六十六話 贈り物
ナリカラの内と外を隔てる砦に、黒地の上に赤い斜交十字が描かれたナリカラ軍旗が溢れている。
冒険者に無血で奪われていた国境の砦を、ナリカラ軍は無血で取り戻していた。冒険者は砦に逃げ込んだ後、負傷者の処置だけを行なって砦を後にしたらしい。
内外関係無くゴブリンで溢れ返る砦の中、イルムは砦で最も奥まった部屋に居た。簡素な丸椅子に腰を落ち着けた彼は、同室している面々、ナリカラ軍の各将へ顔を向ける。
「報告によると、冒険者は先の戦いの後、ここら辺りの領主の軍による追撃や村人の壮絶な落人狩りを食らって、半ば壊滅したみたいだ。出来れば全滅させたかったけれど、もう彼らに遠征する能力は残ってないだろう」
そこまで言うと、イルムは隣に立つアミネへ視線を送った。彼女は応える様に一度目を伏せてから口を開く。
「捕虜は確保出来ませんでしたが、冒険者の落し物には興味深い情報がありましたー」
「落し物?」
ナリカラ軍副将のクムバトが、思わずといった様子で問うた。なお、先の戦いにおいてクムバトはスラミ軍が主力を担った為に、副将でありながらほぼ出番が無かった予備隊の指揮官に甘んじている。
彼がアミネの言葉に真っ先に反応したのも、それを気にして各将の代表振りたいものと思われ、アミネの声の端に呆れが滲んだ。
「えー、冒険者は戦場から離脱する際や落人狩りにあった際に、いくつか物資や荷物を置き去りにしていましてー、その中にこれが」
アミネは一本の巻物を見せる。
「これは冒険者組合へ報告される筈だったであろう記録の一部です。これによると今回の侵攻は意図的なものの様ですねー、とは言っても侵攻というより強行偵察のつもりだった様ですが」
「意図的……!?」
聞き捨てならない事にスラミが目を剥いた。
「では人間はナリカラへの侵攻に意欲があると? ならば我らは三面を敵に囲まれているという事か」
猛将ゲガルクニクも流石に視線を落として腕を組む。鎧姿ではなく本来の黒く質素な神品の格好をしたスピタカヴォルは、瞑目して沈黙を続けた。
顔を曇らせる彼らに対し、イルムは瞳に決意を宿らせて立ち上がる。
「ただでさえ南にザリャン氏族、東に赤帽子を相手にしているところへ、西の人間が攻めて来るのは面倒極まる。背中は絶対に安全にしないといけない」
表情が抜け落ちながらも強い意志を感じるイルムに、各将は察した。アミネが分かっていて、敢えて聞く。
「というと?」
「冒険者の本拠地であるクロムを攻撃する」
空気がぴんと張り詰めた。が、続けて放たれたイルムの言葉で、彼の面相と共に僅かにそれは緩む。
「でも、人間との全面対決は避けたい、あくまで相手をクロムに限定し、落とし所を見つけて講和及び不戦条約、あわよくば同盟を結ぶ」
「不戦条約は分かりますけど、同盟? 人間と?」
「元々人間とは貿易を行う予定だったからね、可能であれば貿易の取り決めもその時に出来たらなと」
そこまで言うと、イルムは再び顔と空気を引き締めた。
「でも、まずはクロム攻撃の軍を揃えないと。スラミ、兵を掻き集めておいて、僕はリオニに戻って戦力を抽出して来る」
ナリカラ軍の大半を砦やディアウヒ周辺に留め置いて、イルムはリオニ城に戻る。多少の護衛を連れただけの少人数故に、馬を急がせれば僅か二日でリオニに着いてしまった。
損害軽微で二百近い冒険者を撃退した戦果を持ち帰れたと、実は内心意気揚々でリオニ城に入ったイルムは、思いも寄らぬ冷や水を浴びせられる。
中南部のモシニクス城以北にて、エグリシ氏族諸侯とザリャン氏族軍が衝突。
この報せを受け取ったイルムは、すっかり馴染んだ執務室へ急行すると冒険者相手の戦果の事も忘れて、エルガからの詳細報告に聞き入った。
曰く、衝突といっても大規模な戦闘は無く、両軍数十から数百程度の小競り合いに過ぎず、どれも概ね勝利している。モシニクス城から徐々に北へ進出していたザリャン氏族を、一部の諸侯が独断で攻撃したものとの事だった。
攻撃の理由は様々だが、勝機の根拠とされたのは同一、『冬季の物資不足でザリャン氏族は弱体化しており、特に西寄りに進む敵は消耗甚だしい』という出処が不鮮明な情報である。
「何で曖昧な情報で諸侯がそんな事を、黒麦を刈る前に攻勢に出るからそれまでは守りに専念する予定なのに」
イルムが驚き半分呆れ半分で言漏らした。一方、エルガは鷲の様な瞳を鋭くさせる。
「功を焦った様だ、冒険者と戦う為に編成されたナリカラ軍はオルベラ氏族が主軸だったろう? エグリシ氏族が冷遇されたら敵わんと先走った連中が居たらしい」
