47.新たな地への出発なので、
「おおー、上手く化けたじゃないか!」
オードゥヴィ公爵家の玄関先に、見送りのため出て来ていた父・ガナシュが感心したように言った。
ショコラとその旅に同行する二人の使用人、彼女の執事・ファリヌ、そして専属侍女・ミエルは完璧なまでの“庶民の格好”をしてそこに現れた。
「本当?お父様!この服、とても動きやすいんですよ。私、気に入ってしまったわ‼」
そう言うと、ショコラはくるくると回ってみせたり、腕を動かしたりした。
「ははは。それは、良かったな。…ここに戻って来てからも着られると困るが…。」
ガナシュは少し困ったように笑った。
「ではファリヌ、ミエル、ショコラの事をくれぐれもよろしくな。今回はお前たちだけが頼りだ。」
「はい。肝に銘じ、お預かりいたします。」
ファリヌとミエルは、ガナシュに深くお辞儀をした。
前回シャルトルーズへの旅の時と違い、今回は最小限の荷物だけを持ち三人は馬車に乗り込んだ。
とっくに日も昇りきった時間だというのに、空は薄暗く、曇っていた。
「じゃあね、ショコラ。体には気を付けるのよ。」
「マドレーヌ、大袈裟な…。近いうちに一度帰って来ることになるさ。今回はそういう約束だからね。」
「あら!たとえ三日でも私は言いますわよ。それだけあれば風邪くらい簡単に引けますもの。」
大袈裟と言われようと、母親としてマドレーヌの心配には限りがないようだ。
「ショコラ、また手紙を頂戴ね。待っているわ。」
「フィナンシェも大袈裟な。すぐに帰って来ると言っているのに。」
「お父様ったら、まだいつかは分からないじゃないの!」
「…………。」
妻子にやり込められ、ガナシュは言葉を失った。
「さあ、そろそろ出発しないと遅くなってしまうよ。行っておいでショコラ。」
このままだとなかなか出発できそうにない。見かねたクレムが後押しをした。
「はい、お義兄様。お父様、お母様、お姉様!それでは行って参ります‼」
いつもながらスムーズにはいかなかったが、ショコラたち一行は両親と姉夫婦、それに大勢の使用人たちに見送られ、イザラ領へと向けて出発したのだった。
――…公爵家の立派な馬車の中に、あたかも庶民のような格好をした三人が乗っている。それは、訳を知らない人間にとってはどう見ても異様な光景だ。そのため屋敷の門を出る前から馬車の窓にはカーテンが引かれ、中を見せないようになっていた。
「――では前回同様、今のうちにここで今後の確認をしておきましょう。」
馬車に揺られながら、ファリヌが口を開いた。
「これから通る人目の少ない郊外の道に、これとは別の馬車が用意してあります。そこで一度乗り換えて、本日の宿泊地がある街まで参ります。」
「シャルトルーズの時に使ったような“普通の馬車”ね!」
「そうです。翌日はその宿泊地から、また別の…今度は完全な一般の馬車を使って、次の宿泊地まで参ります。イザラまでは三日ほどかかりますのでそのおつもりで。」
目的地まではまだまだかかるようだ。ただ、シャルトルーズまでは五日かかったことを考えればそれよりはましとも思えた。
そのまま馬車に揺られること数時間、一行はだだっ広い牧草地のようなところの、真ん中を通る道を進んでいた。
「ねえ、そろそろカーテンを開けてもいい?」
外も見えない馬車の中でただ座っているだけの事に限界になったショコラが、うずうずしながらファリヌに尋ねた。
「…まあ、いいでしょう。もう人も馬車もほとんどないでしょうから。」
ファリヌがそう言うや否や、ショコラはカーテンを勢いよく開けた。しかし、外を見た彼女は少しがっかりした顔になった。
「ああ…やっぱり、曇ったままね…。せっかくの出発の日なのに残念。」
どんよりとした空を見上げて呟いた。
「季節柄、仕方ないですわ。でも、街に着くまでは雨が降らないといいですね。」
「そうね…」
それからしばらく代わり映えのしない景色を見続けていると、ある時馬車の動きがゆっくりになり、次第に止まった。その先には、見渡す限り人も建物も見えない場所にぽつんと一台、馬車が停まっていた。
「ここで乗り換えます。ミエルさん、降りる準備を。」
三人はここまで半日ほど乗って来た公爵家の馬車を降りると、今度はその前に停められた何の変哲もない馬車に乗り込んだ。すると公爵家の馬車は、元来た道を戻るのかと思いきやそのまま先へと進んで行ってしまった。
「あれはどこへ行くの?」
「一度オードゥヴィ領まで行って一晩停め、明日王都のお屋敷まで戻るのです。」
「それも目くらましの一つ?…今回は随分と手が込んでいるのねえ…。」
「それもなくはありませんが、御者と馬も休ませねばなりませんから。この馬車も御者は公爵家の者です。彼も次の街で我々を降ろした後、一晩休んで王都へ帰ります。」
感心したショコラは、旅の準備に時間の掛かっていた理由の一端を見た気がした。
「――それで、問題はここからです。よろしいですか?わたくしたちは今、どこからどう見ても、一介の旅人です。これまで通りの話し方をしていたら、異様に見えます。馬車を降りる前、今から言葉遣いは変えましょう。昨日お話しした“設定”は、覚えていらっしゃいますね?」
――今回の旅では前回の反省点を踏まえ、きっちりとした“設定”が作り込まれていた。
