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人生有限おじいちゃん


 カーテンの隙間から朝の光が差し込んで、薄い瞼がぼんやりと明るくなる。

 身体を起こして寝ぼけ眼のまま部屋を見渡すと、キッチンにあの女が立っていた。麦茶でも飲んでいるのか、勝手にグラスを使ってやがる。こいつ……麦茶代ちゃんと払うんだろうか。

 どうでも良くなった俺は、二度寝を決め込む。まだスマートフォンのアラームは鳴らない。すぐに居心地が良くなって、まどろみの世界へ。


「――――幸良くん、幸良くん」


 優しい女の声が――聞こえた。


「ん、あ……?」

 垂れていた唾液をじゅるりと吸いつつ、片目で対面の女を見る。


「もう、やっと起きた。寝ぼすけさん」

「……誰アンタ」

「秘密」

「ああ、……トイレの花子さんか。まだ居たのかよ」


 一瞬で彼女だと認識できなかったのは、若干雰囲気が変わっていたからだ。昨日はきっと化粧をしていたのだろう。今はもう少し素朴な顔になっている。


「なあ花子さん、アンタ俺のこと呼んだ?」

「待った。わたしは花子さんじゃない」

「昨日自分で言ってたじゃん」

「そう呼ばれるたびにトイレのイメージが付いちゃうでしょ」

「知るか、昨日つまらない嫌がらせしてきたくせに。そんなことより名前呼んだのか?」

「呼んだけど」

「ああそう。……ま、いいや」


 ごしごしと瞼をこすって、爆発した髪を撫でつける。


「えっ、なんなの一体……気になるんですけど。てゆーか、頭凄いね」

「人様の寝起きを凝視してんじゃないよ。今度アンタの寝起きを撮影してやろうか」

「やだ、変態だ」

「冗談に決まってんだろ。興味の欠片もない」

「それはそれで傷付くなぁ……で、何か夢でも見てたの?」

「ああ……なんか誰かに起こされる夢だったような。それで、アンタが起こしてくれるのとダブった」

「ふうん。その人の顔とかは?」

「んー……良く覚えてないな。でも美人だった気がする」

「わたしじゃん。声とかは?」

「綺麗で優しい声だったような気がする」

「わたしじゃん」

「アンタすげーな」

「わたし、自分の顔とスタイルと声に関しては自信があるからね。自己採点で89点」


 ふふんと満足げに腰に手を当てて、女は胸を張った。全体的に細いシルエットのくせに、主張すべき部分はしっかりとしている。ここまでの自信家だと逆に清々しい。


「もしかしてさぁ……幸良くんとわたしって恋人同士だったりするのかもしれないね」

「なんでそうなる」

「だって、この部屋には二人分の生活品があるじゃん」


 女が辺りを見渡しながらそう言った。確かにその通りではある。それも俺とこの女が自分たちの私物だと認識できるのだ。そして、俺も彼女もそれに今まで気付けなかった。


「何かの事故でお互いのことを忘れてしまった恋人同士が、かつての想い出でいっぱいのワンルームで奇妙な共同生活を始める……なんて、ちょっとロマンチックでミステリアスでしょ。あ、これ次回作のネタにしようかな」

「もしそうなら、アンタは毎朝俺をベッドから蹴り飛ばしてそうだ」

「あ、ひどい。でも確かに寝相は悪いかも……ってことは君、わたしの寝顔見たな?」

「……ていうか、いつ出て行ってくれるんですか?」


 少しの気恥ずかしさを誤魔化しながら会話を終わらせて、俺は洗面所へと向かった。

 彼女の回答は、「ちゃんと家賃は半分払うよ」だった。


 * * *


「九時から緊急会議や雨澤、連中集めとけ」


 担当課長の加藤がノートパソコンを片手に横切るついでにそんなことを言ってくる。

 朝と夜の時間を間違えてるんじゃないのか、こいつ。怒りで頭がくらりと揺れ、視界が一気に灰色になった気がした。でも、めげない。俺には早く帰りたい理由があるのだ。


「あ、でも僕今日はもうこれで帰ろうかと思ってて」

「はー? 何を言うてんねんお前、ボケカスか」


 眉間にこれでもかというくらい皺を寄せて、加藤がギョロリとした目玉で睨み付けてくる。後退し始めている坊主頭も相俟って、妖怪のようである。

 俺はわざとらしく大きくため息をついて、「そっすか」と当てつけの返事をする。


「あぁ? なんか言ったか?」

「別に何も言ってないっす。ほんとお忙しいですね課長は」

「当たり前やろ、そんなこと言ってないで、お前も残業減らせ」

「…………うーっす」


 たった今増やしたのアンタなんだが?

 もはやツッコむのもアホらしくなってきた俺は、とりあえず今席に着いている同僚たちに声をかけて、クソ上司の待つミーティングルームへと足を運ぶ。

 先日、あの女とした会話を思い出す。

 俺は、きっと現状に満足していない。でも、どうしたらそれが覆るのかも良くわからない。


 入社したての頃は希望に満ちあふれていた気がする。高卒で運良く大手企業に入社できたこともあって、浮かれていたのだ。内定が決まって高校を卒業し、入社式を待つだけだったあの暇な時間、なぜだか俺の中で『仕事』というのは妙に輝いていた。汗水流して努力して、対価に金をもらう行為事態に憧れがあったのだ。初めての出勤。飲み会。会議。出張。打ち合わせ。思えばどれも新鮮で、楽しいと思えたことだってあった。


 でもそれも二、三年続けば、上からの要領を得ないふわふわした命令にただ従って、無駄な工数を悔い続ける社畜へと変貌していた。顧客先や電話先で作る外向けの高い声だって、いつの間にやら声のトーンが全然違ってきてしまっている。そしてそれはプライベートの自分にも影響していた。なんとなく口数が減って、暗い性格になっていたからだ。


 子供の頃に思っていた、つまらない大人そのものだった。その仲間入りをしてしまっている。

 きっと楽しくないのだ。俺は、今のこの人生が。


 ――そんな風にふてくされながら大人として生きていく理由って何? そんなんじゃ、すぐにおじいちゃんになっちゃうよ。


「人生は有限……おじいちゃんか……」


 疲弊した頭が、心の声をつい漏らしてしまう。その瞬間、すかしたビジネス用語ばかり使っていたクソ上司がピクリと俺のほうを向いた。


「お前は寝とんのかぁ!! 起きろ! このアホカスが! おいっ!」


 小学生みたいな大声で、資料をぶん投げてきた。

 心のこもってない「すいません」でなんとか妖怪を落ち着けて、俺は自宅のことを考えていた。あの女、今何してるのかな……。



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