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七十八話 大崩壊

 

 ゴブリンがそこら中で屯ろする一大野営陣地を太陽が見下ろし、大地に陽気を振り撒いている。そして暖かな陽と同じくらい陽気な声が、野営陣地中央で上がった。


「いやぁ、ゴブリンの実態には驚かされてばかり! このゲラルトも世界をまだまだ知らんな!」


 毛織物のチュニックを着た男が、興味深げに周りを見回す。彼の隣で同じ様なチュニック姿の男が溜息を吐いた。そんな二人の背後からイルムが現れる。


「ゲラルト殿、昨晩は如何でした?」

「おお、イルム殿! 御陰様でゆっくり休めた。ゴブリンに捕われるなど、どうなる事かと不安であったが、蓋を開けばゴブリンも人間とそう変わらんではないか! 食事も美味な物ばかり、何より葡萄酒が素晴らしい!」


 目を輝かせて舌を躍らせるゲラルトに、イルムは乾いた笑いを返した。彼は昨夜もこんな調子でイルムに絡み続けており、イルムは正直もう深くは関わりたくないと思い始めている。


 昨日の戦闘で捕虜とした騎士は従騎士を含めて二十名。そのほとんどは未だ警戒心を抱えて用意された天幕に引き篭もっている。

 だが、ゲラルトは昨夜振る舞われた食事を口にする内に、すっかりゴブリンに囲まれている状況に慣れてしまった。


 そして自分が持っていた印象を、尽く覆すゴブリンの実態を見て衝撃を受けると同時に、好奇心を爆発させる。結果、目に映るもの全てに興奮するという傍目には危ない人間と化した。

 別に実害は無いのだが、ゴブリンやイルムの精神に疲労を与える事がしばしばあるのだ。


「いやぁ今までの印象が全て崩れた、何より我らと同じ教えを奉じているという事が一番驚いたな。ゴブリンも信徒であるならば共に歩む事が出来るではないか。魔族も人魔交流の件がある、十分余地はありそうだ。そうだ! イルム殿、もし出来れば貴殿の知っている魔族で人間との交流に前向き、或いは可能性がありそうな者達と引き合わせてくれぬだろうか? 我が領との貿易に繋げたい」


 止まらないゲラルトにイルムは閉口と苦笑をするしかないが、彼の言葉はどれもナリカラにとって利となる事ばかりである。故に無碍にも出来ず、ひたすら頷きと苦笑を返す他なかった。


「ゲラルト殿、此方のゴブリン達がゴブリンの習俗について語りたい様です」

「え、ちょ、閣下!?」

「ほう! 是非聞かせてくれ」

「では私はこれで……」

「か、閣下――!?」


 何人かのゴブリンを犠牲にして、イルムは何とかゲラルトを振り切る。残された不運なゴブリン達が、圧倒的物量を誇る質問の数々に押し潰されそうになっているのが、振り向き様にちらっと見えた。


 朝餉(あさげ)の炊事煙も消えた頃、ナリカラ軍は戦闘準備に入る。イルムは平衡錘投石機(トレビュシェット)よりやや後方にある陣地を訪れていた。

 そこでは土が盛られた()()()や籠が頻繁に行き来しており、複数の穴とその奥に繋がる通路が掘られている。現場を監督していた赤めの肌を持つゴブリン、コブラナイにイルムは単直に尋ねた。


「坑道の進捗はどう? 今日中に決行出来そう?」

「はい、総督閣下。昨日の内に城壁直下まで坑道を掘り進め、今朝方には支柱を設置して更に掘り広げています。御命令があれば直ぐにでも事を起こせます!」


 復活祭が半ば過ぎた時期に、援軍として到着したコブラナイ達は、この数日間土木工兵として坑道堀りに精を出している。

 クロム包囲初期から坑道自体は掘削を開始していたが、クロムに察知されない様に深くかつ城壁から離れた位置から掘り始めた為、工兵代わりの鉱民ゴブリンのみでは時間が掛かっていた。

