六十話 寒空の下で
また一人、氷の様に冷えて固まったゴブリンが荷車に載せられる。
寒空の下には一頭の牛が曳く車があった。その荷台には、十六人分にもなるゴブリンの凍死体が折り重なっている。
防寒として毛皮を重ね着したゴブリン達が、白い息を吐きながら荷車の御者台に乗り込んだ。やがて凍死者の遺体を積んだ荷車は寒風の中を進み始める。
彼らはもう毎日の様に、町と郊外の墓地を行き来していた。真新しい墓地……いや、遺体処理場と言うべき場所では埋葬人達が硬い土をツルハシで砕き、死者を一度に纏めて埋める為の大穴を掘りつつ彼らを待っている。
そんな遺体運搬に従事するゴブリンと荷車を、一人のゴブリンが見送っていた。
頭まで覆う毛皮の外套を纏う彼は、金切り声を上げて駆け回る北風に顔を顰め、自らの身体を抱く。やがて遠ざかる荷車から、白い大地に視線を落とした。
地面を覆う雪は然程厚くないが、問題は雪よりも寒さの方だった。
ナリカラの気候は極端な寒暖差も無く全体的には過ごしやすいものだが、山岳地と盆地、平野が入り乱れ、地形が複雑故に地域差が激しい。
山岳地ではゴブリンの背丈もの降雪に見舞われる事もあるが、山から少し離れれば一気に雪が少なくなる。しかし、平野部は雪が少ない分空気が乾燥しており、寒さが山岳地よりも厳しくなるのだ。
荷車が遺体を積んだ都市も、降雪が多くない代わりに、低い気温と容赦ない寒風に苦しんでいる。
荷車を見送ったゴブリンは、真っ白な息を吐くと踵を返した。窓の戸が固く閉め切られた家々の間を過ぎ、町の中心部に向かう。
行く道には他のゴブリンどころか、何らかの動植物の姿すら無かった。代わりに道端には何かを引っこ抜いた跡が幾つもあり、時折動物のものと思われる小さな骨が転がっている。
閑散とした道を辿っていくゴブリンは、やがて町の中心に建つ城館に着いた。開門を命じれば木造砦の門扉が重々しく開く。
門を潜り、ゴブリンが頭を覆う外套を外した。露わになった顔は小麦色に焼け、眉間が凝り固まっている。
ザリャン氏族の将にして故バガラン大将軍の一番弟子、アニであった。自身の居館に戻って来たにも関わらず、疲れ切った様子を見せる。
「また私の民が死んだ。ザリャンは随分と無茶な事をしているとは分かっていたが、ここまで疲弊するとは思わなんだ」
彼は深く息を吐き出した。
先年にナリカラに駐屯していた魔王軍が壊滅した事を期に、ザリャン氏族は魔族からの独立を最終目標として挙兵。
鉱民ゴブリンまで動員して周辺氏族を呑み込むと、隷属させた他氏族に生産活動を押し付け、無理矢理大軍を支える状態を作り上げる。
そして今まで強大な軍事力を背景に勢力を拡大してきたが、モシニクス攻防戦の頃にいよいよ限界が見えてきた。
長期間の遠征に伴う負担で、本領と支配下領域が悲鳴を上げ始めたのである。
食糧は勿論、寒さを凌ぐ為の薪を集めようにも、武具製造の為の燃料として森林が消費されてしまい、冬越えする為の物資を確保する事が困難となっていた。
アニが治めるこの町でもあらゆる動物は食い尽くされ、道端に生える草ですら燃料や食糧の足しにする有様である。最早、飢餓に近い状態だった。
短期決戦こそナリカラに最も負担を掛けないというのが、今は亡きバガランの案だったが、ザリャン氏族長カルスはバガランが討死して以降、方針を必要以上に固辞する様になったとアニは感じている。
「王子が出て来た事も考えれば、余計に悠長してはいられないというのは納得出来るが、支配下にある領域どころか本領まで食い潰してしまっては……そも、収奪によって旧他氏族領が荒廃した事で治安が悪化し、それで前線から兵を引き抜くは本末転倒……」
そこまで言ってアニは口を噤んだ。これ以上はカルスを批判する事になってしまう。それでも、アニは顔を歪めざるを得なかった。
ただでさえ魔王軍の圧政で息を切らしていたのに、大軍の動員や長期の遠征など行えば本領は崩壊してしまいかねない。
それを防ぐ為、支配下に収めた旧他氏族領からあらゆる物資が搾り取られたが、当然旧氏族は不満と貧困を高めていく。
遂には秋頃に不平不満を爆発させて、或いは単に生活苦から彼らは、ザリャン本領を荒らす賊と化し始めた。そうなると今度は本領に貧しさがやって来る。
治安を回復、維持するべく前線から兵が戻って来たが、これはこれで物資を消費してしまい、更に隷属氏族から富を吸い上げては貧困と反発による賊が増えるという悪循環が出来上がってしまったのだ。
ナリカラの権力構造を一新するという目的の為に軍事を最優先とした余りに、土台が傾いてしまっている。が、既に冬に突入している以上、今は何も打つ手は無い。
「春になれば多少はマシになるだろうが、赤帽子がどう動くかだな……つい逃げて来てしまったが、連中南下したりはせんよな……?」
