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七十四話 肉合戦

 

 復活祭から四日目、『光明の七日』も盛りを過ぎた日の午前の事。イルムは白い顔にほんのり青を混ぜさせて、両手で持つ書類を睨んでいた。書き連ねられた内容は、今日までの事を思えば至極当然であるが、かと言って看過する事は出来ないものである。


「一ヶ月は大丈夫と思ってたのに、後一週間と少し程度しか持たない……!?」


 そう、復活祭で豪勢な料理が大量に振る舞われ続けた事により、食料の消費が当初の見積もりを大きく超えてしまったのだ。

 短期間で多くの畜類が(ほふ)られた為、その分の餌と排泄物処理の手間を浮かせる事は出来たし、東の砦の側を流れる川の下流地域の集落から調達した食料も既に到着していたが、それも全体を見れば雀の涙以上の物ではない。

 イルムは目を通していた書類を投げ出した。


「復活祭で大型平衡錘投石機(トレビュシェット)の組み立ては遅れる、兵糧は食い潰す、敵に時間を与える、良い事無しだ!」


 そう叫んでイルムは、乱暴に簡素な椅子から立ち上がり、いじけた様に地面を踏み付けながら司令部の天幕を出る。外では、彼の懸念などお構いなしと、大規模な串焼きの準備が進められている光景が広がっていた。

 これにイルムの不機嫌な顔が、ますます深くする。が、ふとある事に思い至り、急速に頭が冷えていった。


 ――こちらが苦しい時、向こうはもっと苦しんでいる……筈。麦の収穫前である事に加えて、貯蔵食料や家畜の多くも包囲時にこっちの手に落ちている。クロムの蓄えは多くないんじゃ……?


 イルムの口角が吊り上がる。クロムに食料の余裕がないのであれば、やる事は一つだった。

 彼は手近のゴブリンらに声を掛け、ある事を命じていく。命令の効力が目に見える形になったのは、木皿を木匙で叩く音が鳴り響いてからであった。


 今日も今日とて、変わらず盛大な昼餉が用意されたが、一点だけ今までと大きく違っている。料理の数々が野営地の外へと運び出され、クロムの城壁からよく見えるが、ぎりぎり弓矢は届かない位置に料理とゴブリンが集結した。

 何事かとクロムの人間達が城壁に上がって、その様子を注視する。やがて、クロムに見せ付けるかの様にナリカラ軍の食事が始まった。いや、見せ付けるかの様にではない。豚肉や山羊肉の串焼きを城壁に向けて振るなど、実際に見せ付けていた。

 更にはゴブリン達が豚の丸焼きを担いで、(はや)し立てながら行進を始める。あからさまな挑発だ。


 長期化する事が多い攻城戦では、兵糧攻めが一つの攻撃手段として取られる。しかし、兵糧攻めと一口に言っても、その内容は様々だ。攻撃側が仕掛けるだけでなく、防衛側が仕掛ける事もある。

 敵の補給を断つ、井戸や食糧庫といった物資関連の重要施設を破壊する、などの直接的手段の他、宴を開く事で食料が十分に有り、長期戦の備えが万全であると敵味方に知らしめて、味方の士気を上げつつ敵の士気を下げるという間接的なやり方も存在した。


 イルムは麦の収穫期前の包囲と、復活祭による宴会続きによって、クロムには長期戦を耐える程の物資が残っていないのではないかと見て、挑発に出たのである。

 これなら流血で復活祭を汚す事もなく、かつ有効な打撃をクロムに与えられると、エルガの許可も得られており、イルムの顔に自信のみが浮かぶ。

 彼が目を向けている先で、ゴブリン達が肉や乳製品と卵をたっぷり使ったパンに、自慢の葡萄酒の数々を抱えて、クロムへ挑発の声を張った。


「人間の皆さんこちらへどうぞ、不味い粥より美味いパン、腐った魚より(ふと)った豚、薄い酒より美酒だ美酒! そっちは貧相、こっちは豪勢、なんならお一つ如何かな?」


 焦げ目のある肉を振り回しながらグラゴル語でそこまで言うと、ゴブリンは全員笑い出す。

 クロムはゴブリンの言動に城壁全体がざわざわと蠢いていたが、徐々に動揺が別の空気に入れ替わっていった。やがて、クロムが発する気配は一種類のみとなる。

 その挑発受けて立つ、と。


 ナリカラ軍の『攻撃』に対し、クロムが『反撃』に出る。続々と人が集まる城壁上に、料理を持つ者達が現れると、口々にゴブリンの料理を(けな)し始めた。


「ゴブリン如きが美食を語るとは、片腹痛し!」

「直火で焼くなぞ蛮族のやり方、文明的な我らとは天と地の差があるわ!」


 クロムからゴブリンへの嘲笑が沸き起こる。人間諸国において肉を直火で焼く事は、人間が文明を築く以前に行なっていた野蛮なものと見做され、加熱調理法は茹でるか調理窯(オーブン)によるローストが一般的であった。

 しかし、イルムは動じない。


「強がっちゃって。職業柄、野外で過ごしがちな冒険者が集まる都市であるクロムなら、直火焼きの味を知っている者が多い筈。それに僕は串焼きがクロムにもあるのは知っているんだよ」


