八十九話 アミラミの戦い
ティラズムを大将とする北部軍が、スラミと合流するべく、ディアウヒに向けて北上を続けていた頃。イルム率いる南部軍二千は、早々にザリャン氏族軍と衝突する。
しかし、衝突といっても互いの斥候部隊がぶつかり合う、ごく小規模な戦闘だ。
一桁の死傷者を出した緒戦は、南部軍本隊の接近を前に、ザリャン氏族の斥候が撤退した事で南部軍の勝利となる。だが、イルムを含め諸将の目は冷めたものだ。
ザリャン氏族の斥候と接触するのが、想定よりかなり早い。事前に出陣を気取られていたという事だ。
何よりこの小競り合いで、ザリャン氏族にこちらの位置と戦力の情報を、限定的とはいえ与えてしまっている。斥候からの報告を受けた敵は数日の内に集結し、迎撃態勢を整えているだろう。
幸先悪い状況に、一ツ目馬を進めるイルムの表情は少し固い。そこへ隣で馬を歩ませるエルガが、彼の不安を払うかの様に声を上げる。
「斥候同士の戦闘は順調に勝てた。この調子で敵を南部から一掃したいものだな」
彼女の視線がイルムを射抜いた。
「あ、ああそうだね。出だしは好調だ」
士気を落とさせるなとエルガから尻を叩かれ、イルムは努めて明るい雰囲気を纏う。そして、さり気なく周りを見渡した。
彼が率いる軍はほとんどがエグリシ氏族諸侯の将兵だ。
諸侯の一部が軍役代納金を納めて兵を出さなかった為、その金で雇った傭兵という名の志願民兵五百を直率の護衛兵としているが、イルムの命令に細かく従う事が保証されているのは彼らだけである。
クロム攻略の実績とナリカラ教会の後ろ盾があるとはいえ、諸侯がどこまで命令に従うかは未知数だった。
だからこそ戦術ではなく、戦闘に至るまでの戦略が鍵になるのだが、それがいきなり蹴つまずいている。またもやもやと不安が首をもたげては、それを察したエルガから飛ぶ鋭い視線に背筋を正した。
斥候同士の小競り合いで緊張が高まる南部軍であったが、二日経っても新たな敵に遭遇する事はない。
それもその筈。イルムは軍の進路を当初のものから変更させている。
元々は、ぐっと南下した後、西へ向いて南西部のロムジア氏族を包囲する敵の側背面を突く予定だった。しかし敵斥候との衝突で、これが悟られた或いは警戒されたと考えたイルムは、途中で進路を東寄りのものへと変えさせる。
大休止の際に開いた軍議で、彼は諸侯にこう語った。
「ロムジア氏族を包囲する敵に気付かれたのなら、別の無警戒な敵に喰らい付けばいい。南西部とモシニクスの間に散らばる城や砦を先に解放するよ」
それではロムジア氏族の救出はどうなるのかという疑義に、こうも答える。
「モシニクス西の地域から敵が居なくなれば、ロムジア氏族を包囲するザリャン氏族軍の背後はがら空きだ。今度はこっちが奴等を逆包囲してやるのさ。敵は包囲どころじゃなくなる」
得心がいった諸侯は、勇んで行軍の準備に戻っていった。
山間の道を進み続けていた南部軍だったが、やがて両側に聳えていた崖や山々が消えて視界が開ける。彼らの前に、起伏の少ない平地が横たわっていた。
地平の先には山脈が立ち並んでいる事から、この地が盆地だと分かる。そして遠目にはあちこちに小規模な城や砦が確認出来た。モシニクス城より西にあるエグリシ氏族側の諸城である。
イルムは全軍に、各自で酒を用意するよう通達した。ゴブリンらは、その命令に含まれた意味を瞬時に悟る。ゴブリンの軍隊において、この命令が意味する事は一つ。
戦闘準備である。
盆地に足を踏み入れた南部軍は、諸城を包囲或いは占領していたザリャン氏族軍との戦闘に突入。
これらを粉砕した。
何しろ南部軍は二千の軍勢。対するは、慌てて態勢を取り繕う百や二百程度の小勢揃い。これでは、戦どころか話にもならない。
