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九十一話 血で雪ぐ

 

 イルム率いる南部軍がモシニクス西の地域からザリャン氏族を掃討していた頃。北部軍はナリカラ北西のディアウヒを経由し、北東部に向かっていた。

 ディアウヒで領主のスラミと合流した事で、兵を総勢二千までに増やし、北西部と北東部を分かつ関を通る。以前赤帽子(レッドキャップ)に焼き捨てられた関所は、すっかり再建されていた。

 番兵らに見送られて真新しい木造の門を潜れば、ナリカラ北東部は目の前。つまりこの日の内に、敵の手に落ちているオルベラ氏族本領の土を踏む事になる。


 ゴブリンの王子ティラズム率いる北部軍は、緊張と高揚を綯交(ないま)ぜにして進み続けた。緊張の中に高揚感が見られるのは、勿論オルベラ氏族によるものだ。

 あくまで北部軍の目的は陽動とはいえ、この軍事行動の名目が北東部奪還になっている以上、彼らの気は(たかぶ)るしかない。

 黒地に赤の斜め十字を描いた軍旗をたなびかせ、北部軍はずんずんと突き進んでいたが、関を通過してから三日後にいよいよ敵勢と遭遇した。斥候から七百程度の軍勢を発見したとの報に接し、北部軍は意気揚々と戦闘準備を行う。

 しかし、その高い士気は次に飛び込んだ報せで、呆気なく砕かれた。



「今すぐ撤退すべきだ!」


 大将であるティラズムを中心にした本陣で、いきなり撤退案が湧き上がる。居並ぶゴブリンの諸将は、誰もが固く厳しい表情を浮かべていた。血の気が薄くなってしまっている武将の一人が、一刻も早く撤退すべきだと声を荒げる。


赤帽子(レッドキャップ)が相手では如何にもならん!」


 そう、斥候によればこれから相見(あいまみ)える敵勢は赤帽子(レッドキャップ)なのだ。ゴブリンの中で最強かつ最凶と言って差し支えない勢力に、北部軍の面々は怖気付いてしまう。

 初めて本格的に軍を率いる事に活気付いていたティラズムどころか、陽動という目的を忘れる勢いで戦意旺盛だったオルベラ氏族の将兵さえも、あっという間に(しぼ)んでしまった。

 それでも隻眼の猛将が独り気を吐く。


「我らは陽動だ。勝利が必要である訳ではないといえども、戦う必要はある。此処で引き返しては陽動の意味が無い。者共、腹を括れ!」


 そう叫んで、オルベラ氏族の武闘派“向こう傷”のゲガルクニクが瞳を尖らせて諸将を見渡した。だが、彼も表情に余裕が欠片もなく、暗い感情を押し殺している様に見える。


「向こうもこっちに気付いているだろう。今更逃げても追い付かれるぞ! 死にたくなくば()るしかない」


 吠えるゲガルクニクだったが、本陣は黙りこくったままだ。大将のティラズムも、武に疎い事から口を出す事が出来ずにいた。ゲガルクニクが苛立ちを露わに再び口を開こうとした時、灰色肌の女性が諸将を押し除けて現れる。

 イルムの従者アミネだ。彼女は、北部軍の監督と戦功確認の任に就いていたが、実態はティラズムの監視である。ここのところ頻繁に居眠りばかりしていて、全くそうは見えないが。

 薄紫の髪の下にある両の目は、相変わらずやる気の無い形だ。発した声も間延びしたものだったが、その内容は本陣の空気を変える。


「皆さん、リオニで北部軍に下された命令はー、北東部への陽動攻撃ですー。それをお忘れなくーって、言われなくても分かってますよね?」


 緊張感のない声色にも関わらず、いやに冷たく響くアミネの言葉は、ナリカラが魔族の属領である事を思い出させた。自分達に選択肢が無い事を自覚した諸将は、瞑目して歯を噛み合わせる。

