九十話 洞窟
かつてナリカラは、バグラティオニ大王の元で統一され、ゴブリン他様々な種族が大王に従っていた。
しかし、これには一つの疑問が浮かんで来る。
いくら大王に力が有っても、果たして武力だけでナリカラを統一王国として纏め、魔族と戦えていたのであろうか。圧倒的強者であった魔王でさえ、多種多様な種族を抱える巨大な帝国を円滑に支配する為、魔族五公に大幅な権限を与え、一国の王として認めていたのだ。
ならばバグラティオニ大王は、如何にしてナリカラを独裁的に纏めていたのか。
イルムはそれが気になった。
リオニに統一王国時代の資料を集めておくよう、彼は文を一つ認める。今はまだナリカラ南部を離れられないが、いずれ役に立つかもしれない。
書簡を携えたゴブリンの一騎がリオニへ出発するのを見届けたイルムは、南部軍が設営する野営地の中心へと戻った。
ナリカラ南西部及び中南部西側を完全に解放した事で、総督府側の領域はモシニクス城を北からぐるりと西回りで半包囲する形となっている。
しかしモシニクス城を奪還するには、まだ兵力に不安がある為に、現状では直接手を出すべきではないとイルムは考えていた。が、ナリカラ中南部の要所を無視して更に南下するなど、やや無謀と言わざるを得ない。
ではどうするのかというと、敵方を徐々に切り崩していくつもりだった。
ザリャン氏族は短期間でナリカラを手にする為、他氏族を武力で制圧し従属させてきた。当然占領地では反発や不満が渦巻いている。これまで武力で押さえ付けられてはいたが、昨年の暮れからとうとう燃え上がり始めた。
これを使わない手はない。イルムは初夏を迎える以前から、ザリャン氏族軍に加わりつつも不満を抱えている者達を中心に、調略を試みていた。
“黒狼”のサディンが総督府へと内通して来た事もあって、既に間諜のボガードによる密通網がある程度構築されている。
モシニクス西のザリャン氏族軍を蹴散らし、ロムジア氏族が動ける様になった今こそ寝返りを促す好機と、ボガードを通じての調略を加速させた――のだが……。
「調略先との接触が難しいだって?」
朝日を浴びる天幕の中、眉を寄せるイルムの前で跪いたボガードが、覇気の薄い声で報告を続ける。
「はい。ザリャンも流石に我らの存在を気取ったのか、警戒が厳しくなっております。隠密魔法で姿を消せても壁や人を擦り抜ける事は出来ませぬ故、調略先の営所各所を見張りで厳重に塞がれては……特にファハンは内応を警戒されていますので、余計に哨戒が密なのです」
「それでも何とかならない? ファハンは確実に寝返りが期待出来るんだけど」
イルムが照準を定めていたのは、ファハンだった。元々は自治を行い、誰にも従わない独立勢力であったファハンは、現在ザリャン氏族に飲み込まれ、強制的にザリャン本隊の尖兵にされている。
それ故に最もザリャンを裏切る可能性が高い。だからこそ、彼らの周囲はボガードに対する警戒が厳重なのだろう。
報告を行なっていたボガードは、イルムの何とかならないかという言葉に首を振った。
「哨戒には傭兵バグベアが保有する戦闘犬まで投入され、ファハンとの接触は困難を極めています。我らも臭いを完全に消せる訳ではございませんので」
「バグベアか……戦闘以外でも厄介なんて」
イルムはモシニクス近郊での会戦を思い返す。黒毛熊の毛皮を纏い、相手を翻弄する戦い方を好む傭兵団バグベア。
ファハンと共に攻め寄せた際、戦闘そっちのけで仲違いが起きていたそうだが、ザリャン氏族は逆にこの相性の悪さを利用して、ファハンの周囲をバグベアに哨戒させているらしい。バグベアはファハンが逃亡や内通をしないよう、張り切って見張りを担っているという。
「ファハンとはティラズムを仲立ちに自治の保証を約束する事で、寝返りはほぼ決まってる。後は内応計画の調整だけなのに……」
イルムは頭を抱えた。更に抱える頭を捻り、小さな唸り声を漏らしていくが、やがてなげやりな言葉で話を終わらせに掛かる。
「いっそダメ元でバグベアも寝返らせてみようか。傭兵なら金で釣れるかも。買収資金は後で送るね」
気力が霧散してしまい、自身の女従者の様にやる気の無い姿で匙を投げてしまった総督に、ボガードは「はぁ」と呆れの生返事しか返す事が出来なかった。
ボガードが去った後、イルムは小さな丸椅子に腰掛け頭を掻く。モシニクス城奪還はまだまだ先になりそうだと、溜息を吐き出した。
そこへ突然、エルガがするりと天幕内に入り込む。急な出現に思わず彼は固まった。再起動を果たすより先に、エルガの口が開かれる。
「面白い話を聞いたぞ。近くにアミラミという名の洞窟があるんだが、そこはかつて王族の宝物庫になっていたそうだ」
アミラミ洞窟は、先の戦闘が行われた峡谷から、そう遠くない場所にある洞窟だ。
エルガがゴブリンらから聞き及んだ話によると、この辺りは陥没穴や崖横に空いた洞窟が多く、その中には王室財産の隠し場所となっていたものもあったらしい。
魔王軍による侵攻を受けた際も、王都リオニから運び出された財宝がアミラミ洞窟に隠されたという。
「……それ本当なのかな。本当だったとしてもゴブリンの間で噂になっているなら、とっくのとうに盗掘されてるんじゃ」
イルムが疑わしげな表情を浮かべる。だがエルガは器用に、変化のない顔から自信あり気な空気を湧かせた。
