ソルベ。」
「はい。」
グラスの指示で、ソルベが今度は別のボードに大きな紙を広げて貼り付けた。そこには小さな文字で沢山の名が記されている。団員たちはざわついた。
「静かに!班分けは後で確認しておくように。」
それでも止まないざわつきの中で、フランが片手を上げた。するとピタリと話し声は収まった。
「この任務では団を挙げ、多くの人員を投入するが全てではない。有事に備え、通常任務に当たってもらう者もいる。その期間中、特別任務の指揮権はグゼレス侯爵に、通常任務及び総指揮は団長である私が持つ。それぞれ割り振られた方の指示に従うように。良いな。
今回の目的は、事件解決と実態解明だ。陸上師団の名に懸けて、最悪何としてでも尻尾は掴め!皆、心して掛かるように‼」
「はいッ!!!」
フランの檄に、団員たちは士気を上げた。
「――では、後は各班の配置ですね。」
また地図の前へと移動したソルベが口を開いた。
「やはり実力班から大きな街に送ることになりますよね?」
「まあ、そうなるだろうな。」
「では侯爵と私のいる班が一番大きな所ですね。ああ、でも、なるべく各地点の中心に近い方がいいな…。というと、どこだ…」
フランに確認を取ったソルベはペンを持ったまま、地図を前に印の地点を見ながら考え込んでいる。
「いや、お前たちの班は既に決まっている。」
「どこですか?」
「“イザラ”だ。」
その答えに、ソルベと、話を聞いていたグラスもぽかんとした。
「…団長、“イザラ”…ですか?」
思わずグラスが尋ねた。
「“イザラ”は…たしかに大きくはありますが、侯爵が行くには少し役不足では?それに、そこだと中心からずいぶん外れてしまいます。司令塔を置くにしても、あまり的確ではない気がしますが…。」
ソルベも納得がいかない様子でそれに続いた。
「私もそう思う。だが、そうせよとの王命だ。」
「陛下のご命令ですか⁇」
「そうだ。理由は分からん。とにかく!お前たちの班には、イザラへ行ってもらう。」
ソルベとグラスは顔を見合わせた。
「…陛下は、何か情報をお持ちなのでしょうか…?」
「だとしたら、我々にお教え下さらないのはおかしいだろう。作戦の成否に係わるんだ。それなのに団長にさえ何もないのなら、…何だ⁇」
ソルベとグラスは首を捻った。
「余計な事は考えなくていい‼わざわざご命令になったのだ。陛下には、何かお考えがあってのことに違いない。他の班については、追って連絡する。皆それぞれ準備をしておくように。――以上、解散‼」
フランの声で会議は終了した。団員たちは銘々持ち場へと戻って行った。
「――…“イザラ”か……。通常で、ここから三日はかかるな…。」
「仕方ないですよ、兄上。陛下のご命令なんですから。」
「あ゛―――ッ!さっさと終わらせるぞ‼」
「はいはい…」
オードゥヴィ公爵家ではショコラが、一時帰省しなければならなくなった用件も済み、すぐにまた旅へ戻ろうかというところだったのだが…。戻る前にもう一つ、彼女にはどうしても気にかかっている事があった。
姉・フィナンシェの事だ。
「では、今日は一日休養を取り、出発は明日にいたしましょう。」
「本当⁉…良かったわ、ありがとうファリヌ!」
「ここ数日の疲れもおありでしょうから。移動には体力を使いますので。」
“休養を”と言われても、じっとしているショコラではなかった。彼女にとって、「一日休養」は「一日自由」と同義だった。
うずうずとしていたショコラは早速立ち上がると、フィナンシェのいる別館へと急いだ。
いつもは本館へフィナンシェの方からやって来るため、ショコラが別館へ立ち寄ることはほとんど無かった。おまけにここ最近は姉夫妻が住み始めるまで使用人の居住場所がわずかに使われていただけで、ショコラたち一家は自分たちの持ち物でありながら中へ入ることすらなかった。慣れないそこはショコラにとって、“他所の家”のようなものだった。
ミエルを伴って別館のドア前までやって来たショコラは、使用人を呼び出し中へと入った。
フィナンシェのいる部屋まで案内してもらうと、コンコンとドアを叩いた。
「――お姉様、ショコラです。中へ入ってもよろしいですか…?」
「ええ、どうぞ。」姉はそう言ったようだが、はっきりとは聞き取れなかった。
それからすぐに中から侍女がドアを開け、ショコラを招き入れた。
「…貴女が帰って来ているのに、会いに行けなくて、ごめんなさいね…」
フィナンシェはベッドの上で、何とか体を起こしているようだった。そして少し、やつれたように見える…。絶世の美女の弱々しい姿は、必要以上に儚げだった。
