42.侯爵様はご乱心なので、
オードゥヴィ公爵家のテラスではいつものごとく、テーブルセットに用意されたお茶でショコラとフィナンシェ、それにフィナンシェの夫のクレムが三人仲良く過ごしていた。
「そういえばショコラ、次の旅がイザラ領に決まったと聞いたのだけど、出発はいつになったの?」
なかなかショコラからの報告がなかったため、しびれを切らせたフィナンシェが尋ねてきた。
「それが…日取りはまだ決まっていなくて。もうしばらく掛かりそうなんです。色々と準備に手間取っているみたいで。ここ数日、ファリヌもお屋敷を空けていますし。」
「そうなの?大変ね。まあ、私はショコラが側にいてくれるからいいのだけど。」
ツンとしながらも、安心したようにフィナンシェはお茶を口にした。
その言動を見たショコラとクレムは、顔を見合わせて苦笑いしたのだった。
いつも通りの穏やかな昼前のお茶の時間。今日この後の予定は何だったかしら、とショコラはぼんやり考えていた…。
すると、何か屋敷の中が騒がしくなってきた事に三人は気付いた。
「何だろう…少し様子を見て来ようか。」
「お義兄様、私が行って来ますわ!」
クレムが立ち上がろうとした時、ショコラがそれよりも先に立ち上がった。
「いいのよショコラ、任せておけば。なにも貴女が行くことはないわ。」
「いいえ、お姉様。いずれ私がこの家の上に立つのですから、こういう時にちゃんとしなければ!」
跡継ぎとしての自覚が芽生えてきたのか、きりっとそう答えるとショコラは小走りで屋敷の中へと入って行った。
「…ショコラも、すっかり“後継者”が板についてきたのね。」
フィナンシェはくすりと笑った。
テラスからすぐの部屋で、どこで騒ぎが起きているのだろう、とショコラは辺りを見回した。
…どうやら玄関の方向らしい。廊下に出ると、今度はそこに向かって歩き出した。
話し声が段々、はっきりと聞こえるようになってきた。オルジュと数人の使用人たち、それにこれは…聞いたことのある声だ。
長い廊下の先の角から、一塊の人影が見えてきた。
「!ショコラ嬢‼」
中心にいた人物がショコラの姿を見付けると、周りの人間たちを振り切ってこちらへ駆け寄って来た。
「グゼレス侯爵様⁉」
それは久々に顔を見たグラスだった。
「お…お久し振りです…。」
「“久し振り”どころではありませんよ‼この数か月、何をなさっていたんですか⁉一度もお会い出来なかったではないですか!!」
『…そんなに経ったかしら…』
今までと違う剣幕に、ショコラは少し驚いてしまった。
グラスを止めようとしていて振り切られてしまった、オルジュを始めとした使用人たちはやっと追いついては来たものの、どうしたものかとその側でオロオロと見守っていた。
「ええと……わたくしは色々とお勉強をしていました。」
「でも、ヴァンロゼ卿のパーティーにいらっしゃっていたんですよね⁉」
「え?ええ…呼んでくださいましたし…」
「ミルフォイユ嬢のところへもいらっしゃったとか‼」
「?はい…体調を悪くされたそうで、心配でしたから…。」
戸惑いながら答えるショコラに、グラスは前のめりで矢継ぎ早に質問する。
「二人とも、わたくしの大事なお友達ですもの。当然ですわ。」
「では、私は!?」
「――…え???“侯爵様”?ぇえと……。
………………………………………
……しり…あい…??」
「“し り あ い”⁉」
長考したショコラが出した答えはそれだった。グラスはひっくり返りそうになった。いや、愕然として膝から崩れ落ちた。
「……よもや、女性にそんな事を言われようとは……」
ショコラとしては、他に答えようが無かったのだが…さすがに少し可哀想な言い方をしてしまったかもしれない、と思った。
「と、ところで、侯爵様は今日は何をしにいらっしゃったのですか?」