イルムは右手で顔を覆って息を吐いた。
「もぉぉ、彼方を立てれば此方が立たずだよ。ティラズムは? 抑えられなかったの?」
「抑えるも何も事後承諾の出陣だったからな。本人より諸侯の纏め役だったギオルギが、独断専行はティラズムの顔に泥を塗ったも同然と激怒してたが」
右手を下ろしたイルムが、首を軽く振って気持ちを切り替える。エルガはそれが終わるのを待ってから再び口を開いた。
「独断専行の原因となった情報だが、気になるのが西寄りの敵という部分だ。何故西寄りの敵部隊だけが特に弱る?」
「……うーん、別に地形も特異ではないし……ザリャンからすれば軍の左翼という部隊配置の関係かなぁ? 補給の割当で何か問題が起きてるとか」
予測を立ててみるものの、情報が少な過ぎて判然としない。これ以上は情報が集まるのを待つしかないと、イルムは予測をやめて情報の出処について話を変えた。
「住民からの情報って言っていたけれど、どういうものだったの?」
「それがだな、ザリャン氏族からの脱走兵が情報源なんだそうだ」
「えっ!?」
「物資不足による士気低下で脱走し、モシニクス以北の村落に逃げ込んで来たというゴブリンが何人もいたらしい。だがどうも怪しくてな、彼らは村人にリオニに向かうと言って村落を出たそうだが、それからは全員消息が掴めん」
「うわ……怪しい……」
イルムは露骨に顔を顰める。どうにも情報操作の臭いがぷんぷんしていた。エルガは尖らさせた瞳を緩める事なく、とんでもない話を持ち出す。
「おまけにそれを仕向けた本人と思われる者から書簡が来ている」
彼女は蝋で封がされた羊皮紙の巻物をイルムに手渡した。それには一枚の亜麻製の紙が貼られている。
『ボガードの皆様へ、これをナリカラ総督閣下へ御送り下さい』
亜麻紙にはその様な文言と巻物を手にしたボガードの絵が描かれていた。ぞわりとイルムの背中を何かが這う。
「これって……」
「モシニクス城に潜入中のボガードが見付けた物だ。黒幕を探し出そうとした矢先にこれがあったそうだ」
「……こちらがボガードを諜報に使っている事を把握しながらも、敢えてそれを利用するとはね」
気味悪がりつつ巻物を開き、内容に目を通した。衝撃的な中身だったのか、イルムは見開いたままの目を走らせ続ける。最後まで目を通すと、すっかり疲れた顔で羊皮紙を元の形へ丸めた。
「とんだ贈り物だよ……諸侯へ軍か資金を出す様言わなくちゃ、ザリャン氏族がリオニ攻めを始めでもしない限り北に掛り切りになるとも」
「ザリャン氏族は放置して良いんだな、“贈り物”とやらのお陰か?」
「まあね……あ、まだ言ってなかった、その……エルガさん」
「敬称は要らんと……何を畏る」
エルガに正され、イルムは言い淀みながらも言葉を続ける。
「えーと、クロムを、はい」
「ああ、攻める事にしたか。百を超える冒険者が来たという事は向こうもやる気だろうしな、また来襲する前に根を引っこ抜かないと面倒だ」
「……あの、クロムはエルガの……」
「別に故郷ではない、私は流れ者だったからな。よし、クロム攻めには私も同行しよう、どこが強くどこが弱いかはある程度知っている」
「あ、さいですか」
十日後、リオニより攻城兵器を含む五百以上の軍勢が北へ進発した。
エグリシ氏族諸侯の兵を中心とした軍が連れ立つ大量の荷馬車の中には、一台だけ異様なものがある。屋根のあるその馬車は、荷を運ぶにしては小綺麗で装飾や彫り込みによっていやに彩りがあった。
閉鎖的な荷台の中も異様で、ナリカラ教会と総督府の連絡役である筈のザヘシ司祭が乗り込み、金で縁取られた細長い艶のある箱が並んでいる。
少し薄暗い馬車の中で、円柱形帽子を被ったゴブリンは、ちらりと箱に視線を送った。
「……まさかザリャン氏族より先に人間相手へ使う事になるとは……まぁ、ザリャンより人間の方が驚きそうではありますが」
やがてゴブリンの司祭は目を閉じ、薬指と小指を折り曲げての三本指で斜めに十字を描く。
ディアウヒまでの道中、傭兵として志願兵を募り、兵数を膨れ上がらせながら行軍を続けたナリカラ軍は、ディアウヒでスラミの軍と合流。
更に国境砦で待機していたオルベラ氏族軍とも合流し、ナリカラの外側へと黒地に斜交赤十字の旗を進めた。
これはバグラティオニ大王の対魔族遠征以来、約百三十年振りに斜交赤十字がナリカラの外へ出た事になる。
総勢二千を超える大軍勢が目指すは、ただ一つ。冒険者が集う人間の都市クロムであった。




