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七十七話 思惑

 

「先日、ゲラルト卿の軍が壊滅したそうで御座います」


 クロムの中心地に近い、大きな屋敷の一室。贅を尽くした豪奢な内装が分かりやすいを通り越して、露骨に富を主張する部屋で、商人組合(ギルド)の長である細身の男が椅子に腰掛けていた。彼は側近の報告に頷く。


「聞いている。詳細は知らんが、ゴブリンにある程度痛撃を加えているのなら構わんさ」

「ええ、投石機の破壊は叶わなかったそうですが、ゴブリンは無視出来ない損害を受けた様です。事実、城壁への強襲も中断され、今は投石と矢戦だけに終始しています」


 側近の言葉に商人組合(ギルド)長は笑みを浮かべた。


「結構、あの見栄っ張りも役には立ってくれたか」


 だが側近の男は眉を下げる。それを見咎めた組合(ギルド)長は言えと顎で示し、腰を低くした側近がおずおずと尋ねた。


「その……ゲラルト卿は旦那様を始め、商人の方々から随分と借りておられていました。クロムへの援兵の見返りに、その莫大な借金を帳消しにするとの契約は(いささ)か……譲歩し過ぎたのでは?」


 元々尚武の気が強く、内政が不得手であったゲラルトは、魔王軍侵攻からの領地復興や周辺領主との紛争、装備の下賜(かし)といった配下への配慮など出費が(かさ)む時、度々商人から金を借りていた。

 そして、多少借金があっても、領地の振興で返せるという安直な考えを持ち続けた結果、最早返済不可能な域に達しようとしている。

 だが、このゲラルトのいい加減な金勘定には、貴族らしい見通しがあっての事であった。


「それにゲラルト卿が戦死してタトラ伯の代替わりが起きては、負債は先代のもので新当主には関係無いと開き直る懸念が……」


 そう、金を借りた王侯貴族が持つ最後の手段、『先代の借金なぞ、当代には(あずか)り知らぬもの』という踏み倒しである。信用をかなぐり捨てて、権力にものを言わせたこの強引な手段に、損失と悔し涙を呑んだ商人は少なくない。


 ゲラルトの息子もそういった手段に出た場合は如何するつもりかと、側近の男は不安げな顔をした。


「それは問題無い」


 側近の心配を他所に、そんな事かと組合(ギルド)長は軽く笑い飛ばす。彼は側近に命じて、棚から一枚の羊皮紙を取り出させた。


「ゲラルトとの契約書だ。確かに、クロムが勝利出来た場合、援兵の見返りとして返済の請求は金輪際行わないと契約した」


 組合(ギルド)長は一度言葉を切って、口の両端を吊り上げる。


「だが、この契約はゲラルト個人とのものだ。そして債務契約はゲラルトの名ではなく“タトラ伯当主”と行った事になっている」

「ははぁ……ゲラルト卿が亡くなれば借金帳消しの約束は消える一方、タトラ伯を継いだ後継者に返済請求を続けられると」

「そうだ。それでもなお返済を拒否するならば、向こうが泣き付くまで物流を止めるまでよ」


 側近の男は手にした羊皮紙をじっくりと眺め、感心した様子で息を吐いた。全くもって抜け目ない。


「それに後継はまだ若い。代替わりすれば借金に対処し切れず、利権や領地の切り売りを始めてくれるやもしれん。そうなればタトラ伯領を我々が丸々買い叩く事も夢では無い」


 既に借金の抵当として、タトラ伯領の鉱山採掘権を手に入れている組合(ギルド)長は、抑え切れないとばかりにくつくつと笑いを漏らした。側近も連れられる様ににやっと口を歪める。

 しかし突然、少々荒っぽく扉が叩かれた音で水を差された。


「旦那様、急な報せが」


 無粋な使用人の声に、組合(ギルド)長は気が削がれたという態度を露わにしつつも、入室を許可する。


「……入れ、どうせゲラルト卿の戦死が確認されたのだろう? その程度で取り乱すな」

「いえ、その……ゲラルト卿は……」


 若干不機嫌な主人に恐縮する使用人は、それでも己の主に伝えるべき事を口にした。


「ゲラルト卿はゴブリンの俘虜(ふりょ)になったとの報が入りまして……今朝方にもゴブリンの陣営に、武装は無いものの拘束もされていない卿の姿が確認されたそうです」

「は……?」


 組合(ギルド)長は顎を落とす。言葉の意味が理解出来なかったのか、数秒間彫像と化していた。再起動を果たした彼は、まず机を叩いて怒鳴り散らす事から始める。


「どういう事だっ! 何故ゴブリンが人間を生かす!? 拘束も無しとは正当な捕虜待遇ではないか! ……不味いな」


 理解不能な事態に怒りをぶつけると、すぐにそれによる問題の把握に努めた。こういった切り替えの早さは如何にも商人らしい。彼は使用人を退室させ、小さく唸りながら顎に手をやり、部屋の隅に視線を落とす。