まずショコラたち三人は、ファリヌを長男とした三兄妹、という事になった。ただし、三人は当然のことながら全く似ていなかったので、異母兄妹、という設定まで足されていた。これで面倒な追求はかわせるだろう。
その三兄妹は、自分たちの店を出そうとイザラにある大きな街まで出て来て、出店場所などを探すために部屋を借り、しばらくそこに滞在することになった――…というのが、ファリヌがガナシュと共に作り上げた筋立てだった。
「…そんなこと言って、自分はどうなんです?シャルトルーズでは一度も私たちと外歩きしませんでしたから、話し方やら振る舞い方やらの訓練をしていませんよね。ファリヌさんはちゃんと出来るんですか⁇」
ミエルが疑いの眼差しでファリヌを見て言った。
「私ですか?――…私は元来、別にそれほど品の良い人間ではありませんよ。…どう見えているかは知りませんが。」
窓の外を眺めながら、ファリヌは不敵な笑みを浮かべた。
「――では、私が手を鳴らしたら、次の瞬間から切り替えてください。よろしいですね?」
そう言いながらファリヌは手を広げ、馬が驚かない程度の音で一つ、「パン!」と手を打った。
それからまた数時間、夕方になって本日の宿泊地に到着した。その頃になると、ぽつぽつと雨が降り出してきていた。
「ああ、降ってきた…わ…ね?」
馬車を降りたショコラは何の気なしに喋り始めたのだが途中、自分の話し方がおかしくはないか、と急に気になると、その言葉がたどたどしくなった。
「…逆に怪しくなってるぞ、シュクル。」
“シュクル”とは、旅の間使うことになった、ショコラの偽名だ。
「兄さんたら、またそんな意地の悪い言い方して!ねえ、シュクル?」
「大丈夫よ、姉さん。」
…あれから馬車の中では、どうにも気恥ずかしいのか、三人とも黙りを決め込んでしまった。
今もまだ、ショコラとミエルは何となくぎくしゃくしている。そんな中で、ファリヌだけが平然と振る舞っていた。さすがだ、とショコラは思った。
しかしよく考えてみれば、今回の旅の手配はほとんど全てファリヌが一人でしていたのだ。喋り方程度、彼にとっては造作もない事なのは明白だった。
それから近場で夕食を済ませると、三人は宿へと向かった。
「さあ二人とも、ここが今日の宿だ。」
そう言われて着いた場所を見て、ミエルはげんなりとした顔になった。
ファリヌが示したのは、お世辞にも“豪華”とは言えない、庶民的な宿だった。
「こんなところにショ…シュクルを泊めるつもり⁉」
「当然だろ。俺たちは庶民なんだからな。これでも贅沢な方だ。それに…シュクルを見てみろ。」
その視線を追ってミエルが振り返ると…
「わあ!すごい!こんなに趣があるところに泊まれるの⁉私初めて‼」
きゃっきゃとし、ショコラは珍しいものを見た時のわくわくとした顔をしていた。
「しっ。シュクル、声が大きい!静かに。」
「あっ…ごめんなさい。」
口の前に人差し指を立ててファリヌが注意をすると、その後ろを通った他の客がクスクスと笑ってこちらを見ていた。
宿の中に入ると、フロントには接客係が二人だけしかいなかった。片方は別の客の対応をしている。
荷物を任されたショコラとミエルが、決して広くはないロビーにある椅子に座って待っていると、チェックインを済ませたファリヌが一人きりで戻って来た。そしてまた荷物を持つと、自分たちで部屋を探した。
「…ベルボーイもいないなんて…。」
「いるわけないだろ。どこのお貴族様だ。これが普通だ、ミエル。」
「…分かってます!ただのぼやきです、兄さん!」
階段を上がってしばらく歩き、とある部屋の前に着くと、ファリヌはミエルに一つの鍵を渡した。
「それじゃあ、シュクルの事は頼んだ。俺はこの隣の部屋だから。何かあったら来るように。」
「えっ、シュクルと私が同室で、兄さんだけ一人部屋なの⁇」
「…また文句か、ミエル…。」
前回、シャルトルーズへの道中ではお忍びではあったものの、オードゥヴィ家の人間として立派な宿が用意されていた。ショコラはミエルと同室ではあったが大きな部屋に通され、ファリヌの方は一人部屋ではあったものの、確実にそれよりは小さな部屋が当てられていたはずだ。
それが今回、ショコラにはおそらく「普通」の小さな部屋を二人で使うように割り当てられ、ファリヌには同じ部屋が“一人で”使うようになっていた。そのことがミエルには不満だったらしい。
ファリヌは面倒臭そうな顔をして頭をかいた。
「頭を切り替えろって言ってるだろ。…それとも、シュクルに俺の部屋を使わせて、お前が俺と同室になるか?」
「そっそういう意味じゃ…」
「姉さん、私姉さんと一緒でも、一人でも、どっちでもいいわ。」
顔を赤くして慌てるミエルに、ショコラはきらきらと無垢な笑顔をして言った。
「それとも、姉さんが一人がいい⁇それなら私、兄さんと一緒でもいいわよ?」
ショコラの言葉に、ミエルの表情がみるみる青ざめていった。それを見たファリヌは吹き出しそうになるのを堪えながら駄目押しをした。
「…そうだな、俺も構わないが。」
すると、案の定またも慌てたミエルは即断したのだった。
「シュクル、姉さんと一緒の部屋にしましょう!ねっ‼」
「?姉さんがそれでいいなら、いいけど…」
やっとのことで、二人は部屋に入って行った。それを見届けたファリヌは、溜息を吐きながら隣の部屋へと入った。
「――まだ目的地にも着いていないのにこれでは、先が思いやられるな…。」
外では、雨が本降りになっていた。