 何とか覚悟を決めようとする将達の中から、ふと一人のゴブリンが進み出た。オルベラ氏族の長クムバトが、ずっと何も言えずにいたティラズムの前で膝をつく。


「総司令官閣下、いや敢えて申し上げます。王子と」


 重かった空気がざわりと動いた。イルムを統治者として立てていたクムバトが、ティラズムを王子として扱う事は滅多にない。周囲の驚きを意に介さず、クムバトは言葉を続ける。


「此度、総督閣下の命により北部軍に我らオルベラ氏族が主軸に据えられたるは、(ひとえ)に王族とオルベラ氏族の和解を示すべくの事」


 王族とオルベラの和解という言葉に、オルベラ氏族の面々の顔色が変わった。瞳に一つの焔が灯る。

 下げていた頭を更に深く下げて、オルベラ氏族の長は言った。


「であるならば、どうか御命じ頂きたい。流血を()って過去の汚名を雪げと」


 その瞬間、沈黙を守っていたスピタカヴォル主教がクムバトの背後に音も無く現れ、白い顔を垂れて(ひざまず)く。これが合図だったかの様に、オルベラ氏族のゴブリン達が次々と跪き始める。ゲガルクニクも片膝をついて真っ直ぐティラズムを見据えた。


「オルベラの汚名、晴らさせて頂きたい」

「御命じを!」

「御命令あらば、我ら命は惜しまず!」


 オルベラ氏族の覚悟を見せられたティラズムは、身体を強張(こわば)らせ瞳を震わせる。軍の大将としてではなく、王族として彼らに死ねと命じなければならないと、自分も酷く重い責を担わなければならないと理解して、僅かに怯えた。

 やがて彼は、一度深く目蓋を閉じる。そして開かれた瞳には怯えも迷いも無い。王の目だった。


赤帽子(レッドキャップ)と一戦交える! 大王の血族が宣言する。勝敗に関わらず、オルベラの栄誉は燦然(さんぜん)と輝くであろう!」


 ゴブリン達は一斉に腰に下げた剣を引き抜いて立ち上がり、頭上に掲げて雄叫びを上げる。

 誰かが叫んだ。


「酒を持て! 出陣じゃぁ!」


 全軍に酒の用意が下令され、やがて一帯に酒気が漂う。諸将が角で作られた杯を手に、ティラズムへと身体を向けた。ゴブリンの王子は手に持つ角杯を掲げると、諸将も杯を掲げる。彼らは一気に中身を飲み干し、戦に臨んだ。



 一刻の内に北部軍二千と赤帽子(レッドキャップ)七百が、昼の太陽の元に相対した。

 じっとりとした汗を額や首筋に浮かべる北部軍の前で、赤帽子(レッドキャップ)は細く縦長だった行軍隊形を厚い横隊へと変える。お世辞にも整っているとは言えない歪な隊形のまま、彼らは蛮声と共にいきなり突っ込んで来た。


「弓、放て!」


 北部軍より矢が放たれるが、赤帽子(レッドキャップ)は尽く手斧で弾き、或いは斬り落とす。だが、そんな彼らに火の玉が襲い掛かり、幾人かのレッドキャップを火達磨にしてしまった。

 ティラズムの行く所に必ずついて来たドモヴォーイは、例に漏れず北部軍の陣中にも居り、得意の火の魔術を景気良く射ち出す。しかし、それでも赤錆色の帽子を被る狂戦士の大集団は、止められない。

 彼らは手斧の刃と瞳をぎらつかせて、北部軍前衛へと躍り込む。一瞬で最前列の槍兵が血煙を噴く死体と化した。そのまま奥へ斬り込み、手斧を振るって前衛をずたずたにしていく。


「民兵では話にならんな……者共、続け!」


 ゲガルクニクは手勢を連れて、前衛の穴を塞ぎに掛かった。オルベラ氏族最強の彼らは赤帽子(レッドキャップ)を相手に、何とか互角に刃を交える。手斧と剣が金属音による戦場音楽を派手に奏でた。


 振り下ろされる斧を戦士ゴブリンが剣で受け止めるが、強引に押し切られて顔面を割られる。レッドキャップはいそいそと討ち取った戦士の首を断つべく、手斧を振り被った。そのレッドキャップの脇腹に突如穂先が埋まり、ごぼっと血が吐き出される。