話題を変えようと、ショコラがそう聞くと、グラスはハッとしてまた立ち上がった。
「そうだ…、今日は伯爵に用があって来たのです!」
「お義兄様に⁇一体何のご用ですか?…」
グラスがクレムに用とは…全く想像がつかない…。と思いながら喋っていると、その格好に何か違和感を感じた。
「あの…侯爵様…?この後お仕事ですか…?」
「いいえ。今日は休日です。なぜです?」
「侯爵様、いつも帯剣なさっていらっしゃいましたっけ…⁇」
「……………」
グラスは黙って目を逸らしてしまった。怪しいとしか言いようがない。不審に思ったショコラは、このままここを通すわけにはいかないと考えた。
「お義兄様とお会いになりたいのなら、その剣を後ろの者たちにお預けください。お帰りの時にお返しいたします。」
「…それは出来ません。」
「でしたら、ここはお通し出来ません!」
ショコラの意思の方が強く、そんな姿にグラスは少しばかり怯んだが、そのままどちらも引かなかった。引けなかった。
ショコラは、強い目で見て尋ねた。
「…何のために、いらっしゃったのですか?」
「“何の”…?それは――…」
一瞬、グラスはその目的が何だったのか、思い出せなかった。短い間の後、はっとして思い出した。
「もちろん、フィナンシェ様の事ですよ!」
「――フィナンシェが、何ですって?」
「クレムお義兄様!」
振り返ると、少し離れた後ろにはいつの間にかクレムがやって来ていた。ショコラを一人で行かせたことが、やはり気になって追いかけて来たのだ。
「ショコラ、こちらへ来なさい。今その方は不穏な感じがする。」
「ですが、お義兄様…。」
ショコラはまたグラスの方に向き直した。
「侯爵様、お姉様のことはまずわたくしと仲が良くなってから、とおっしゃっていたではありませんか!」
「ええそうです、でも、その貴女と全くお会いすることが出来ないではないですか!これでは埒が明きません‼」
「―――……」
…そう言われてしまうと、ショコラには言い返す事が出来なかった。そもそも、そのつもりではいたので、ついに気付かれてしまったかという思いもあった。
「もはや、それを待ってはいられません。今日、ここで伯爵との決着を付けます!」
「け、決着…って…」
帯剣したグラスの言うその言葉に、ショコラは血の気が引いていく気がした。
「何をしているの?」
そこに、フィナンシェの怒った声が響いた。一人テラスに残されていた彼女までもが、ここへ来てしまった。声だけでなく、その顔もこれ以上になく機嫌が悪そうだった。いくらか会話が聞こえたようだ。
「お姉様!来てはいけません‼」
一番会わせてはいけないと思う人の登場にショコラは慌てた。今グラスは何をしでかすか分からない。彼を止めるべきか、姉を隠すべきか、ショコラは右往左往した。
「――兄上ッ!!誤った事はしないでください‼」
「ソルベ⁉お前はなぜ来た‼」
「それは貴方もですわ、侯爵!」
さらにこの場に、グラスを止めるため追いかけて来たソルベまでもが加わった。言い合いにはフィナンシェも参戦する。
「帰りましょう、兄上!」
「離せッ!邪魔をするならソルベ、お前でも容赦はしない!」
「兄弟喧嘩なら、家に帰ってなさって‼」
……もう、何が何だか分からなくなってきた。混沌として、収拾がつきそうになくなってしまった。ショコラは頭を抱えた。
「――みんな揃っているなら丁度いいではないですか!ここで宣言しよう。私は、今から伯爵に決闘を申し込む‼」
混乱している廊下の中でクレムを指差し、グラスは声を張り上げた。するとその場は一瞬にしてピタリと止まった。
「けっ、とう…!?」
顔を青くしたショコラとソルベが、同時に言葉をこぼした。
「そうです。フィナンシェ様を賭けて!」
「兄上‼それはあまりにも卑怯です!!相手は文民なんですよ⁉冷静になってくださいっ!」
