七十二話 聖旗
木造櫓からゴブリン軍の陣を眺める人間は、例外無く呆然としている。そんな彼らを置き去りに、祭服を始めとする神品の正装に身を包んだゴブリンが、両手で持つX字形の十字架や旗、更には聖像を掲げての行進を続けた。
陽光を浴びて煌めく金の後光を背負った“全能者”の顔が、畏って両膝を折るゴブリンの前を横切って行く。どう見てもオルソド教に則った行列、十字行を進めているゴブリン達の姿に、クロムは開いた口が塞がらない。
「何でゴブリンが十字行を……」
「ゴブリンがオルソド教を奉じているという、イーゴルの話は本当だったのか?」
信じられぬ光景を目にして、櫓内部や城壁から上がる動揺の声が大きくなっていった。
「そういえば今日は復活祭の前日、聖大安息日じゃないか。あれはその十字行だぞ」
「じゃあゴブリンはマジでオルソド教徒なのか!?」
やがて、どよめく城壁から一人がクロムの街中を指差して叫ぶ。
「ウチらの十字行も始まったぞ!」
城壁の内側を見下ろせば、中央を貫く大通りを行進する厳かな行列が見えた。途端に市民兵を中心に守備兵達が、城壁を降りて大通りへ駆け込み脇に並ぶ。警戒を優先するか信仰を取るかで、城壁の内と外を交互に見やる冒険者らを他所に、石の壁を挟んでそれぞれの祈りの歩みが行われた。
十字行は“全能者”の死後、その遺体を運んで埋葬する過程に因んだ行進である。そして”全能者“が蘇り、天に昇ったとされる日を祝う復活祭、その前日や埋葬式の際など、オルソド教の重要な日や儀式の時に行う行事だ。
正装の神品達が凱旋旗という旗や十字架を掲げて行進し、聖像を仰向けにして棺を担ぐかの様に運び、その後ろに聖歌を歌う者達が続くというものである。実際、埋葬式の際は聖像ではなく永眠者の棺を担ぐ。
信徒らは自身の前を通る行列に祈りを捧げ、やがて列の後ろに加わって聖堂へ向かうのだが、今回は戦の最中の為、祈りを捧げた者から急いで配置に戻っていた。
両軍共に十字行を終えると、再び戦闘準備に入る。
ゴブリン軍の攻撃は、昨日と同じく投石機の射撃から始められた。だが、昨日とは状況が大きく違う。ゴブリン軍の士気は前回以上に高く、逆にクロムは動揺を抱えている。
しかも、ゴブリン軍が攻城陣地として掘った塹壕と攻城兵器群の存在は、今日の戦闘が昨日とは比べられない程、激しいものとなる事を意味していた。
城壁を叩き、木造櫓を砕く投石が続く中、ゴブリンの弓兵や弩兵が塹壕に素早く駆け込んで射撃を始める。これらの射撃を援護として、ゴブリンは大盾に遮蔽小屋、攻城兵器を押して前進。彼らの他に、梯子を抱えるゴブリンも大勢控えていた。
角笛や太鼓が喧しく鳴り響き、人間より二回り以上小さい小人の軍勢が、クロムへと大波の如く押し寄せる。
「弓、射ち返せ! おい、通常の矢じゃなくてありったけの火矢を寄越せ、攻城塔や破城槌を早めに燃やさないと厄介だぞ」
弓兵に命令を飛ばす傭兵出身の指揮官が、矢束を脇に挟んで矢の補充を行う民兵に文句を言う。無理言うなと目で言い返した民兵が、矢束を弓兵の足元に放って、城壁の下へ降りる為に塔の中へ消えた。ほぼ同時にその塔へ石弾が突っ込み、石片と砂埃が辺りに撒かれる。
「くそったれめ、弩放て!」
仕返しとばかりに、商人組合が投入した傭兵部隊が、軍用の弩である鉄鉉弩を構えて太矢を放った。先駆ける様に梯子と共に城壁へ突撃してきたゴブリンはばたばたと射倒される。
