57.庭園を月の光が照らすので、
めぼしい料理の皿を手にしたショコラは、ホールを出るとテラスから庭園へと降り立った。
外は暗いだろうからと足元が気になっていたのだが、月に照らされ存外明るく、窓から漏れる明かりに頼らなくても歩けるような様子だ。
そしてそこには、同じく喧噪を逃れてきたのだろうか、他にもちらほらと人影があるようだった。
「どこに座ろうかしら…」
ショコラは辺りをきょろきょろと見回した。所々にはベンチがあるものの、先客のいる場所もある。
クレムにはあまり遠くまで行くなと言われたが、少し歩いてみることにした。
あちらこちらを巡ってみたが、結局は出てきたテラスに近い場所にあった芝の上に腰を下ろすことにした。すぐ側にはよく整えられた茂みがあり、丁度いい目隠しにもなっている。月明かりを遮るものもなく、なんてすばらしい場所を見付けたのだろう、とショコラは自画自賛した。
「昼間太陽の下でお茶をするのも気持ちがいいけれど、月光でいただくお料理も乙なものねえ。」
うきうきと上機嫌でまずは一口、頬張った。
…と、いうところで――…
「きゃあっ」
「うわっ」
薄暗い中、そんなところに人がいるとは思いもしなかったのだろう。そこは通路ではなかったのだが、通りがかった何者かが座り込んでいたショコラに蹴躓いて転んだ。ぶつかられたショコラも、もちろん押されて体制を崩した。
「…イタタ…。!っすみません、気付かず…お怪我は⁉」
「いえ…こちらこそ、こんなところにいて申し訳ありません…」
そのやり取りの途中で、二人は「おや?」と思った。
「…ショコラ嬢ではないですか‼」
「ま、まあ、侯爵様だったのですね。」
よく見てみれば、それはショコラとグラスだということにお互いがやっと気付いた。
「なぜこんなところに…」
グラスが言いかけると、何かにハッとしたショコラがまたも小さな悲鳴を上げた。
「きゃああ」
「どうされました⁉」
「お…お料理が……」
「“料理”…?」
ショコラは自身の向こう側の地面を見てショックを受けている。その視線を追うと、そこにはひっくり返った皿と、ぶちまけられた料理が転がっていた。
「まだ一口目……」
消え入りそうに一言だけ発した彼女は、かなり落ち込んでいるようだった。
疲れ切っていたショコラは、新しい皿をまたホールまで取りに行く気力がもう残ってはいなかったのだ。
「りょ、料理が欲しいのですね⁇すぐに代えをお持ちします!ここで、待っていてください。必ずですよ⁉」
そう言うなり、グラスは弾かれるようにホールの方へと駆け出した。
“ここにいろ”と言われるまでもなく動くつもりのないショコラは、傷心のままぼうっとそれを見送っていた。
――…程なくして、息を切らせたグラスが何かを手に戻って来た。そしてそれをショコラに差し出した。
「…はぁっ…どうぞ…こちらを…」
差し出された皿を見たショコラは、一転して目を輝かせた。
「…これ、さっきわたくしが選んだものと同じお料理です‼すごいです!あんなにぐちゃぐちゃになってしまったのに、よくお分かりになりましたね⁉」
「え…そうだったのですか?すみません、適当に選んだものだったのですが…。」
「まあ!なんて偶然!ありがとうございます‼」
皿を受け取ったショコラは、グラスに満面の笑みを送った。
「は…初めて貴女にお礼を言われました…。」
グラスは、自分の顔がとんでもなく熱くなっている事を感じていた。今が薄暗くて本当に良かった、と心の底から思った。
そんな彼には目もくれず、料理に夢中のショコラは早速口へと運び、幸せそうにしている。その隣に、グラスも腰を下ろした。
「侯爵様は、何か召し上がらないのですか?」
「ええ、私は結構です。」
「こんなに美味しいのに勿体ない…。あ、もしかして、王宮にご出仕されているのでこちらのお料理はよく召し上がっていらっしゃるとか?」
「いえ…王宮では食事は出ませんよ。」
「そうなのですか⁉では皆さん、いつもどうされているのかしら…。」
…食べ物の話になると、いやに食いつきがいいなとグラスは思った。
「ショコラ嬢は、食事されることがお好きなのですね。」
「はい!少し前にミルフォイユ様にも同じ事を言われましたわ。…言いたくなるほど、おかしなことなのでしょうか…⁇」
「そうではありませんが、そういうご令嬢にはあまり会ったことがありませんね。」
さっきまでもそうだったが、集まってくる令嬢たちは良い恰好をしたがるのか、そういう話はしてこない。大抵、当たり障りなく見栄えのする話ばかりだ。食事の話が出てくるとするなら、どこそこへ行ってみたい、という誘い文句くらいのものだった。
『…だが、そうだな…。こんな時、他にどんな話をしたらいいのだろう。今まで考えたこともなかったな…。』
