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八十一話 制止

 

 包囲からたったの半月後。都市クロムとナリカラの間で不戦条約が結ばれ、講和が成立した。


 互いに相手領域を今後攻撃しない事、冒険者を含む武装集団の通過には両当局による許可を必要とする事などが取り決められ、国境もこの不戦条約で正式に決定している。そして間髪入れずに貿易についても取り決めた。

 こちらはクロムの商人特権保護の点から多少揉めたが、互いに認定した商人に、関税免除や(いち)終了後も町に滞在出来る権利、襲撃を受けた際の当局による補償などの特権を与える事で最終的に合意する。


 領主の支配を受けず、自由都市として自治自衛を行ってきたクロムの自治権が侵される事もなく、参事会の責任も大して問われなかったが、城門の鍵を渡した事でクロムは事実上、ナリカラの属領となった。

 とはいえ、これ以上クロムに掛り切りになって、ナリカラを空けていたくないと考えていたイルムは、クロムの自由都市としての地位を保証し、属領化の否定といずれ鍵を返還する事を条約内容に付け加えている。


 講和が成立してから二日経った今日、クロム中心に近い屋敷の一つで身なりの良い男達が酒を酌み交わしていた。上質な麻や毛織物の衣服で身を包んだ彼らは、皆微笑を浮かべて丁寧な所作を自然にこなしている。


「クロムが包囲された時はどうなる事やらと思いましたが、この結果は悪くありませんな」

「然り、あの平民出の組合(ギルド)長は余計な事をしでかしたが、今回の決着で彼奴(きゃつ)の立場は無くなった。我らの春も近い。今はもう初夏だが」

「ははは……長かったですなぁ……魔王軍侵攻の影響で我ら名家商人の力が衰え、その隙を突いて成り上がりの平民商人共に組合(ギルド)を牛耳られた。しかし、もう連中の思う通りにはいかんでしょう」


 クロムに移り住んだ外国貴族出身の商人を先祖に持つ名家の商人達は、苦い過去を振り返りつつ未来へ光のある瞳を向けた。

 やがて話題はクロムを降した魔族の青年へと移る。


「イルムという魔族、あの者には驚きましたな」

「うむ、ゴブリンが信徒であり、また未だ略奪が全く起きていない事も驚きだが、まさか魔族が聖堂に入って司祭より参祷の手順を教わるとは」


 彼らも、ゴブリンを率いた魔族が人間の女性と婚約し、オルソド教に改宗するとは聞いていた。しかし、一見は百聞にしかず。その魔族がクロムの聖堂で祈祷に参加する様子に、誰もが顎を落とす程の衝撃を受けている。


 政治的或いは商売など経済的利益を目的に改宗する事例が存在する為、当初はイルムもそういった目的を持っていると考えられていた。

 だがイルムは教義の概要や祈祷の手順を真摯に聴き、神品や教衆と議論を交わしている。それは改宗どころか神品を目指さんとする敬虔さすら印象付けた。

 実の所は、イルムが単に知識欲から傾聴と議論に熱を入れただけであるのだが。


「更に両軍の戦死者を共に弔うとは。人間より慈悲と徳を備えているのではないかとさえ思えてくるわ」


 またイルムは、クロム包囲戦で犠牲となった者を分け隔て無く丁重に扱い、両軍合同で死者への祈祷(パニヒダ)を行う様、クロムへ要請し実行させていた。貴族商人はこの行動に大いに心動かされている。


 オルソド教において、商業は罪とされる蓄財に直結しやすく、宗教的観点から非難される事が少なくない。オルソド教で崇められている預言者の“全能者”も「富める者が天の国に入る事は、駱駝が針の穴を通るより難しい」という言葉を残している。

