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九十二話 大敗

 

 イルムらの大探索が、無為に時を費やしただけという結果に終わってしまい、夕陽と共にイルムとエルガの顔が沈む。

 昨日敷いた野営陣地に戻っても、彼女の表情から陰が消える事はなく、イルムは何と言葉を掛けるべきか分からなかった。だが、彼はアミラミ洞窟の壁に刻まれた文章の一部が気になっており、空気を変えるつもりでその事を漏らしてみる。


「……ねえ、洞窟の壁に刻まれていた言葉に“エリスタヴィ”ってあったよね。あれ、人間諸国の公爵に当たる言葉なんだよ。ゴブリンにも爵位があったんだね。ナリカラ統治の参考になるかも」


 言外に全くの無駄ではなかったと慰めてみたが、エルガの顔が晴れる事はない。結局イルムはそれ以上言葉が見付からず、()けていく夜に合わせて、鉛の様な沈黙の重さが増していった。

 朝日が昇ればマシにはなると思われたが、逆に暗い機運は翌日更に悪化する。ナリカラ軍旗を手に野営地へ駆け込んで来た使者が、凶報を持ち込んだのだ。


「諸侯軍が打撃を受けた……か」


 一旦諸城への援兵として派遣したエグリシ氏族諸侯の軍約一千五百が、二千を超えるザリャン氏族軍に強襲され、大きな被害を受けたという。

 各拠点に分散しようと軍が分かれ始めた所を襲われた事と、それまで姿を見せなかったトロール部隊が暴れ回った事で、諸侯軍は惨敗を喫し、戦死者は少なくとも二百を超えるとも伝えられた。


「最低でも戦死者二百って負傷者は五百以上はいる事になる。半ば壊滅状態じゃないか……」


 イルムは頭を抱える。二千を超える軍勢に加えてトロールを相手にするとなると、手元の一千とエグリシ氏族諸侯軍の残存戦力八百ではかなり厳しい。一度戦力を整えるべく、後退するしかないだろう。

 そう考えて、諸侯軍を収容すべく軍を東進させようと指示を飛ばした。野営陣地を引き払い、行軍準備に慌ただしく動く南部軍であったが、悪い事というものは立て続けに起きてしまうらしい。


 陣内に飛び込んできた汗だくの使者が、疲労で潰れた赤目ロバから飛び降りて、イルムの元へ更なる凶報を知らせたのである。誰かが気を利かせて用意した水割りの葡萄酒を、使者は一息に飲み干して喉を整え、酷く良く通る声で告げた。


「北部軍、大敗の(よし)に御座います!」


 ティラズム率いる北部軍は、赤帽子(レッドキャップ)七百と衝突。二千の北部軍は僅か二刻程の戦闘で敗退した。

 ドモヴォーイや監督官として同行させたアミネによって追撃は阻止され、何とか撤退出来たが、本陣まで食い破られての敗北であり、ティラズムを死守しようとしたオルベラ氏族も大きな被害を受けている。


「オルベラ氏族は半壊状態、スラミ殿の臣下も幾人か討ち取られたそうです。また……ノリス殿が討死したとの事」


 使者から報告された北部軍の惨状に、イルムは身動ぎも出来ずに固まった。彼の脳裏にバゼー修道院でノリスと出会った時の記憶、小皺のあるゴブリンの面食らった顔の映像が流れる。ナリカラ軍建軍以前から頼りにした人物の一人が、逝ってしまったのだ。


 まさか陽動となる筈の北部軍、しかも貴重な総督府支持者であるオルベラ氏族の軍が、壊滅的被害を(こうむ)るとは。全く想定していない事態に、彼の頭は真っ白になってしまう。

 指先一つ動かせずにいたイルムの肩に、手が置かれた。顔を向ければエルガが置いた手を離し、彼の背を軽く叩く。


「私がリオニで北部軍への援軍を編成しよう」


 陽光を受けて輝く氷柱の様な瞳が、イルムの両眼を照らした。


「南部軍から兵を引き抜く必要はない。ただし、リオニにある兵器は全て貰っていくからな」


 リオニの工房で製造されている弩砲(バリスタ)などの兵器は、大規模な戦闘を想定していない事と、奇襲の観点から機動力を重視していた事で、今回の軍事行動に動員されていない。モシニクス城奪還に向けて待機している兵器群は、全てリオニに留まったままだ。


「い、いや何もエルガが指揮を執らなくても」


 気を取り戻したイルムが、慌てて彼女を(とど)めようとする。だが、エルガは視線だけでそれを跳ね除け、はっきりと言い切った。


「お前は諸侯軍を収容して立て直し、南部軍を再編しなければならん。そして私は総督顧問であり、ナリカラ総督の婚約者だ。今、総督府側の者で尚且(なおか)つ、軍を纏められる手の空いた高官は私ぐらいしかいない」


