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七話 ソハエムス

 

「被害はほとんど出さずに敵へ打撃を与えられた……けれど、どうしてこうなった⁉︎」


 バゼー修道院の一室で、近辺の地理が大雑把に描かれた地図を前に、イルムが頭を抱えて情け無い声を上げた。

 そこへ女屍食鬼(グーラ)の従者アミネは、イルムに容赦ない追い撃ちを掛ける。


「打撃を与えたと言っても敵の損害は百前後の上、大半は数合わせの下っ端兵士で肝心の戦士団は無傷。捕虜も大して情報持ってなかったですし、何も無いよりマシ程度ですねー。そりゃ連中もそのまま進撃しますよ」


 ザリャン氏族の軍勢に一度痛撃を与えて時間を稼ぐ、或いはバゼー修道院での籠城戦をより有利にするというイルムの目論見は、ザリャン氏族が狙いをバゼー修道院からその後方に広がる、オルベラ傍流(ぼうりゅう)の支族の領域へ変えた事で、脆くも崩れる事になった。

 既にザリャン氏族の軍は修道院を迂回しつつある。


「うぅ……やっぱりファウダーに帰る。総督辞める」


 机に突っ伏したイルムに、再びアミネの小さな、されど容赦のない言葉が刺さった。


「……ドゥルジ殿下」

「ぐぅ……!」


 イルムが短く呻った後に沈黙すると、アミネはやる気のなさそうな表情のまま主人へ一言問う。


「で、どうします」


 従者の短い問いに、ゆっくりと身体を起こすと、イルムは顔を引き締める。


「……素通りするなら手は出さない」

「それは!」


 まさかの返事に、ずっと黙って聞いていたクムバトが思わず叫んだ。が、イルムは右手を(かざ)してそれを制すると、その理由を説明する。


「まず単純に兵力が足りない。正規兵である戦士の数が違い過ぎるし、民兵の武装もまだ差がある。それに、敵も背後を突いて来る事を想定して、罠を仕掛けてくるだろうしね」


 そこまで言うとイルムは表情を緩めた。


「だから僕達はこの敵軍を攻撃するべきじゃない、寧ろこれは好機でもある。クムバト、書状はもう支族へ出してあるよね?」

「え、ええ。予め用意しておいた檄文に、先の戦いの様子を詳しく(したた)めたものを付け加えて」


 イルムは意地の悪い笑みを浮かべる。


「ソハエムスには?」


 その言葉にクムバトはあっ!と声を上げた。



 三日後、バゼー修道院のオルベラ氏族残党を無視して進んでいたバガラン率いるザリャン氏族軍は、修道院北東地域のオルベラ支族への対応に頭を悩ませていた。

 元はクムバト追討を目的としていたため、限られた戦力しかない現状、脅迫や懐柔などで戦わずして徐々に制圧していく予定だった。

 が、それまで日和見気味だったオルベラの支族の多くが、突如として反ザリャンの意思を明確にしたのである。


 一つ一つは弱小勢力でも、連合を組んで散発的襲撃を繰り返すオルベラ支族連合に、ザリャン氏族きっての名将とされるバガランも手を焼く羽目になった。

 だが、事態はバガランにとって更に悪いものとなる。


 ザリャン氏族が占領して間もない、かつてのオルベラ氏族の主要都市ソハエムスに、オルベラ氏族の軍勢が現れたのだ。



 都市ソハエムスは大混乱の最中にある。

 無理も無い。ソハエムス住民の暴動があちこちで勃発し、駐屯しているザリャン氏族軍がその対応に追われているところへ、オルベラ氏族の軍勢約二百四十が急襲して来たのだから。


「速さが命だ! 行け行け行け!」


 クムバトの怒声に、梯子(はしご)を抱えたオルベラ氏族ゴブリン達が足を速める。

 その後ろでは棒の先に切れ込みを入れて、棒に付けられた投石紐(スリング)の片側をその切れ目に引っ掛けたものを持つゴブリン達が、拳よりも一回り大きい石を投石紐に装填していた。

