31.帰ることになったので、
「そうか。長いようで短かったね。ショコラ、どうだったかい?ちゃんと慣らしは出来たのかな?」
「はい、伯父様!ここへ来て、とても有意義に過ごすことが出来ましたわ。」
伯父一家との晩餐の席で、ショコラは父からの手紙の内容と近々屋敷へ帰る事を皆に伝えた。
「まあ…寂しくなるわねえ。うちならいつまで居てくれても良かったのに。」
「そうだよ!もっと居たらいいよ、ショコラ姉様!」
「公爵が帰って来るようおっしゃっているんだから、仕方ないさ。」
晩餐の席は少し、しんみりとしてしまった。
「またいつか必ず遊びに来ますわ。そうだベニエ、もうすぐ寄宿学校へ入るのでしょう?それならその前に、今度は貴方が公爵家へ遊びに来たらいいわ!まだしばらくはお姉様もお屋敷にいらっしゃいますし、きっと喜ばれるはずよ。」
「――うん、分かったよ。…って言っても、フィナンシェ姉様の前に立つと、何か緊張しちゃうんだけど。」
ベニエはぺろりと舌を出して言うが、絶世の美女を目の前にすると一丁前に照れるような歳になったようだ。
「ふふっ大丈夫よベニエ。それは普通の反応だわ!」
しんみりとしていたダイニングだったが、最後には笑いが溢れていた。
さてショコラ一行が帰ることになり、ミエルは「あの事」をファリヌに報告しておかなければ、と思い立った。
「“妙な視線”⁉それはいつです!」
「…初めに感じたのは、外歩きの初日です…。」
ファリヌは呆れてなかなか言葉が出て来なかった。…当然と言えば当然のことだが…
「――…っなぜ、そんな重大な事を貴女は……今まで黙っていたんですか!」
「それは…私の気のせいかもしれないと思って…。過敏になっていて、こちらの方向を見る視線を勘違いしたのかと…あれだけ人が沢山いましたから。それに、周りをきちんと確認もしました!でも、おかしな人物は見当たりませんでしたよ⁉」
眉間に皺をよせ、ファリヌは深く溜息を吐いた。
「これは、我々だけの問題ではありません。まずはカヌレ様にお伝えしなければ…貴女も来てください!」
二人はシャルトルーズ伯爵であるカヌレの元へと急いだ。ミエルの感じた視線がショコラ自身を狙ったものである確証はない。不特定を狙っていたとするのなら、それは領地の治安問題にも関わる。
カヌレの執事に事情を話し、取り急いで面会した。
「う―――ん?不審者の情報は、私のところに上がってきてはいないなあ…。しかし、このご時世だからね、とにかく警備隊に指示は出しておこう。連絡感謝するよ。」
手短に済ませたのでごく短い面会で終わり、ファリヌとミエルはカヌレの部屋を出た。元々治安に自信があるからなのか、カヌレはあまり深刻には考えていないようだった。
その反応には少々拍子抜けしながらも、ミエルに対してのファリヌのお説教はこれからだ。
「お屋敷に戻ったら、今度は旦那様にご報告しなければなりません。その時も同席して貰いますよ!」
「はい…。」
「もしかしたら、この先旅は中止になるかもしれませんね…!」
廊下を行くファリヌの歩調はかなり早い。ミエルは小走りでそれに付いていかなくてはならなかった。
「…もし相手が手練れだったら、どうするつもりだったんです?姿が見えないのは、上手く隠れただけだったとしたら!」
「その時は、私が身を挺してでもショコラ様をお守りするつもりでした‼」
「一人とも限らないんですよ?貴女だけで守り切れますか⁉」
「………すみません…。」
ミエルは、かなりしゅんとしてしまったようだ。ファリヌの言っていることは正論だったが、さすがに強い調子で言いすぎてしまったか…。
ファリヌは立ち止まってミエルの方に振り返った。
「――…身を挺してと言いましたが、そんな事をショコラ様は望まれますか?ショコラ様がご無事で、自分も無事でいられる方法を考えなさい。
とにかく、これからは何かあればすぐに報告をする事。いいですね?」
