八十話 鷲は降り立った
ゴブリンからの使者が立ち去り議場の扉が閉め切られると、顎を髭で覆った男、クロムの市長が鉛の様な沈黙を破る。
「……商人組合長に動きは?」
「ありません」
引き締まった体躯の冒険者組合長が、言葉少なに市長の問いに答えた。彼に続いて、魔術師組合長も厳しい表情で付け加える。
「信頼出来る者に屋敷を囲わせて抑えていますが、変化は見られません。傭兵も市の決定に従うと確約しています、彼らも命あってのという思いですので」
対ゴブリン強硬派である商人組合長は、クロムが使者を迎える前に、参事会によって屋敷に留め置かれていた。ゴブリンの使者など斬り捨てろと主張する彼が参事会に居ては、ゴブリンとの話が拗れてしまうのが目に見えていたからだ。
「反組合長派の貴族商人達にも感謝せねばな……」
市長は小声で呟く。商人組合長の他にも対ゴブリン強硬派の人間達は、現組合長に不満を覚える貴族や名家出身の商人らによって押さえ込まれている。
市長が商人組合長を敵に回す覚悟で、参事会からの締め出しを決断したのは、この様に攻防戦での苦戦により商人組合長を筆頭とした主戦派への批判が高まっている為であった。
「彼は北方騎士団からの援兵を頼りとしているが、皆はどう考える?」
「現在修復中とはいえ一度城壁が崩れた以上、防戦はまず無理でしょう。城壁があったからこそ、今まで何とかなっていたのです。次こそは市内に雪崩れ込まれてしまうでしょう」
「南西のキーイ大公国も不動ですし、解囲は絶望的ですな。使者が最後に残したナリカラの余力についても、話半分に聞くどころか、たとえはったりであっても我らに勝ち筋はありません」
「これ以上の抗戦は無意味、破れかぶれに打って出て玉砕が関の山かと」
市長の問い掛けに、彼方此方から否定的な意見ばかりが飛び出す。都市貴族は分かっていた。相手の実力を大いに見誤っていた事を。
そもそも、冒険者イーゴルが齎したナリカラの情報を軽視していたのは、商人組合と職人組合が中心である。
他の都市貴族らは長年の実績からイーゴルを信頼しており、また彼らは代々続く良家に備わるべき教養として、異文化への関心と敬意を少なからず持っていた。
その為、都市貴族達はゴブリンに対しても、知能の低い魔物から同じ信徒である異民族へと自身が持つ印象を変え易かったのだ。
しかし、このゴブリンへの認識を改める穏健派と頑にゴブリンを魔物として見下す主戦派の構図は、そのまま貴族や富豪層出身者対平民出身者という生来の身分による対立構造と重なっている。
という事はクロムの住民の多くが主戦派に同調している可能性は低くない。
既に参事会はゲラルトの軍が壊滅した時点で、籠城で耐えつつも折を見て和睦を申し出る他無しと内心覚悟を決めつつあった。
だが、ゴブリン如きに下手に出て挙句に降伏するのかと市民が反発する事を考えると、二の足を踏んでしまっていたのである。しかしながら、事ここに至ってはクロムの選択肢はかなり限られていた。
「……決議を行う。城門の鍵を明け渡す事に反対の者は起立する様に」
それから、降伏勧告への返書は一刻もせずに用意され、ゴブリン軍の元へ送られた。
翌朝、クロムの城門前では市長を始め、冒険者組合長や魔術師組合長、クロム聖堂長などクロムで特に有力である都市貴族が、揃って立っている。市長は金の装飾が施された赤児程の宝箱を両手で抱えて、正面からゴブリン軍の陣を見つめていた。
やがて、斜めに交差した赤十字が描かれた黒地の旗と凱旋旗を掲げた集団が、ゴブリンの陣営から真っ直ぐこちらに向かって来る。
先頭には単眼の馬に跨る病弱そうな白肌と黒髪を持つ青年と、隣で同じく一ツ目馬に騎乗する鋭い瞳の女性がいた。話に聞くナリカラ総督のイルムと、彼と婚約を交わしたというエルガだろう。
二人は旗を持つゴブリンと僅かな供だけを引き連れて、市長らクロム代表団の元へ近寄ると、馬からゆっくり降りた。
「魔王軍ナリカラ総督のイルム」
「総督顧問エルガだ、貴卿らが出した返書の中身は降伏条件を全て受け入れるとの事で相違無いか」
市長らはイルムの尖ったところがない雰囲気に、意外だと思いつつもどこか納得した顔をしたが、冷たい印象を受けるエルガの声で表情を引き締める。
「……相違無い、我らクロムはナリカラ総督の慈悲を乞う」
市長は抱え持つ宝箱を開けた。中には絹のサテンで出来たクッションが敷き詰められ、その上に人の手程の大きさがある鍵が鎮座している。
金細工といくつかの小さな宝石が付けられて宝飾品と化している鍵は、クロムの城門を開閉する鍵、即ちクロムの支配権を形にした物だ。
イルムは鍵を確認すると、頷いて箱を閉じる様目配せをする。彼は市長から宝箱を受け取り、供のゴブリンに持たせた。
「確かに城門の鍵は預かった。賠償の銀一万は?」
「中央広場に。軍を連れて御入城されても構いません、どうぞ」
イルムは旗持ちのゴブリンへ命じて、野営地へ向けて旗を振らせ、合図を送る。クロム代表団の導きで、動き出したゴブリンの軍勢が開け放たれた城門を潜った。
青銅の兜を被ったゴブリンの兵士が縦列を作り、整然と行進していく。やがて、黒地に斜交赤十字の旗が、クロムの城壁上に立てられた。