ゴブリンは大盾より頼りないが、矢はある程度防げる盾を翳すも、互いの顔がはっきり見える近距離では、軍用弩の射撃を防ぎ切れない。さして厚くはない木製の盾を貫き、威力を落としながらもゴブリンの顔面に太矢が突き刺さる。
一撃で命までは奪えずとも、しばらくは戦闘不能に追いやる弩によって、ゴブリンの歩兵は一時後退を余儀なくされていった。だが、クロムにそれを喜ぶ余裕は無い。
何本もの火矢を受けつつも、攻城塔や破城槌の前進は止まらず、投石によって城壁と木造櫓の被害は拡大し続ける。更に追い打ちとばかりに、ゴブリン軍は投石杖を投入してきた。
古着一枚姿のゴブリンが、棒の先に投石紐を取り付けただけの簡単な投石器を振り下ろし、石を放り飛ばす。急造の櫓は勿論、投石機の攻撃で一部が破壊された城門の櫓にとっても、赤児の頭程の大きさがある石弾は脅威だ。
ぼろぼろの櫓は石を受ける度に、甲高い音と木片を散らしてより破損し、投石で空けられた大きな隙間から飛び込んで来た石で、内部の人間は骨を砕かれる。
「畜生が……!」
「隊長、マズいですぜ! 攻城塔が止められねぇ!」
側に立っていた射手が石を受けて倒れるのを見た指揮官が悪態を吐くと、兵士の一人が火矢をものともせずに進撃する攻城塔を指差して叫んだ。隊長と呼ばれた指揮官が、無精髭に囲まれた口を大きく歪ませる。
「……温存したかったが、仕方がない。魔術師共の出番だ、伝令送れ」
隊長の指示に、兵士が了解の返答をして走り去った。やがて、城壁を見下ろして弓矢を射掛けてくる攻城塔に向けて、何処からか火の玉が飛んでいく。
炎の塊は攻城塔へぶつかり、盛大に破裂した。攻城塔の上部が吹き飛ばされ、激しく燃え上がる。
冒険者組合や魔術師組合が誇る魔術師らの攻撃により、六台あった攻城塔は一台を残して紅蓮に染まり、ゴブリンは大混乱に陥った。これでゴブリン軍の頼みはそれぞれ一台の破城槌と攻城塔のみ、これらは破壊を免れて城門と城壁に取り付く事は出来たが、混乱によって既に突破力は失われている。
生皮で保護された破城槌は、城門の櫓から降り注ぐ落石と煮え油に多少は耐えたが、結局半刻の内に炎の中に消えた。少しでも戦局を変えようとしてか、最後の攻城塔が城壁に辿り着き、ゴブリンが内部の梯子を駆け上がる。
攻城塔最上部前面の壁が、城壁に乗り込む渡し板として跳ね橋の様に下ろされ、ゴブリンが城内へ突入するべく一気にどどっと流れ出した。が、そこへ魔術師組合に所属する錬金術師特製の、焼夷剤を壺に詰めた手投弾が投げ込まれる。
口から火花を噴く壺が、渡し板を顎にした攻城塔の大口へ飛び込み、閃光と爆炎が炸裂、攻城塔は渡し板を埋め尽くしていたゴブリン諸共焼き払われた。火達磨になったゴブリンが次々と、攻城塔から地面へ転げ落ちていく。
城壁に梯子を掛けて乗り込もうしていたゴブリンは、その有り様を見てか、梯子を放り出して逃げ出し始めた。ゴブリン軍より繰り出された攻城兵器を全滅させたクロムは、大きく勝鬨を上げる。
「クロムよ永遠なれ!」
「安息日に攻め寄せる、不届きなゴブリン共に天罰あれ!」
ゴブリン軍の十字行に激しく動揺したクロムだったが、大きな危機もなく撃退出来た事で心の余裕を取り戻し、士気の低かった冒険者も武器や兜などを振り上げて、雄々しく叫んでいた。喜び一色のクロムであったが、再びゴブリン軍が動いたのを見て口を噤む。