「し、仕留めたっ……!」


 槍を握る民兵本人が一番驚くが、その顔が突如宙をぐるりと舞う。突き刺さった槍の柄を、鮮血に濡れた斧で斬り落としたレッドキャップが、血走った目をぎょろりと動かし他に邪魔者がいないか確認した。改めて仕留めた獲物の首を刈り取ろうと手斧を握り直す。


「ふんっ」


 長柄斧が振り抜かれ、レッドキャップの右腕諸共腹が裂かれた。ゲガルクニクは隻眼を尖らせ、鼻で息を吐く。

 次の敵を定めようとした時、片腕を失った狂戦士が歯牙を剥いて立ち上がった。すぐさまゲガルクニクから(とど)めの一撃が放たれて、血塗れのレッドキャップが倒れる。


「……不死身かこいつらは」


 歴戦の猛将であるこのゴブリンも、赤帽子(レッドキャップ)と正面切って戦うのは初めてだ。噂以上の狂戦士ぶりに、流石の彼も背筋が冷えるのを感じる。


「これは厄介だ。まともにやり合っては到底勝てるとは思えん」


 いつ頃引き上げるべきか、どう撤退するべきかを片目の武将は早くも算段し始めた。


 北部軍は傭兵として集められた民兵を前衛とし、その後ろにスラミの軍勢、最後列に大将ティラズムの護衛兼予備部隊としてオルベラ氏族とドモヴォーイが控えている。

 既に前衛の民兵はほとんど崩壊状態であり、ドモヴォーイの援護を受けるスラミ勢が戦線を形成して、オルベラ氏族が空いた穴を埋めている状況だ。


 戦闘開始から一刻半。北部軍は半数以下の赤帽子(レッドキャップ)相手に大苦戦であった。揃えた槍先を簡単に砕かれ、射ちまくる矢はまるで効果が見られない。ドモヴォーイの魔術攻撃が唯一、効果的な打撃を与えるが、僅か五十という絶対数の少なさから焼け石に水よりマシという程度である。

 今もまた、突貫する赤錆色帽子の悪魔達に戦線を食い破られた。

 恐怖に駆られて背を向ける者や、泣き喚きながら破れかぶれに槍を突き出す者は、例外無く瞬時に血祭りに上げられる。げたげたと笑いながら手斧を振り回し、血に酔い踊る赤帽子(レッドキャップ)の前に、オルベラ氏族の戦士達が立ち塞がった。


「押し返せぇ!」


 クムバトの叔父ノリスが配下の戦士を引き連れて突っ込む。彼も自ら剣を閃かせて戦うが、突然数人の戦士が吹っ飛んだ事に目を奪われた。

 人の顔よりはあるであろう大きさの刃を持つ大斧が、地面を抉りながら振るわれ血飛沫が飛び散る。


「戦はこうでなくてはなぁ! ようやく楽しめるわ!」


 巨大な大腿骨で作られた柄を持つ大斧を担いで、見上げる背丈のレッドキャップが北部軍の本陣を見やった。


「それに大王の血族がおわすとは。濃かろうが薄かろうが大王の血だ、是非とも我が帽子に染み込ませたい! 野郎共行くぞぉ!」


 赤帽子(レッドキャップ)頭目“巨人殺し”のナゴルノは舌なめずりしながら、本陣目指して突き進む。

 これにノリスは剣を掲げて手勢を集合させ、決死の覚悟で食い止めに掛かった。


「王子が狙われているぞ。皆、死して王子の盾となれ!」

「邪魔だ雑魚がぁ!」


 ナゴルノは群がるオルベラの戦士を呆気なく蹴散らす。彼が斧を振り上げれば鮮血と共にゴブリンが宙を飛び、振り下ろされればゴブリンが大地ごと真っ二つに裂け、横に薙がれれば二、三人まとめて胴が二つに分かれる。

 そして、“巨人殺し”の双眸がノリスを捉え、凶悪な血濡れの刃がぎらりと頭上で光った。


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