52.シュクルはビストロの給仕なので、
ショコラたちがビストロで働き始めて二週間ほどになる。三人とも、早くも店に馴染んできているようだ。
当たり前だが、毎回必ず出掛けて行くのはショコラで、日によっては三人だったり、ファリヌかミエルのどちらかと二人で、という具合に出勤している。
まだ相変わらずミスをする事もあるショコラだったが、忙しさや仕事にも段々と慣れてきた。
最近では注文取りだけでなく、小さな皿一つであれば料理の乗ったものを運ぶこともあるし、客が食べ終わった皿を下げたりすることまである。指示されてばかりでなく、それを自分で判断することも出来るようになってきた。
給仕としてはまだまだなのだろうが、初日に比べれば、それは格段の進歩と言えた。
「ねえカイエ、何だかこのお店、最近ちょっと一流店みたいな雰囲気になったんじゃない?給仕さんが増えたからかしらねぇ。」
接客中のカイエに、年配女性の常連客が声を掛けてきた。
…それはおそらく、無意識のうちにショコラたちから滲み出るものがそう感じさせているのだが――…この二人にはそれを知る由もない。
「えー?本当⁇」
「ええ、華やかになったかんじよ。」
カイエは店内を見回した。たしかにショコラたちが来てくれるようになって、殺伐としていた店の中が、少し落ち着いてきたような気がする。
『…今までは、一人でバタバタ走り回ってたもんね…。』
少し前までを思い返し、カイエはしみじみとした。
「味の方なら、ウチはずっと前から一流よ?」
「分かってるわよ、ふふ。」
変わってきたのはそれだけではない。何か今までより、客も増えてきたようだ。これまでには見かけなかった顔が多くなってきた。特に若い客の姿だ。もちろん今までもいないわけではなかったが、これは思わぬ副産物だった。それはきちんと目に見える形にも現れている。
「…ちょっと父さん…見て見て!こんなに売り上げが伸びてるー‼人手が増えて回転が良くなったからかしら…。三人とも、まさに救世主だわ!!」
「おお、本当だ。こりゃあ…“お礼”にもいい色を付けられそうだな!」
昼の営業を終え、売り上げを数えたカイエとブールは沸いた。
「いいえ、私たちはいいので、お店のために使ってください。」
「遠慮しちゃダメよ、ミエル!貰えるものは貰っておきなさいよね‼」
それは三人の総意だったのだが、カイエの勢いにミエルは押し切られてしまいそうだ。
『多く貰うことになったら、ファリヌさんに怒られそうだわ…』
――こんな風に、ショコラたちはイザラでの充実した日々を送っていたのだった。
そんなある日、今日は三人一緒の出勤だ。この日は“混む日”らしい。ショコラも朝から張り切っている。
「シュクル!ずいぶん慣れてきたみたいだねえ。」
「おじさん、いらっしゃいませ!えへへ、本当ですか⁇」
「ああ、来たばかりの頃から考えると見違えたよ。元気があって良い!」
ショコラにも、顔見知りの常連客がだいぶ増えてきた。
「今日も、あれでしょう?」
得意気に、ショコラはその客に聞いた。
「おっ、覚えたねえ?でも残念、今日はこいつの気分だ。」
客はメニューの中の、いつもとは別の品を指差して言った。
「ええ~!違うこともあるのね…」
「ハハハ、そういうもんだ!がっかりしなさんな。」
上手くいかないこともまだまだあったが、ショコラは給仕の仕事にやりがいを感じていた。
昼を回ると、忙しさのピークがやってくる。
「ファリヌ!すまんが、厨房に入ってくれ‼」
「はい!今行きます!」
忙しくなると、ファリヌとミエルはそうして厨房に呼ばれ、調理を手伝うようにもなっていた。
料理など一切したことの無いショコラにはこの先もその声がかかることはないのだろうが、そうして色々な仕事を任せてもらえる二人の事を、少し羨ましく思って見ていた。
『でもまずは、ホールのお仕事をしっかり出来るようにならなくてはね!』
ショコラは心の中で気合を入れ直した。そして、新しくやって来た客のところへ注文を取りに行った。
「いらっしゃいませ!ご注文をどうぞ!」
それは、一人で来ていた若い男性客だった。彼はメニューを眺めて迷っていた。
「そうだなー…じゃあ、これを。」
一つの品を指すと、彼は顔を上げて注文した。すると目が合い、ショコラはその顔をじっと見つめた。
『あら……?』
客は少し、動揺した。
「⁇えーと…何?」
「あ、あの…。以前にどこかでお会いしませんでした…?」
