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九十八話 爵位

 

 書類に目を通していたイルムの耳に、入室を求める音が届く。許可の言葉を口にすれば扉がほんの少し荒っぽく開けられた。やや興奮が見られるゴブリンが、見た目通り気が(たかぶ)った声で報告する。


「モシニクス奪還の報が入りました! 南部の諸城も、敵の数は少なく容易に攻略出来るとの事!」

「分かった。可能な限り城を確保した(のち)は防御に転ぜよと伝えて」

「はっ」


 喜色を隠し切れないゴブリンが揚々と退室すると、イルムは真逆な溜息を吐く。ザリャン氏族軍が、リオニに攻め上るどころか総撤退してから十数日。季節は完全に夏へ入っていた。


 ザリャン氏族軍が中南部より姿を消したという報せは、イルムにとって正に寝耳に水であった。

 エグリシ氏族諸侯と軍議を開いたものの、追撃の時を完全に逸しており、罠である可能性も考慮して慎重に中南部地域へ軍を進ませる事しか出来ていない。

 結果としては中南部を取り戻したが、戦線が昨年の状態に戻ったに過ぎなかった。


「モシニクスを始め、諸城には僅かな守備隊が置かれたのみ……敵の狙いは何なんだ……」


 南部最大の堅城モシニクスすら放棄して、撤退したザリャン氏族の狙いが、イルムにはまるで分からない。リオニ攻めを断念しただけなら、前線基地となるモシニクス城に留まっていればいいが、モシニクス城を捨てるのはまるで、この内乱での勝利さえ放り投げたかの様に思える。


「モシニクスを捨ててまで戦力を温存する理由は何だ? 大軍で本領に篭り、攻めるに(がた)いと思わせて有利な条件で講和するつもり……いや無いな」


 魔族からの独立を図るべく自ら王となろうとするカルスが、リオニの堅牢さを前にしただけであっさり野望を捨てるなど、有り得るのか?

 そうイルムは思った。しかし現実として、カルスはリオニを諦め本領へ引き返している。


 これが一体何を意味するのか。


 詳しく探ろうにも、ザリャン氏族もボガード対策として哨戒の強化や番犬の配置を行なっている為、以前より得られる情報が限られてしまう様になっていた。

 今分かっているのは、総撤退が徹底的に秘匿され、兵にも直前まで伏せられていた秘密裏の計画であった程度だ。


「秘密裏に総撤退を進めていたって事は望んで退いた訳じゃ無さそう……何かがあったのは間違いない。ザリャンが追い詰められていると考えよう」


 出来るだけ前向きに考えを向けようとしていると、本日二人目の報告者が扉を叩く。北部軍の諸将がリオニに到着したとの連絡であった。



 リオニ城の大広間にて、エルガとティラズムがイルムと向き合っている。二人の背後にはオルベラ氏族の面々やエグリシ氏族諸侯が、ちらちらと落ち着かない視線を黒衣の人物に飛ばしていた。

 黒布を頭に巻き、衣服も漆黒で揃えた美丈夫のゴブリンがイルムの前で跪く。


「お初に御目に掛かります。ザリャン氏族はフトルブガの領主、サディンと申します」


 ザリャン氏族長の一門に仕える重臣の一人、“黒狼(シャヴィマゲッリ)”のサディンその人であった。サディンは八百の兵と共にナリカラ総督府へ恭順したのである。

 氏族長カルスに従う身でありながら、春頃から既にザリャンからの寝返りを打診し、反カルス派のリストなどの情報を流したりザリャン内部で工作を行うなど、密かに総督府の味方をしていた人物だ。


(かね)てより総督閣下こそ、ナリカラを治めるに相応しい支配者であると確信致しておりましたが、ザリャンの軍中にいる間は参陣が難しく、遺憾ながら()()()の手先として閣下と敵対するという歯痒い時を長く過ごしておりました……そもカルスが起こした此度の大乱について、私は――」


 彼は如何に自分がカルスに思うところがあるか、それでいて彼の命令に従い続けるしかない心苦しい立場にあったかを長々と語り続けた。


「優れた軍才もさることながら、ナリカラに安寧を齎すべく御心を砕く閣下の人徳に、私は心が打ち震えて止まず――」


 更にイルムを大いに称賛している事にまで話が及んだが、イルムがやや辟易とした様子を見せた途端、話を中断した。


「……申し訳ございません。閣下を前に少々興奮してしまいました。今はただ閣下に忠誠を誓う事を示したく……」


 目を伏したサディンは深々と(こうべ)を垂れる。イルムは、周囲から疑念の視線をたっぷり浴びる彼から目を離し、ティラズムと向かい合う。


「サディンの処遇は後だ。まずナリカラ軍の今後から進めておこう」


 どこか表情が暗いティラズムは、ゆっくりと首を縦に振った。赤帽子(レッドキャップ)に大敗して以降、合流したエルガに大将としての役目を喰われてしまった彼は、目に見えて沈んでいる。

