六十八話 衝突
平らに加工しただけの石を積み上げ、木材で補強した砦が、川の側にどっかりと腰を下ろしている。
都市クロム郊外東の端で、魔物が棲まうという森とその向こうに見える山々、人間と魔族の領域をすぱっと分ける大山脈を睨む砦は普段、監視所兼冒険者相手の関所としての役割が主であった。
が、今はそれまでとは全く別、川向こうからやって来る外敵を食い止めるという建設時本来の役目を行なっている。
砦では兵士達が決死の形相で弓を放ち、梯子で乗り込んで来る完全武装の小人、ゴブリンへ槍や斧を振るって抗戦していた。いつもは穏やかな川も、ゴブリンで埋め尽くされ水面が激しく踏み荒らされている。
激しい戦闘が繰り広げられる砦とは打って変わり、川から離れた森の中では一ツ目馬に跨る青白い青年が、ゴブリンが群がる砦を遠目から静かに眺めていた。
「予想通り、攻城兵器無しの力押しだけで落ちるね。別働隊は問題無く渡河出来たかな?」
「はい、先程別働隊から渡河完了の報告が来ました。万一砦から逃れた者がいても全て搦め捕れるかと」
鎧姿のゴブリンからの言葉に青年は頷きを返し、乱戦の最中で砦の跳ね橋が下されていく様子を見つめる。守備兵が百もいない小さな砦は間も無く陥落した。
黒地の上に斜めに交差した赤い線が走るナリカラ軍旗が翻る砦は、今や荷車が入り乱れ食料が山と積まれた物資集積所と化している。
何しろこのゴブリンの軍勢は、総勢二千四百もの大軍。消費される物資は凄まじい量になるのだ。
「はぁぁ……分かってはいたけれど、各自兵糧持参と荷馬車の全力稼働を以てしても二週間持たないか……周辺の村々を襲って食糧を確保しつつ、補給路をきちんと整備しないと」
砦内部を埋め尽くす物資の山を力無く見渡しながら、イルムは溜息を漏らす。短期間で一気に都市クロムを屈服させる為の大軍ではあったが、後方に大量の物資が有ってもそれを前線に輸送する能力が足りていない。
ディアウヒに残ったスラミも荷車と駄獣を掻き集めてはナリカラ軍の元へ送ってくれてはいたが、それでも焼石に水であった。
現在のナリカラ軍の陣容は、大型の平衡錘投石機も含めた投石機十三台、オルベラ氏族とその指揮下のリオニ民兵や傭兵合わせての一千、ディアウヒのスラミ軍の一部とエグリシ氏族諸侯からの兵が八百、そしてナリカラ外のゴブリン六百である。
イルムはナリカラの外へ出るなり辺りに使者を放ち、難民化してナリカラから出て行ったゴブリンを呼び集めたのだ。彼らは補助戦力としてだけでなく、クロムとその周辺についての情報源としても使えると判断され、ナリカラ軍に加えられている。
が、当然ながら数が増えればその分、兵站に掛かる負荷も積み重なった。
イルムが顔付きを厳しくしていると、赤目ロバに騎乗したゴブリンが砦内に駆け込んで来る。イルムの姿を認めた彼は、下馬するなり駆け寄って報告を行う。
「クムバト将軍の別働隊より報告! クロム東の村を制圧、住民と家畜の一部には逃げられましたが豚五十頭と麦二百袋を確保しました」
「よし、まずまずの幸先だ。別働隊はそのまま村を拠点に待機、本隊もそろそろ合流するつもりだと伝えて」
「はっ」
伝令が走り去ってから、砦の周辺を占領していたナリカラ軍は、一部を残して西の方角へと進軍を開始した。数刻も経たずに村を視界に捉えるが、村に進駐している別働隊の様子が明らかにおかしい。
村内は負傷者で溢れ返り、外周では壕が大急ぎで掘られていた。仰天したイルムは別働隊を指揮していた筈のクムバトを呼び付ける。
戦塵に塗れた鎧姿のオルベラ氏族の長は、酷く恐縮した様子でやって来た。
「クムバト、一体何があったんだ」
「村を占拠したところまでは良かったのです。斥候からの敵接近の報を受け、迎撃に出たのですが……」
時はナリカラ軍が砦を陥落させる直前まで遡る。
クムバト率いる別働隊一千は、エルガに教えられた情報を元に、砦の側を流れる川の下流にある渡河可能地点へ進軍。森の木々を切り倒し、丸太を縄で繋いだ急造の浮橋を幾つも作り上げると、流れが特に緩やかな地点で渡河を行った。
大きな問題も無く渡河を終え、これまたエルガからの情報にあったクロムの東にあるデレヴニャ村を強襲する。
ゴブリンらは慌てふためいて逃げる村人を半ば無視して、片端から家畜を捕らえ食糧庫と家々を漁った。
そこそこの食料を確保出来た事にクムバトはほっと一息吐くと、辺りに斥候を放つ。砦の方から敗残兵が来るのが先か、村を奪還しに来るクロム軍来襲が先かと警戒し始めた矢先だった。
クムバトの元に、北西より五百程の軍勢が接近中との報せが入る。彼は直ちに出撃命令を下し、クロム軍と見られる軍勢を迎撃するべく、百の兵を守備に置いて村を出た。
そして村がまだ背中越しに見える距離まで進んでいた時、前方に人間の軍隊を視認する。斥候の報告通り兵数は五百程度、ほとんどが鎖帷子を身に付けた立派な兵であり、その中には騎士の姿も見えた。