 それは先の戦闘でも石の雨を降らせて活躍した、投石杖(スタッフ・スリング)と呼ばれる投石器である。

 ゴブリン達は石を装填し終えると、柄を両手で握り込んだ。


「放て!」


 後方で指揮を執るイルムの指示に、ゴブリン達が手に持つ投石杖を思い切り振り下ろす。

 投石紐の片側が棒の切れ込みから外れ、遠心力によって石が勢いよく飛んだ。

 五十近い石弾が木造の城壁を抉り、命中した不運なザリャン氏族兵の骨を砕く。

 僅かな守兵を更に少なくしていく投石の援護を受けながら、オルベラ氏族は梯子を城壁へ掛けて、一気に乗り込む。


 暴動に気を取られていたザリャン氏族は、兵のほとんどが街中に散らばっており、隙だらけの城壁はあっさりと制圧された。

 内側から門が開かれ、オルベラ氏族がソハエムスに雪崩れ込むと歓声を上げる。


「このまま敵を掃討する! 続け!」


 剣を手にそう叫んだイルムは、城門を潜るとオルベラ氏族を引き連れ中央を目指す。

 時折駆け付けたザリャン氏族兵が現れるが、精々数人から数十人程度でしかなく、二百を超える軍勢には大した障害ではなかった。


 戦闘とも言えぬ一方的な殺戮を繰り返し、解放を喜ぶソハエムスの住民達と合流しながら中心部へ到着すると、領主館兼政庁舎である建造物や木造の教会が立ち並ぶ広場で、次々とゴブリンの小さな身体が、ひしゃげて宙に飛んでいるのが見える。

 広場では人間の二倍程ある背丈を持つ毛むくじゃらの巨人が、丸太を削って作られた棍棒を振るって、雑多な武器を手にする蜂起した住民と見られるゴブリン達を薙ぎ倒していた。

 イルムは思いも寄らぬ存在に驚愕して思わず叫ぶ。


「何でトロールが!?」

「恐らくザリャン氏族に傭兵として雇われたのかと……」


 苦々しいクムバトの答えに舌打ちすると、イルムは兵へ指示を飛ばす。


「投石放て! 弓を持つ者もどんどん射て!」


 放たれる石や矢の数々に、流石のトロールも棍棒を振り回すだけでは防ぎきれず、傷を増やしていく。が、射撃がひと段落した時機を見計らって一気に駆け出して来た。


「槍構え、決して近付けるな!」


 オルベラ氏族軍二百四十の内、百二十程度の長槍兵が列をなして穂先を突き付けるが、トロールは異様に大きな鷲鼻から荒々しく息を吹き出すと、棍棒を一振るいして槍の壁を吹き飛ばす。

 これを見てクムバト直率の戦士団五十が前に出た。


 先程は城壁へ一番に切り込んだこの戦士団は、現在のオルベラ氏族兵で唯一、鎖帷子(メイル)などのまともな防具を身に付けており、武具も戦斧(せんぷ)や片手剣など比較的上質なものを揃えている精鋭である。

 また、彼らはかつてはクムバトと共にソハエムスを落ち延びた残党戦士達でもあり、それ故に自らより遥かに巨大なトロールを前にしても、ソハエムス奪還への熱意から全く怯む様子は無い。