「アミラミ洞窟の宝は、王族が魔族の人質となった時に財産として持ち出されたそうだが、他の洞窟も隠し場所になっていた可能性は十分にあり得る。南部軍を使えば一帯を調べられるだろう」
「うーん……資金が手に入るのは悪くないけれど、そうまでして宝探しなんかする余裕あるかな」
乗り気にならないイルムに、エルガの双眸が鋭くなる。
「ナリカラ王家の宝だぞ、過去の王族が残した王冠なり王笏なり王権を象徴する物があっても不思議ではない。それらを手に出来れば、ナリカラの支配権は総督府にありと分かりやすく示せる」
「いや、それは王の血族が持ってこそ効力があるわけで……」
「血など関係あるものか。実力が権威を飲み込み、そして“実権”となって民を支配するのだから」
エルガは鋭くも遠い目で虚空を見つめた。イルムは、はたとクロムで耳にした事を思い出す。
彼女の父、“荒鷲”アルトナルが治めたスボルツ公国はアルトナル公病没後、瞬く間にキーイ大公国の手練手管によって乗っ取られたという話を。
アルトナル公の後を継ぐ筈だった息子達、つまりエルガの兄弟達は、大公国を後ろ盾にした地主貴族による反乱で戦死或いは追放され、有力市民で構成されたスボルツの民会も大公国や地主貴族らの圧力を受けて、大公国に従わざるを得なくなった。
そうして、エルガを含むアルトナル公の一族は、スボルツを追われ離散したのである。
今のスボルツは大公国の息がかかった傀儡の公に支配され、事実上大公国に吸収された。アルトナルに敬服していた民も、消え去った“荒鷲”の一族など忘れて、実権を握る大公国に従っている。
力が道理を踏み潰して支配する現実をこの上なく味わっているエルガの言葉を、イルムは真摯に飲み込んだ。
「分かった。財宝を探そう。発見した物は全て総督府が預かり、発見者に褒賞を取らせると布告する。エグリシ氏族諸侯は宝物を見つけても隠匿するかもしれないから、ロムジア氏族を使おうか」
その日の昼、一千五百のエグリシ氏族諸侯軍を、モシニクス城に近い諸城への援兵として派遣し、イルムは自身の護衛部隊六百とロムジア氏族四百で洞窟群の探査に乗り出した。
ナリカラの西の果てに聳える大山脈の手前には、波打つ海を思わせる幾重もの丘陵線が横たわっており、それらの各所に水の溜まった陥没穴や急崖に空いた洞窟が点在している。これらの中で最も規模が大きいものがアミラミ洞窟だ。
総勢一千ものゴブリンがこの洞窟を中心に、周辺の穴という穴の探索を開始する。
各所数十人規模ずつで行われる探査は中々の速度で進んだ。松明を掲げては洞窟を奥まで調べ、陥没穴に縄を括り付けたゴブリンを下ろしては溜池に潜らせる。
しかし、順調な調査の速度に反して、これといった成果は上がらない。入口に立つ部隊長が帰還したゴブリンらの荷物を検分し、発見物を隠し持っていないかどうかも徹底に調べられるが、金貨一枚すら出なかった。
イルムとエルガ自ら乗り込んだアミラミ洞窟でも、全く成果が無いにも関わらず、最深部に到達しようとしてしまっている。
闇の世界である鍾乳洞を、松明の林がぼんやりと照らしていた。水がたっぷり溜まった洞窟内部は、人が歩ける場所が洞窟両端の狭い道に限られている上、でこぼことして歩き辛い。そんな中を、魔族と人間、ゴブリンの群れが歩みの音を響かせる。
がっ!
「うわっ」
岩の地面から頭を出している鍾乳石に、イルムの足が取られた。体勢を崩して倒れ込む彼の右腕を、エルガが咄嗟に掴む。一瞬宙に浮いた後、地面を捉えた左足の爪先を軸に、エルガの腕に体重を預けたイルムの身体がぐるんと回って横向きになり、反射的に左の腕をついて頭を地に叩き付けるのを防いだ。
「いっ……危な……エルガ、ありがとう」
「何をしてるんだ全く」
エルガに助け起こされ、申し訳なさそうに眉を下げる彼は、気まずい様子で左腕の砂汚れを叩く。そして誤魔化すように視線を洞窟の壁に逸らした。
「ん?」
イルムは壁を見て首を傾げる。それに怪訝な顔をしたエルガから声が掛かった。
「どうした」
「いや、何か文字が彫ってあるような……明かりを」
松明を持ったゴブリンが近寄って壁を照らす。確かに壁には文字が刻まれていた。
「えーと、“王家の財、全て滞りなく運び出したる証を此処に記す。ムリシツケのエリスタヴィ、カカバー。大王歴三十四年”……え?」
「……松明!」
呆然とするイルムを置いて、松明をゴブリンから引っ手繰ったエルガが、洞窟の奥へと駆け出す。その姿は焔の光と共にすぐさま闇に消えた。
「え?」
イルムは突然の事に首しか動かせなかったが、はっとして彫像から元に戻る。慌てて後を追い駆けようと、地面を蹴るべく右足に力が込めた。その時、エルガがとぼとぼとした足取りで暗闇の中から帰ってきた。
「……行き止まりで、何もなかった。記された通り、全て持ち出されたという事だな……」
彼女は珍しくがっくりと両膝に手をつく。手から落ちた松明がからんと音を立てた。
「情けないな。軍勢を連れ回しておいて無駄骨とは」
閉じた瞼と口端を無念に歪める様が足元の火によって仄かに見える。稀に見る感情的な彼女の肩に、イルムの手が置かれた。
「……戻ろうか」
それしか言葉を見付けられなかった。
一千人の大探索はこうして壮大な無駄足として終わってしまう事となる。
この時点においては。