皆そうだったのだろうか、と空を見上げた。
「……良い月ですね。」
「そうですね。」
ショコラはもぐもぐと口を動かしながら相槌を打った。
――何か、何か他に話題は無いのか…と考えていたグラスは、はっとして一つ思い出した。
「そうだ‼貴女にお聞きしなければと思っていたことがあったんです!!」
「⁉な、何でしょう⁇」
突然大きな声を出したグラスに、ショコラはびっくりした。
「どうして、私の事は“侯爵様”なのにソルベの事は“ソルベ様”と呼ばれるのですか⁉」
「え??」
なぜ今さら急にそんな事を言いだしたのだろうかと、ショコラには訳が分からなかった。
「ええと…侯爵様は“侯爵”様だから…です??」
それに加え…ショコラ本人は無自覚なのだろうが、姉を狙う“天敵”という意識がまだどこかにあって、無意識的にグラスとの間に線引きをしていたのだった。
「ではソルベの事は“子爵”と呼べばいいではありませんか⁉ヴァンロゼ子爵の事だって!」
「でも、“子爵”様は沢山いらっしゃいますから、混乱してしまいますし…。それと、サヴァラン様はお友達ですから、きっと伯爵様になられてもこのままだと思いますわ!」
笑顔で返すショコラを前に、グラスは両手を地面に突き、がっくりと項垂れた。
「ど、どうなさいました⁉」
「……私の名は、ご存知なのですよね?」
いじけたような顔でこちらをじっと見ながら、グラスが尋ねてきた。
「―――と…えへへ……」
ショコラは笑って誤魔化した。薄暗くてグラスにははっきりとは見えなかったが、その目も泳いでいたようだ。
まさか名前すら知られていなかったとは…グラスは計り知れない程の衝撃を受けた。
「――以前、名乗りましたよね⁉貴女もいらっしゃるところで‼」
「ご…ごめんなさいぃ〰〰」
…たしかに、ショコラはグラスの名乗りの場にはいた。が、その時は自分に対してではなく、さらに言えばその後次期公爵候補となる事になる、とすら思ってはいなかった頃のことだ。彼の名は話半分にしか聞いていなかった。そのため、フルネームがすっぽりとショコラの頭をすり抜けて落ちていったのだった。
(たぶん)涙目でそう訴えるグラスに、さすがのショコラも申し訳なくなった。
「あ…あの、侯爵様…」
「“グラス”です‼グラス・レザン・グゼレス!これが私の名です。覚えましたか⁇」
「はっはい!“グラス・レザン・グゼレス”ですね、覚えました‼」
必死の形相で詰め寄られ、ショコラは復唱した。
「……今は…まだそれだけで結構です…。」
ぼそりとそう呟くと、グラスはやっと落ち着きを取り戻した。
「今日は、こうして貴女にお会い出来てよかった。」
「?はあ…。??」
「…近々作戦任務のため、しばらく王都を離れることになりましたので…。」
「そうなのですか。」
「次はいつお会い出来るか分かりません。」
グラスはしんみりとそう告げた。その隣で、数日後には自分もまた王都を離れイザラ領へと発つショコラは、例えグラスが王都にいてもしばらく会うことはないのになあ、などと考えていた。
『…そんなに、大変な任務なのかしら…。何だかいつもよりも元気がないようだし。』
「あの、お仕事頑張ってくださいね!遠くから応援しておりますわ。お身体にもお気を付けて。」
情緒不安定に見えたグラスを、ショコラは励ました。
「――はい!!もちろんです!必ずや任を果たして参ります‼…ですから、戻って来た時にはどうか私とお会いしていただけませんか?」
「え?ええ…お時間が合えば。」
「本当ですね⁉絶対ですよ‼約束です!」
ショコラに鼓舞され、グラスは急激にやる気が漲ってきたようだ。
『…いつもは勝手にいらっしゃるのに、約束(?)を取り付けるだなんて、どういう風の吹き回しかしら…。』
不思議に思いつつも、ショコラはとりあえずグラスが張り切りだして良かったと胸をなでおろしたのだった…。
「――ショコラ、今日の夜会はどうだった?」
帰りの馬車に揺られながら、クレムが尋ねた。
「はい、沢山の方とダンスしましたからとっても疲れました。明日動けるかしら…。お姉様はいつもどうしていらっしゃるのでしょう?」
「ははは。そうだな、フィナンシェは…“上手な方としか踊りません”と言って巧くかわしていたかな。」
「…それは、お姉様だから許されるかわし方ですね。さすがだわ。」
「ショコラも何か、上手いやり方を見付けないとね。」
「う――ん…。私はそれよりも、お相手出来る体力をつけた方が早いかもしれません!」
クレムは何も返さず、苦笑いしていた。
――馬車は、じき屋敷へと着くだろう。
夜会へ出発する前、強引に暇を与えると命令を出したファリヌとミエルはどうなっただろうか…。今日は夜会へ行くことよりも、その行方の方がショコラをやきもきとさせ、帰り着くまでを緊張させていたのだった。