 その為、商人は純粋な信仰心もしくは非難を(かわ)す戦略として、教会や修道院への寄付及び貧者への施しを積極的に行なっていた。


 特に貴族商人達は書物や家訓を通して先祖から口すっぱく、神へ誠実であらねばならない事を加えた商人の心得を教え込まれている事もあって、信心深い者が多い。

 この場にいる商人達も、自身の商売が決して行き過ぎた私欲によるものではないと神に示し、また繁盛を願う意味でも祈祷を欠かした事が無かった。


 ずらりと隙間なく並べられた遺体の前を、人間とゴブリンの神品が鎖でぶら下がる香炉を振りながら、祈りの言葉を厳かに(うた)う合同葬儀の光景を思い返して、貴族商人達は目を伏せる。

 そこにゴブリンへの敵意や憎しみは見られない。しかし、再び開かれた瞳には別の人物への侮蔑が籠もっていた。


「それに比べてあの組合(ギルド)長ときたら! 責のある立場でありながら、雲隠れするなぞ……恥を知れ!」


 対ゴブリン強硬派の中心人物であった商人組合(ギルド)長は、イルムがクロムに入城した翌日までに姿を消している。

 講和を前に穏健派によって自身の屋敷に抑え込まれて以降、何ら動きを見せなかった彼であるが、いつの間にか穏健派の兵に囲まれた屋敷から何処かへ逃げ出していたのだ。


 貴族商人達は顔付きを更に厳しくする。


「冒険者共もゴブリンの恨みを買っている身だからと、逃げる様にクロムを去っている。組合(ギルド)長が消えた商人組合(ギルド)だけでなく、冒険者で栄えたクロムそのものも変わらねばなるまい」


 彼らは暫し黙りこくって酒を喉へ流し込んだ。やがて重くなった空気に耐えられなかったのか、一人が酷く明るい声を出し始める。


「ま、まぁゴブリンとの貿易に期待しましょう。ナリカラは鉱物が豊富だそうですし、酒もかなりの物だとか。後々(のちのち)魔族との販路も築けるやもしれません」

「……そうだな、暗くなってばかりでもいられんか」

「ですな、ささっ飲み直しと行こうぞ」


 場が朗らかに和み、貴族商人達の表情も緩んでいった。酒と言葉が適度に交わされる。

 彼らの頬や鼻に赤色が浮かぶ様になってきた頃、突然酔いを吹き飛ばす報せが舞い込んだ。


 北方騎士団と見られる武装集団がクロム近郊に現る。


 この急報に全員が両手で頭を抱えて項垂れるか、こめかみを押さえた。


「機が悪過ぎる……! 今更来られても迷惑でしかないぞ」


 ナリカラとの和睦が成立し、限定的かつ一時的である予定とはいえ、現在ナリカラの影響下に置かれているクロムに、対魔族の急先鋒たる北方騎士団が来ても事態が拗れるだけであるのは明白であった。

 聞けば既にナリカラ軍が迎え討つべく急行しているという。


 衝突は時間の問題だった。




 半刻あればクロムに到着出来るという所で、白装束の騎馬兵団は馬の脚を止めている。北方騎士団総長のロイエ・フォン・プルツェンラントが、片手を挙げて行軍を制したからだ。

 彼らは、地平線の彼方に見えてくる筈のクロムの城壁より先に、正体不明の軍勢を視認している。ロイエは無言で軍勢を眺め、ぽつりと平坦な声を漏らした。


「……先鋒部隊にしては多いな、六百は下らぬか」

「数から見てクロムの軍ではないでしょう、旗も人間諸国では滅多に使わぬ黒地です。話に聞くゴブリンの軍に間違いないかと」


 副官の言葉にロイエも頷く。従者を呼び寄せ、互いに騎乗したまま愛用の戦槌を受け取った。これに他の者も行軍で外していた兜を被り、武器を取り出す。百騎もの騎馬兵は多くが槍を手にするが、三十程度は大型の(クロスボウ)を持っていた。