この日、人間の都市クロムはゴブリンの軍門に降った。
市内へ入れば、住民が暴走しない様警備に当たる兵を除いて人気の無い閑散とした、多少曲がりくねる大通りが中央へと這う。警備兵以外の姿無き視線を四方から感じながら、代表団とゴブリン軍は中央広場へと到達した。
市庁舎前の中央広場には、人間が三、四人寝転がる事が出来る大布が広げられ、その上に銀の山が築かれている。そこには銀貨だけでなく、高額取引や蓄財に使われる銀の延棒も積み上がっていた。
市長が徐に振り向き、イルムへ短く述べる。
「賠償の銀です」
「なるほど、こちらの要求に届く量かどうかは後で確認させ……エルガ?」
市長とイルムを置いて、エルガはずんずんと銀の丘へ歩みを進め、膝を折るや躊躇いなく手を突っ込んだ。その場の全員が唖然とする中、彼女は掴んだ銀貨をじろじろ眺め回し、ずざざっと手から溢れさせて山へ流し返す。
「質は悪くないな、使い古されて削れた物も悪貨も見られん。延棒も複数の銀貨を纏めて溶かした物だ、十分な量はあるだろう」
今度は、小指程度の大きさがある歪な銀の棒を一つ摘んだ。彼女はしばらくそれを見詰めていたが、突然広場の一角が騒がしくなった事でそちらに目を移す。
そこでは若い男達が警備の兵と揉み合いを起こしていた。その中から冒険者らしい一人の武装した若者が兵士達の静止を振り切り、広場に突入してくる。
「魔族め、食らえぇぇ!」
小振りな剣を振り上げて突っ込んで来た冒険者だったが、イルムとの間にエルガが立ち塞がった事に慌てて足を止めた。
「そこを退いて、僕が君を救ってみせる!」
冒険者の言葉にクロム代表団は頭を抱える。
クロムは降伏に先立ち、住民に向けて降伏する事を発表し、ゴブリンは魔物ではなく知性ある種族である事やイルムとエルガの婚約についても公表していた。が、それだけで全て納得した者は多くない。
ゴブリンへの認識を改めないどころか、中には魔族と人間が婚約を結んだという事実を、邪悪な魔族が哀れな女性を手込めにしようとしていると歪曲して捉え、見当違いな怒りを覚える者もいた。
その一人が目の前に居る。
「君はこの町を魔族から守る為に、自らを犠牲にしようとしているけれど、その必要は無い! 僕がその魔族を倒す!」
凄まじい解釈をしている若者へ、冒険者組合長が目眩でくらくらしながらも、訂正の言葉を掛けようとした。
しかし、その前にエルガが動き出す。一歩、二歩と踏み出したところで腕を大きく振り被った。
めごしゃぁ!
冒険者の顔面に右拳がめり込む。人が倒れる音と共に、怒りを混えた盛大な溜息が聞こえた。
「私が此奴に無理強いされたとでも思ったか? おまけにクロムを守る為に我が身を差し出した? 片腹痛い」
心底腹立たしそうに、エルガは冷えた声を漏らす。そして目を見開き、仰向けになっている愚かな若者へ肺の底から怒鳴り付けた。
「私は“荒鷲”アルトナルの娘だぞ、舐めるな下郎!」
「ひゃあ!」
エルガの激情を受けた冒険者は、裸一貫で地吹雪の中へ放り出されたかの様に、折れた鼻から流れる赤を際立たせる青い顔でがたがた身を震わせる。
一方で他の者達はエルガの言葉に、双眸を大きくさせた。クロム代表団は思わず口々を開く。
「“荒鷲”とはまさか……スボルツ公か!?」
「敵は武威に恐れをなし、苛烈だが公正な治政に臣民は恐れつつも敬服した事から“厳格公”とも呼ばれたあの?」
「魔王軍による最後の大侵攻の折に病没し、その隙を突いたキーイ大公国に領地を接収されて一族は離散したと聞いたが……彼女はスボルツ公の遺児であったか」
代表団の面々は、エルガの鷲を思わせる鋭くかつ品位ある瞳に、得心がいったと頷いた。イルムは瞳をぱちくりさせて自身の婚約者を見る。
黒味のある栗毛を揺らして振り返る婚約者は、雪原の顔をこちらに向けた。
「邪魔が入ったな。とっとと参事会入りしようか、条約締結を進めねば」
クロムより北方にて、ある一団が馬を進めていた。黒い斜め十字が描かれた白装束を身に纏う百騎もの集団は、大兜を被った騎士を先頭にして突き進む。
「クロムまで後一両日といったところか」
「……ロイエ総長、やはり御自らクロムに向かう必要は有ったのでしょうか?」
一団を先導する騎士、北方騎士団総長ロイエ・フォン・プルツェンラントが呟くと、彼へ副官の顰めっ面が向けられる。
「くどいぞ。万事は副総長に任せてあるし、幹部会も私のクロム行きを承諾している。組織を回す腕は副総長が一番だ。それに引き換え、私は戦さ場で武器を振るう以外取り柄は無いからな」
「その様な事は……」
「構わん」
短い言葉で会話を両断され、副官は口惜しそうにしながらも引き下がった。しかしロイエは気にした様子もなく、言葉を続ける。
「それにナリカラという地には興味がある」
白装束の騎馬隊は、身に纏う物と同じ白地に黒の斜交十字の軍旗をはためかせて蹄を鳴らす。
彼らの頭上では、ロイエの実家であるプルツェンラント家の紋章、舌を突き出す双頭の黒鷲が斜め十字の隣で羽を広げていた。
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