「…はい…。」
「……ル、ミエル、ミエル!」
「あっ…すみません、何でしょうショコラ様?」
ショコラは、寝支度を手伝っていたミエルの元気がないようなので声を掛けてみたのだが、やはり彼女は心ここにあらずだったらしい。
「どうしたの?さっきから深い溜息を吐いているけれど…。」
「も、申し訳ありません。失礼なことを…。」
「また、ファリヌと何かあったのね。」
ショコラの専属侍女となってから、ミエルが落ち込む要素と言えばそれしかないわけで…
「…わたくし、お屋敷に戻ったら専属侍女を解任されてしまうかもしれません…。」
「ええっなぜ??」
「最近ファリヌさんに怒られるような事ばかりしてしまって…いえ、最近だけではありません。失敗ばかりですわ。もう相当呆れて嫌われているでしょうから…。」
そう話すミエルの空気は重かった。これはショコラが思ったよりも、悩みは深刻だったようだ。
「そんな!ミエルはよくやってくれているわ。それなのに解任だなんて…。失敗なんて誰でもするわ!取り返したらいいのよ。それも許さないのなら、私がそれを許さないわ。」
「ショコラ様…」
「私、専属侍女はミエルでなければ嫌よ。それにファリヌだって、好き嫌いで動いたりしないわ。信用できない相手に主人を任せて外出させたりしないでしょう?」
必死になって、ショコラは捲し立てるようにミエルを諭した。
「……………。」
ミエルは深呼吸をして、考えた。たしかに、ショコラの言う通りだ。職を解くとまでは言われていない。まだ取り返せるのだ。一人で考えているとどうにも凹んで心が弱って、悲観的になっていた。
気付くと、不安そうに、心配そうにショコラがミエルの顔を覗いていた。
「……そんなお顔をさせてしまって、申し訳ありません。主人に愚痴をこぼすなんて、それこそ侍女失格になってしまいますわね。わたくし、引き剥がされるまで誠心誠意、ショコラ様にお仕えいたしますわ!」
やっとミエルの表情が緩んだ。ショコラはそれを見てほっとした。
「…たまには貴女も愚痴を言ったっていいのよ。私のものも聞いてほしいもの。これはファリヌには内緒!よ?」
次の日、王都へ帰るための荷造りをした。…と言っても、もちろん主に作業をしたのはファリヌとミエルだったが…。
その合間を縫って、惜しむように屋敷の近くを散歩した。ショコラとしては、もう一度街へ行ってみたかったのだが、時間的にその余裕はなかった。
『次に来る時はきっと、もう街へは行けないわね…。ちょっと残念だわ。』
日が傾き、伯爵家から見る夕方の景色も見納めだ。真っ赤に染まる空と、段々と暗くなっていく山々に湖は黒く変わり、少し恐ろしささえも感じる。だがそれすらも美しかった。
「―――それではカヌレ伯父様、クラフティ伯母様、ベニエ、それに使用人の方々、大変お世話になりました。」
馬車の前で、ショコラは見送りに出て来た者たちに挨拶をした。
「ああ、公爵やマドレーヌに宜しく。気を付けてお帰り。」
「公爵様になるお勉強、頑張りなさいね。その報告を楽しみにしているわ。」
「ショコラ姉様、今度は僕がそっちに行くから待っててね!」
来た時と同じように、今度は去って行く馬車に向かって、見えなくなるまでベニエは大きく腕を振り続けていた。
「…行ってしまったなぁ。本当に寂しくなるね。」
「そうねえ。うちももう一人、子供がいればよかったわ。」
「ははは」
ガタン、ゴトンと馬車に揺られ、ショコラ一行は帰路に就いた。
市街地を抜けると、ショコラはそっと窓のカーテンを開けた。これで本当に、毎日眺めていた湖や山脈ともお別れだ。次はいつ来ることが出来るか、分からない。だからよく目に焼き付けておこう、と思った。
来た道を戻って行くのは、全てが巻き戻ってゆく感覚にも似ているような気がした。
しかしショコラは、自分がここで得たものは決して巻き戻る事はないのだと、静かに感じていた。