 地面の上から高い城壁に向けて、高みの見物をしだしたイルムであったが、それを知ってか知らずかクロムは次々と『文明的』な料理を繰り出す。


「パンや葡萄酒は勿論、豚肉だってこの通り、炙り焼きの他に魚肉との合挽きで作った怪魚焼きだってあるぜ!」

「商人組合(ギルド)からは目玉まで美味い、茹で牛頭! 更に牛肉の蒸し焼きだ!」


 煽り文句と共に、合挽き肉を豚の鼻先を持つ怪魚の姿に形成してオーブンで焼いた物と、じっくり茹でられた牛の頭と牛肉が大皿に乗った状態で城壁の上に掲げられた。どちらも富裕層の宴でよく見られる御馳走である。

 これには流石にイルムの顔が歪む。まさか見事な挑発返しをしてくるとは全く予想していなかった。やむ無くイルムは早々に奥の手を使う。


「か、空元気だ、子豚用意!」


 クロムの攻勢に対し、ナリカラ軍は子豚を並べて迎え討った。ずらりと揃った子豚の小さな頭部へ鈍器が振り下ろされ、甲高くも濁った短い断末魔が上がる。


「うう……」

「何てこった……」


 多くの子豚が屠殺されていく光景に、クロムから思わずといった苦悶の声が漏れ出た。


「子豚が食えるなんて羨ましい……!」


 そう、子豚の肉は貴族や富豪以外は中々手が出せない贅沢品なのである。それが目の前で豪勢に焼かれようとしているのだ。羨望と嫉妬混じりの視線がゴブリンへ注がれる。

 そのじりっとした圧力をイルムは心地よさそうに受け流し、余裕の笑みを取り戻した。ゴブリン達もクロムの料理に一度怯んでいたが、今はイルムと同様の表情をして、子豚を丸で焼いたり捌いて煮込む準備に入る。


 微かに城壁まで漂う匂いに、クロムは口内を湿らして眺める事しか出来ない。あちこちで唾液を飲み込む音やぎりっと歯が鳴る音が立つ。だが、ナリカラ軍が子豚を饗膳(きょうぜん)に変えた時、クロムからも切り札が切られた。

 大身の商人と思しき身なりの良い男が、人に運ばせて来た大皿を指し示し、大声で宣言する。


「この勝負、我らの勝利だ! 見よ、香辛料(スパイス)を惜しみなく使った本物の料理を!」


 男が注目させた料理は一見普通の蒸し鶏だったが、鼻を刺激する香りがこの上なく強烈だ。

 蒸し鶏が乗る大皿を両手で持つ者は、香りが直撃し続けているせいか、口端から唾液が溢れそうになっている。商人の男も一度喉を鳴らしてから、再び口を開いた。


「胡椒だけではない、ナツメグや丁子(クローブ)も……ほんのちょっとだけだが……投入されたこの蒸し鶏は、これより商人組合(ギルド)のお偉方の口に入る物だ! 震えるがいいゴブリン共!」


 一部は誰の耳にも入らない程酷く小さな声だったが、彼の力強い言葉にクロムの人間は揃って歓声を上げ、勝利を謳う。これに対してナリカラ軍は、香辛料(スパイス)という言葉に動揺した。


 ナリカラも香辛料は知っている。が、ゴブリンが胡椒を始めとする香辛料を利用していたのは、人間との交流が続いていた時期であって、百年以上前に交流が絶たれた今では目にする事は滅多にない。

 噂でしか知らない香辛料がたっぷり使われた料理を前に、ナリカラ軍は声も出せずにいた。一方のイルムは、奥歯を砕くつもりかと思わんばかりに歯を食い縛り、大股で大型平衡錘投石機(トレビュシェット)へと向かう。


 組み立て自体は本来の予定を越えながらも完了していたが、投石機の運用を担う工兵を纏める部隊長のゴブリンは、イルムの命令に目を剥いた。


「投石機を使う!? まだ復活祭の期間ですぞ、閣下への両軍の心証が悪くなると思われますが」

「いいから命令だ! 大型平衡錘投石機(トレビュシェット)で、焼き子豚を目一杯腹に詰めた豚を投げ入れてやる!」

「ええっ!? いや、そもそも投石機はまだ調整が済んでおりません!」


 イルムの剣幕に部隊長はまたも呆気に取られるも、組み立ては終わっても各種調整は明日の予定だった為に、使用は出来ないとはっきり告げる。しかし、イルムは譲らない。


「構うもんか、狙いが定まらなくてもクロムを仰天させられればそれでいい!」

「やめんか馬鹿者」


 肩を怒らせるイルムの後頭部が、勢い良くひっ叩かれた。すぱーんと良い音が響く。

 危うく前方へ倒れ込むところを、なんとか抑えたイルムが振り返ると、エルガが無表情で見下ろしていた。氷柱の様に冷えて尖った視線に貫かれて、身体が崩れた体勢のまま固まる。


「エルガ……その」

「食物を粗末に、するな!」


 言葉になっていない短い悲鳴と、尻を蹴り上げられる音が同時に響いた。



中世香辛料こぼれ話


15世紀の美食家「胡椒は庶民のソース」貴族「黒胡椒なんて安物使うか、ロングペッパーやシナモン、サフランだろ」

※↑大航海時代本格到来“前”の話(古代から陸路でも大量に運ばれていた為、十何世紀も掛けて値下がりし続け、なんとか平民の手にも届くようになっていたそうな)


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