44.終わりは始まりなので、
グラスとクレムのフィナンシェを賭けた決闘は、クレムの勝利という形で幕を下ろした。
その結果、グラスは右腕に怪我を負う事となった。
その場に二人きりで残されたショコラとグラスには、沈黙の時が流れていた。
グラスは腕を押さえたまま、うつむいている。合わせる顔が無かったが、逃げることも出来なかった。
「…っ」
「!痛みますよね⁉そうだわ、止血をしないと…」
ショコラがグラスの腕に手を伸ばしかけると、グラスはハッとしてその腕を肩ごと後ろに引いた。
「見てはいけません‼」
「でも、それでは手当てが出来ませんよ?」
グラスは血を見せないようにと右腕を隠して、少し下がった。
「こんなものを見たら、倒れてしまいますよ!」
「傷口の事ですか?」
「血です!団員ならともかく、いつも女性方は訓練で怪我をしたという話をしただけで、皆ふらりとされますよ!」
…それは、グラスの側に寄って行く女性たちによる気を引くための“か弱さの演出”だったのだが、皆一様にそうするためそういうものだと思っているらしい。
「そ、そうなのですか⁉まあ、大変…女性なら、その方々は生きるのに苦労なさっていらっしゃるのでしょうね…お気の毒だわ…」
「え…なぜです…⁇」
「“なぜ”とは…⁇」
「????」
双方の頭上にはいくつもの疑問符が浮かんでいた。
男兄弟育ちと女姉妹育ちでは、会話が今一つ噛み合わなかった。
「とにかく!わたくしなら大丈夫です、倒れません!お気になさらずにさあ、早く!」
「しかし…」
仕方なくショコラは自分から腕が向けられた方へと移動した。
見ると、傷口を押さえた手はもちろんのこと、シャツも赤く染まっている。
「大変だわ、何か縛るもの…。!そうだわ!」
ショコラはいつも自分の髪を結んでいたリボンを解いた。
「手を放してください。少し、きつく縛りますね。」
グラスは大人しく従った。ショコラはその腕にリボンを巻き付けると、加減に注意しながら力一杯縛った。
そして一仕事終えるとふうと一つ息を吐き、手で顔を拭った。
「…これで、少しは出血が抑えられるのではないでしょうか…。」
「ありがとうございます…。!ショコラ嬢、顔に…」
気付くと顔だけでなくその手や服は、手当てをした時に付いた血で汚れていた。
「あら。お屋敷に戻ったら着替えますわ。」
ショコラはけろりとしてそう言った。
「…本当に、大丈夫なのですね…」
「?はい。」
「それに…手慣れているというか…」
「ええ、よく怪我をする子供でしたので、自分でもよく手当てをしていたのですわ。それを見たみんなの方が青くなっていました!」
けらけらと笑いながら、ショコラはあっけらかんと言ってのける。
「だとしても普通は…色々と…気にするものですよ。」
「はあ…。?」
小首を傾げるショコラは何一つ気にしていない様子で、グラスは毒気を抜かれる思いになった。
自分は、何をしているのだろう、と思った。
「――…ハァー…。格好悪いですね、私…。」
「…そうですねえ、格好悪いです。」
「う゛っ…。初めて言われた…」
「あっ!ごめんなさい…」
ショコラはついうっかり同意してしまい、焦った。
その反応に、グラスは自分で言い出した話とはいえ、またしてもショコラの言葉で胸をえぐることとなった。もはやそれは自傷行為に近かった。
「い…いいんです…」
珍しくしおれている姿に、ショコラは何だかグラスが不憫に思えてきた。
たぶん、グラスが決闘に勝利していたとしても、姉の心は変わることが無かっただろうと思ったのだ。
「…あの、侯爵様はどうしてそんなにお姉様にこだわるのですか?」
「え?」
「以前、お姉様が素敵だからお好きなのだとは伺いましたが、“決闘”までなさるなんて…。」
“なぜそこまでフィナンシェにこだわるのか”…グラスはここにきて、よくよく考えてみた。
「どうして?どうして……」
小さい声でぶつぶつと呟き、グラスは内省した。
――幼い頃から、その噂は耳にしていた。「オードゥヴィ公爵家の長女は絶世の美女だ」と。…その姿を初めて見たのは、両親に連れられて行ったいつかの王宮での夜会だった。
それは、噂以上だった。その容姿はもちろんのこと、群がる令息たちに囲まれながらも凛と澄ました様は誰もが目を奪われ、釘付けになった。
自分も、物心つく頃から美男子だと周りからちやほやとされてきた。その日も周囲には沢山の令嬢たちが集まって来ていた。
『――…僕たちは同じだ。』
“彼女の隣に相応しいのは自分なのだ”と、いつしか思っていた。見合いを断り続けるフィナンシェも、同じように考えているのだと、思っていた――…。
それぞれ山ほどの異性に囲まれ、一度も会話を交わしたことも無かった。当然、心を揺さぶられることも無かった。
それでもそんなグラスを突き動かしていたのは、境遇が類似しているという事柄を拠り所にした、純粋過ぎるまでの思い込みだった。
フィナンシェの美しい容姿もたしかに魅力的だった。それで…それで?