客は一瞬固まり、その後笑いながら言った。
「…何、それ?ナンパ?」
「“なんぱ”…⁇」
ショコラは“ナンパ”の意味が分からず、首を傾げた。
「あー…いや、いい。会ったことは無いよ。注文、頼むね。」
「そうですか…。はい、分かりました!少々お待ちください!」
厨房へ注文を通すため、ショコラは跳ねるように戻って行こうとした。するとその客は、一言付け足すために彼女を呼び止めた。
「――ああ、あと!今みたいなの、あんまり人に言わない方がいいよ?特に男相手にはね。」
「??はい…分かりました!」
…注文を伝えた後、ショコラは怪訝な顔をしていた。それを見たミエルは気になって、側に行くとこそりと訳を聞いた。
「シュクル、どうかしたの?」
「姉さん…。それが…あのお客様、どこかで見たような気がして…。でも、“会ったことは無い”って言われたわ。」
「聞いたの⁉」
「ええ。“以前会いませんでしたか”って。」
“――…その聞き方はどうなんだろうか”とミエルは思った。
「でも、たしかにどこかで会ったことがあると思うんだけど…うーん…思い出せないわ…。」
ミエルは、ショコラがそこまで気にすることが、気になった。
…ショコラが他人と会うようになったのは、フィナンシェが結婚してからのここ数か月の事だ。その間に会った人物というのは限られてくる。だが、思い出せず、相手も知らないと言う――…。
「…偶然街ですれ違っていたか、似た人と勘違いしてるんじゃない?」
普通に考えれば、そうだろう。
「そうなのかしら…う――ん…」
しかし、ショコラはそれにあまり納得していないようだった。
「――ちょっとちょっと、二人とも何してんの!…まあ、少し空いてきたけどね。」
そこへ、ショコラとミエルが話し込んでいたのに気付いたカイエがやって来た。
「なぁに?シュクル、あのお客さんが気になるの?たしかに、悪くはないわねえ。」
いくらか会話が聞こえていたのか、にやにやとしながらカイエは話に加わってきた。
「そういう話じゃないわよ。それよりカイエ…そんなこと、こんな所で言ってていいの⁇」
「悪い噂じゃないもの。ミエルは堅いわねえ。それより、違うのね~なぁんだつまんない。せっかくだし、そういう話したかったのに!」
カイエはがっかりしたように、空いたテーブルで頬杖をついた。
「注文、いいかしら?」
「はあい!ただ今!」
離れた席から声が掛かり、ショコラは呼ばれた方へと飛んで行った。
「…ねえミエル、ファリヌさんて、恋人とかいるの?」
「は…はい!?」
突然のカイエの質問に、ミエルの声はひっくり返った。
「妹でしょ?何か聞いてない⁇」
「さ…さあ…?でも、どうして…?」
「“どうして”って、素敵じゃない!いいわよねぇー…背筋がピンと伸びてて、真面目だし、よく働くし…」
「…真面目でよく働く人なんて、他にもいくらだっているわよ…。」
「いそうでそんなにいないのよ!…やっぱり、そういう人が一番よねぇー。」
「だからって…」
うっとりと話すカイエに、ミエルは顔を引きつらせながら答えた。
「ミエルは妹だから分からないのよ!最近ウチの店に若い娘が増えてきたのはそのせいなんだからね⁉目当てにしてるお客、結構いるのよ‼」
カイエは力説した。
…たしかに、公爵家の侍女たちの間でも、そんな話はちらほらと出ていた。一緒にショコラの旅に付いて行く事が決まった時も、周りからだいぶ羨ましがられた。
「は~…、婿に来てくれないかしらー…。ああ、でもあなたたち、自分の店を出すんだっけ?残念…。!ねえ、もういっそここでずっと働かない⁇新しいメニューの考案くらい、自由にしたらいいわよ‼そしたら、これだけ人数はいるし…もっとお店を大きくするってのもアリよね!どう!?」
「どう、って……」
ぐいぐいと押してくるカイエに、ミエルは何とも言い知れない焦りを感じた。
「で…でも!兄さんはすっごく、口うるさいわよ⁉カイエが知らないだけで!!もう、本当小言ばっかり‼私もシュクルも、しょっちゅう言われてるんだから!」
「だから、真面目ってことでしょ?」
「あと…そう!うるさいだけじゃなくて、毒舌だって酷いんだから…」
ミエルが喋っていると、その後ろを見たカイエがハッとして自分の口を押えた。
「…聞こえてるぞ。ミエル。」
振り返ると、皿を持ったファリヌが立っていた。
「……っ……っ…厨…房…じゃ……?」