「ゲラルトには死んで貰わねば困る。捕虜となると私の都合が悪くなるし、クロムも頼りのタトラ伯が捕らえられた事に二重の動揺が走る」

「二重の動揺と言うと?」


 側近の問いに、焦燥を僅かに滲ませた組合(ギルド)長が苛立ちを含む言葉で言い返した。


「分からんか。戦力の不安に加えて、投降して助かる可能性が出たとなれば、死ぬ気で戦おうとする者は減るぞ。特に冒険者連中が危ない……っ!」


 彼は何かに気付く。側近に見開いた瞳を向けた。圧のある視線に、側近の男はつい腰が引ける。


「冒険者といえばイーゴルはどうした?」

「“鋭鋒”ですか? 調査隊の生き残りと共にナリカラから帰還して以降、傷の治療中でまだ伏せっているとか」

「もう癒えているだろう、いや腕が動かせるだけでも良い、文を書けさえすれば。奴の父はキーイ大公の縁戚だぞ、大公国から援軍を出すよう説得する書状を書かせろ! 急げ!」


 激しい剣幕に側近が飛び上がる勢いで部屋を出て行く。怒鳴り付けた組合(ギルド)長は、長い息を吐いて椅子に身体を預けた。


 ここのところ彼の計画は狂いっ放しである。

 ゴブリンの巣窟であるナリカラへの侵攻は、ゴブリンが想像以上に手強い事で頓挫、逆にクロムを包囲される始末。

 タトラ伯領の権利獲得も、ゲラルトの戦死で加速するとの想定を組み込んで援兵を頼んだのに、ゴブリンが何故か彼を殺す事なく捕虜として扱った為、御破算どころか借金帳消しの約束で自らの首を締める可能性すら出て来た。


「糞っ!」


 激情を抑え切れずに口汚い言葉を吐き捨て、苛立ちを机に叩き付ける。


 かつて自分は商人の下働きから身を起こし、魔王軍と戦う人間諸国や冒険者に物資を売り捌く運輸業で成功。それを元手に資金難の貴族達へ金を貸しては、債権として利権を回収していった。

 そうして力を付けて、とうとう商人組合(ギルド)長までのし上がったというのに、ゴブリン如きに損を被るどころか華々しくなる筈の人生を台無しにされかけている。


 彼にはそれが何とも腹立たしかった。


「最早キーイが動くまで、頼りになるのは北方騎士団のみか。餌を用意してやったのだから早う食らい付いて欲しいものだ」




 クロム中央から離れた位置にある宿屋。冒険者の利用が多いその宿屋一階で、背の高い男が腰を下ろして木製の麦酒杯(ビアマグ)に口を付けていた。彼に宿屋の主人が近付き、耳元に口を寄せる。


「イーゴル、商人組合(ギルド)長の使いって奴が来てるが」

「追い返してくれ。どうせ俺の親父に頼りたいって話だろ」


 冒険者“鋭鋒”のイーゴルは杯から口を離すなり、ぶっきらぼうに言った。主人は長い付き合いのある常連の言葉に、頷きだけを返して戸口に向かう。イーゴルは何事も無かったかの様に再び杯の中身を喉に流し込んだ。

 もう一杯と机の上にある陶器の水差し(ピッチャー)を傾けて杯に注ごうとするが、ちょろちょろとしか麦酒(ビール)が出てこない。イーゴルは向かいに座る男へ声を掛けた。


「アントン、入れて来てくれ」

「自分でやって下さいよ……」


 やや肉付きの良い男が、文句を漏らしつつも水差しをイーゴルから受け取る。食堂となっている一階奥で横に寝転がる樽に歩み寄り、木の栓を抜く。小さな穴から山吹色の液体が管状に吹き出し、それを受け止める水差しの重量を増やしていった。

 やがて麦酒で満たされた水差しが机上に戻る。


「良いんですかい、商人組合(ギルド)に睨まれるんじゃ? それに防衛にも参加してねえですし」

組合(ギルド)も今の状況で俺をどうこうはしねぇよ。防衛も現状じゃ勝ち目無しだ、下手に参加したらまた負け戦の指揮を任される」


 二杯目の麦酒を手に、イーゴルがアントンの質問に答えた。一度喉を湿らせ、更に言葉を続ける。


「俺達はクロムに伝手はあっても義理はねぇ、最悪冒険者を廃業して帰郷すりゃいい。領地復興も進んだろうし、前々から一度帰る事は考えてたしな」


 すると、彼の隣で沈黙を守っていた大柄な男が、兜と一体化している仮面越しに口を開いた。


「致し方無いか……この町には多少世話になっていたが、流石に共倒れは出来ん。従士(ドルジーナ)として、主を死なせる訳にもいかぬ」

「ドミトリー、そう気負わんでも俺はそうそう死なねぇよ。伊達に“鋭鋒”と呼ばれてないぜ」

「でしょうね、そういう御人だって俺達もよく分かってまさぁ。なぁユーリイ」


 アントンが隣で突っ伏した痩せぎすの若者に目を送る。しかし、何の反応も無い。静かな息に合わせて背中が小さく上下していた。


「寝てやがる……」

「いつもの事だな」


 己の従士(ドルジーナ)達の会話を聞き流しつつ、イーゴルは酒を嗜む。不穏な思惑を腹に隠して。


 ――クロムよ、悪いが故国(キーイ)が動くのはもう少し後だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にな。


 キーイ大公国に臣従する複数の小国、分領公国を支配する(クニャージ)の一人を父に持つ男は、無言で弱い泡を立たせる麦酒を口に運び続けた。


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