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八十七話 二心

 

 ナリカラ軍がクロムを降伏させてから八日余り過ぎ、イルムはリオニの総督府に戻って来ていた。

 人材として確保した人間達を、軍列の後ろに連れてナリカラに帰還した彼は、ディアウヒに到着するなり、新集落の建設を命じている。

 これは人間が住む場所を、北西国境砦とディアウヒの間に置くというものだった。


 いきなりゴブリンの都市に、人間を住まわせるのは障害が大き過ぎると判断し、いっそ新たに人間とゴブリンを繋ぐ交易都市を作ってしまおうと考えたのである。

 募集時の際、総督府直轄で働かせる者とそうでない者の二つに選別していた為、集落建設者の選り分けはすんなりと進んだ。大半の人間をディアウヒの管轄下に置いて、ナリカラ軍はリオニに向かう。


 そして辿り着いた後には、イルムはクロムを発つ前に行った後始末に匹敵、或いは凌駕する激務に追われた。

 教会やティラズム、諸侯への顔出しを済ませれば、クロム攻略戦の際に引き入れた元ナリカラ外の難民ゴブリンを、彼らの故郷や労働力が不足気味な地域に送り出す。

 それと同時並行で、不在の間に起きた事の報告を受けては必要な対応を行なったのである。それらがようやく落ち着いたのは、今日の昼頃だった。



 リオニ城の執務室では、書類の山の横でイルムが抜け殻と化している。そんな彼の元へ、扉を叩く音が届いた。

 疲労が滲む声で入室を許可すると、ゴブリンがぞろぞろと食事を室内へ運び入れる。机上の書類をゴブリンの一人が回収し、入れ代わりに敷物がやって来た。


その上に鍋が座り、中では牛肉に穀物、微塵切りにされた玉葱とニンニク、そして挽き胡桃(クルミ)がだし汁に浸かり、それらの上にコリアンダーが散っている。

 ハルチョーと呼ばれるスープを前にして、疲れ果てていたイルムの瞳に光が戻った。鍋の隣には、ナスを玉葱やニンニクと共にくたくたになるまで煮込んだナス煮込み(アジャプサンダリ)も置かれている。


 イルムは、まだ慣れないオルソド教式の食前の祈りを捧げてから、前菜としてナス煮込み(アジャプサンダリ)を口にした。鼻の奥にぴりっとした心地よい刺激と香りが突き抜ける。


「あれ? これって香辛料(スパイス)?」

「はい、フメリスネリという混合香辛料を入れてあります。聞けばクロムでの戦の際、クロムから香辛料(スパイス)を大量に使用した料理による挑発を受けたとか。ナリカラにも立派な香辛料(スパイス)はあると閣下に是非知って頂きたいと厨房長が」


 感心した様子でナス煮込み(アジャプサンダリ)を平らげると、ハルチョーに取り掛かった。

 胡桃の香ばしさと共に、ニンニクが疲弊した身体に染み入る。また、隠れていた刻み酢桃(プラム)が酸味を主張し、食欲を刺激させた。

 肉と共に舌の上を転がるのは、ブリンジという穀物だ。やや弾力のある食感に、噛んでいくとほのかに甘味が出る。カシィブ公領でもよく食される為、イルムに取っても馴染み深く、食がより進んだ。

 無言で食し続けるイルムに、昼食を運んで来たゴブリン達は満足気な顔で一礼し、退室していく。室内ではしばらく、静かな目立たない食事の音だけが響いた。



 安らぐ食事の時間が終われば、イルムは再び無情で終わりの見えない政務に戻る。机には新たな書類が積まれていた。


 イルムが軍と共にリオニに帰還した今、最優先で行うべきはザリャン氏族への反攻だ。既に初夏も半ばを過ぎ、麦の収穫はかなり進んでいる。

 この麦を()って戦力の拡充と兵糧を確保し、ナリカラ軍の兵力はモシニクスの戦い前に並ぶ規模となった。

 オルベラ氏族三百、各地で集めた傭兵及び民兵一千二百、エグリシ氏族諸侯軍三千余、ロムジア氏族を除いても都合四千五百以上に上る。エグリシ氏族諸侯軍の一部は防衛に回る事を考慮すれば、攻勢に投入出来る兵力は三千程度だ。


 対するザリャン氏族は、冬越えの準備不足による軍事的、経済的消耗に加え、占領地で頻発する反乱への対応によって、前線の戦力は最盛期に比べて大きく減じている。が、依然として六千もの大軍を(よう)していた。