 トロールへオルベラ氏族の戦士が斬りかかろうとした時、ささっとクムバトに何か耳打ちしたイルムが制止に入った。


「待て! ここは僕が出る」

「閣下、危険です!」


 クムバトの叫びを無視して、イルムはトロールの前に立つ。剣の切っ先を正面に向けて構えるとやや左方向へ飛び出した。

 トロールは右手に掲げていた棍棒をイルムに向けて叩きつける。だが、イルムは左足で地面を蹴って右へ避けると次に右足で正面へ跳んだ。

 トロールの腹へ剣が突き出される。トロールは咄嗟に後退(あとずさ)り、棍棒を引き摺るような形で薙いだ。

 イルムは屈みながら前に出て剣を振り上げる。

 棍棒が背後を通ると同時に、トロールの右腕が斬り裂かれ、どす黒い赤の液体が流れた。


「浅いっ……! 毛がそこそこ硬くて厄介だな」


 舌打ちしたイルムは間髪入れずに振り返り、袈裟切りで再びトロールの右腕を斬りつける。

 トロールは然程痛がる様子を見せずに細く血を流す右腕を上げて戻しながら、左の平手でイルムを()退()けようとした。

 人の頭をすっぽり握れそうな手のひらが迫って来るのを、右に見ながらイルムはトロールの懐へ飛び込む。

 そのまま剣をトロールの腹部へ突き刺し、捻りを加えて引き抜いた。これにはトロールも苦しげな呻きを上げる。


(にぶ)いぞトロール! 捕まえてみろ!」


 イルムは挑発しながら脇を駆け抜け、背後に回ろうとした。

 が、棍棒を捨て勢いよく身体を回して振り返ったトロールの右手が、イルムの胴を捕らえる。


「うっ!」


 してやったとばかりにトロールがにやりと口を歪めると、イルムも同じように口角を上げた。


「今だ! 突けぇ!」


 クムバトの声に長槍兵が雄叫びで答えながら、槍をトロールの背中に突き立てる。トロールは目を見開き、仰け反って膝をつく。

 しかし右手だけは力がこもっていた。イルムの胴体が圧迫され、みしりと小さいが嫌な音を立てる。


「ぐぇ! このっ、魔法で……あ、上手く出来ない、待ってこれまずい」


 脂汗を流し始めたイルムを見て、クムバトは真っ青になるが、手に持つ剣を掲げてトロールの背へと駆け出す。


「突撃! 総督閣下をお救いせよ!」


 クムバトに続いて戦士団がトロールに躍り掛かり、各々の武器をトロールに叩き込む。


 尚もイルムを離さないトロールの毛だらけの背中を、クムバトがよじ登って首筋に剣を立てると、ようやくトロールは力尽き、前へうつ伏せに倒れる。

 イルムを掴んでいた手も指先から力が失われていった。


 イルムは肋骨の無事を確認するように、自身の胴体を撫で回しながらトロールの右手から這い出す。


「危なかった……思ってた以上にしぶとかった……」

「閣下、心の臓に悪いです。戦士団が前に出ようとしたら『隙を作るから背中を突け』と耳打ちされた時は、思わず固まりましたよ」


 クムバトは大きな安堵のため息を吐いた。イルムは苦笑しながらごめんごめんと軽く謝る。


「戦士団に被害を出したくなかったから」

「だからといって、総督自らが前に出る理由にはなりません。戦士より貴方の方が死んではならない存在なのですよ!?」

「いやぁだって」


 イルムは朗らかに笑った。


「こんな緒戦に戦士が減ったら、ナリカラを纏める為の軍を揃えるのに都合が悪いし、それにこれから色々試したいからここで人材が減るのはちょっと」


 子供のように純粋なイルムの声色に、クムバトは底冷えするものを感じた。クムバトはイルムの事を人の良い人物と思っていたが、それは思い違いであったことを知る。


「即席の長槍や投石杖は上手くいった。次はちゃんと装備を整えてザリャン氏族の軍を潰そう。その次は東部を掌握して……」


 生き生きとした様子で、ナリカラ全土制圧の設計図を考えるイルムに、クムバトは胸の内に一抹の恐怖を覚えた。

 庶子といえども魔王の子息なのだと。


「おっとその前にまずは領主館を制圧しないとね」


 イルムはクムバトの内心を露とも知らず、柔和な表情でそう言った。

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