38.祝宴はお仕舞いなので、
子爵となったサヴァランを祝うパーティーから三日、ミルフォイユはまだベッドの上にいた。
「ミル!…よかったぁ…。あの後倒れたって聞いて…でも、なかなか会わせてもらえなかったから…。」
「…大したことはありませんわよ。少し疲れただけ。貴方も毎日毎日、来ることはなくってよ。」
やっとミルフォイユとの面会を許されたサヴァランが部屋へと入ると、彼女はいつも通りの口調で返事をした。薄く笑ってはいたものの、やはりまだ少し元気がないようだった。
サヴァランは、ミルフォイユがいるベッドの側に置かれた椅子に腰掛けた。
「それで?首尾はどうでしたの?」
「う、うん。あの時、ショコラ様をダンスに誘おうとしたら――…」
サヴァランはあの日の事をミルフォイユに話して聞かせた。
「――そう、ようやく出発点に立てましたのね。本当にとろいこと。
…それにしても、貴方がショコラ様をホールから連れ出すだなんて、随分大胆なことが出来たものだと思っていたら、そういう事でしたのね。…ふふっ、食べ過ぎで気分を悪くしてしまうなんて…あの方らしいですわ。やっぱり面白い方!」
話し終わるとミルフォイユが楽しそうに笑ったので、サヴァランは少しほっとした。
「その事がバレたら“執事に怒られる”って、心配なさっていたよ。」
「ふふふっあはははっ」
――和やかな時間が流れていた。
しかし、それを苦々しく見守っていた者がいた。
「お嬢様、また少しお休みになりましょう。」
不意に、側に控えていたメラスが二人に声を掛けた。
「もう少しいいじゃない。」
「まだ無理をなさってはなりませんわ。お疲れにならないうちに…。」
不満そうなミルフォイユと、それを心配する専属侍女とが軽く押し問答のようになっている。サヴァランは座っていた椅子から慌てて立ち上がると、帰り支度を始めた。
「そ、そっか、そうだね!気が付かなくてごめん!また来るよ。――そうだ、ちゃんと元気になったらさ、また二人でショコラ様に会いに行こうよ。ミルとも話をしたいようだったから。じゃあ。」
「あっ…」
去って行くサヴァランを、ミルフォイユはベッドの上から見送った。
「もう!メラスったら…。もう少し大丈夫でしたのに。」
「そんな事はございませんわ。あのままショコラ様の話ばかり聞かされていたら、お嬢様のお身体に障ります。」
「昔からなのだから慣れろと言っているでしょう?もういいわ!」
へそを曲げたミルフォイユは、ベッドに潜り込むと向こうを向いてしまった。
「わたくしの事はおじ様の耳にも入っているのでしょうから、“こんなに体の弱い嫁はいらん”と早々に婚約破棄になるかもしれませんわね!そうすればサヴァランの仕事がまた一つ減りますわ。わたくしってなんて有能!」
「そんな、お嬢様…」
ひとしきり悪態をつくと、ミルフォイユは目を閉じた。
「…妙な気遣いなど無用よ。」
―――同じ頃、オードゥヴィ公爵家には束の間の日常が戻っていた。
ここ数日、シャルトルーズ領から屋敷に戻って来てからのショコラは、ヴァンロゼ伯爵家のパーティーに出席するための準備で忙しかったが、それも一段落した。
次に行く予定の本格的な旅には、まだ少し時間がかかるらしい。それでも次期公爵候補として、他にも勉強しなければならないことが山ほどあるために、暇な日々を過ごしている訳でもなかった。
特に、パーティーでの失態は、サヴァラン以外にばれる事はなかったものの、後でファリヌに事情を聞かれた時には案の定、お説教を聞かされる羽目になった。そのため、それに関連した振る舞い方やら作法の勉強まで追加されることになったのだった。
「――それでファリヌ、この間提出させた旅先のリストについてだが、最終的に場所は決まったのか?」
ガナシュの部屋には、ファリヌが呼び出されていた。
「はい。見当は付けました。」
「そうか。では聞こう。」
ファリヌはガナシュのデスクの上に地図を広げた。そしてその上のいくつかの地点を、まずは指し示した。
「…こちらとこちら、それにこちらが不穏な事案のあった地域です。それと、こちらと…この辺りでも確認されているようです。ご覧になってお分かりになる通り、東側地域に多いことが明らかでございます。そのため、リストにも挙げました通り、西側地域を予定しております。」
次にファリヌは地図の正面左側に目線を移した。