それだけ、だった。
「――侯爵様?」
グラスはハッとして我に返った。
「すみません、考え事をしていました。」
「そうですか。」
グラスは空を見上げた。
何か、目が覚めたような気がした。憑き物が落ちたような――…
「…ありませんでした。何も。」
「え?」
「フィナンシェ様にこだわる理由、です。…何だったのでしょうね…。夢を見ていたような…。意地だったのかもしれません。」
「意地…ですか…。」
――それも格好の悪い話だ、とグラスは思った。
すると不意に、ショコラが笑った。
「ふふふっ」
「シ…ショコラ嬢⁉」
ショコラに笑われたと思ったグラスは、胸にとどめの一撃を食らった。
「それでそこまでさせてしまうなんて、お姉様はやっぱりすごいなあと思いました。」
「“フィナンシェ様”が…?」
どうやら、自分の事を笑ったのではなかったようだ。グラスはホッとした。
「あ!でも、意地でそこまで出来る侯爵様がすごいのかしら…どちらでしょうね⁇ふふっ」
グラスの気も知らず、ショコラはにこにことそんな事を言っていた。
「…貴女という人は…ひとの心を乱す天才ですね…。」
「どこがですか?…侯爵様ほどではないと思いますが…。」
他でもないグラスにそんな事を言われるのは心外だとショコラは思った。そして、少しムッとした顔を見せた。
…ショコラの何もかもが、グラスにとっては想定外だった…。
「――…侯爵様は決闘に負けました。これで、お姉様の事は諦めて頂けますね?」
ショコラはきちんと姿勢を正し座り直すと、グラスに問い質した。
「……はい。」
その答えを聞くと、安心したショコラは表情を緩めた。
「――大丈夫ですよ。お姉様ほどの方はそうそういらっしゃいませんが、侯爵様ならば必ず素晴らしい方と出会えます。遠くからお祈りしていますね。」
にっこりと微笑んで、ショコラは言った。
それは、決別の言葉だった。
その瞬間、グラスは後ろから思い切り殴られたような気になった。今までのショコラの言動の刃など、それに比べれば大したことなどないというくらいに…。心臓を大剣で貫かれた方が、余程ましだとすら感じた。
「……胸が……」
「えっ?胸がどうなさいました⁇」
グラスが今度は胸を押さえてうずくまった。
「痛い……」
「ええっ、胸ですか⁉たしかそこは斬られてはいなかったような…」
「苦しい……」
さらには苦渋の表情を浮かべている。ショコラは焦った。
「ど、どうしましょう…侯爵様、しっかり!もうすぐソルベ様が迎えにいらっしゃいますからね、お気をたしかに‼」
「えっソルベ?いえ、私は――…」
「――お待たせしました!兄上‼」
グラスが何か言いかけた時、タイミング悪くソルベが戻って来た。
「……ソルベ‼お前はなぜ来た⁉」
グラスはギッとソルベを睨んだ。
「えええっ僕、何で怒られてるんです⁇…というか、それ今日二度目…」
兄のために急いで手配をして来たというのに、その理不尽さにソルベは納得がいかなかった。不満を募らせていると、ショコラの格好が目に入った。
「あっ⁉兄上もしかして、ショコラ様に怪我の手当てをさせたんですか⁉何てことを…」
「いいえ、これはわたくしが勝手に…」
“無理に手当てをさせた”という誤解はさすがに可哀想だと思ったショコラは、すぐに打ち消した。
「すみません、お手を煩わせてしまって…。後ほどお詫びとお礼に新しい服を贈らせていただきます。」
「‼それは僕がする、お前はいい!」
「…それだけ元気なら大丈夫そうですね。でも、早く帰りますよ!ご迷惑ですからね。それではショコラ様、本日は大変お騒がせしました。失礼いたします。」
ショコラが口を挟むひまもないまま、ソルベはぺこりとお辞儀をするとてきぱきと帰り支度をした。
「あっ待て勝手に…僕はまだ…!」
「問答無用ですよ!」