混乱を収めたゴブリン軍と共に、再び攻城兵器群が姿を現した。それらは最初に投入された物より遥かに作りが粗く、完成を急がせた印象を受ける。しかし粗造でも十分な脅威ではあった。
ゴブリン軍が改めて攻撃を開始し、大軍勢がクロムへ舞い戻ってくる。だが、もうクロムに恐れの色は見当たらない。
「ゴブリンがオルソド教を奉じていようが知った事か、人間同士の戦みてぇなもんだ。射手は梯子持ちを狙え!」
指揮官の命令で、クロムの守護者らは落ち着いて射撃を梯子を持つゴブリンに集中させ、迫り来る攻城兵器とゴブリンの歩兵を切り離す。
「火矢、放て!」
そして、歩兵の前進が鈍った事で突出する形になった攻城兵器群に、火矢の一斉射撃が放たれた。小さな焔の鬣を生やした矢が我先にと破城槌の屋根や攻城塔に突き刺さる。木材に火矢が刺さったからといってすぐ様炎上する事は無いが、それでも確実にじわりじわりと炙り焦がしていった。
しかし攻城兵器に火矢が降り注がれて尚も、ゴブリンは諦めを知らずに城門と城壁に二度目となる攻勢を掛ける。
「魔術は不要、火矢だけでいける。油用意!」
指揮官の号令で小さな油壺が二つ三つ用意され、合図と共に攻城塔へ投げ付けられた。壺が割れてその中身をぶち撒けた途端、攻城塔に刺さる火矢の焔が大火に変貌して、粗雑な攻城塔を焼き尽くす。
だが魔術師の負担軽減として魔術攻撃を控えたが為に、攻城兵器全てを撃退出来なかった。
「東側に一台取り付くぞ!」
あちこちを焦がしつつも、丸太を組んだ櫓に車輪を付けただけの様な攻城塔が、破壊された木造櫓の上に渡し板を下ろす。板を渡って城壁へ突入するゴブリンに続いて、梯子もクロムの弩に怯まずに突き進んだゴブリン達によって城壁に掛けられた。
遂にゴブリンが初めてクロムの城壁に降り立つが、一番乗りは城壁上に足を乗せた瞬間、首が胴体から離れる。冒険者の男が、鮮血に塗れた斧を左向きからくるりと回転させ、右に刃を薙いで二番目に降り立ったゴブリンの身体を上下に断った。
射手と違って、石を落とす以外にほとんど出来る事が無かった冒険者や兵士が、ここぞとばかりに乗り込んで来るゴブリンへ襲い掛かる。梯子を登り終えて城壁に顔を出したゴブリンは、例外なく首を槍に貫かれ、攻城塔から雪崩れ込むゴブリンも斧や剣などの刃を前に、ただただ多くの血を垂れ流すだけとなった。
ゴブリン軍の攻勢は三度に渡って行われたが、いずれもクロムの城壁を突破する事は出来ずに終わる。少なくとも二百以上の損害を出したゴブリン軍に対し、クロムの人的被害は負傷者が百人に上るも戦死者は五十に満たなかった。
ゴブリン軍の猛攻を防ぎ切ったと、クロムは十字行を見た時の動揺の影もなく士気が大いに上がる。多くの者が安息日の夜を例年以上の笑顔で迎えるが、一方で固い顔の者もちらほらと見られた。
「ゴブリンがオルソド教徒……」
クロム市民の一部は、灯り一つの暗い屋内で、壁に掛けられた斜め十字や小さな聖像を呆然と見つめ、そうぽつりと漏らす。
翌日に向けて醸造されつつある祝賀の雰囲気が一抹の戸惑いを隠して、安息日の夜は過ぎる。そして安息日を過ごせば、オルソド教徒の最重要日の一つである復活祭の朝を迎えるのだった。




