六十七話 援兵
都市クロムは恐怖と混乱に包まれている。
五日前、ナリカラへ派遣された冒険者を中心とする百八十名の調査隊が、八十程までに減ったぼろぼろの状態で帰還。この事は下は貧民から上は市長に到る全ての者を驚愕させるには十分であった。
更にナリカラから逃げ帰る事が出来た者が齎した情報が、クロムを恐怖の底へ突き落とす。
“千を超えるゴブリンの軍勢が魔族に率いられて現れた”
“人間の軍に匹敵する一糸乱れぬ集団戦術を使っていた”
“有数の魔術師達が放った魔術を簡単に防いでみせる魔族がいた”
などなど、ゴブリンと魔族の強大さを物語るナリカラ調査隊の体験談に、クロムの住民は恐れ慄く。
止めに調査隊に選抜されなかった冒険者らが、自分達まで分が悪い戦いに駆り出される前にクロムから逃げ出そうと城門に殺到。これを見た住民の間で、クロムはゴブリンに攻め滅ぼされると噂が広まり都市中が恐慌状態となっていた。
ナリカラ調査隊帰還から六日、クロムの中心部にある市庁舎の議会室には、重苦しい空気が満ちている。居並ぶ参事会の誰もが、表情を曇らせるか疲れ切った顔をしていた。
調査隊帰還からこれまでの主な議題は、当然ながら調査隊についてとナリカラのゴブリンへの対応である。
調査隊の大半を占めた中堅以上の冒険者百六十名の内、帰還出来た者は六十四名と半数以下であり、冒険商人などの非戦闘員も無事な者は十二名と、八名が犠牲或いは行方不明となった。犠牲の多くはゴブリンの大軍との戦闘よりも、その後の四六時中とも言える止まない追撃や毎晩の夜襲による物だ。
この惨状の所為か、冒険者組合長は引き締まった身体も目立たぬ程に常の覇気が失われ、頻繁に俯いている。いつもは彼によく噛み付く魔術師組合長も、流石に気遣っているのかそれとも事態の深刻さに精神が疲れ果てたのか、押し黙って静かにしていた。
酷く重い雰囲気の中、市長が整った髭を撫で続けながら口を開く。
「今日の議は、答えの出ぬナリカラへの対応ではない。最早、ゴブリンがクロムに押し寄せるのは時間の問題であると判明した」
市長の言葉に誰もが絶句した。明確に敵対してしまったナリカラに対し、剣と言葉のどちらをゴブリンと交えるか話し合われていたが、結局結論は出ずにとうとう最悪の時が訪れたのである。
「渋る冒険者に大金を積んで斥候を頼んだところ、昨日に例の砦へ軍勢が続々と集結している模様だと報告が来た。警戒が厳しくあまり調べられなかったそうだが、それでも少なからず一千はいるという上に、近々進軍する気配が濃厚だとも」
参事会の都市貴族は皆動揺して騒ついた。だが細身の男が勢いよく立ち上がり、大声で場を支配する。
「であるならば、剣を取るのみ! ゴブリンからクロムを守るべく籠城の備えを急がねば」
痩せ型にしては大きい声を張り上げる商人組合長に、誰のせいでこうなったと思っているのかという視線が突き刺さるが、彼はぎらつく刃の様な瞳で周りを見渡してそれらを黙らせた。
しかし、なおも白い視線を向ける魔術師組合長が呆れ声で問う。
「戦力は如何する? 頼みの冒険者も腕のある者は皆あの有様、それ以外の多くが既にクロムから逃げておる。今は門を閉めて無理矢理留めているのは幾人であったか」
これに覇気の無い冒険者組合長が目を伏せて答える。
「……百もいない。半分は一、二年以下の経験しかない駆け出しだ」
クロムには元々三百以上もの冒険者が集っていた。壊滅した調査隊に選ばれていたのは都市貴族から依頼される事も多い上級の冒険者や、組合内では馴染みの顔となっている中堅の者など実力者ばかり。
その他の冒険者は大半がクロムより逃げ出し、残っているのは逃げ遅れた者か、経験の浅さから状況を読み違え愚かな義憤に燃える駆け出し冒険者だ。
「駆け出し連中は、士気だけは高いが当てにならん。まともな戦力になるのは調査隊の生き残りを合わせても百程度だ」
「魔術師組合が出せる戦力も多くはない。戦闘は不得手な者がほとんどな上に金も余裕が無い故、五十程だ」
