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八十八話 笑う狼

 

 ナリカラ軍出撃す。


 この報せは、イルムからの書状や人伝の情報、ザリャン氏族内の偵察報告など様々な形でナリカラ各地を駆け巡った。


 イルム率いる南部軍二千は、リオニより南西へと進軍を開始。その一方、反対に北へ向かうもう一つの軍があった。千五百を数えるこの軍勢には、エグリシ氏族諸侯の姿が一人として見受ける事が出来ない。

 大将がいる行軍列中央に集中する兵も、各部隊を統率する将も、ほとんどがオルベラ氏族ゴブリンである。にも関わらず、北部軍と名付けられたこの軍の指揮を執るのは、ナリカラ軍総司令官のティラズムだ。

 イルムの支持基盤であるオルベラ氏族をティラズムが率い、彼の熱烈な信奉者たるエグリシ氏族諸侯をイルムが率いるという、このあべこべな状況は、イルムが敢えて行った事だった。


 イルムはエグリシ氏族諸侯に、自身をはっきりと認めさせたい思いがある。

 諸侯がティラズムに忠義を尽くすのは結構。個人としての忠節は自由にして構わない。が、公人としては総督府にきっちり従って貰う。


 これがイルムの考える骨子だ。だからこそ彼はエグリシ氏族諸侯のみを率いて、勝利を収めんとしている。

 また、これにはナリカラ中のゴブリンに対して、オルベラ氏族への認識を変える試みも含まれていた。


 ティラズムがナリカラに帰還した際、オルベラ氏族を社会的に追放していた呪詛状の撤回を行い、モシニクスの戦いでエグリシ氏族諸侯と戦友意識をある程度共有したとはいえ、オルベラ氏族に対する負の意識は未だ根深いところがある。

 そこでティラズムがオルベラ氏族を率いて、オルベラ氏族本拠地の北東部を回復するべく出陣するという、政治的なパフォーマンスを披露させるのだ。

 ゴブリンらは王族とオルベラ氏族の和解を、その眼でしかと捉え、負の意識は大きく減退するだろう。そういう意味合いも、このあべこべな大将配置にはあった。


 更にティラズムの北部軍は、ザリャン氏族を南から引き剥がす陽動でもある。陽動は敵の目を引き付ける程に効果が増す。ゴブリンの王子ティラズムは、まさに適任であった。




 ナリカラ軍出撃の報が駆け回った翌日。リオニから南に離れた、前線となっている地。小高い丘の上に築かれた城を、ゴブリンの軍勢が包囲している。そして、その包囲軍の背後には小汚い天幕の町並みが広がっていた。

 その一角を占める天幕の一つで、黒衣に身を包み、頭にも黒い布を巻き付けた大柄なゴブリンが、葡萄酒の香りを楽しんでいる。やがて彼は美麗な顔の中央にある鼻をぴくりと動かし、葡萄酒の入った銀の酒杯を机に置いた。


「私からの貢物、喜んで頂けているだろうか? ……ん?」


 ふと彼は銀杯の側で羽を鳴らす蝿に気が付き、それを見つめる。感情のない瞳を向けられた蝿は、くるっと宙を舞って何処かへ去っていった。


「……フン」


 飛び去る蝿に対して、彼は鼻から短く息を吹き出す。ザリャン氏族長に仕える重臣、“黒狼(シャヴィマゲッリ)”のサディンは銀杯を再び持ち上げ、口を付けた。嚥下(えんか)の後に杯から離れた口元は、大きく弧を描く。


「怖いくらいに上手くいっている。カルスから距離を取る諸侯への根回しも、占領地を燃え上がらせるのも」


 昨年は活発に行動していたザリャン氏族であったが、年が明けて以降、めっきり大人しくなっていた。その理由は冬季に物資不足で消耗した事が一つだが、更に昨年占領した地域の治安悪化も大きい。

 ザリャン氏族に屈服した旧氏族による暴動や反乱に加えて、ザリャン本領への盗賊行為も多発しており、鎮圧の為に少なくない兵が前線から引き抜かれている。

 だが、この占領地の反乱は裏でサディンが糸を引いていた。旧氏族らに武器や資金を与え、扇動しては暴発させていたのである。

 更に氏族内に対しても、氏族長カルスのやり方に納得出来ない者や、明らかに不満を持つ者などへ根回しを行なって、ザリャン氏族全体の動きを鈍らせてきたのだった。



 サディンが静かに葡萄酒を味わっていると、厚い布の向こうから天幕に入る許可を求める声が掛かる。許諾を得て入室したのは配下の一人だ。側に寄って報告を始める。


「へえ、ナリカラ総督閣下が御婚約。それはめでたき事だ」

「はっ、教会は総督の改宗及び人間との婚約の支持を公表。ナリカラ教会は、完全にナリカラ総督府の支持基盤に組み込まれました」

「うんうん、これで総督府による支配体制が強固なものとなる。何しろ教会だ。影響力が随分落ちているとはいえ、民への潜在的影響は計り知れない。それに教会は大義名分が形を成している様なものでもある」


