六十一話 芽吹き
可憐な野花が風に揺れ、雪解け水を含む清流が心地良い音を奏でる。長い冬を超えたナリカラは春一色であった。リオニでも春が謳歌されている。飢えと寒さに倒れた者を置き去りにして。
「いやー、冬に出た死者が凄いね。こっちも向こうも」
リオニ城の執務室にて、イルムが書類を前に眉尻を下げる。机に積み上がる羊皮紙には冬期に凍死や餓死したゴブリン達の事が記されていた。
これにはナリカラ総督府の勢力圏以外に、諜報部隊であるボガードが収集したザリャン氏族の状況も記載されている。
「昨年はお互いに軍をガンガン動かしていたから、大いにナリカラを疲弊させちゃったけれど、ザリャン氏族はこっちよりもよっぽど酷いや。兵を動員し過ぎたね」
ザリャン氏族は隷属させた氏族から物資を搾り取り、本領から大軍を出兵させたが、魔王軍の軍政で弱った地力に不釣り合いな大軍を動員した歪みが、冬で一気に噴出してしまっていた。
その惨状は、飢えに耐えかねて同族の遺体を喰らい、家から剥ぎ取った建材を燃やして暖を取り、家族の遺体で壁の穴を埋めて風を凌ぐ集落すらあった程だ。
イルムが確認を終えた書類を纏めていた灰色肌の女性、アミネが欠伸を一度してから寝ぼけ眼でザリャン氏族に呆れる。
「冬を迎える前に勝負を決めるつもりだったみたいですけど、その戦略って結構いい加減なんじゃないですかねー」
「んー、でも泥沼の内戦になるくらいなら、多少は無理をしてでも短期で終わらせるというのは悪くない考えだよ。事実、僕がナリカラに来なかったら、オルベラ氏族はザリャン氏族に飲み込まれて、エグリシ氏族は早々に孤立、そのままじりじりとやられてただろうし」
イルムはそこで言葉を切った。問題はここからだとばかりに息を吐く。
「僕がバガランを討った辺りからザリャン氏族の計画は狂った。本来なら遅くともモシニクスの戦い頃から、短期決戦は諦めて長期戦を視野に入れるべきだったね。バガランを討たれた事かティラズム帰還の情報が彼らを焦らせたのかな?」
「だとすればこれからは総督府側に有利でしょうねー、冬の死者はこっちの方が少ない上に開墾地がある。地力の差が大きく開きますから」
「そうだね。おまけにザリャン氏族はカシィブ公の介入を防ぐ為に東方砂漠の人間諸国へ資金を流している。カシィブ公領で活動するゴブリン傭兵からの金で補填していてもかなりの出費だ、彼らの財政はガタガタだろう」
ザリャン氏族が如何に限界かを語り合う二人だったが、イルムの顔に晴れ間が見えない。彼の口が億劫そうに動く。
「でも、亡き魔王陛下の隣に有能な財務官が立っていたかを考えれば、油断は出来ない」
「あー、確かに。アポピス殿下が魔王軍主計長官に就任する以前は酷かったですねー。それでも人間諸国を蹂躙出来てちゃってましたから、何とかなってましたが」
「そうなんだよ、指導者の才覚と軍事力でごり押しして何とかなっちゃう事があるから、相手の内情が悲惨でも楽観したくないんだよ」
鼻から長く息を吐き出して腕を組んだイルムだったが、アミネが積まれている書類の山から何枚かの羊皮紙を取り出してイルムに差し出した。微笑を湛えて。
「そんなイルム様に御朗報です」
普段はやる気の無い女屍食鬼に似つかわしくない笑みに、イルムは片眉を上げて怪しむが、渡された資料の内容に思わず顔面を驚喜へと歪ませる。
「うわっ凄い、何この見積!? 開墾地から供給される兵糧の予想量もそうだけど、税の数字も去年と段違い、何これ!?」
「一時的な租税免除を餌にした開墾は中々に順調だったそうで。税の方も税制改革の成果が出てきていると顧問官も仰ってましたー」
「へぇー……ん?」
イルムはアミネがエルガの事を、様付けで呼んだ事に首を傾げた。途端、アミネの目から光が一切消える。
「はい、エルガ様は裏表の無い素敵な御人です。総督府の秩序を守り、律する事に掛けて右に出る者は無く、常に公平であらせられます。その様な卓越された御方を敬称で呼ばぬなど出来ようがありません。エルガ様は――」