「今回は知人のいない本格的なものの初回となりますので、市民に紛れ込むためにも出来るだけ大きな街が良いと考えます。小さなところでは目立ち過ぎる懸念がございますので。」
「滞在期間も長めを予定していたな。たしかに、大きい所ならば人の出入りにも寛容だろう。」
「はい。ですが、大き過ぎる所は大貴族の領地である事が多く、身元が知られる可能性がございます。そこで今回選定いたしましたのは、こちら…イザラ伯爵領でございます。」
ファリヌが指し示したのは、地図上を十字に切った左上の中ほどだった。
「ほう…イザラか。まずまず栄えている領地だな。おまけにうちとはあまり親交もない。もしも街中で伯爵と遭遇しても、恐らくオードゥヴィ家の娘とは気付かれないだろう。悪くない選定だ。」
「恐れ入ります。」
「では準備に取り掛かろう。ジェノワーズ、方々への連絡を。」
「かしこまりました、旦那様。」
ガナシュは後ろに控えていた執事に指示を出すと、てきぱきと動き出した。それを見たファリヌは慌てて口を出した。
「旦那様、それはわたくしがいたします。」
「もちろん、主なところはお前にやってもらう。私の方でも、色々とせねばならん事があるのだよ。」
「…そうでございましたか。失礼いたしました。」
軽く頭を下げたファリヌは、ガナシュの「色々としなければならない事」とは何だろう…と思ったものの、それ以上追求することはやめた。
「ああ、そうだファリヌ!言うのが遅くなったが、次の旅では行ったきりにはさせない予定だ。シャルトルーズへの慣らしの件で思い知ったが、やはり期間中ショコラを一切人前に出さないのは、良からぬ噂を立てることになる。そこで最低限の夜会へは出席させようと考えている。そうすればあの子はずっと屋敷にいるものだと、いい目眩ましにもなるしな。途中で知らせを送ることになるだろうから、そのつもりで。」
「はい。承知いたしました。」
「――ショコラ!お茶にしましょう?」
護身術の稽古をしていたショコラに、フィナンシェが声を掛けた。そろそろそれが終わる時間だった。
「はい、お姉様!」
身なりを整えてテラスへ行くと、すでにお茶の用意がされフィナンシェが席に着いて待っている。ショコラも早速席に着くと、姉妹水入らずでお茶を始めた。
「今日は先生に褒められたんですよ!段々上達してきましたねって。」
「それは良かったわ。…あら?手に怪我をしているじゃない!」
そう言われて右手に目をやると、甲にちょっとしたかすり傷があった。
「本当だわ。気付きませんでした!稽古中、転んだりすることもあるのでその時のものかもしれませんね。でも、大丈夫です。痛くはありませんから。」
傷を見せながら、にこりと笑ってショコラは答えた。それを見て、フィナンシェはやれやれと溜息を吐きつつ笑った。
「だけど、後で薬を付けておきなさい。せっかくの手に跡が残っては大変だわ。」
「分かりました。――あ、そういえば、小さい頃私が怪我をすると、いつもお姉様がおまじないをしてくださいましたね。」
「そうだったわね。懐かしいわ。ふふっ貴女、走り回ったり木に登ってみたり、意外にお転婆だったものね。」
二人は昔のことを手繰りながら、あれやこれやとショコラの怪我にまつわる昔話に花を咲かせた。
「…そうだわ…私も一度、人におまじないをしたことがあるんです。」
「貴女が?一体誰に⁇」
「う――ん…覚えていません。すごく小さかった頃だったと思うので…」
「まあ、誰なのかしら。その羨ましい相手は。私だってショコラにしてもらったことはないのに!妬けてしまうわ。」
「ふふっお姉様ったら。」
お茶の時間も終わりに近付いて来た。取り留めのない話ついでに、ショコラはフィナンシェに尋ねた。
「お義兄様は明後日にはお戻りになるのでしたっけ?」
「ええそうよ。」
クレムは仕事のために数日前から、またヴェネディクティンの領地へと行っていた。
「お忙しいですね。お寂しくありませんか?」
「まあ…。でも仕方ないわ。それに!今はショコラがいるんですもの。寂しいわけがないわ!」
“寂しくないか”に対し、以前なら間髪入れずに「そんなこと、あるわけがないわ。」と答えていたはずのフィナンシェが変わったものだ、とショコラは思った。少し寂しいような気もしたが、微笑ましく感じていた。
「…そうですか。それじゃあ、お戻りになったらまた一緒にお茶をしましょうね!」
「そうね。」
それは、穏やかな日だった。空には程よく雲が流れていた。
明日も晴れそうだ、とショコラは思った。