 サディンは繰り返し頷きながら、口角を吊り上げた。


「良いぞ。教会が完全に総督府の味方となるなら、信仰を通じてザリャンを揺さぶれる。各地の神品と繋ぎを作っておこう。後々彼らを使って民に反乱を起こさせる」

「承知しました。……それで……我らはいつ事を起こしますか?」


 配下の真剣な表情に、サディンは微笑を返す。


「まだまだ先だ。ザリャン占領地の反乱を煽り続けた甲斐あって、猶予を得た総督府はモシニクスの敗戦から立ち直っている。が、未だ形勢は五分になろうとしているだけ。起つには早い」

「という事は、総督府の反攻が進んでからが頃合いでしょうか?」


 “黒狼”は不敵な笑みを(たた)えたまま答えず、右手を払って配下を退室させようとした。しかし彼は、もう一つお伝えしなければならぬ事が、と留まる。


「カルス氏族長から出陣の命が下っております」

「ふん、既に小規模ながら城を二つも囲っている我が軍に何をしろというのだ?」

「包囲の兵は残しつつ、軍を北東部へ向けろと……赤帽子(レッドキャップ)と合流し、ディアウヒを攻めよ、との事」


 サディンから笑顔が去り、仮面の様な無表情となった。一切の感情が消えた主に、配下のゴブリンはこめかみに汗を一粒浮かばせる。息苦しい沈黙がしばらく続いた。(たま)らず配下が口を開こうとした時、サディンが短い溜息を吐く。


「氏族長の命令ならば仕方ない。ただでさえ怪しまれているのに、更に疑われる事は避けねば。ああ、兵に余裕が無いと一度渋っておけ。すんなり聞けば、それはそれで不審に思われる」

「はっ」


 サディンの配下は、安堵した内心を隠しきれずに、ほっと息を吐いて立ち去った。再び天幕内がサディン一人になると、彼は机上で佇む銀杯へ目を向け、歪んだ形で映り込んだ自身の顔を見詰める。


「……赤帽子(レッドキャップ)と合流せよ……臭いものは一纏めか? カルスめ」


 信頼出来ない者達を纏めて遠くにやろう、という魂胆が見える命令に、彼は瞳を尖らせた。だが、銀杯に残っていた中身を一気に(あお)ると、表情に余裕が戻る。


「まあ、いい。暫しの辛抱だ」


 サディンは簡易な椅子から立ち上がり、諸将を呼び寄せる様、天幕の外へ命令を飛ばす。



 二日後、彼は自軍の半数を包囲に残し、軍を揃えて北東部へ向け進発した。

 それでも多くの配下や、自身の息がかかった諸侯を抱えるサディンの軍は、途上に補充として彼の所領から呼集した兵との合流もあって、兵数は一千を数える。

 赤帽子(レッドキャップ)の住処である血濡れ山脈の近くまで到達すると、使者を派遣して接触を図った。しかし、帰って来た使者曰く、既に赤帽子(レッドキャップ)は北東部へ出発していたらしい。


「ならば急いで追い掛けるか。連中、血気盛んだから早くしないと勝手に戦を始めるぞ」


 サディンは自軍をそう急かして、赤帽子(レッドキャップ)の後を追う。

 狼の頭骨を縛り付けた部隊杖が列を成して揺れ、陽が落ちればそれらは松明に照らされて不気味に浮かび上がった。彼らは夜間も進めるだけ進む強行軍に入る。

 人間より持久力に優れるゴブリンの特徴を活かし、小柄な体躯故に歩幅も小さく機動力に劣る弱点を補って、ゴブリンの軍勢は荒々しい山間の細道を急いだ。

 無理を押して距離を稼いだ彼らは、五日の内に北東部へ入り、早馬が赤帽子(レッドキャップ)の背中に届くまでに至る。しかし、ある一報が入った事でサディンの顔色が変わった。


 ナリカラ軍が北東部への侵入を図っており、その軍を率いるはゴブリンの王子ティラズムと見られる。また、ナリカラ総督の姿は認められず。


 この報告にサディンは鬼気迫る笑みを露わにした。さながら極上の獲物を前にした狼の如く。



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