32.久々の我が家なので、
ひと月ぶりに、ショコラは王都にあるオードゥヴィ公爵家の屋敷へと帰って来た。
「みんな、只今戻りました!」
「ショコラ‼お帰りなさいっ!ああ、会いたかったわ!!」
ひときわ熱烈な出迎えをしたのは、言うまでもなく姉のフィナンシェだ。ショコラはぎゅうっと抱きしめられながら、義兄がしばらく屋敷を空けていたとしてもここまでの歓迎はしないのだろうなと思うと、少しクレムに申し訳ない気持ちになってしまった。
「私もお会いしたかったです、お姉様!」
「二人とも、そのくらいにして早く中へ入りましょう。ショコラ、お兄様たちはお変わりなかった?」
「はい、お母様。みんなに宜しくとおっしゃっていました!」
父と義兄は仕事で留守にしていた。母と姉と共にリビングへ行くと、お茶をしながらまずは一休みだ。そして土産を広げつつ、ここひと月のことを話して聞かせた。
シャルトルーズに着いた次の日に国王一家と謁見した事、ベニエと一緒に遠乗りをしてだいぶ乗馬が上手くなった事、街にある店々はみんな小さくても同じ物が沢山並んでいて面白かった事…話は尽きない。
始めのいくつかは手紙にも書いてあった事だったが、ショコラの口から直々に聞くのはまた一味違ったものがあるのだろう。すでに知っている話も、フィナンシェはずっとにこにことしながら聞いていた。
「私、生まれて初めて自分でお買い物をしたんです!すごいでしょう⁉」
「まあ、お買い物を?私も向こうにいた時からした事はないわねえ。」
「お母様はシャルトルーズ家の娘だったんですもの。仕方ありませんわ。私はただの女の子になれたから、出来たんです。」
そして土産の中から一つ取り出し、フィナンシェの方に差し出した。
「これが、私が初めて一人で選んで一人でお会計をした物です。最初の一つはどうしても、お姉様へのお土産にしたくって…受け取ってください。」
フィナンシェは声も出さず、震える手でそれを受け取った。そして手が震えたまま、そっと包みを開いてみた。中には綺麗なガラス細工の髪飾りが入っていた。
「あのっ、それは宝石ではなくてガラス細工なんです…ですから、外出なさる時には使えないと思うので申し訳ないのですが…。お屋敷にいる時にでも使ってくださいね!」
フィナンシェは手に取り、それをまじまじと見た。
姉はまだ何も言葉を発していない。やはり、あのフィナンシェに贈るのにガラス細工ではいけなかったのだろうか…。
「……なんて綺麗なのかしら…」
フィナンシェの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それのなんと美しいことか…
「こんなに綺麗なもの、どの宝石も敵わないわ。何てことかしら…また、宝物が増えてしまったわ…!」
そう言って、胸の前でぎゅっと握りしめた。
…よかった。喜んでくれていた。ショコラはフィナンシェのその姿を見て、ほっとした。と同時に頭の片方では、ミエルに渡した時と同じような反応なのに、二人の表現の仕方は少し違っていて面白いと感じてもいた。
「ねぇショコラ、私には?私には何かないの⁇」
深く感動しているフィナンシェを見てウズウズとした母・マドレーヌは、待ちきれなくなって思わず身を乗り出した。
「もちろんありますわ!あとお父様とクレムお義兄様にも!他にも沢山あるんですよ‼」
そしてショコラは、フィナンシェへの土産とは別の機会に買った包みを手に取り母に渡すと、あとは特定の相手に用意した物ではないものの包みを開いていった。
夜になり、ガナシュやクレムが帰って来ると、ショコラの無事の帰還を祝い久々に本館で皆が揃っての晩餐をした。
ここでは昼間留守だった父たちに向けて土産話をすることになったのだが、その内容はフィナンシェたちに話したことと重複しているにも拘わらず、ショコラの話はどんどんと花が咲いていくのだった。
「そうか。充実していたようで良かった。」
「ええ、とっても‼早く本格的な旅に行きたくなりました。」
「ファリヌとミエルもご苦労だった。」
笑顔でそう話すショコラ越しに、ガナシュはダイニングの壁際に立っていた二人を労った。しかし、ファリヌとミエルは顔を曇らせた。――…二人には、まだ仕事が残っていたのだ。
晩餐も終わり、それぞれが部屋へと戻って行ったあと、ファリヌとミエルは報告のためガナシュの部屋を訪れた。
「分かった。報告ご苦労。引き続き頼む。」
「えっ…それだけ、でございますか⁇」
「?ああ、そうだ。以上だ。」
二人の報告とは、主に、外歩きでミエルが何度も感じた妙な視線についてだった。それなのに、ガナシュの反応はまさかと言うほどにあっさりとしたものだった。
