51.お仕事は大変なので、
今朝のショコラは気合が入っていた。突然決めたことだが、今日から初めての“労働”をすることになったのだ。
「ああ~ドキドキするわ‼二人とも、早く行きましょう!」
「ショコラ様、あまり早くに行ってもご迷惑です。落ち着いてください。浮き立っているとミスをしますよ。」
「分かっているけれど…!」
ファリヌが釘を刺しても、ショコラのはやる気持ちは抑えられなかった。
そわそわとしているその側で、ファリヌとミエルは悠然と支度をすると頃合いを見計らって家を出発した。
今日は初日ということで、三人一緒に仕事をさせてもらうことになっている。
「おお、来たね‼」
ビストロへ着くと、中では店主のブールとその娘・カイエが待っていた。
「今日からお世話になります!」
「本当に三人とも来てくれたのね〰〰っ夢みたい!もう張り切って教えちゃうわ、何でも聞いて!」
人が増えたことが余程嬉しいのか、ショコラに負けず劣らずカイエも浮き立っているようだ。
仕事について一通りの説明が終わると、昼の営業開始時刻となる十一時になった。まだ昼時には少し早いというのに、開店と共に数組の客が入って来る。
「おやあ?見慣れないのが三人も…。ずいぶん羽振りがいいじゃあないか。どうしたんだい、ブール?」
「いやいや、違うんだよ。この子たちは何というか…しばらく手伝いに来てくれることになってねえ。」
「“手伝い”?なんだ、従業員を雇ったんじゃないのかい。」
ショコラたちはぺこりと挨拶をした。どうやら常連客のようだ。
カイエはさっと彼の側へ行くと飲み物を出した。
「いらっしゃい!あれでいいのよね。」
「ああ、頼むよカイエ。」
客の方は何も言っていないのに、カイエには“彼がどうしたいのか”が分かっているらしい。ショコラはそんな光景に感動して、ミエルにこそりと耳打ちをした。
「あの方、普通の方よね。カイエはどうして頼む物が分かったのかしら…?」
「常連で、きっといつも同じ物を頼むのね。たぶんそれを覚えているのよ。」
「でも常連のお客様は他にもいるでしょう?」
「そうねえ…みんなを覚えているんじゃないかしら。」
「みんな!?」
ショコラは目を丸くしてカイエの姿を追った。それは尊敬の眼差しだ。長く働く人間にとって、そんなものはさして珍しい事ではなかったが、ショコラにとっては仕えているわけでもない、それも複数の人の好みを覚えている、などという事は驚愕の事実だったのだ。
そんな事をしている間にも、彼女は次々と席を回っている。まだ店内は空いていることもあって、ショコラたちには入る隙が無い。三人とも突っ立ったまま、その動きをただ見ていた。
すると、カイエはハッと気付いてこちらへ声を掛けてきた。
「やだ!ごめんなさい、いつものクセで…。これからは三人にもやってもらうわね。」
仕事モードに入った彼女は、自分以外に給仕ができたことをすっかり忘れてしまっていたらしい。そう言うと、照れながら下がった。
「ハイ、出来たよ‼」
「じゃあ私が!」
その時丁度いいタイミングで、カウンターの中からブールの声がした。次の瞬間、一番近くにいたミエルが早速動いた。
さすがは公爵家の侍女、慣れた様子で皿を運んで行く。もちろんサーブは完璧だ。
「…すごいわ、言う事なしね。どこで覚えたの⁇」
「まあ…ちょっと、ね…。」
感心するカイエに、ミエルは気まずそうに言葉を濁した。
――そうしているうちに段々と客が増え、店内は混み始めてきた。ミエルだけでなく、ファリヌも積極的に接客を始めている。…だが、ショコラは何をしていいのか分からず、あちこちを見てはおろおろとしていた。
「シュクル!カウンターの料理を右から三番目のテーブルに持って行って‼」
「はいっ!!」
カイエから指示を出され、ショコラはついに出番だとばかりに意気込むと、両手に皿を持って歩き始めた。
――次の瞬間……
ガシャガシャ――ン!!