 ロイエが槌を前に向け、馬を進める。北方騎士団は、前方に立ち塞がる軍へ真っ直ぐ向かっていった。距離が縮まるにつれ、軍勢の姿がはっきりする。


「やはりゴブリンか」


 布鎧(キルティングアーマー)を身に付け、長槍を構える小人達を前にロイエはそう呟く。だが副官の騎士はそれで済ます事が出来なかった。

 野蛮かつ知能が低いとされるゴブリンが、人間の軍よろしく隊列を揃えて防御態勢を取っているのを目の当たりにして、瞬きを忘れてしまう。

 声も出ない副官を放って置いて、ロイエは淡々と命令を下す。


「射手、射撃用意」


 副官の騎士と同じく、ゴブリンの整然とした隊形に驚愕していた兵士達だったが、短い命令に対して即座に背筋を正した。

 (クロスボウ)を持つ者が全員下馬すると素早く一列に展開、太矢(ボルト)を装填し巻き上げ機を使って硬い鉉を引き上げる。この騎馬兵団の殆どは騎兵ではなく、乗馬歩兵であった。


 騎乗戦闘も可能ではあるが本職は歩兵であり、特に射手を騎乗させたものは、敵にとって厄介極まりない一撃離脱を得意としている。射撃準備を終えた(クロスボウ)兵はゴブリン軍との距離を確認し、(クロスボウ)を構えた。

 引き金がゆっくりと握り込まれる。


「待てい! 待てぇい!」


 今まさに戦闘の始まりを告げる太矢(ボルト)が放たれようとした時、突如として制止の声が響き渡った。

 その声は、どよめくゴブリン軍を背後から迂回して現れた、馬衣に包まれた馬に跨る者から発せられている。

 その者は後ろに旗を掲げる一騎を連れて、両軍の間に立った。鹿を描いた旗を翻らせる二人目の騎乗者は、よく通る声で宣言する。


「両者、武器を収めよ! 相打つ必要は無い、この場はタトラ伯が取り仕切る!」


 これには流石にロイエも小さく驚いた。


「タトラ伯だと? 何故(なにゆえ)ゴブリンと……」


 僅かに困惑する中、そのタトラ伯が旗手と共にロイエの元まで駆け寄る。麻のチュニックの上に鮮やかな赤色をした、陣羽織(サーコート)とも呼ばれる丈長上着(シュールコー)を着た男が、自信満々の笑顔をロイエに向けた。


「タトラ伯のゲラルトだ、貴兄らは北方騎士団と見受けるが違いないか?」

「如何にも、北方騎士団総長ロイエ・フォン・プルツェンラントである」

「“亡者(ハンマー)への(・オブ・ザ)鉄槌(・ゴースト)”……!? これは失礼した」


 まさか騎士団総長が居るとは思わなかったのだろう。ゲラルトは目を見開き、慌てて頭を下げようとした。しかし、それをロイエは制する。彼が聞きたいのは謝罪ではなかった。


「ゲラルト卿、一体全体どうなっておられるのか、お聞かせ願いたい」

「う、うむ。総長殿もクロムとゴブリンとの戦に参陣するつもりであったであろうが、既に戦は終わっておる。和睦が成立し、ゴブリンが帰り支度を始める所で、貴卿らが現れたのだ」


 ゲラルトは掻い摘んで更に状況を詳しく説明する。ゲラルトの参陣と敗北、講和までの出来事、イルムという魔族、これらに聞き入るロイエはずっと石像の様に無口で不動だった。

 聞いているのかとゲラルトの顔が不安に染まるが、全てを聞き終えて再始動したロイエは明瞭に言葉を紡ぐ。


「相分かった。なればこそ、私はクロムへ行かねばならぬ。イルム殿に是非とも目通り叶いたい」


 彼は従者を呼び、持っていた戦槌を渡した。配下の兵にも武器を収める様命じる。ゲラルトが呆気に取られている内に、百騎の騎馬隊は武装を解いた。

 魔族撃滅を標榜としている聖討軍、その主戦力である北方騎士団を率いる騎士団総長は、表情の見えない大兜(グレートヘルム)越しに一言掛ける。


「ではイルム殿の面前に参ろうか」


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