どうしたらいいのか?
植竹義弘は埼玉県上尾の工業高校を卒業し、『Togenezumi』という神奈川県にある会社に就職した。
『Togenezumi』は家具を作るメーカーの一つで、最近はネット販売などから力を少しずつつけ始めている中小企業の一つだった。
何故…埼玉にある企業に就職しなかったのか…。
実家から通える範囲の方が良かったのではないか…。
そんなことを言われることもある。
義弘が答えに困っていると相手は勝手に『その会社にやりたいことがあるのか?』と聞いてくる。
はっきり言って大きなお世話だ。
やりたいことなんかない。
仕事などどんな仕事でも良かったのだ。就職さえできればなんでもいい。
義弘としても実家から出ることは想定外だった。
しかし、ある意味それもいいのかな…と思うところもあった。というのは実家にいれば両親があれやこれやとうるさく詮索してくる。
仕事を決めるときもそうだった。
何の仕事がしたいんだ?
将来のビジョンはあるのか?
卒業まで時間はないぞ。
分かるわけがない。
昨日まで中学生だったんだぞ。
何も考えずに勉強ばかりしていたんだぞ。
いや…その勉強もしっかりしていなかったから県内のそんなに学力の高くない工業高校に進学する羽目になったのだが…。
そして勉強をしなかったから大学にもいけなかったわけだ。
せめて勉強だけはちゃんとしておけばよかったと義弘は思っている。
ただ…振り返って考えると勉強が好きだったか否かと問われると間違いなく否だろう。
勉強に意義を見出せないと言ってしまえば少し理屈っぽく聞こえるかもしれない。
簡単に言えば勉強が楽しいと思った事はない。
数学にしても英語にしても理解できないからやっていてつまらない。
唯一、国語と社会はできた。
国語は読書の習慣があったから、苦にならなかったし、社会は暗記すればよかったのでそんなにつらくなかった。しかし他の教科は違う。
まったくもって何が何だか分からない。
いつぐらいから分からなくなったのか…と言われると困るが、義弘が思い出すに小学校の時点で学校と言う場所に慣れるようなことはなかったような気がしている。
今まで好きなことをして興味のあることに集中していてもだれも何も怒らなかったのに、学校と言う場所に行くようになってからは自分の興味のあることだけに集中すると怒られる。興味のない話も強制的に聞いていなければならない。
みんなと同じことをしていないと変にみられてしまう。
それが苦痛だった。
この苦痛にようやく慣れてきたのが、中学に入る直前ぐらいだった。
小学校から中学校への進学が義弘にとってはまた苦痛の種だった。
ようやく慣れた小学校での生活と違うことを中学ではさせられる。
そして気が付けば友人たちは自分とは違うものに興味を持ち始め、今まで一緒になって夢中で見ていたアニメも見なくなってしまっていた。自分だけが周りと違うということに、義弘自身は何も感じなかったが両親、姉、妹、友人たち、先生…つまり周りは許さなかった。
普通はそうじゃない。
常識がない。
というような言葉をしょっちゅう言われていた思い出がある。
自分を周りに合わせるのは苦痛だったが、周りがそういうなら仕方ない。
そう思って義弘は中学3年間を過ごした。
ようやく学生生活に慣れたのである。
そんな中学生活だったから勉強もうまくいくはずがない。
それでろくに勉強もできなかった義弘は県内のあまり程度の良くない工業高校に通うことになったのである。
高校3年間はそれなりに楽しかった。
ようやく、周りに合わせるとはどういうことか、その中で自分らしくあるのはどういうことかが分かり始めたからである。
それが分かった頃に…高校の3年間を終え…卒業が近くなった。
将来どうするのか?
今…それを聞かれても分からない。
大学の4年間で考えようか?