 イルムを射止める冷たい眼差しには、確かな光と強い意志が見える。


「私にやらせろ、先の失態をそのままに出来るか。万一それが原因で侮られでもしたら、総督府の威信に響きかねん」

「……」


 如何なる言動でも揺るがないという空気を纏ったエルガに、イルムは口を(つぐ)むしかない。

 事実、彼女の他に純粋な総督府の支持者で、かつ一軍を任せられる者が居ないのである。感情を無視すれば、現状では最善だと言えた。

 それに、案じる思いとは裏腹に、己の失態を許せずにいた彼女の、挽回を図る気持ちを汲みたいという思いもある。


「安心しろ、策はある。赤帽子(レッドキャップ)は任せておけ」


 結局イルムは、彼女の力強い瞳に折れた。僅かながら、赤目ロバに跨る貴重なゴブリン騎兵を護衛に当てて、彼女を送り出す。リオニへと旅立つ騎馬達を見詰め、(はらわた)が捻じ切られる思いに顔を歪めた。


 イルムはエルガの無事を祈り、遠ざかるその背に向けて斜めに十字を()く。親指と人差し指、中指の先を合わせて伸ばし、残る薬指と小指を曲げた形の右手が、宙に斜め十字をなぞった。

 手が下ろされると、彼は深々と天の主に向けて礼をする。改宗を誓ってから初めて真剣に、ただひたすらに祈った。


 ――主よ、どうか彼女を護り給え。彼女の砦、彼女の塔、彼女の救い、彼女の盾として。



 エルガを見送ったイルムは、不安と心配を無理矢理振り払って南部軍を東へと進ませる。無論、敗走するエグリシ氏族諸侯軍を収容する為だ。

 東進する南部軍の元には、散り散りになった敗残兵や諸侯から遣わされた伝令が舞い込み始める。軍列に駆け込む敗兵を収容しつつ、所在を伝令で伝えた諸侯との合流を果たしていった。


「派手に負けたみたいだね。軍がばらけていた時に、トロールが突っ込んで来たら当然といえば当然だけれども……」


 ぼろぼろの諸侯軍を見て、イルムは嘆息を吐きたくなる。ようやくモシニクスでの敗戦から立ち直り、限定的とはいえ反攻に出れたというのに、今回の南北の大敗でそれも台無しとなった。

 ただ不幸中の幸いか、状況は暗い材料ばかりで作られている訳ではないらしい。


「攻撃してきたザリャン氏族軍の大将は氏族長カルスだった? その割に兵の数が二千以上って少ないな」


 エグリシ氏族諸侯軍に打撃を与えた敵勢は、総大将が率いる本軍であるにも関わらず、その兵力は今までで最も少ない。また、トロールの姿があった一方、ボガードが調略を試みているファハンやバグベアは、一人も見られなかったという。

 モシニクス城に潜入中のボガードからも、動いているのはほとんどがカルス直轄の兵や彼に近い諸侯が中心の、カルスに従順な者ばかりとの情報が入っていた。


「向こうも余裕が無いのか。それに土壇場での寝返りを警戒してる。信用しきれない味方が多いのかな」


 ザリャン氏族軍の兵力はかなりのものだが、占領地の反乱や軍の規模に比例して信頼出来る者の割合が減るなどの問題も多く抱えている。そしてその数多い問題が要因となって、身動きが取り辛いのだろう。

 そう分析するイルムの元へ、頼れる将達が参じた。ギオルギとエレクレである。また、彼らの軍勢は大きな被害を受けておらず、戦力面でも安堵する事が出来た。


「よかった……二人の兵は練度も良いから、彼らが如何にかなってしまっていたらどうしようと思っていたんだ。でも……」


 イルムは安堵の顔を曇らせる。やはり他の諸侯の被害が大きい。これに彼は、兵の質が落ちているのではないかと疑う。


 先日に起きたアミラミの戦いでも気に掛かっていたのは、兵の動きの鈍さだ。モシニクスの戦いの時より明らかに、これまでの戦い振りが悪いのである。

 そして、その原因については、ある程度の見当が付いてはいた。


「モシニクスの戦いで受けた損害を民兵で補充した結果、兵全体の練度が低下しているんだろうなぁ……」


 クロム攻略戦においても、イルムのナリカラ入り当初から戦い抜いてきたオルベラ氏族は奮戦していたが、招集した民兵などは強力な一撃を受けるとあっさり士気崩壊を起こす事がよくあった。

 それらを見るに、軍の規模が大きくなるたび練度の低い民兵の割合が増えて、全体の弱体化を招いてしまっていたのであろう。


「でも数を揃えないと戦にならないし……しばらく練度低下は目を(つむ)るしかないか」


 結局現状で打てる手は無いと、再編に集中する事にする。三日の内に諸侯軍のほとんどを収容したが、同時に頭骨を掲げる軍勢の接近も把握した。


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