憂慮していた指揮統制も何ら気にせず、イルムはただ突撃の令を発するだけで済んでしまう。南部軍はたった一日の内に、包囲下にあった城三つと占領されていた城二つを続け様に解放した。
「今までで一番楽な戦じゃないかな」
とは諸将を共にした夕餉におけるイルムの発言である。南部軍は、救出した城に兵を分散させて一夜を過ごした。
翌日、イルムは周辺から民兵を募って、直轄部隊の数を計六百に増やすと、軍を集合させ他の城の救援に向かうべく西進する。が、昨日まで居た敵の姿は、全てすっかり消えていた。
南部軍を解放者として歓迎したエグリシ氏族ゴブリンら曰く、敵は昨日の内に夕闇の中を撤退していったという。これを聞いたイルムは、勝利宣言を布告する。
「モシニクス西に最早逆賊ザリャンは一兵も無し。ロムジアを脅かす敵も、首を掴まれた鶏同然である。十日以内に南部の西側からザリャンは駆逐されるだろう」
二日後。この宣言を聞き及んでか否か、ロムジア氏族に攻勢を掛けていた千を超えるザリャン氏族軍が、撤退を始めた。西回りで南下する彼らを、南部軍とロムジア氏族は当然の様に追撃。南部軍は、敵の進路方向に先回りして挟み討ちを狙った。
南に下る道を塞がれているのを見た敵勢は、西へと遁走する。
やがて、ゴブリンと人間の領域を隔てる大山脈にぶち当たったザリャン氏族軍は、峡谷に立て篭り抗戦の意思を見せた。南部軍は合流したロムジア氏族四百と共に、総攻撃に向けて陣容を整える。
大山脈を前に眺める南部軍本営では、楽観的な空気が漂っていた。千二百対二千五百という圧倒的な兵力差に加え、ギオルギや“沈黙”のエレクレといったエグリシ氏族の名将に、精強なロムジア氏族と将兵の質も申し分ない。
数少ない懸念の一つは、モシニクス城のザリャン氏族軍が背後を突きに来る事であったが、潜入中のボガードからの報告で杞憂に終わっている。
モシニクスのザリャン氏族軍本隊は、一度出撃の動きを見せていたが、突然それが中断されたという。どうやら北東部にティラズム率いる北部軍が出現した事を知り、対応の協議に追われているらしい。
これで得られた猶予はそう多くはないが、目の前の敵を倒すまでの余裕は十分ある筈だ。南部軍首脳はそう確信している。
「総督閣下、御加勢真に有り難く。我らは外見では持ち堪えていましたが、中身が危うくなり掛けておりました。この恩は存分に返す所存」
本営の中でロムジア氏族の長アスピンザが、先の尖った兜を外して深々と頭を下げた。後頭部と首を守る為に兜から垂れ下がる鎖が、小さく音を立てる。
礼を受けたイルムは彼の顔を上げさせると、これからの戦働きに期待していると微笑を返した。アスピンザも不敵な笑みを浮かべ、御期待の二倍三倍は活躍して見せましょうと嘯いてみせる。周囲から囃し立てる様な笑い声が上がった。
南部軍本営は、戦というより行楽の狩りに臨むが如き雰囲気である。
しかし、この気楽さは長くは持たなかった。戦闘の始まりを告げる角笛が鳴り響いてから一刻程度経つと、前線から苦戦の報が続々と届いたのだ。
攻撃が開始された当初は、前面に出た長槍兵部隊がその長い間合いでザリャン氏族軍を圧倒。側背面が脆弱である代わりに、歩兵同士の正面戦闘ではほぼ無敵を誇る長槍兵にとって、谷間は敵に回り込まれる心配の無い最良の戦場だった。
南部軍のゴブリンは誰もがこれは楽勝だと笑みを浮かべる。だが、向かって来る敵兵を尽く返り討ちしている長槍兵部隊に、敵陣から弓矢が次々と射ち込まれると状況は一変した。
盾を持たない長槍兵は密集隊形とその鈍重さもあって、飛び道具に弱い。長槍兵は矢を受けて、ばたりばたりと倒れていく。