聞いていたよりも、思っていたよりも良くないようにショコラには感じた。そして思わずベッドの側へと駆け出していた。
「いえっ私もなかなか挨拶に来ることも出来なくて…。お姉様、お加減はいかがですか?何だかお痩せになられたような…。」
不安そうに、ショコラはしゃがんでフィナンシェの顔を覗き込んだ。
「…今、あまり食事が出来なくて…。そのせいね。でも、大丈夫よ。今だけ。そんなに心配しないで。」
「本当に?本当ですか??」
「ええ、もちろんよ。私が貴女に嘘を吐いたことがあったかしら?」
ショコラは静かに首を振った。
「……いいえ、ありません。」
「でしょう?だから大丈夫よ。」
そう言ってフィナンシェは、ベッドに齧り付くようにしているショコラの頭を撫でた。
「それに、ショコラの顔を見たら、何だか元気が出てきたわ!」
微笑む姉に少し安心したような…でも、やはり心配は消えなかった。
「……私、まだもう少し、お屋敷にいようかしら…。」
「え?」
「…っせめて、お姉様がベッドから出られるようになるまで、イザラに戻るのはやめようかと思うんです。…王都でも、出来る勉強は沢山ありますし!」
空元気にしてみせたショコラの顔を、フィナンシェはじっと見た。
「……それは、駄目よ。」
「え…どうしてですか、お姉様?」
フィナンシェは長い溜息を吐いた。
「――…私はいけない姉ね。妹にそんな風に思わせてしまうなんて…。
ショコラ、貴女は今しなければならない事があるのでしょう?」
「でも、少しくらいなら…」
フィナンシェは首を振った。
「本当に、私は大丈夫なのよ。それなのに貴女を足止めすることなんて、出来ないわ。ねえショコラ。貴女はお父様の後を継いで立派な公爵様になるのでしょう?なると決めたのも、お勉強を始めたのも遅いのだから、余計な事で立ち止まっては駄目。行って来なさい。イザラへ。」
弱々しかったフィナンシェは毅然としてそう言った。その瞳は強く輝いていた。
――あの姉がそんなことを言うなんて――…。今までならば、「いつまでも居ていい」「どうせならもう終えて帰って来たことにすればいい」…そういうことを口にしていたはずだ。
それが逆に、“行かないこと”を叱るとは…これまででは考えられない事だった。
「……お姉様、お変わりになられましたね。」
自然とショコラの口からこぼれ落ちた。それは、悪い意味で出た言葉ではなかった。
「そうかしら…。――…そうね。そうかもしれないわ。」
ショコラは、何だか泣き出しそうになった。まだ少し残る不安と、安心と、寂しさと、それから…本当は、いつものように引き留めて欲しかったのかもしれない。「こう」とはっきり言えない、複雑な気持ちに襲われた。
――だが、姉に行って来いと言われればそうしないわけにはいかない。ショコラは口を一文字に結び、涙を引っ込めた。
「分かりました‼私、またイザラへ行って来ます。そして沢山お勉強して来ますわ!本当は、向こうで中断して来ている事があって…それをしっかり務めてまいります。」
「そうよ。それでいいの。」
力強く、フィナンシェは答えた。やつれて弱々しく感じていた姿だったのが、いつの間にか勇ましく見えていた。
「もう少ししたら、手紙を書けると思うから、待っていて。ホームシックになってはダメよ?」
「はい!お手紙、楽しみにしていますね‼私も書きますから!」
フィナンシェから強力に背中を押されたショコラは、気持ちを新たに本館へと戻って行く。
そういえば、帰ることになってから今日までの間、頭を悩ませることが多くて周りに目が行っていなかったような気がした。
イザラのビストロは、今頃どうしているだろうか…。ショコラたちが手伝うようになって、客が増えたと言っていた。それは店にとってはいい事であるはずだが、人手が足りなくなって、カイエもブールもくたくたになっているのではないだろうか。これはやはり、早くイザラへ戻らねばならない、とショコラは思った。
「ねえミエル、私、給仕のお仕事忘れてないかしら⁇戻ったらすぐに同じように働けるかしら…不安になってきたわ!」
「大丈夫ですよ。必死に頑張られたことが無駄になる事はありません。きっとお体が覚えていますわ。」
ミエルはくすくすと笑ってそう言った。
「う――ん、でも、何だか練習したくてうずうずするわ。そうだ!厨房へ行って、お手伝いさせてもらおうかしら⁉」
「ショコラ様⁉そんなことなさったら、お仕事の事がバレてしまいますよ‼」
ミエルが慌てて止めなければ、ショコラは本当に厨房へ行ってしまうところだった…。