親から大学進学の話をされた時には、それも少し考えた。
ただ…どうせ4年後には同じことを考えなければならないのだ。
結局、4年後には社会のルールを知らなければならない。
小学校や中学校での暗黙のルールがあったように、社会にも暗黙のルールがあるのだろう。
それを覚えるのは早い方がいいのではないか。
そう思ったら安易に大学に行くとも言えなかった。大体、義弘の行ける大学ときたらせいぜい地方の三流大学がいいところで、そんなところに行ったところで目的意識もない義弘が何かを見つけられるわけもない。それに地方に行くと言うことは実家を出て一人暮らしをするということだ。
学業のほかにアルバイトもしなければならないだろう。
仕送りの話はしなかったが、正直、それをこちらから言い出すのは気が引ける。
それで義弘は大学進学はしなかった。
毎日…
どうするんだ?
何がしたいんだ?
将来どうするつもりなんだ?
と高校3年の秋ぐらいから言われ続けたのにはもううんざりだった。
そんなものは分からない。
こっちはようやく学生生活に慣れてきたのだ。
13年かけてようやく慣れてきたのに、また新たに変わらなければいけないのだ。
そんな簡単にこうします、と言えたら何もこんなに悩まない。
それにしても…どうして親はそんなことを聞くのだろうか。
そもそも自分の時はそんなところまで考えて行動してたのだろうか。
否。
絶対にそこまで考えていないはずなのだ。
そう思った義弘は片っ端から企業の面接を受けた。
どうせ大企業になれば自分のような高卒の人間を採用するようなところはないだろうから、中小企業でそこそこ給料も出してくれそうなところを選んだのだ。
仕事内容などどうでも良かった。
自分ができそうな仕事ならなんでもいい。
これと言ってやりたいことなどないのだから、言われたことをきちんとこなせればそれでいいのだ。
3社受けたが…じつは『Togenezumi』は1社目だった。
会社が神奈川にあることは求人シートをよく見ていなかったから気づかなかった。
求人シートは仕事の内容と、勤務時間と休み、それから給料しか見なかった。
勤務時間は9時から17時。
休みは土日祝日は休み。夏季休暇と年末年始はお休み。
これならいいだろうと思った。
企業理念などは一切見ていない。
面接に行く時に初めて気づいた。
上尾から横浜まで、電車で片道2時間半。
通勤できない範囲ではないが、始業の9時に間に合うためには6時前には家を出なくてはいけない。
起きるのは何時だ??
そう考えたら気が遠くなった。
面接を受けた帰りに義弘ははっきりこう思ったことを覚えている。
『ここはたとえ採用されてもパスだな…』
2社目の面接を受ける前に会社から電話がかかってきたのは驚いた。
『採用ですよ。よろしくお願いしますね。』
『あ…ありがとうございます。』
今回は辞退します…と言いかけたときに電話の向こうで『そういえば自宅から当社まで距離がありますけど、どうしますか?通勤しますか?それとも寮ということでアパートを借りることもできますよ。』
『アパート…ですか?えーと家賃は…その…』
義弘がそう言ったのには訳がある。
実は姉の喜久子の会社が同じように会社の寮扱いでアパートを借りてくれるらしいのだが、それは名義が会社になるだけで、基本給のほかに住宅手当がついているわけでもなく、家賃は普通に給料から天引きで、更新手数料などもすべて少ない給料から引かれてしまうという制度だった。
幸い、姉は実家から通っているのでいいのだが、一人暮らしをしている仲間はそれに騙されて住みたくもない立地の悪いアパートに住んでいるとのことだった。
こんなんなら好きなところに自分でアパートを探して借りた方がいい。
『自社で寮として建てたアパートですので、狭いですが家賃に関しては負担はゼロですよ。』
総務の事務員の女性が電話で言ってくれた。
感じの良さそうな若い女性だった。
狭いとかは関係ない。
家賃がゼロになるなら行ってもいい…義弘はそう思った。
実家をでればそれなりに好きなことが出来る。
入社動機はその程度だ。立派な動機などはない。