「そんな事は関係ない。戦場では何も言い訳にはならない。お前も分かっているはずだ。」
「それこそ関係ないでしょう‼」
「これは戦いなんだ!さあ伯爵、どうします?尻尾を巻いて逃げますか⁉」
ソルベが何を言ってもグラスは止められない。その勢いのまま、クレムに答えを迫った。
一方のクレムは、その一連の流れをずっと黙って見ていた。そして大きく一つ息を吐くと、ついに口を開いた。
「――…分かりました。お受けしましょう。すみませんが誰か、カネル…私の執事に私の剣を持って来るよう伝えて頂けますか?」
「で、ではわたくしが…」
そこにいた若い使用人の一人が、飛ぶように別館の方へと走り出して行った。
「お義兄様⁉」
「伯爵‼」
どう考えても、こんなものは不当だ。不利でしかない…それが分からないほど、クレムまでもがおかしくなってしまったのか?…ショコラもソルベも、どう取りなしていいのか途方に暮れてしまった。すると…
「……ちょっと、何を勝手に話を進めようとしているの?私はそんな事、認めないわ!!」
怒りで体を震わせながら、フィナンシェがそう叫んだ。そしてそんな事を受け入れてしまった夫をギッと睨んだ。
「あなた、分かっているの?相手はあの、侯爵なのよ⁉」
「ああ、そうだね。」
「何かあったら、どうするつもりなの!?」
「う――ん、どうしようかね。」
困りながら、クレムは笑った。そんな顔を見ていると、フィナンシェは憎たらしく思えてきて涙が込み上げてきた。
「いくら何でも、無謀だわ‼」
「心配してくれるのかい?それは嬉しいな。」
「茶化さないで!!」
フィナンシェはわなわなとして、美しい顔を激しく歪めている。
「…大丈夫。君が望まない結果にはしないよ。約束する。」
そう言って、クレムはフィナンシェの頭を優しくなでた。
「……破ったら、承知しませんわよ。」
「分かった。」
二人は、そんなやり取りを一同の前でしていた。
ソルベは、隣の兄の顔をちらりと見た。変わらず、険しい表情のままだ。
『…あんな光景を見せられて、それでもどうにかなると本気で思っているのか…?あの間にどうやって入れるって言うんだよ…兄さん!』
――そこへ、クレムの剣を持った執事のカネルがやって来た。
「お待たせいたしました、旦那様。」
「ご苦労。では侯爵、どこへ参りましょうか?」
カネルから剣を受け取り、クレムは尋ねた。
「公爵家にはおそらく、練習場のような所は無いのでしょう?それなら…そうだ、たしか庭に林がありましたね。あそこなら多少汚れても問題ないのでは?」
「…オルジュさん、構いませんか?」
「………わたくしが、一切の責任を負いましょう。」
「迷惑をかけて申し訳ないね。」
“決闘”の場所まで、決まってしまった…。
クレムとグラス、それにカネルとソルベは林の方へと歩き出していった。オルジュを始めとした他の使用人たちは、屋敷の中に残っていた。
そして、フィナンシェは動かずその場に留まっていた。
四人の姿はどんどん先へ進んでしまう。ショコラは向こうとこちらを何度も見た。
「――お姉様、行かれないのですか⁇」
「ええ。私は別館へ戻るわ。」
「でも、お義兄様が…」
「…行っても仕方がないわ。貴女も、こちらにいらっしゃい!お茶の続きをしましょうよ。そんな野蛮なモノ、見る事はないでしょう?」
フィナンシェはショコラに、乾いた笑顔を向けた。
「……………」
「ショコラ?」
いつもなら、二つ返事でフィナンシェの言う事をショコラは受け入れていたはずだった。でも、この時は違った。
「…ごめんなさい、お姉様。私、どうしても心配で…。行って来ます‼」
そう言うなり、ショコラは駆け出して行った。
フィナンシェは、ショコラの後姿をただ見送った。それから、静かに別館へと戻って行ったのだった。
穏やかだったはずの一日は、とんでもないことになってしまった…。