「騎士か……何時でも輪形隊形を組める様に警戒せよと各隊へ伝えろ」
伝令を飛ばしたクムバトは、顔面を引き締める。両軍とも横に広がる形で陣を整え、向かい合った。
クムバトは戦後を見据えて一応は使者を立てようかと考える。
本来、戦の作法に倣うのであれば、まず相手の非を打ち鳴らして自らの正当性を主張し、尚も互いに平行線を辿れば最後の討論として剣を交え、勝敗という形で神に審判して頂くのが常道だ。
しかし、クムバトは考えを改めてこのまま戦闘に入る覚悟をする。
敵方の騎士は間違い無く、クロムの者ではなく外からの介入者だ。ならば向こうもゴブリン相手に正否を問うつもりは欠片もないだろうし、使者を送っても即刻殺されるのが落ちだと容易に想像できる。
事実、敵軍は陣形を整え終えると、いきなり二百の弓兵を前進させて来た。
「射手、前へ」
クムバトも自軍の射撃部隊を出し、射撃戦に備える。先に矢を放ったのは敵軍だった。鎖帷子や布鎧姿の人間が矢束を地面に突き刺し、その中から一本を抜き取ると弓に番えて引き、やがて放つ。
放物線を描いて飛んだ矢はゴブリンの射手達へ降り注いだ。だが、ゴブリンは被害を出しつつも前進を続け、彼らも矢の束を地面に突き刺し、弩の鉉を引く。
弓の性能差と人間とゴブリンの腕の長さから来る射程の差で、大いに遅れを取った彼らだったが、兵力差でそれらを十分に補う。一斉に射ち出された矢は、死の雨となって人間の弓兵へと襲い掛かった。
弓の威力は低く鏃は鉄に劣る青銅、一撃で相手を倒せるとはとても言えないとはいえ、数百の矢が文字通り矢継ぎ早と降ってくれば堪らず弓兵は後退していく。ゴブリン達は背中を見せる敵の姿に歓声を上げた。
だがクムバトは顔を強張らせたままである。
「射手下がれ! 来るぞ!」
束の間の勝利に沸いていたゴブリン達が、角笛の音と共に動き出した騎士隊を見て口を閉じた。射手は足早に後方へ退き、槍歩兵や長槍兵が前に出る。
「輪形隊形!」
クムバトの命令で歩兵は部隊毎に円形の陣形を組んだ。モシニクスの戦いでの撤退戦で効果を発揮したこの対騎兵陣形は、既にナリカラ軍全体に浸透し、最近入ったばかりの傭兵や民兵も短期間ながら調練を行なっている。
甲羅に篭る亀の様になった槍歩兵や針鼠の様な長槍兵部隊へ向かって、ゆっくりと五十騎の騎士が二列で近付いて来た。後二百歩以上というところで騎士達は馬を速歩で進め、距離が百歩を切ると更に速度を上げ、襲歩に入る。
彼らは穂先を除く大部分が木製の馬上槍を下ろし地面を震わせて、木製盾の甲羅を持つ巨大亀に体当たりをかました。途端、肉と鉄がぶつかり合う鈍い音と馬の嘶き、そしてゴブリンの悲鳴が響く。
先陣を切った騎士が馬上槍を突き出すと、その穂先は盾を砕いてゴブリンを貫いた。更に甲羅に空いた穴へ馬が突っ込み、内部のゴブリンを踏み砕いていく。
ゴブリンも負けずに槍を向けて馬を突き殺し、落馬した騎士の顔面に青銅槍を叩き込んでなんとか四騎を討ち取ったが、それだけだった。
六つある輪形隊形の一つを踏み潰した騎士隊は、悠々とナリカラ軍から距離を取り直し、再び二列横隊で突撃してくる。
対騎兵陣形である筈の輪形隊形があっさり破られた事にナリカラ軍は動揺し、残っている甲羅が勝手にひび割れた。その隙を騎士達が見逃す理由は存在しない。
甲羅に激しいひびが出来ていた亀は、最も簡単に粉々となった。
「何という……ええい、撤退! 村まで退け! 射手は牽制射撃、長槍は殿軍だ」
壊乱した槍歩兵を見て、クムバトは苦虫を噛み潰して飲み込むと、迷わず退却命令を出す。
弓と弩の射撃で騎士隊を一旦追い払うと、ナリカラ軍はデレヴニャ村へと退き始めた。これを追撃するべく騎士に続いて敵の歩兵が蛮声を上げつつ追いかけて来る。
人間とゴブリンの軍勢の最初の正面対決は、一刻にも満たずに勝負がついた。
「……そして村まで退いた我らは、柵や家屋を盾に敵の突撃をやり過ごし、猛射を浴びせて敵を引き上げさせました。向こうも本隊の接近に気付いたのでしょう、敵が撤退したのはほんのついさっきです」
疲労を滲ませるクムバトが喋り終えると、イルムは瞑目して眉間に右手をやる。
「物資の補給路については近々目処が付くかもという微妙な状況だけれども、増援を前倒しで要請しよう。それとエルガの話ではもっと下流の方に水車小屋と村がある筈だ、そこの食料も確保すれば一月近くは何とかなる。やるよ」
イルムの目蓋が開き、赤黒い瞳の鋭さを増した。彼は騎兵を中心に一部の部隊へ川を下っていく様指示を出し、本隊と別働隊を合同させてナリカラ軍をクロムへと進める。
僅かに陽が傾いた頃、ナリカラ軍は石造りの城壁を視界に捉えた。その日は厳戒態勢で陣の設営に入り、クロムとの静かな睨み合いで終わる。
翌日、慎ましい装飾が施された馬車に乗ったザヘシ司祭と、後方で補給路の調整を監督していたエルガがナリカラ軍の野営陣地に到着したのは、投石機の組み立ても終わった昼前の事であった。