…大きな音を立てて、ショコラの両手から皿が落ちた。
「きゃああ!どうしましょう……」
それは、当然といえば当然の成り行きだった。立食パーティーなどで自分が食べるために、小皿に少量を取って運ぶくらいならばショコラもしたことはある。だが一人分の食事が乗るような大きさの皿を、それも両手に持って運ぶなど、一度たりともしたことはない。令嬢である彼女に、そんなことをさせる者などいるわけがなかった。
…手始めにする事としては、ショコラにとっては無理な芸当だったのだ。
ガヤガヤとしていた店内は一瞬、静まった。
「あ~あ~、やっちまったなあ、お嬢ちゃん!」
皿を持って行くはずだったテーブルの男性客が言った。ショコラは青くなった。
「ご…ごめんなさい…」
するとそこへ、カイエがサッとやって来た。
「大丈夫よ、シュクル。ちょっとぉ、この子今日始めたばっかりなのよ!もう少し優しくしてあげて。」
「悪い悪い、怒っちゃいないよ。」
「ほら、怒ってないって!待ってて、またすぐ用意するわ。」
ショコラが顔を上げて見ると、客もカイエも笑顔だった。そこへミエルも飛んできて、すぐさま落として割った皿と散った料理を片付け始めた。
…仕事を始めてすぐの失態に、さすがのショコラもしょげてしまった。そんな様子に、カイエは通りすがりにポンポンと軽くその背中を叩いた。
「さあ、切り替えていきましょ!じゃあまずは注文取りから始めましょうか。ちゃんと確認してメモすれば大丈夫よ!」
「は、はい…。」
それからは、ショコラは注文取りだけに専念した。
時間は正午を回り、客はどんどんと増えていった。店内は常に満席状態だ。それに比例して忙しさも加速していく。まさに戦場だ。見ていたのと実際に働くのとではこんなに違うものなのか、と目を回しそうになりながらショコラは思った。
ミエルとファリヌ、それに…戦力になったのかは分からないが、ショコラの三人を加えてもなおの忙しさ…。普段カイエが一人きりでホールを回しているなどという事は、とても信じられなかった。
――慌ただしく動き回っているうちにあっという間に時間は過ぎ、昼の営業が終わった。
「…疲れたぁ――…」
がらんとした店内で椅子にもたれかかり、まず口を開いたのはミエルだった。さらに、今は「執事」として気を張っていないからなのか、“あの”ファリヌまでも疲れた様子を見せている。
「お疲れ様!今賄いを用意してるから待ってて。やっぱり、人がいるのっていいわねぇ~今日は楽だったわ‼」
…あれが「楽だった」とは…。まだまだ余裕のある笑顔でイキイキとそう言うカイエに、ミエルとファリヌは内心げっそりとした。
程なくして、カイエとブールが賄いの料理を持ってやって来た。それらを店内のテーブルへと並べると、みんなで揃ってやっと遅めの昼食を始めた。
すると、いつもならば賑やかにするはずのショコラが大人しいことに、ミエルは気付いた。
「…シュクル、どうしたの?具合が悪い?」
ショコラは黙って首を振った。
「私…あんなに役に立たないと、思わなかった…」
――実はあれからも、あまりの忙しさにショコラはいくつかのミスを重ねていた。料理の間違いにテーブルの間違い、注文の取り忘れなど――…。大体は笑って許してくれたが、中には怒り出す客もいた。その度にカイエがやって来てはフォローをしてくれたのだが、ショコラの中には『迷惑を掛けている』という意識が澱のように溜まっていった。そしてすっかり、意気消沈してしまったのだった。
「――…そういえば、カイエも小さい頃はよく色々とやらかしてたなあ…懐かしい。」
「えっ、そうなの…⁇」
カイエがミスをしている姿など、ショコラには全く想像がつかなかった。
「もちろんさ。ある時は積み上げた硝子のコップを運ぼうとして、全っ部、落として割っちまってなあ。あれは正直困った困った、ハハハ!」
