九十五話 業火
リオニで政務と軍の再編に勤しむイルムの元に、彼が待ち望んでいた報せが届いた。北部軍と合流したエルガの動向についての報告である。
兵器群と六百の兵を連れたエルガは、ディアウヒとその周辺で更に二百の兵を募り、大量の酒を中心とする物資を掻き集めて東へ向かう。その途上でディアウヒに退こうとする北部軍八百と出会した。
赤帽子に大敗した北部軍は、スラミ勢、オルベラ氏族共に、主だった将を幾人も討ち取られており、二千いた軍勢は最早軍としての体裁も失っていた。
だが、エルガは眉一つ動かさずに、淡々と北部軍を千六百の軍隊に再編する。そして惨敗に動揺していた、北部軍大将のティラズムを無理矢理引き摺るかの様に、軍を東進させた。
赤帽子と接触したのは、北部軍の東進再開から僅か二日後の事である。
エルガは赤帽子へ使者を出した。使者は決死の思いで、書簡を赤帽子の露営地へ投げ込み、赤目ロバを全速で走らせて逃げ帰る。
使者としてはあまりに乱暴で無礼ではあったが、赤帽子は使者の怯え振りに嘲笑うだけであった。書簡の中身を知れば、更に彼らは大いに笑ったであろう。
エルガが出した書簡の内容は、あろう事か休戦の願い出だったのだ。
酒宴を開くので、その場で休戦の話し合いをしたいという申し出で締め括られた書簡は、赤帽子頭目“巨人殺し”のナゴルノの興味を少なからず引いたらしい。宴に参るとの返答の使者が立てられたのだ。
この時、エルガは異様な行動を取る。誰も見た事がないしおらしい態度で、使者のレッドキャップに応対したのだ。
「私達は争いを望みません……勇猛なる赤帽子に誰が敵うというのでしょう?」
背丈の短いレッドキャップに合わせる様に、腰を敷布の上に下ろしたエルガは、覗き込む様な形で使者の顔を見上げる。
「是非ともナゴルノ殿を始め、御歴々の方々と宴の場で和解を成立させたいのです。どうかナゴルノ殿に宜しく御伝え下さい」
憂いに染まった表情で切々とそう言った。
「え、何それ見たい。綺麗だったろうな……」
報告を受けていたイルムはぽつりと漏らす。話の腰を折られたゴブリンが、じとっとした半目を向けた。
「……続けてよろしゅうございますか?」
「あ、うん。どうぞ」
その後、宴の準備に時間が多少掛かるとして、二つの軍勢が互いに半日の距離を保ってその場に留まり続ける。そして三日後、両軍からやや北西にある林の中に用意された酒宴場に、赤帽子の頭目達がやって来た。
彼らは木造の窓が無い簡素な平屋に招かれる。急遽建てられた臨時の酒宴場である筈だが、材木は生木ではなく十分乾かされており、艶出し兼防腐剤として亜麻の油が塗られていた。陽光を受けては艶々と輝く。
その煌めきを、赤帽子の有力者達は歓待の一つと受け取った。
「随分な歓迎振りだな。本気で休戦を纏めたいらしい」
ナゴルノは笑みを深めた。平屋の前に立つエルガが、赤帽子を迎える。
「ようこそお出で頂きました。御用意させて頂いた酒宴の備えは既に済んでおります。さあ、どうぞ」
伏し目がちに迎えた彼女は、さり気なく、それでいて丁寧さが滲む所作で、平屋の扉を外開きに開けた。屋内中央にある長机には豚を一頭丸々焼いた物を始め、様々な肉料理が並び、壁際には酒甕がいくつも置かれている。
赤帽子の錚々たる顔ぶれが机を囲う。頭目“巨人殺し”のナゴルノを始め、“血斧”のバリコ、“紅上着”ハマザスプ、“頭蓋割”スムガイトといったナリカラに悪名を轟かす狂戦士達が並んだ。
エルガは彼らが手に取った角杯に酒を注ぎ回る。
「皆様、遠慮は無用です。これは和を成す為の場。まず気兼ね無く酒肉をお楽しみ頂きたく」
「はははっ、酒と肉で機嫌取りか。見え透いておるが悪くはない」
ナゴルノは笑いながら角杯を乾かす。それを合図としたかの様に、宴が始まった。次々と肉がレッドキャップらの口に運ばれ、酒気がぷんと香る。
給仕よろしく、エルガは陶器の酒器で彼らに酌をしていたが、その度不躾な言葉が掛けられた。
