49.新生活開始なので、
ショコラはカーテンから透ける陽の光で目を覚ました。ぼうっとしたまま、むくりと起き上がる。焦点も合わないまま、部屋の中を見回した。
…そうか、ここは私の“新しい”部屋だ。夕べついにイザラ領へと着いたのだった、とショコラの頭は動き始めた。
「お目覚めですか?ショコラ様!ではお支度しましょうか。」
すでに活動を始めていたミエルは、リビングダイニングの方からやって来ると寝室のカーテンを開いた。
これから外へ行って朝食にするらしい。当面の住居となる、この集合住宅の一室には、家具など生活に必要な物は一通り揃っていたのだが、食べ物だけはまだ何も無かった。昨日は到着したのが夜になってからだったため、今朝の分を調達する事が出来なかったのだ。
ミエルは小さめのトランクを開けた。
「今日はお外へ行って、お召し物も選んで参りましょうね!」
服もこちらに来てから用意するつもりだったため、持って来た荷物は少なかった。そんな数少ない服の中からぱぱっと選んで手早くショコラに着させると、次にサッと化粧を施し完成だ。
支度が整うと二人は寝室を出てリビングダイニングへと行った。そこには、すでに出掛ける用意を終えたファリヌが待っていた。
「おはようございます、ショコラ様。」
「おはよう!今日は晴れたみたいで良かったわね。ああ、お腹が空いたわ。早く行きましょう!」
すぐに出掛けたいとショコラはそわそわしていたが、そんな彼女の顔を、ファリヌはじっと見ながら何か考え事をしている。
「――…ミエルさん、やり直しです。今日から外へ出る時、ショコラ様にはお化粧をさせないように。」
「ええっ!何てことを…!年頃の女性に何もせず外へ出ろと言うんですか⁉」
ファリヌの指示に、ミエルは当然の事ながら反発した。
「出来るだけ目立たせないためです。」
「お化粧くらい、その辺を歩いている方々もしています!むしろ目立ってしまったら、どうするんですか⁉」
「目立ちません。これで丁度いいくらいです。」
「丁度いいって…!」
シャルトルーズの時からそうだが、街歩きのためにさせる化粧はいつも目立たないようにと配慮した、ごく薄いものにしてある。今日だってそうだ。文句を言われる筋合いはない、とミエルは思った。
化粧一つで、朝から早くも一触即発の状態だ。
「大体、それは何のためにするんです?少しでも“良く見せるため”でしょう?そんな必要が無い、と言っているんです。他に何か?」
「……っ」
論破され、ミエルはぐうの音も出なくなってしまった。しかしまだ、承服しかねるという顔をしている。
「ミエル!私は何も気にしないし、地味なままで構わないわ。支度し直しましょう。」
「そんな、ショコラ様…地味でいいだなんて…。」
…正直、ショコラにとって“化粧”などどうでもいい事だった。それよりも、早く何か食べに行きたい。その事の方が彼女にとっては重要な事だった。
ショコラに促されたミエルは仕方なく折れ、二人はまた寝室へと戻って行った。
『それで地味になればいいんですがね。』
溜息を吐くファリヌの頭には、夕べの食事処での事があった。
「…“絶世の美女”のお陰で、感覚が麻痺しているのは厄介だな…。」
出がけに一悶着起きてしまったが、何とか支度を終えると「家」を出た。
そして近場のカフェに入ると、ショコラはやっと朝食にありついたのだった。
朝食を終え少し休むと、三人は連れ立って歩き出した。まだこの街について何も知らないショコラとミエルは、まず実際に歩いて地理を頭に入れるしかない。
…それを分かっているのかいないのか、二人はきゃっきゃと買い物を楽しんでいる。
ファリヌは道案内というよりも、すでに荷物持ちと化していた。
「ちゃんと…道も覚えろよ?」
「はいはい分かってますって、兄さん!」
「あと、買い過ぎるなよ!」
「大丈夫、大丈夫。」
ショコラもミエルも生返事のように聞こえる。不安だ…。その後もあちらこちらとショコラたちに連れ回され、まだ午前中だというのにファリヌは早くも疲れてしまった。
そして昼時になると、昼食を取るため近くにあった店を適当に選び、入った。
ちょうどピークの時間帯だからだろう、決して大きくはないその店は客で一杯だった。…にも拘らずホールには店員が一人しかいなく、彼女は忙しく動き回っている。おそらくは厨房にも一人の、二人きりで切り盛りしている店のようだ。
これは別の店を探した方が良さそうだ、と三人が出ようとした時、明るく元気のいい声が響いた。
「いらっしゃいませ‼そこのテーブルが空いたのでどうぞ!」
案内されては断るわけにもいかず、そのままこの店で食事をすることになった。
「ご注文が決まったら、呼んでくださいね!」
店員は別の仕事をしながらショコラたちに声を掛けて行った。“ついで”のようにも思える行動だが、快活な彼女には不快に感じさせるものが無かった。そして無駄な動きもなく、仕事振りには目を見張るものがあった。
ショコラたちは渡されたメニューからそれぞれ注文すると、程なくして料理が運ばれてきた。
「すごいわ…こんなに混んでいるのに、早いわね。」
ミエルが感心したように言った。似たような仕事柄、気になったようだ。
…そんなミエルとは違い、やってきた料理に目を奪われたショコラは、我慢できずに早速それを口に運んだ。
「!!美味しいっ!二人も早く食べてみて‼」
ショコラがそう言うと、ミエルとファリヌもそれぞれの料理を口にした。
たしかに、美味しい!屋敷で出されるようなものとは違うが、それはどれも絶品と言って差支え無かった。