 ザリャン氏族はこの大兵力で、ナリカラ南西部のロムジア氏族を包囲しつつ、リオニ近辺を圧迫している。ロムジアもエグリシ氏族も、今まで防戦の他なかった。


 しかし、イルムは書類を眺めて楽観的に振る舞う。


「六千に三千で挑む形か。兵力差は二倍だけれど、やりようでいけるいける」


 この余裕の理由は、双方の戦力配置にあった。ザリャン氏族軍は複数の軍に分かれ、更に戦線が南西部のロムジア氏族と、中央のエグリシ氏族の二つに分かれてしまっている。

 結果、広い戦線に戦力が分散され、纏まっているものでも千か二千程度でしかない。まるで各個撃破してくれと言わんばかりの状態であった。

 事実、エグリシ氏族諸侯軍が、ロムジア氏族とリオニとの分断を図るザリャン氏族軍の一部を粉砕。ロムジア包囲網の一角をまんまと崩されている。


「向こうは余裕無いんだろうなー。攻勢はぎりぎり維持出来てるけれど、決定打がまるで足りてないもんね」


 ただ、無視出来ない点もあった。報告書に目を通していたイルムは、唐突に書類の山から地図を取り出し、リオニの南に広がる前線地域をじっくりと見る。


「余裕はなくとも冷静ではあるか、穀倉地帯を優先的に狙ってるな?」


 エグリシ氏族諸侯が守る防衛線に圧力を掛けるザリャン氏族軍は、各拠点を包囲しているが、その戦力は盆地や平野のある場所に偏在していた。つまり、大規模農業が行なわれている地域に集中している。

 また、収穫された麦の多くは各城に無事収まっているが、南側の地域ではザリャン氏族による略奪で、収穫物の一部を奪われていた。


「泥沼覚悟で長期戦に入るつもりなのかな。実際、向こうが後方を静かに出来たら、今以上の兵を差し向けられるしね。嫌な情報もあるし」


 ちらりと一枚の文書に目を向ける。南東部のザリャン氏族本領に潜り込んだ、ボガードからの報告書だ。


「カシィブ公領で傭兵をやってたゴブリンが本領に引き上げ始めた……ね。うかうかしてはいられないか」


 イルムは執務机の上にちょこんと座っていた鈴を鳴らす。……何も起きない。溜息を一つ吐いて、もう一度強めに鳴らした。扉が開かれ、薄紫の髪を揺らす従者が現れる。


「お呼びで?」


 やる気が感じられない顔を堂々と露わにする女屍食鬼(グーラ)に、イルムはほんの少し感心した。


「前は三度だったのに、二度で来た。成長してる……エルガの教育の賜物だなぁ」

「……御用件は?」


 じろっと主人を睨んで用を問う従者に、イルムは短く答えた。


「軍議だ」



 一刻もせずに、リオニに居る主だった者が一堂に会する。エグリシ氏族諸侯とオルベラ氏族が揃い、ザヘシ司祭やティラズムに加えてドモヴォーイの長であるカミーンの姿まであった。

 軍議を開いた本人は、一同を見回してから口を開く。


「今回の軍議で示したいのは、ロムジア氏族の救出及び、北東部奪還についてだ」


 ざわっと空気が乱れた。特にオルベラ氏族の面々は熱を帯びる。一方で、エグリシ氏族を代表するギオルギが冷静に問い掛けた。


「それは軍を二つに割って、攻勢に出るという事で?」

「そうだ。ディアウヒのスラミと共に北東部奪還へ向かう北部軍と、南西部のロムジア救援に向かう南部軍に分かれてもらう」


 そう言ってイルムは、絨毯の様に大きく広げられたナリカラの地図を覗き込む。下げていた剣を腰から外し、鞘に包まれた(きっさき)で南西部を指し示した。


「まず南部軍はエグリシ氏族を中心とし、ロムジア氏族への救援軍となる。分散したザリャン氏族軍を蹴散らし、戦場を南へと押し戻すのが主目的だ。次に北部軍はディアウヒで戦力を整える」


 南西部を指していた剣先が、今度は北へ移る。一度北西部のディアウヒを指すが、一拍置いてからするすると動き、そしてオルベラ氏族の本拠地であった北東部で止まった。


「オルベラ氏族とディアウヒの兵を主体として、北東部を取り戻しに行く。ただし北部軍は陽動の意味合いが強い」


 陽動という言葉にギオルギが反応する。


「敵を南部から引き剥がしに掛かると」

「その通り、敵軍も二つに分かれさせて南部の戦を楽にさせる。可能なら勢いそのまま、モシニクスを落としておきたい」


 その場にいる全員がナリカラ南部に注目した。昨年奪われたモシニクスを取り戻せれば、モシニクスの戦い以前まで戦況を回復出来る。それどころか、逆転させる事も可能な筈だ。


「兵は足りるのですか?」


 オルベラ氏族の中から淡々とした質問が飛ぶ。声の主はスピタカヴォル主教だった。オルベラ氏族一の知謀者に、イルムは立て板に水の如く返答する。


「北部軍はオルベラ氏族とディアウヒの軍だけで足りる。南部軍も傭兵と諸侯軍に加えて、ロムジア氏族とも合流出来れば、十分モシニクスを狙える。それに……こんなのもあるしね」


 イルムは突然手を二度叩いた。彼の背後よりアミネが、一本の巻物(スクロール)を手にすっと音も無く現れる。巻物を受け取り、見せびらかす様に持ち上げた。


「これは内通の文だよ」


 一瞬軍議の場が騒然となるも、イルムが文を開いた事で、瞬時に静まる。内容を確認すると、再び彼の口が開かれた。


「僕がクロム攻略に乗り出していた頃、ザリャン氏族は今と同じ様に去年とは打って変わって大人しかった。何故か? 内通者が工作していたからだ」


 誰もが衝撃で黙り込む中、イルムは更に激震が走る言葉を口にする。


「この文の差出人は“黒狼(シャヴィマゲッリ)”のサディン。根回しと工作でザリャンの動きを鈍くさせていた張本人さ」


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