「噂で聞いたが、魔族の総督と婚約したとか? あんな、なよなよした小僧のどこが良いのか。どうせなら俺のものにならんか」
「……実は全く本意ではないのです。ナゴルノ殿の様に力強い御方の側に居る方がどれほど良いか……」
彼女は今にも消え失せそうな儚い空気を纏う。
「出来るならナゴルノ殿の……」
そこまで言った時、ふと酒器の中を見た。後ろを振り返って酒甕も見る。
「ああ、酒が少なくなってきましたね。追加の指示をして参ります」
エルガはすっと下がり、一つしかない扉から出て行く。彼女が去ると、顔に赤みがさしたレッドキャップ達は下卑た笑みを浮かべた。
「良い女だ。噂では冷血無比と聞いたが、所詮は女。可愛いものではないか」
「小童総督が囲おうと思うのも分かるわ。確かにただの側女とするには勿体無い」
品が欠片もない会話の中、ゴブリン達が新たな酒甕を大量に運び入れる。じっとりと汗を浮かべた彼らは、甕を置いたそばからいそいそと出て行く。
赤帽子の頭目達は、彼らではなく新たな酒に目を向けた。
「強い香りだ。中々にきつい酒を用意したものだな」
かなり度数が高いであろう酒に、興味を唆られた一人が、席を立って甕に近寄る。だが、すぐにある異常に気付いた。
「む、漏れておるぞ。置いた時にひびでも入れたか?……いやおかしいぞ」
見下ろした床に液体が広がっている。しかもやたら広く。
どう見ても一つ二つの甕から漏れているとは思えない。席に座ったままの者達も、その異常に気付いた。
その時突然、扉が薄く開き――
松明が投げ込まれた。
扉の両脇に置かれていた酒甕には小さな穴が開けられ、側に同じ大きさの木栓が転がっている。静かに流れ出る酒で作られた水溜りに、火が移った。
エルガが無感情に眺める前で、平屋の扉に石を積載した小さな荷車が置かれる。
扉が激しく動くが、荷車に塞がれて僅かにしか開かない。その間にも壁に油や度数の高い酒がぶち撒けられ、火が放たれる。
平屋はあっという間に紅蓮の炎に包まれ、黒煙を空へ吐き出していった。平屋を包囲する数百のゴブリンが、弓や弩を手に呆然とその様を見詰めている。
「こんなあっさり上手くいってしまうとは……」
赤帽子を罠に掛けるとは聞いていたが、実際に目の当たりにした光景に現実味が湧いてこず、誰もが戸惑っていた。
予め油が染み込ませてあった材木は酷くよく燃えて、平屋は最早火で出来ているのではないかという程になる。
だが、ごうごうと燃え盛る音に混じって、鈍い様な高い様な音が鳴り続け、やがて赤橙色の壁が砕け散り、大きな影が飛び出した。同時に平屋が音を立てて崩れる。
焼けた身体を無理矢理起こしたナゴルノは、憤怒の表情でエルガを見上げた。
激情の視線を向けられた彼女は、氷の様に冷たい面持ちで右手を上げ、何の感情の変化も見せずに振り下ろす。
喉を熱でやられたナゴルノは、音にすらならない叫びを上げながら大斧を掲げて一歩踏み出したが、降り注ぐ矢の雨を受けて、崩れ落ちた。
かくして“巨人殺し”のナゴルノは、呆気ない最期を遂げた。
「この後、赤帽子首脳部を片付けた事を明かして敵を挑発。罠の宴の準備と並行して据え付けを済ませた投石機と弩砲の射撃で、飛び込んで来た連中に痛撃を与え、赤帽子は壊乱しました。今頃は北東部に北部軍が雪崩れ込んでいるかと」
北部軍からの報告に、イルムは言葉も出ない。
何というか、もう今後彼女に全て任せれば良いんじゃないかと思考を放棄し掛けたが、首を振って立て直す。
兎にも角にも、赤帽子の脅威を排除し、北東部に攻め込めたのはかなり大きい。単なる陽動ではなく、北東部奪還も十分視野に入れられるのだ。
早速、北東部に居座る旧プロシアン氏族へ寝返りを促す書状と、北部軍へ攻勢の継続を許可する命令書を書き上げ、アミネに伝書烏を飛ばす。
エルガによって北の状況は逆転した。次は自分が南で優位に転じる番だ。
そうイルムは気を引き締め、リオニに集結している軍勢を再編する作業に戻った。