じたばたとしたグラスだったが、結局はいつものようにソルベに引きずられて帰って行ったのだった。
いつもながらの兄弟のやり取りに呆気に取られながら、ショコラは手を振ってそれを見送った。
「男兄弟って、大変なのねえ――…」
ソルベとグラスは向かい合って、屋敷へと帰る馬車に乗っていた。始めこそぶすっとした顔で座っていた兄だったが、そのうち段々と様子が変わっていった。
「……ソルベ、帰ったらすぐに医者を呼んでくれ。」
「大丈夫です。すでにいつもの外傷医を手配させました。」
「いや、呼ぶのは主治医だ。」
「え?なぜ⁇」
するのは腕の治療のはず。それなのに、体調を崩した時の主治医を呼べとはどういうことなのか…ソルベは訳が分からなかった。だが、よく見ると兄は何か辛そうにしている。
『そんなに出血が多かったのだろうか…?』
「具合が悪いんですか?」
「…胸が痛い…。ここのところしばらく感じていたが、今日は特に酷い…」
「どうして早く言わないんです⁉」
ソルベは焦った。グラスは、苦しそうにぽつぽつと話し始めた。
「今まではそこまで言うほどではなかった…でも、さっき…ショコラ嬢と話をしていたら…。」
「どうしたんです?」
「会うのは最後だというようなことを言われた…」
「はい?」
突然話の趣旨が変わり、ソルベは混乱した。怪我のせいで兄はいよいよおかしくなったのかと本気で思った。
「ええと…まあ、そうでしょうね…必要が無いでしょうから。」
「ううっ…」
「兄上!?」
グラスはさらに悲痛な表情を浮かべた。
「…苦しい…僕はもう駄目かもしれない…。もしもの時は、家はお前に託す…。」
「は⁉えぇ⁇ええ――と………」
ソルベは頭をフル回転させて今までの事を思い返してみた。
…よくよく考えてみれば、ここ最近グラスがおかしくなった事には(いや、大概おかしいことが多いが…)全てショコラが絡んでいた。フィナンシェだけのことでは今まで通り、余裕を見せてそんな事は無かったにもかかわらず…。
これは…要するに…いや、まさか…
「あ…兄上…?もしも、寝込まれたら、お見舞いをお願いしましょうか?…その、ショコラ様に…」
ソルベはだらだらと冷や汗を流しながらグラスに探りを入れてみた。
「……!!」
グラスはその言葉に反応すると、盛大に顔を紅潮させ目を輝かせた。
『当たりじゃないか…‼』
ソルベは青くなった。最悪な事に兄自身はそれに全く気付いていないらしい。
『…まさか兄さん、この歳にもなってそんなことも“まだ”なんてこと…。嘘だろう⁉嘘だと言ってくれ…‼』
「…しかし、それまでもつかどうか…。こんなに苦しいんだ…何か、悪い病かもしれない…」
切なげに言うグラスに、ソルベはどうしていいか分からなかった。
「ある意味、病ですけどね……」
「‼やはりそうか!」
「いや、だからそれはこ…」
「“こ”⁉」
ソルベは言いかけてやめた。「恋の病」だとは、口が裂けても言えなかった。言いたくもなかった。
『…何で22にもなる兄にそんな事教えないといけないんだ‼これは拷問か⁉』
顔を青くしたり赤くしたりと忙しくしながらソルベは頭を抱えた。そしてハッとした。
「とにかく!医者だけは呼んではいけませんよ⁉そんな事したら、グゼレス家の恥になる‼」
「なっ…“恥”だと⁉お前はこのまま兄が死んでもいいと言うのか!?」
「うわあああっ!もうやめてくれ、聞きたくないっ‼これ以上は恥ずかしくて僕が死ぬ‼」
頭を抱えるだけでは収まらず、ソルベは耳を塞いだ。
すると、グラスはソルベを不憫そうな目で見つめて言った。
「…ソルベ、人というのは、恥ずかしくて死ぬことはないのだぞ…?」
諭すようなその言動は、ソルベを無性に苛つかせた。
「〰〰〰だったら……
アンタのも、絶ッッ対死なないよ!!!」
――その馬車からは、ソルベの絶叫がこだましたのだった…。