慌てた彼らが長槍を斜めに構えて左右に振り、矢を弾きに掛かった。だが、動揺で崩れた隊列では、雨霰と降り注いで来る矢を防ぎ切れない。更に敵歩兵が好機とばかりに突っ込んで来た事で、長槍兵部隊は崩壊の危機に陥った。
南部軍の射手部隊が援護しようにも、つかえた味方が邪魔で前進出来ず、狙いも付けられないでいる。なら長槍兵を後退させて歩兵や戦士を前に出そうとしても、谷間の中では押し合いへし合いの混乱にしかならなかった。
前線の混乱が本営に伝えられると、本営もまた思いも寄らぬ苦戦に動揺する。イルムの目前で怒号が行き交った。
「一度退がらせるべきだ。このままではいたずらに損害が増える」
「何を言う! 己の配下が減るのが嫌なだけであろう! 後退は混乱を助長しかねん、いっそ突っ込むべきぞ」
「然り、モシニクスの敵が動く前に我らは目前の敵を潰さねばならん。このまま攻撃あるのみ!」
「他人の兵は幾ら死んでも良いと? 己の事しか頭に無いのは貴殿らであろうが!」
紛糾する諸侯にイルムは溜息をぐっと飲み込んで、副将に任命したギオルギを見る。ゴブリンの武人は石像の様に、瞑目したまま動かない。暗に手助けしない、器量を見せろと言われた気がした。
ぱんっ。
手を叩き合わせた音が、乱れた空気を正す。怒鳴り合っていた諸侯を鎮めたイルムは、ロムジア氏族長のアスピンザへ顔を向けた。
「アスピンザ殿、出陣の用意を。前線の兵を全て退がらせて敵を引き摺り出し、ロムジア氏族に側面から突っ込んで貰う。諸侯は射手でそれを援護する様に」
「承知!」
小札鎧に身を包んだゴブリンの武将は、脇に抱えていた兜を被って踵を返す。諸侯も当初は戸惑いの顔を作って、ちらちら互いに見合っていたが、やがて了解の意を示して伝令を飛ばした。
後退の命令が発せられ、前へ前へ進もうと団子になっていた南部軍の前衛が退がり始める。しかし、味方で大渋滞の状態では円滑な動きなど望める筈もない。
陣形どころか隊形など無いに等しい南部軍前衛は、敵歩兵に削られ、統制を失いながら後退した。思わずイルムは舌を鳴らす。
「ちっ、下手な退き方だ。モシニクスの戦いでのギオルギやエレクレの兵に比べて動きが鈍い」
見ているうちに敗走の体を成して、南部軍前衛が転げ落ちる様に谷から吐き出された。ザリャン氏族軍は歓声を張り上げて、峡谷から討って出る。
逃げるゴブリンの大集団の背中に、刃を突き立てようと追撃するザリャン氏族軍だったが、谷の外へ出た途端、横腹を思い切り刺された。
城の紋章が縫い込まれた流れ旗を掲げるロムジア氏族四百は、千を超える敵の側面を食い破り、その傷穴を広げていく。
「者共奮え奮え! 包囲されていた間に溜まった鬱憤をここで晴らせ!」
アスピンザの檄に応える様に、ロムジア氏族のゴブリン達は雄叫びと共に得物を振るう。兵士の誰もが毛先程の恐怖も見せずに敵を屠っていくが、それ以上に戦士ゴブリンの活躍が目を見張った。
パパヒというふさふさとした毛皮の帽子を被った戦士達は、鍔無し直剣を血に濡らして舞う様に戦う。彼らのひと踊りで二、三人の敵兵が崩れ落ちた。
側面を四百もの精鋭に食い破られたザリャン氏族軍は、あっという間に士気崩壊を起こしてばらばらとなる。
形勢が再び南部軍のものとなり、全軍による追撃に入った。
後に峡谷近くの洞窟の名に因んで“アミラミの戦い”と呼ばれる戦闘は、百を超える損害を代償にして南部軍の勝利に終わる。
この戦いはナリカラ軍が抱える幾つかの課題を露わにした。投降したザリャン氏族ゴブリンを捕虜として連れて行く自軍兵を眺めながら、イルムは一人思案する。
長槍兵の問題。山岳地に適応出来る柔軟な軍編成。指揮系統の一元化。これらをどう解決していくか。
素直に勝利を喜べない彼の頭に、ふとある事が思い浮かんだ。




