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七十九話 口上

 

 人々が瓦礫の山を掻き分けて、人間を引っ張り出している。崩壊する城壁に巻き込まれてしまった者達を、無事だった人間達が懸命に救助していた。

 大災害に見舞われたかの様な光景を、黒い格好をした白肌のゴブリンが遠目に眺める。


「凄まじいですね、交渉を始めるには少々難しい状況ですが……材料としては悪くない」


 イルムよりクロムへの降伏勧告の使者を任された、ゴブリンの主教スピタカヴォルはそう言って目を細めた。オルソド教の預言者“全能者”が凱旋旗から静かにクロムを見つめているが、その旗を掲げるザヘシ司祭は固い表情で冷や汗を垂らす。


「……矢が飛んできたりはしないでしょうか?」

「心配御無用、冒険者でもそうそう“全能者”に刃は向けられません。それより和睦が成った後の事を今の内に考えては?」

「私は主教様の様に肝が太くはありませんので……」


 瞳を伏せて長く息を吐くザヘシに、スピタカヴォルはやれやれと肩を小さく竦めた。


 ナリカラ教会とナリカラ総督府を繋ぐ連絡役という大任を背負っているにしては、些か度胸が足りていないのではなかろうか。


 神品姿のゴブリンは、円柱帽(カミラフカ)が馴染まぬ中堅司祭に呆れの視線をちらっと送る。そしてナリカラ教会の人材に一抹の不安を抱えつつも、オルベラ氏族の古狐は細目と口角を柔和な形へ変え、クロムに向けて歩み出した。

 城門へ近付くにつれ、クロムの人間が警戒心を連れて姿を見せる。城門や無事だった城門右側の城壁の上から武装した人間がスピタカヴォル達を見下ろすが、手にした武器を向ける者はいない。

 崩れた城壁では救助作業が続けられながらも、ナリカラ軍からの使者へ戸惑いや訝しげな視線を飛ばしている。

 やがて城門の前に到達すると、スピタカヴォルの口が開かれた。


「ナリカラ軍総大将にしてナリカラ総督であるイルム閣下より使者の任を仰せつかった、主教スピタカヴォルである。責任者は居られるか?」


 彼の言葉は、ザヘシ司祭によってグラゴル語に訳され、クロムへと届けられる。人間達はざわっと困惑を露わにどよめく。

 ゴブリンが使者が立てた事自体に加えて、今の状況で何故使者が出されたのかと、首を傾げているのが辺りに満ちた空気だけでも察せられた。

 騒めきの中、城門が小さく音を立てる。


「……私が応対しよう」


 僅かに開かれた城門から、スピタカヴォルとザヘシが身に包んでいるのと同じ神品姿の人間が姿を見せた。スピタカヴォルは、クロムの代表者へナリカラ軍の意思を届けに来た旨を伝える。神品は神妙な顔をすると、ここで待つ様願って城門の向こうへ消えた。

 それから城門が開いたのは、一刻を迎える前の事である。



 今、ゴブリンの二人は、大勢の身なりの良い人間に囲まれていた。都市貴族がひしめくクロム参事会と正面から向き合うスピタカヴォルは、相変わらず穏やかな容貌を崩さない。が、隣のザヘシ司祭は冷や汗を止める事が出来ずにいる。

 一方の参事会は、ゴブリンが神品の格好をしている事、更には主教位である事を示す聖像(イコン)を伴った首飾りを下げている事に、動揺を隠し切れず各所で囁き声が飛び交い続けていた。


「こほん……改めて私はナリカラ軍を率いるナリカラ総督のイルム閣下より、全権を預からせて頂きましたスピタカヴォルで御座います」


 スピタカヴォルの声に場が一瞬で静まる。すかさずザヘシが通訳を行った。ザヘシの操るグラゴル語はやや古い言い回しが多く、すんなり聞けるものではなかったが、逆にそれが偉人の石像を前にした様な威厳を醸し出す。

 スピタカヴォルは両の袖口からそれぞれ一本ずつの亜麻紙の巻物(スクロール)を取り出し、居合わせている役人の一人へ手渡した。


「降伏に際しての要求や保証についてと、ゲラルト卿より預かった文で御座います」


 役人はまずイルムが(したた)めた書状を広げ、読み上げる。その内容は要約すれば以下の様なものだった。


 一、宣戦の矢文にあった様に、今回のクロム攻撃は、クロムが派遣した冒険者によるナリカラへの暴挙に対する正当な報復であり、非難されるべきはクロムの側である。

 二、クロムの罪過は依然として許さざるが、ナリカラ総督は寛大にもクロムへ降伏を促す事とした。詳細は使者が話す。

 三、我らからの要求は、城門の鍵を明け渡す事と不戦及び通商条約の締結である。また賠償として銀一万を用意する事。

 四、降伏を受け入れるのであれば、我がナリカラ軍は一切の暴状を慎むが、拒否した場合は地図からクロムの名が消える事となる。


 一方のタトラ伯ゲラルトの文は、打って変わってゴブリンの習俗に関する情報と、酒肉の美味についてが大半を占めていた。降伏勧告の内容に誰もが顔を険しくさせたが、ゲラルトの緊張感の無い書状に毒気を抜かれる。