「と…父さんってば!子供の頃の話でしょ!」
「まあまあ、慣れればその内こうなるって事さ。」
赤面して怒っているカイエの方を親指で指し、ブールは笑いながら言った。
「…だからまあ、気にし過ぎなくていいのよ!それより笑顔笑顔!ねっ。」
気を取り直すと、カイエはそう言って笑顔をして見せた。
「それにしても、シュクルってホント、過保護に育ってきたってかんじよねー。」
『それは…ご令嬢ですから……』
同時に同じ事を考えたミエルとファリヌは、視線を逸らせた。
カイエはたまに鋭い。
「誰だって、初めから上手くなんていかないんだから。これからよ!」
…それを聞くと、やっとショコラの気持ちは解れたのだった。
「――何だか、急にお腹が減ってきちゃったわ。」
「そうだろう。ほらほらみんなも、冷めないうちに早く食べなさい。」
「はい!いただきます‼」
元気を取り戻したショコラは、いつものように美味しそうに料理を食べ始めた。そんな姿に一同は安堵して、和やかに食事をしたのだった。
ショコラたち三人は主に昼の営業時間を手伝うということになっていたため、賄いを食べた後店を出て、この日の仕事は終わりとなった。
家に帰りつくと、ショコラは今までにない疲労感を感じていた。
「ああ~本当に、疲れたわぁ…!」
「ふふ、何から何まで初めての事でしたものね。」
ショコラがぐったりとしている側で、ミエルとファリヌはそれぞれ家事に取り掛かろうとしていた。
「二人とも、まだ仕事をするの⁇」
「ええ、もちろんです。やらなければならない事は、ここにも沢山ありますから。本来ならば家に残った方がする予定でしたが、今日は全員で出掛けてしまいましたからね。」
答えながらも、ファリヌはすでに片付けを始めていた。
「これくらいは、みんなしていますわ。」
ミエルも夕食作りを始めようとしている。ショコラはぼうっとしながら、それを眺めていた。
「はあ――…。すごいのね。みんなのこと、改めて尊敬するわ…。私にはとても出来そうにないもの…。」
それは嫌味などではなく、ショコラの中からしみじみと沸き上がってきた気持ちだった。
「貴女は元々、そんな事をなさる必要はないのです。ビストロでのお仕事も。応えたのでしたら、お辞めになりますか?」
ファリヌのその言葉に、ショコラは背筋をピンと伸ばした。
「いいえ!辞めないわ。まだ始まったばかりよ。頑張る!今日出来なくても、明日は出来るようになるかもしれないもの‼」
一時はあんなにしょんぼりとしていたショコラだったが、もうすっかり復活して、また顔を輝かせている。
「――フゥ、では仕方ありません。我々もお付き合いいたしましょう。」
「もうファリヌさんたら、ショコラ様にまたそんな言い方をして!」
ミエルはファリヌの言葉に文句をつけていたが、ショコラが“辞めない”と決めたことに、彼はまんざらでもなさそうな顔をしていた。
「ショコラ様、ご夕食が出来ましたらお呼びしますから、お部屋でゆっくりなさっていてくださいね。」
「分かったわ。」
ショコラは寝室に行くと、ベッドの上に寝転んだ。
『…働くって、あんなに大変な事だったのね。知らなかった。二人やお屋敷のみんなも、きっとずっとそうしてきていたんだわ…。かんしゃ…しないと…』
疲れ果てていたショコラは、いつの間にかそのまま眠ってしまった。
そして――…次に気付いた時には、翌日の朝になっていた。ショコラは驚いて飛び起きると、今日もすでに起きていたミエルのところへ行って訴えた。
「どうして起こしてくれなかったの⁉」
「それは…気持ちよさそうに、ぐっすりお休みでしたから。とても起こせませんでしたわ。」
「ああ…お夕飯、食べ損ねちゃったわ‼」
盛大にがっかりしたところで、また新しい一日が始まったのだった。