「い…今の報告をお聞きになられましたよね⁉」
「もちろん聞いていた。」
「それでは今後のショコラ様の旅についてなど、何かございますでしょう⁉」
「今回、他には何も無かったのだろう?ならば特に言う事はない。旅についても変更はなしだ。」
「ですが…っ!」
あのガナシュがこんな事を言うとは…ファリヌには信じられなかった。
「ファリヌ!旦那様の決定に不服なのですか?立場をわきまえなさい!失礼ですよ。」
「……はい。申し訳ございませんでした。旦那様…。」
ガナシュの斜め後ろに立っていた執事のジェノワーズが、ファリヌをぴしゃりと叱りつけた。ファリヌは納得ができなかったが、従うしかなかった。
「それで、旅先の候補地はどうなった?」
「…はい、既にいくつかに絞られました…。」
「では後でリストを持って来てくれ。私の方でも調査をしたい。」
「かしこまりました。」
次にガナシュは“視線の件”についての説明以外、黙って成り行きを見守っていたミエルの方へ目を向けた。
「ミエル、ショコラから聞いていると思うが、近くヴァンロゼ伯爵家の祝いの場に招待されている。当日は特に念入りに!支度をするように。」
「はい。――煌びやかに飾り付けたお姿を印象付けるように、という事でございますね?」
「そうだ。分かってきているじゃないかミエル。それなら心配はなさそうだ。今回主役はご子息だからね。婚約者殿には申し訳ないが、遠慮する必要はない。思い切りやってくれ。」
「はいっお任せください!」
話が終わると、期待をかけられやる気に満ち溢れたミエルと今一つ納得しきれない表情のままのファリヌは、揃ってガナシュの部屋を出て行った。
「…ファリヌは、まだ不満そうでございましたね。よろしいのですか?このままで。」
「構わん。それに、警戒心が強いのはこの先むしろ都合がいいだろう。」
「――…おかしいと思いませんか?シャルトルーズ伯爵といい、旦那様といい――…。危機感があまりにもなさすぎる。」
廊下を行くファリヌは、思わずミエルにそう問いかけた。
「うーん…でも、旦那様のことですから何かお考えがあるのでは?」
「…だといいのですが。」
翌日は一日ゆっくり休む…ことはできず、帰って来て早々、ショコラは次の準備を始めなければならなかった。近々行われるサヴァランのパーティーのため、身に着ける品々を新調することになったからだ。頭の先から足の先まで、採寸やら何やらで朝から大忙しだ。
「ショコラ様、仕立て屋がいらっしゃいました!」
「お披露目の時もここまではしなかったのに、今回はずいぶんと気合が入っているのね?」
今度のパーティーは大きな夜会とは違い、主にヴァンロゼ伯爵家に所縁のある者たちを集めたささやかなものらしい。ただ、ささやかなとは言ってもヴァンロゼ家は旧王族の系統。それなりの規模ではあるだろう。
「そうですね。あの時は旦那様の計画の下、十分目立つよう計算されていたようですから。今回は旦那様はいらっしゃらないのでショコラ様お一人でも目立つように、との事だそうですわ。」
それともう一つ――…支度に力を入れるのには、ショコラが人前から姿を消した、という事で「次期公爵(候補)」として何かあったのではとの良くない噂が立っていたためだった。思い切り手をかけた姿を見せる…。公爵家にとって大事な人間であるという事を知らしめるにはそれは必要な事だった。
「そう。それじゃあいつも通りミエルたちに任せて、私はお人形さんになっているわね。」
「ふふっかしこまりました。これが終われば、今日はゆっくり出来ますから。」
「本当⁉何をしようかしら…そうだわ、久しぶりにお庭の芝生の上でごろごろしたいわ!」
「まあ、ショコラ様ったら…。」
そして一連の流れが終わるまでじっと我慢していたショコラは、それから解放されるとあの宣言通り庭へとまっすぐに走って行き、芝生の上にごろりと寝転がった。
“公爵になる”と決めてから忙しく過ごしてきたショコラだったが、束の間の休息だ。シャルトルーズでは一日だけ熱でダウンし寝込んだが、あれは療養であって休息ではなかった。
仰向けになってぼぅっと、流れる雲を眺めた。吹く風はシャルトルーズの方が爽やかだったように感じるが、ここでは何だか落ち着く気がする。こんなにぼんやりと時間を過ごしたのはいつ以来だろう…。
『――明日からは、またしばらくお屋敷の中でお勉強の続きをしなくちゃ。
それに…サヴァラン様のパーティーが、実質、私の次期公爵候補としての初舞台になるんだわ。後ろ盾がない中で、一人でしっかりと振る舞わなくては…!』
それからひと時だけ、ショコラは目を閉じた。