 イルムは思わず苦笑を浮かべたが、この時一つの鋭い視線がティラズムへ向けられていた事に、気付く事はなかった。そのまま自身の考えを述べ始める。


「事前に伝えてある様に、僕は統一王国時代の軍制及び、爵位制度を復活させたいと考えている。軍制改革はすぐにとはいかないけれど、一方で爵位に関しては今の内に定めておきたい。これは攻勢の準備でもあるからね」


 最後の言葉に一同の顔が引き締まった。確固たる戦意を確認したイルムは、腹案を一気に吐き出す。


「まずエグリシ氏族とオルベラ氏族の最有力者らには当然、公爵(エリスタヴィ)の位を授ける。領地持ちの戦士も改めて貴族(アズナウリ)であると正式に認めるつもりだ。戦功ある者には上位貴族(アズナウロバ)の位を与えようとも考えている」


 実の所、これまで非公認状態であるナリカラの領主達の立場は曖昧だった。ナリカラ軍という正規軍に所属する事で彼らは一応の合法性を得ていたが、これで公に領主として認められた事となる。

 事実上黙認されていた所領も総督府公認となり、大手を振って貴族(アズナウリ)と名乗れる様になるのだ。


 総督府にとっては“合法的に”領地接収や自治への介入が行える口実を完全に手放す事になるが、一方で総督府が認めた領地を貴族(アズナウリ)同士が奪い合う事も出来なくなる。今まで以上の不介入を代償に、安定を買うという判断だった。


公爵(エリスタヴィ)となるのが決定しているのは、オルベラ氏族長のクムバト、エグリシ氏族の二巨頭であるギオルギとエレクレ、北の大城砦ディアウヒ領主のスラミだ。所領やこれまでの貢献だけでなく、元々先祖が公爵(エリスタヴィ)であった事も考慮している」


 イルムは首をぐるりと左から右へ動かして、ゴブリン達を見渡す。注意深く観察したが、不満は欠片も見当たらない。流石に各地の由緒ある最有力者揃い踏みには文句が出ない様だ。


「異論は無いね? じゃあ決まりだ。“(サドロショ)”の軍管区も彼らが管理する事となる。それも承知する様に」


 爵位について内心の決定事項であった部分が、諸侯に認められたと見たイルムは、さっさと進めてしまおうとばかりに、再び口を開く。


「爵位授与の儀式は日を改めて行う。ナリカラの爵位故に、王族であるティラズムから授けられる事となる。ただし、総督である僕が立ち会い、正式な爵位だと承認する形式を取る」


 ナリカラの爵位を与える権限を持つのはティラズム以外に居ない。だがナリカラの支配者はあくまでナリカラ総督であり、ティラズムよりイルムが上位であると示す必要から、総督の承認を以って爵位が成立するとしたのだ。

 エグリシ氏族諸侯は多くが複雑な表情を浮かべたが、ティラズムは逆に顔色が良くなる。王族としての役割を果たせると意気込んだ様だ。


 そんな彼にまたも敵意を含む視線が向けられる。しかし、やはり誰も気付く者はおらず、イルムの発言が続く。イルムが口を開いた途端、ティラズムに向けられていた尖った視線が消えた。


「爵位授与は反攻の狼煙だ。これから武功を立てる機会がいくらでも出て来るだろう。その功に十分報いる用意がようやく出来た。皆、心置きなく存分に戦え!」


 一斉に剣を鞘から引き抜く音が鳴り響き、雄叫びが上げる。黒衣の大柄なゴブリンも、立ち上がってイルムへと丁寧に一礼する。その彼の口元は、大きく弧を描いていた。


「サディンも今まで内部での工作御苦労だったね。これからはナリカラ軍の武将としての働きを期待しているよ。無論、ザリャン氏族諸侯の抱き込みにもね」

「恐悦至極に御座います。閣下の御期待に是非とも応えさせていただきます」


 黒い狼は牙を隠して微笑んだ。


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