 議場に溢れる何とも微妙な空気を、スピタカヴォルが吹き飛ばした。


「直入に申させて頂きますが、閣下はクロムを攻め滅ぼす事は望まず、是非とも降伏してもらいたいと御考え(あす)ばし、私を遣わしました」


 参事会の議場には依然として沈黙が降りているが、色合いはがらっと変わっていた。傾聴の静寂から重苦しい空気に変容した事を肌で感じつつも、それを承知でスピタカヴォルが口上を続ける。


「また閣下をそうさせたるは、ひとえに人間でありながら外交顧問、総督顧問を歴任しておられるエルガ様との御婚約が、本日あい成った事が深く関わっております」


 洞窟内に佇む泉と化していた議場が一変して、今日一番のどよめきを奏でた。

 人間がゴブリンと行動を共にしているという点について大きな驚きは無い。“鋭鋒”のイーゴルが最初に齎したナリカラに関する情報の中に、エルガの事も含まれていたからだ。

 参事会が目を剥いたのは、魔族と人間が婚約を結んだという信じ難い事の方である。更にスピタカヴォルは燃え盛る動揺の炎の中へ爆弾を放り込む。


「エルガ様はオルソド教徒であられる為、イルム閣下は婚約を成すべくオルソド教に改宗される御予定です。つきましては、入城時に閣下を“啓蒙者”つまり洗礼志願者として、クロムの聖堂が温かく迎えて頂ければと考えております」




 時は一旦数刻前に戻る。


 エルガの婚約発言により、イルムが倒れてしまった後、ゴブリン達によって運ばれる主人を放ってアミネは彼女を問い質した。


「婚約って本気ですか? やりようは他にもありそうですけど」

「ああ、婚儀は随分先になるだろうが、婚約は本気だ」


 感情が見られない声にアミネは片眉を上げる。


「目的は? まさか慕われてたら自分も好く様になったとか言わないですよねー?」

「……オルソド教徒と異教徒の結婚は成立せん、婚姻はオルソド教徒同士でなければならない」


 エルガの返答にアミネは両目を見開く。まさかと口を動かそうとするが喉が固まって動かない。それを見たエルガは表情を変えずに、頷きを一つした。


「イルムを改宗させる。彼奴(あいつ)の価値観を魔族からオルソド教のものへと変える……とまで行かずとも、学ばせ理解させるのが目的だ。洗礼前に数ヵ月掛けて教義を学ばねばならんから、嫌でも覚えるだろう」


 衝撃で固まる面々を置き去りに、彼女は容赦無く言葉を紡いでいく。


「イルムは魔族にしては温い所があるが、それでも魔族的感覚はある。オルソド教徒であるゴブリンや人間を支配、交流を行なっていくに当たっては、その魔族的感覚や異教徒である事が負の要素を生み続ける可能性が高い。だから、価値観を共有させるべく改宗させる」


 何とか気を持ち直したアミネが、珍しく強面でエルガに詰め寄った。一瞬、ぱりっと紫電がアミネの両手から噴き上がる。


「魔族がオルソド教徒に? 冗談にしては笑えないですねー」

「私は冗談が言えん。そもそもオルソド教徒になったからといって、魔族が人間になるような事は無い。別にオルソド教の教典も魔族を排せよなどとは言ってないしな」


 エルガはアミネの鋭い目を見据え返し、それに、と続けた。


「ゴブリンがそうであった様に、オルソド教を奉じた魔族は過去にも居た筈だ」

「ッ……」


 目蓋を震わせてアミネが視線を逸らす。見事図星を突いてみせたエルガは、ふんっと鼻から息を吐くと、短く言い切った。


「決まりだな」


 その後、イルムの意識が回復すると、エルガが出した婚約の条件、オルソド教への改宗を彼はあっさり呑む。そして、外交官として神品であり腹芸が出来るスピタカヴォルに使者が任せられたのである。



 言葉も無い参事会に、スピタカヴォルが立ち直る隙を与えまいと畳み掛けに入った。


「以上で私の口上を終えます。それでは城門の鍵を我らに渡すか否か、夕刻までに返書をお待ちしております」


 そう言ってくるりと身を翻したが、背中に叫ぶ様な声が飛び掛かる。


「ま、待たれよ! 論議も無く話を終わらせるのは流石に無礼ではないか?」

「左様! 互いに言葉を尽くそうとは思わぬか」


 都市貴族達の呼び止めに、スピタカヴォルは首だけを彼らに向けた。柔和な面持ちではあったが、返事は素っ気ない。


「我らがここであまり時を費やすと、使者が殺されたと本軍が早とちりしかねません。早々と戻って閣下を安心させねばなりませんので」


 議場を後にしようと首を戻し、足を踏み出そうとする。が、何か思い出したかの様にもう一度振り向いた。


「ああそうだ、最後にナリカラは未だ兵を余らせているというのも言い添えておきましょう。三千の軍が中央の都に待機しており、更に召集を掛ければ万に近い軍も揃えられる状況にある、と。では良き返答をお待ちしております」


 にっこりと笑みを浮かべ、ゴブリンの主教は凱旋旗を握りっぱなしの司祭を連れて議場から退室する。残された参事会の人間達は、呆然とするしかなかった。


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