抑揚の無い語りを続けるアミネに、イルムは閉口して視線を逸らした。どうやら冬の間に最低でも一度は、勤務態度を理由にエルガにこってり絞られたらしい。
――そういえば、最近アミネが少し真面目に仕事する頻度が増えてたな……そういう事か。
何度イルムが苦言や小言を言っても飄々としていたアミネですら、今や総督府の秩序の番人と言っても過言ではないエルガには敵わなかった様だ。少々効き過ぎな様にも見えるが。
未だに死んだ目でエルガを称え続けるアミネを置いといて、イルムは資料の確認を再開する。
「兎にも角にも、これからは反撃準備で忙しくなりそうだ。ふふん、今年は僕達が押しに押しまくる番だ。覚悟しろザリャン氏族め」
イルムの口が大きく弧を描いた。
ナリカラ総督府が置かれたリオニ城に、暖かい春の風が吹き込んでいる。
翌日、リオニの職人達の住居と作業場が集中する工房街、その一角を占める工房にイルムが居た。
工房内ではゴブリン達が木材を銅の鋸で切断したり、植物や動物の腱を編んで縄にしている。
そこは攻城兵器や弩を製造する兵器工場だった。生産状況を視察しに来たイルムは、ゴブリン達の作業を眺め回す。
「順調だね。攻城戦の際は現地製造でいいけれど、野戦でも使うなら事前に揃えておかないといけないから、この工場は本当に助かるよ」
朗らかにするイルムへ、隣に立つゴブリンが揉み手をしながら顔を向けた。
「へえ、元々ここは家財道具や荷車など大型木工の工房でしたから、ここで完成させる事は出来やせんが部品ならいくらでも作れやす」
工場を取り仕切る彼はそう言うと、攻城兵器の部品製造の場に隣接する建物へイルムを案内する。そこでは弩が生産されていた。
別の工房で作られた小型の弓が運び込まれ、細長い台座に取り付けられる。台座には下部が長いZ字型の金属部品が組み込まれており、これが引き金の役割を果たす。
「弩の大量生産はまだまだと言ったところ、威力の向上も難しいですわ」
兵器工場で生産されている弩は、ゴブリンがこれまで使用してきた弓とほとんど変わらない威力で、革鎧でも受け止める事が出来てしまう程度でしかない。
布鎧を装備した民兵やそれすら無い鉱民兵には有効とはいえ、鎧を纏った戦士ゴブリンや人間相手では威力不足は否めなかった。だが、技術的に改善も難しいのが現状である。
「弓を持った事すら無い都市民兵を射手に出来るだけでも大きいよ、低威力でも攻撃距離の長さというものは侮れないものさ」
満足気に作業を見るイルムは気にしていないと態度で示し、弩の工房を後にした。次に工場長のゴブリンと共に向かったのは、外の兵器組立場である。
一度完成形に組立てて稼働に問題無いか確認するこの場を訪れると、急に日差しが遮られた。組立場の中心に、巨大な木造構築物が聳え立ち陽光を背負っている。
「大型の平衡錘投石機! これこそが本物の投石機だ」
興奮を見せるイルムが見上げた構造物は、一見普通の平衡錘投石機だが、それはモシニクスの戦いで使用された物とは桁違いの大きさだった。
かつての平衡錘投石機は小型に過ぎなかったのだと思わせるこの大型投石機は、ゴブリン程の岩や牛を一頭丸々投げ飛ばす事が出来る怪物である。
「二階建ての家屋に匹敵する大きさ故に組み立てると移動出来ないけれど、攻城兵器としては最強だ。モシニクス奪還に投入してナリカラを震撼させてやるぞ!」
少年の様な輝きを目に宿してイルムは頬を上気させ、腕を振り上げた。
春の訪れと同時に齎されたラトンク公からの追加資金を元手に開始された、総督府の戦力増強と反攻の準備は、着々と進んでいく。
今やイルムの手元にある直轄の兵力は、オルベラ氏族と傭兵として集めた民兵合わせて一千を数え、攻城兵器は大小三十にも上っていた。
北東部失陥にモシニクス陥落と追い詰められていたナリカラ軍だったが、いよいよ反撃の芽が育ちつつある。