アニは赤帽子を傭兵として雇い入れたものの、後々凶悪な彼らと同行し続ける事が恐ろしくて堪らなくなり、本領まで逃げてしまっていた。
流石に本領では散々叱責を受け、カルスからも苦言の書状が送り付けられている。故に詫び代わりとして物資と資金をザリャン氏族軍に融通し、謹慎として自領に留まっていたのだった。
「バガラン様が居られていれば……いや詮無き事だな、カルス様が雪解けの後に如何なさるのかを見るしかない」
亡き大将軍の弟子はそう独り言ち、居館の奥へと去っていく。ザリャン氏族にとって何時に無く苦しい冬は、まだ開ける気配が無かった。
ナリカラの外もまた、冬に閉ざされている。城壁に囲まれた町、冒険者が集う都市クロムは天から降る白粉で白い顔をしていた。
人々は毛皮や毛織物の暖かい格好をして、寒い寒いと小さく文句を垂れながら行き交う。
その中で立派な毛皮外套に身に纏った一際背の高い男が、宿屋の入り口を潜った。宿屋は一階の大部分が食堂となっており、食事の音と話し声が男を包む。
「おやイーゴル、帰って来たかい」
入り口側にあるカウンター越しに、宿屋の主人が声を掛ける。冒険者“鋭鋒”のイーゴルは外套を脇に抱えて、軽い疲労を吐き出した。
「ふう、組合め、クソ寒い時に呼び出しやがって」
愚痴もついでに吐いたイーゴルが、主人に視線で問うと答えが指で返って来る。人差し指で指された先に、イーゴルの従士三人が腹拵えをしている様があった。
「主より先に食い始める従士がいるか、こら」
呆れ顔で彼らに近寄るイーゴルだったが、三人は何時もの調子といった態度を振る舞う。
「組合の動きはどうでしたかい?」
やや太めの男、アントンが黒麦のパンを千切りながら問い掛けた。イーゴルは肩を竦める。
「変わらずだ。数に任せて山脈の調査を行った結果、ゴブリンの道を発見出来たからって、更に規模を拡大してナリカラに乗り込むつもりだそうだ。そして、それの大将に俺を御指名だ。ドミトリー、それ取ってくれ」
仮面付兜を被るドミトリーは、大皿にでんと乗る茹でられた豚肉を切り分け、別の皿に盛り付けてイーゴルに渡した。
その後、皿を渡した右手で麦酒の入った木製コップを握り、仮面の向こうから軽く唸る。
「となるとやはり、ナリカラに攻め込むのか」
「そこまでは分からん。秋前の市民投票ではゴブリンに対する軍事行動に是となったし、商人組合は各地に糾合の書状を送っているらしいが、冒険者組合も魔術師組合も戦さにするつもりは無いとよ」
イーゴルが自分の前に豚肉の皿を置くと、ナイフで肉を突き刺して口に運び、歯で食い千切った。咀嚼し飲み込んでから再び口を開く。
「ただ、えらく職人組合がやる気らしくてな、市民投票で軍事行動に賛成の票を投じたのも有力商人以外に職人の親方連中が多かったって話だ」
「……景気が良くなるって……聞いた……」
黙々とスープに黒パンを浸して食べていたユーリイが、手を止めて呟いた。ちらりとアントンに視線を送る。目を向けられたアントンは、麦酒で口を湿らせてから語り出した。
「聞いた話ですがね、魔王が死んでからクロムの武具需要が落ち込んじまったつうんですわ。徐々に武具以外も不景気になり始めて……ってところに今回の件、そりゃ戦さになってもらった方が職人共には好都合という訳で」
「武具以外にも諸道具やら荷車の調整やらもあるであろうし、中には冒険商人も現れるかもしれん、好景気に転じると考えるのも当然か」
溜息を吐いたドミトリーは、仮面付兜を着けたまま器用に木の匙で口元にスープを流し込む。飲みにくい筈だが、何故か一滴も零さない。
「……」
しんと沈黙が降り、彼らの机上では食事の音のみが響いた。が、すぐにイーゴルの言葉がそれを打ち破る。
「冒険者組合は“ゴブリンに対する軍事行動”をナリカラの外側に限定する事で、投票結果に反さずにゴブリンとの戦さを取り合えずは避け続けて来たが、春に実行予定の大規模調査じゃあいよいよ厳しくなるな」
そう言って、また皿に乗る豚肉をナイフで貫いた。
「……ナリカラ内に乗り込んでの調査、イルム達との衝突は十分にあり得るぞ」
「ふぅ、その難事を我らが取り仕切らねばならんとは、これならあの時にナリカラとクロムの神品を繋ぐ連絡を素直に請け負った方が良かったやもしれんな」
これから先の苦労を思ってドミトリーは仮面で隠れている筈の表情が見えてくる程、精神的疲労感を滲ませる。アントンは今更といった風情で天井を仰ぎ、ユーリイは全てを無視して食事に集中した。
ただ、イーゴルだけが感情を消してナリカラのある方角を睨む。
「俺ぁ、こっちの方が都合が良いがな」
自身の従士達に聞こえない様、イーゴルはぼそりと呟いた。