 そこへ鉱業の達人であるコブラナイが合流した事で、進捗度合いは飛躍的に向上し、とうとうクロムを囲う城壁の南正面の真下にまで坑道が到達している。


 コブラナイの報告にイルムが満足そうに大きく頭を縦に振った。


「御苦労! じゃあ昼前に始めようか」

「はっ! 作業を急がせます」

「無理はしない様にね」


 やる気に満ち溢れた様子で作業の監督に戻ったコブラナイを見送ると、イルムは本陣に戻る。司令部となっている大天幕が張られた本陣では、ゴブリンの諸将が勢揃いしていた。


 オルベラ氏族長にしてナリカラ軍副大将のクムバトを始め、ゲラルトら騎士に奮戦した猛将ゲガルクニクに城壁への攻撃指揮の一翼を担っていたスピタカヴォル主教他、オルベラ氏族有力者とエグリシ氏族諸侯から派遣された将達がイルムに顔を向ける。


 彼ら以外にも従者にして副官であるアミネと総督顧問官のエルガの二人も、イルムを待っていた。イルムは居並ぶ面々を見渡すと、一度深呼吸する。よしっと胸の内で小さく気合いを入れてから口を開けた。


「いよいよ坑道が開通した、今日でクロムを降すよ!」


 諸将は腰に下げた鍔のない直剣を引き抜いて振り上げると、雄叫びを発する。アミネはやっとですかと言いたげな表情で右手を腰のやり、エルガは静かに瞑目した。

 イルムはクロムを追い詰めるべく、終わりの始まりを告げる伝令を飛ばす。


「コブラナイに伝令! 決行せよ、以上!」


 短い内容を胸中に携えて、ナリカラ軍旗を掲げる伝令が自身を乗せる赤目ロバの腹を蹴った。小柄にも関わらず中々の速度で駆け去ったロバが、伝令と共に視界から消える。

 それから一刻近く経つと、待ちぼうけで流石に退屈になり掛けていた陣中へ一つの報告が飛び込んだ。


「赤布を巻いた矢を二本確認! 合図が上がりました!」


 その言葉を耳にした者は全員クロムの城壁を注視する。じっと緊張を孕んだ視線が注がれる中、突然城壁の背丈が縮んだ。


 地響きが沸き起こり、大量の砂埃を吐きながら石造りの城壁の一部分が地中へと引き摺り込まれる。もうもうと立ち込める砂埃が収まってくると、城門左にあった側防塔の一つが姿を完全に消していた。

 辛うじて屋根瓦や櫓だった木片の山が、ここに塔が存在していた事を伝えている。クロムの防備にぽっかりと穴が開いた事に、ナリカラ軍から大歓声が上がった。


 地下から敵を攻撃する坑道戦術の基本戦術として、敵の真下まで坑道を掘り進めた後、坑道を支える支柱を燃やして坑道諸共地上を崩壊させるというものがある。

 時間と手間が掛かるが、城壁を土台から破壊してしまうこの方法は、今回の戦さにおいても労力に見合う効果を発揮して見せた。


 城壁に馬車がすれ違える程の大きな隙間が空き、その奥にクロムの街並みがちらりと見える事に本陣も興奮に包まれたが、エルガはそれらと隔絶された沈着な面持ちをイルムに向ける。


「城壁が崩れた今こそ、降伏を促す数少ない好機だ。一度兵を市内へ突入させてしまえばもう命令も統率もあったものではない、どちらかが絶えるまでの泥沼な消耗戦になってしまう」