「…人手が少なくて混んでいるのかと思ったが…。これは頷ける…!」
「でしょう⁉兄さんのそれも美味しそうねぇ…本当は他にも食べてみたい物が沢山あったんだけど…。」
ショコラは幸せそうにしながらも、少し残念そうに頬張った。
三人が食べ終わり店を出るまで、客は引っ切り無しに入って来ていた。ホールで一人忙しく給仕をしていた彼女は、それでも嫌な顔一つせずに働き、最後まで笑顔で送り出してくれたのだった。
「私、あのお店気に入ったわ!また何度でも来なくっちゃ‼」
店の方を振り返り、ショコラは良いものを見付けたと心をほくほくさせた。
それから三人は、また街へと繰り出して行ったのだった。
――こうしてイザラでの活動一日目は終わった。
翌日から、本格的にここでの生活が始まった。
「――では、今日は私は部屋に残ります。さすがにそろそろきちんと家事もしなければなりませんから。お二人とも、昨日で道はちゃんと覚えましたね?迷子にだけはなりませんように。」
この日から、常に三人一緒の行動というわけではなくなるらしい。ファリヌとミエルは交替で、ショコラに付き添い外へ出掛けたり、部屋に残って家事をしたりと役割分担をすることになったようだ。
今日ショコラは、ミエルと二人だけで出掛けることになった。
「私たち“お店を出すことになった”でしょう?それならやっぱり、カフェとかよね。だから、今日は色んなお店の調査に行きましょう!」
…“設定”に託けてショコラは、要は食べ歩きをしたいらしい。単にそう言えばいいのだが、その“設定”も含めてこの状況を楽しんでいるようだ。
二人は意気揚々と歩き始めた。
大きな店からテイクアウトだけの店まで…一日ではとても回り切れそうにない。それでも片っ端から見てみたいと思ったショコラは熱心に回り続けた。付き添っていたミエルは、このままショコラは公爵ではなく、本当にカフェを開いて店主になりたいと言い出すのではないかと思ったほどだ。
全ての店で何かを食べたというわけではなかったが、いくつも回ればそれなりに口にする回数も増え、二人は昼時になってもあまりお腹が空かなかった。そのため、昼食を取ることにしたのはそんな時間もとうに過ぎた、昼下がりの午後のことだった。
どこへ入ろうかと悩むまでもなく、ショコラの要望によって昨日の店へと行くことにした。
店に着くと、昨日とは打って変わって店内は落ち着いている。
「いらっしゃいませ!お好きな席へどうぞ!」
昨日と同じ、元気のいい声が響いた。
ショコラたちは席に着くが、やはりそれほどお腹は減っていない。そこで二人は少し多めの料理を一つ選び、それを分け合って食べることにした。
…ああ、お腹が減っていなくてもやっぱりここの料理は美味しい…。ショコラがそんな顔をしていたのか、今日も一人で給仕をしているらしい店員の女性が、笑いながら声を掛けてきた。
「お客さんたち、昨日も来てくれたでしょ?見ない顔だけど、旅行の人…じゃないわよね。この辺、観光地なんてないし。」
「はいっ‼私たち、お店を出すために一昨日イザラに来たばかりなんです‼」
ショコラは、ついに“設定”を生かす時が来た!とばかりに前のめりで説明をした。そんな彼女に、店員は少し引いたようだった。
「へえ…そうなのね。あら?そういえば、昨日はもう一人いたわよね?」
「ええ、兄は今日は留守番なんです。」
「“兄”?じゃあ、あなたたち兄妹なの⁇」
ミエルの答えに、店員は驚いたようにショコラたちの顔を見た。言いたいことは分かる。これも対策済みだ。またもショコラは説明をした。
「はいっ私たち、異母兄妹なんですっ‼」
“異母兄妹”などと勢いよく言うショコラに、彼女はまたも少し引いた。
「そうなの…あまり突っ込まないことにするわね…。」
…何だか少し、面接試験のようになってきた。ミエルは、逆に怪しくなっているのではないかとハラハラし始めた。これは、早めに会話を切り上げなければ…!
「…あの、お話ししていて大丈夫ですか?お店の方は…」
「ああ、大丈夫よ。もうすぐ昼の営業が終わる時間だから。ほら、もうほとんどお客さんもいないしね。」
見ると、ショコラたちの他には中年の男性客が一人、厨房にいた店主らしき人物と親しげに話し込んでいるだけだった。
「!もうお店を閉める時間なのね⁉ごめんなさい、私たち急いで出ないと…」
「いいのよ、そんな急がなくても。ゆっくりしてって。」
ショコラが慌てると、昨日と同一人物とは思えないほどのんびりとした声で店員は言った。
「昨日は忙しい時間に来てたからびっくりしたでしょ?ウチは母さんが亡くなってから父さんと二人だけでやってて、昼は毎日あんな感じよ。人を雇おうにも給金はあんまり出せないし…まあ、仕方ないわね。あ!ウチの味が気に入ったならこれからご贔屓にしてね。お得意様は多い方が良いわ!」
そのままの流れで何となく、三人はたわいない会話を続けた。
店員は“カイエ”という名で、歳は本当の姉・フィナンシェと同じ、21歳だそうだ。うっかりショコラが口を滑らせ、「姉さんと一緒ね!」と言ってしまったので、ミエルはここでは21歳という事になってしまったというおまけ付きだ。
そうして少しばかり長居をした後、外まで出てきたカイエに見送られショコラとミエルは店を出た。
「…色んな人生があるのね。」
歩き出したショコラがしみじみと言った。
「もちろんよ。それが、どうかしたの?」
ショコラは立ち止まって、店の方角を見詰めていた。それからしばらく何かを考えていた。
そして思いついたように、顔が輝きだした。
「…私、ここでやりたい事を見付けたわ!!」