商人組合長が鼻を鳴らす。
「ふん、その程度か。商人組合は傭兵を百五十以上出せる。各職人組合もそれぞれ数人から数十人出す筈、百二十は超えるだろう」
これでクロムが用意できる正規の兵力は、都市貴族の私兵や市直属の民兵も合わせ約五百、対してゴブリンの軍勢は少なく見積もっても千五百を超えるだろう。ゴブリン二体を人間の兵士一人分と換算しても、戦力差は二倍以上あると予想された。
それでも商人組合長の態度は崩れない。
「籠城で十分持ち堪えられる。援軍も来るのだから然して問題は無い」
「援軍、援軍と言うが具体的にどこの誰が来るのかね」
魔術師組合長が期待はしておらんぞとばかりに冷めた目を向けた。だが商人組合長は自信あり気に胸を張り、笑みを浮かべる。
「要請は各地に送ったが、最も確実なのは北西隣のプレショフ地方のタトラ伯、ゲラルト卿だ。騎士五十を連れると返書にしっかりある、分かるかね? 騎士が五十騎ともなれば従者含めて総勢三百から五百程にもなる。これだけでも防衛の戦力には十分だろう」
「……他は?」
「南西のキーイ大公国からの返事は芳しく無いが、代わりにあの名高い北方騎士団が反応を見せている」
北方騎士団の名に都市貴族の面々がお互いの顔を見合わせ、議会室の空気がざわっと動いた。
人間諸国の対魔族同盟とは別に、騎士修道会を集合させた対魔族連合軍、聖討軍。その中核勢力である北方騎士団がクロムを支援するかもしれないという商人組合長の発言に、参事会中が俄かに騒然となる。
――彼らが来てくれるなら……。
十二分に勝てるのではないかという熱が、じわじわと満ちていく。
空気が変わったのを見て魔術師組合長が苦々しく顔を歪め、反論を口にしようとした時、開け放たれていた窓から歓声が聞こえてきた。商人組合長は口を自信と余裕の形にする。
「到着された様だ、予定より二日も早い。張り切られておられるな」
調査隊帰還以降、住民とは違って根無し草である冒険者を市外へ逃さぬ様、固く閉じられていた門が、今は大きく開かれている。
鎖帷子を着込み、兜の他に鉄製の籠手や脛当、鉄靴まで装備した騎士達が、馬に跨って行進していた。彼らの後ろには、鉄帽子や半球形の兜を被った鎖帷子姿の歩兵が続く。
だが一番目に付くのはやはり先頭で馬を進める騎士だ。他の騎士と装備はさして変わらないが、一つだけ大きく異なる物がある。
騎士の胴体には、太陽光をきらりと反射する胸甲があった。
大通りの両脇を埋め尽くすクロムの住民は、その輝きを目にしては驚きと歓声を上げる。あれほどの鎧を持っているなんて流石だと。
鉄を精錬、加工する際には大量の燃料が必要となり、当然使用する鉄の量が多ければ費用が嵩んでいく。故に剣ですら、品質の良い長剣は騎士や貴族以外の者にとって目が飛び出る程に値が張った。
鎧においては武器以上に鉄を使用する為、この世界では一般的な鎧である鎖帷子でさえ、小石程の金塊と同等の値が付く。果てには二枚の金属板で構成された胸甲など、騎士ですら手が中々出せない代物、それが立派な軍勢を率いる騎士の胴で輝いていたのだ。
全身を鉄で覆う騎士は腰に下げていた長剣を抜き放ち、堂々と頭上に掲げる。
「クロムの住人よ、最早案ずる事は無い。このゲラルトが来たからには! ……ふっ決まった」
高々とそう宣言してみせた騎士は、自らの言葉に酔いしれた。
タトラ伯ゲラルト率いる三百の援軍がクロムに入り、クロムの防衛戦力は凡そ八百となる。不安に押し潰されかけていたクロムは、この援軍で余裕を取り戻し、ゴブリンを返り討ちにしてくれんと誰もが不敵な笑みを湛えて籠城の準備を始めた。
これから六日後、クロムの影響下の内と外を隔てる関所の一つ、川辺に建つ東の砦からクロムへ早馬が飛ばされる。
クロムに転がり込んだ青褪めた兵士が報せたのは、地を埋め尽くすゴブリンの大軍が東の森から姿を現したというものだった。