「そうだね、でも降伏してくれるかな? 慈悲を見せて降伏を呼び掛けてもまだ何か弱い様な……何かが足りない気がするんだよね」


 イルムの眉間に皺が寄る。


 城壁が破壊されては防衛は絶望的、それでもクロムはゴブリンに降伏する気になってくれるのか。彼は勿論ナリカラ軍の諸将も心の片隅でそう思っていた。

 それを見てなのか、エルガは一歩イルムへ歩み寄る。


「最後の一押しについては私に腹案がある」


 真剣な眼差しに、イルムも諸将もエルガの口に注目した。彼女が人間であり、何よりクロム郊外に住んでいた事からも、クロムはどうすればナリカラ軍に降るかを知っているに違いないと期待が視線に篭る。

 多くの眼が向けられたエルガの唇が、ゆっくりと開いた。


「私とイルムが婚約すれば良い」


 クロムの城壁が城門左に開いた隙間を広げる様に、更にがらがらと崩れ始める。大量の石材がばらばらとなって、骨組みを成していた木材が飛び出す様に露わになった。

 これらは地面と共に地下へと吸い込まれ、衝撃で木っ端微塵となった木造櫓の破片と石塊だけが地表に積み上がる。


 コブラナイは余程張り切っていたのか、城壁に沿う形で坑道を広げていたらしく、クロムの城壁は巨人が寝転がる事が出来る程の幅が出来てしまった。

 しかし、本陣は目の前で発せられた言葉の方がよっぽど衝撃的であった為に、城壁など一瞥(いちべつ)もしていない。


「もう一度言う、私とイルムが婚約すれば良い」


 その場に弱い風が通り掛かる。エルガの声を耳にした誰もが思わず固まった本陣を、風がどこか気まずそうに通り抜けていった。


「な、何故? 意味が分かりませんが」


 全ての者が思った事を代表して口にしたクムバトは、やや端正な顔付きを困惑に歪める。全くもって意味不明なエルガの衝撃発言に、イルムも感情が抜け落ちてぽかんとしていた。


「クロムに降伏を受け入れさせるには、ナリカラ軍がクロムを陥落ではなく降伏させなければならない事情があると納得させれば良い。つまり実情はどうあれクロムが納得出来る名分を用意すれば良いわけだ」

「それで婚約……ですか? しかしそれがどうクロムを納得させるので?」


 クムバトの疑問に諸将も連れられた様に頷く。エルガは表情を一切変化させず、淡々とした声で自身の主張を一気に言い切った。


「軍を率いるナリカラ総督が婚約を理由に、クロムを攻め滅ぼす事を止めたという事にすれば、降伏勧告の名分が立つ。更に慶賀を汚さぬ様、全軍に乱暴狼藉を禁ずるとも発すれば、クロムもナリカラ軍も降伏勧告と略奪禁止の両方を違和感無く受け取れる。クロムの不信感だけでなく、ナリカラ軍兵士の鬱憤も抑え込めるという訳だ」


 これには諸将も唸らざるを得なかった。祝賀を名分にするというのは悪くない。実はクロムだけでなくナリカラ軍内にも、クロム降伏を納得させなければならない事情があった。

 ナリカラでの冒険者による狼藉と今回の戦闘で、ゴブリンの間に人間に対しての憎悪がある程度醸成されてしまっており、例えクロムを順調に降伏させても入城時に復讐心から略奪や虐殺をしでかしかねなかったのである。


 だが、イルムとエルガの婚約を発表してしまえば、その慶事を汚す事になるとして、それを抑える事が十分期待出来た。何しろ相手はイルムに加えて、()()エルガである。総督府の影響下にあるゴブリンで、エルガの怒りに触れたいと思う者は一人もいない。

 また、魔族と人間の婚姻ともなれば、人魔の融和としてクロムからも歓迎される可能性がある。


 どさっ。


 突如として人が倒れる音がした。見れば魔族の青年が顔を赤くさせて仰向けになっている。


「……これは夢だ。エルガが、こここ婚約を申し出ているなんて、きっと幸せな夢だ。醒めるな」


 ぷしゅぅと煙を上げながら青年は気を失った。


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