ファリヌは横目で冷ややかな視線を送りながら通り過ぎて行った。ミエルはそれ以上何も言えず、皿を運んで行く彼を青くなりながら見送った。
「………う゛う゛…後で…また怒られるぅ……」
「う――ん…今のは、ミエルが悪いわね。頑張って!」
カイエはミエルの肩を叩いた。
「――それじゃあ、おやすみなさい!」
「おやすみなさいませ。ショコラ様。」
その日も一日、よく働いたショコラは心地よく疲れ、夕食を取るとさっさと寝てしまった。
そしてここ最近のいつものように、リビングダイニングにはミエルとファリヌが残された。…昼間の事があり、何とも気まずい…。
「――…ミエルさん、貴女のお気持ちは、よぉく分かりました。」
ショコラがいなくなったのを見計らって、ファリヌが口火を切った。にっこりと笑っている。
「ヒィッ…!」
普通に怒られるよりも怖かった。
「まあ…貴女にどう思われていても構いませんが。そういう事には慣れていますから。」
「そんな言い方……。で、でも、嘘は言ってませんから!」
「開き直りましたね。」
段々、ミエルはもやもやと沸き上がってくるものを感じた。
「だって、カイエさんやブールさんにはそんなこと言わないじゃありませんか‼」
「当然でしょう。無理を言ってお世話になっている雇い主なんですから。」
「そうでしょうか?カイエさん、気立ても器量も良いお店の看板娘ですし、乞われれば婿に入ることもやぶさかではないのでは⁇」
「はい??」
ミエルの言う事に、ファリヌは呆れたような顔をした。
「一体何を言っているのやら…。私としてはそれなりに上手くやっていると思っていたんですが、そうでもなかったようですね。」
「………っ」
…たしかに、自分は何を言っているのだろうか、とミエルも思った。
何も言わないミエルに、溜息を吐きながらファリヌは立ち上がった。
「――では、私もそろそろ寝ます。明日は付き添いが貴女一人ですから、ショコラ様のことは頼みましたよ。おやすみなさい。」
そして、リビングダイニングにはミエルが一人、残された。
翌朝、いつもよりも言葉少なに朝食を済ませると、ショコラとミエルは出掛ける支度を始めた。
「……ねえ、ミエル。またファリヌと喧嘩でもしたの⁇」
何か空気がおかしいことに、さすがのショコラも気付いていた。
「いえっ大したことではないですわ!いつもの口喧嘩です。」
「でも…」
「大丈夫ですよ!ショコラ様が心配なさる事はありませんから。」
笑顔ではあったが、ショコラには、ミエルが空元気にしているように見えた。
「そう?…早く、仲直りしてね。」
「ええ、もちろんですわ。」
そして時間になり、ショコラとミエルはビストロへと出掛けて行った。
一人家に残ったファリヌは、家事を始めることにした。
昨日は全員でビストロでの仕事に出掛けたため、二日分に近い量の仕事が溜まっている。これを完璧に片付けてしまわなければ――…
洗濯物を集め、洗い場まで持って行こうとすると、家のドアを叩く音がした。
ドアを開けると、郵便配達員に扮した公爵家の使者が立っていた。
「お手紙です。」
「ご苦労様です。」
イザラへ来てから、王都にある屋敷とは定期的にこうして連絡を取っている。
ファリヌは手紙を受け取るとドアを閉め、それを確認した。手紙は二通。いずれも当主であるガナシュからだ。宛名には、それぞれ“シュクル”とファリヌの名が記されていた。
彼は自分宛ての書状を開封すると、中に目を通した。
「―――……もう、ですか…。意外に早かったな。」
内容はこうだった。
――二週間後、王宮での夜会が開かれる。近く、一度王都へ戻って来るように。――
ここへ来てから半月。屋敷を出てからは三週間近くになる。今回は度々呼び戻される事になるだろう、とは聞いていたが、もう少し先になるかと思っていた。が、ショコラがやっと「仕事」にも慣れてきたという、このタイミングで声が掛かってしまった。…もっとも、「仕事」のことはあえて報告していなかったのだが――…
とにかく、近いうちに日程の調整をして、戻る準備を始めなければならない。
「ビストロにもしばらく休みを貰わなければ…」
行き帰りだけで、合計六日はかかる。向こうに何日いることになるかも分からない。
客の増えた今、店の方にはずいぶん迷惑を掛けることにもなるだろう。やはり、色を付けた“お礼”など、申し訳なくて頂くことは出来そうにない。
どれだけ暇を貰えばいいのかと、ファリヌは早くも悩み始めていた。




